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美術館・鉄道・お城・お相撲・お友達の話など趣味のブログです。
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出光佐三の実話で百田尚樹氏の大ベストセラーの映画化。永遠の0の監督と主演岡田准一という大ヒットのタッグチーム。非常に面白かった。今年の東宝は良い映画が多かった。

 

内容はもう大半の人が知っているが終戦と言う激動の時代に日本の未来を信じ続けた男の映画で俳優も豪華で吉岡秀隆、小林薫、堤真一、ピエール滝、染谷翔太、野間口徹、綾瀬はるか、鈴木亮平、近藤正臣、国村隼など。

 

たとえメジャーにも屈せず、大家族主義の企業風土など一時代の日本人の気骨が垣間見える。映画とは別だが出光興産の創業家と会社側との合併問題は創業家はメジャーとは一緒にならないだろう。

 

また佐三の甥で新出光の社長の奥さんは推理小説で有名な故夏樹静子氏であった。

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人形焼 山田家錦糸町本店

山田家の人形焼きは蒲田駅ビルにあった時は良く食べた。弟さんが店長で私のビリヤードの師匠、我が家の弟の麻雀仲間でしたが、大分前に亡くなり駅ビル店もなくなり人形焼は浅草や人形町で購入する位でした。

 

山田家の人形焼きは何と言ってもたぬきの人形焼きです。皮は甘くカステラ風で餡はもっと甘く久しぶりに戴いたが美味しい。

 

人形焼 重盛永信堂

日本橋人形町の100年の老舗、此処は何方かと言うとぜいたく煎餅が個人的にはたまに購入している、七福神の顔のこしあん、登り鮎の白餡、つぼ焼きの粒餡がある。

 

うなぎパイ 春華堂

浜松の銘菓、浜松以外でも多くの駅で販売しているがパリッとして少し甘く我が家では好物。此れはママリンのお土産。

 

天野の柿

伊豆長岡の天野地区で取れた柿で前に戴いた福島会津の柿と同じ皇室へ献上している。毎年狩野川のアユ釣りのチケット販売している知人から贈られてくる。感謝。

 

かりんとうドーナッツーリヨンセレブ

梅屋敷商店街の中ほどのパン屋さん、店内で食べることも出来き昼時などはママさんが多い。此処のかりんとうドーナッツは単純に小さいパンを揚げて砂糖をまぶしたものですが美味しく癖になり止まらない。量り売りなので食べ過ぎないように量を制限して購入している。

 

肉まん―萬珍楼

普段は聘珍樓の肉まんなんですが、今日は同じ横浜中華街の萬珍楼の肉まん。一緒に食べていないが何だか肉が違う。此方はどろっとした感じで聘珍樓はごろっとした感じかも。

 

寒い日は何方も美味しく熱々で戴く肉まんは個人的にはお腹も一杯になり幸せ。

 

福の舞―住吉

川崎大師の名物久寿餅で有名なお店ですが伊勢の赤福と同じようなお餅に餡を乗せた美味しいお菓子。ただ一人では食べきれず賞味期間も短いのがたまに瑕。

 

塩味饅頭志ほ万 かん川本舗

赤穂城のそばのかん川の志ほ万、今回は泉岳寺義士祭の売店で購入、新橋の新正堂の切腹最中も販売していましたが懐かしく志ほ万を購入。

 

柔らかい落雁の皮に餡がいっぱい入っていて塩味饅頭という割りには塩っぽくなく食べ終わって口に塩味が残るという上品な京菓子ぽぃお菓子です。

12月14日本所松坂町の吉良邸に打ち入った。泉岳寺の浅野内匠頭の墓前に報告をした。この忠義は当時の江戸市民の喝采を浴び歌舞伎などでも取り上げられた。現在でもこの時期になるとテレビや映画、講談などで取り上げられその都度視聴率も良いようです。

 

この日ばかりは多くの人が参詣し四十七士、大石内蔵助、浅野内匠頭の墓参りに山門まで長蛇の列で今回は並ぶのは諦めました。

 

久しぶりに泉岳寺に行きました。泉岳寺の近くの財界二世学院の方々が引き上げの道を泉岳寺まで歩いてきたようで多くの人が迎えていました。

 

数年前に両国本所松坂町から色々廻ったので真っ直ぐではなかったが三田あたりから足が上がらなくなって休み休み泉岳寺に行った思い出があります。

泉岳寺HP http://www.sengakuji.or.jp/about_sengakuji/

鉄道ドットコムhttps://www.tetsudo.com/

鮭塩焼き 12・12

弟からの時鮭を焼いて味噌汁あおさで戴きました。高級な時鮭は私が好きな塩じゃけでないがあっさりした身で甘く感じ此れは此れで美味しい。贅沢を言ってしまいましたが感謝。

 

うな丼 12・10

弟からのうなぎ、冷凍してあり何もないとこれを戴く。買えば高いものだが魚屋さんから戴くとどうも大量に来る。感謝。

 

とんかつ定食 12・9

大森町商店街の京急の駅から一番遠い東邦医大通りに近い新しいお店で初めて入った。ロースカツでしたが肉も暑く中々美味しい。大根が細かく切った物もキャベツの横にある。なますかと思ったがそのままの大根でしたが此れが食べ終わった後に口当たりが良かった。950円では安い。

 

吉野家 12・8

目黒で美術館を見て2時に親友と約束が東急荏原中延駅で有り一杯飲むからどうしようかと考えたが取りあえずお腹に入れた方が良いと考え久しぶりに牛丼並、味噌汁を戴いた。ワンコインでお釣りが来て相変わらず此処のつゆは美味しい。

 

麻婆豆腐 12・7

中華の調味料は買ってもそんなに使わないし使い方も良く解らないので手軽な丸美屋の麻婆豆腐の素を購入。後は豆腐だけあれば簡単にできる。

 

豆腐は大山の阿夫利豆腐、入っているが牛ひき肉を別途購入、葱を刻んで入れて寒い日美味しく戴いた。初めて使ったが辛さもそこそこで此れは癖になる。


購入していた額と右は元々はいっていた版画
画廊で買った絵も骨董市で気に入った絵を購入しても家に帰ると全く見ない。何点も梱包を解いていない絵がある。

    

今回は大分前に購入した絵でなく額として購入していた物で川瀬巴水の銀座の渡辺版画舗で買った板は昔の物だが新たに摺った版画を飾ろうと前に買った額を取り出してきた。

 

額には明治の版画が入っているので取り出したら中に新聞紙が入っていて何枚かの明治の版画が入っていた。新聞紙は熊本日日新聞昭和541220日の日付で額に入っていても茶色に焼けていた。

 

熊本の人が持っていた物が東京の骨董市で売り出されているなんてそれも新聞紙に挟んで大事に仕舞われていたなんて。明治の浮世絵、着せ替えなどでそんなに価値はないが私は額として1500円位で購入したと思う。

 

持ち主がどういった経緯で骨董屋に渡ったのか、熊本から東京へ何年前に来たのだろうか、持ち主が亡くなられて遺族が邪魔だから叩き売ったのかと疑問は尽きない。

 

新聞記事では香川(南海)牛島(中日)入団、古葉監督の日本一を祝う熊本市での記事もある。どうも37年前の記事に色々興味が出てくる。昔古本を買ってその中にお金が入っていたことがあった事を思い出した。

 

大きな国絵図と浮世絵、画材などが展示している。

国絵図は慶長・正保・元禄・天保に江戸幕府の命により各大名が国ごとに地図と土地台帳の郷帳の提出をさせたもの。国絵図は極彩色で巨大な畳二枚程度のもので各国の領内が細かく描かれている。(顔料) 基本的な事だが明治になって天領に対する大名領を藩と言う言葉が一般的になりその以前は国と言う言葉で処理をしていた。

 

浮世絵は春信、国貞、国芳、歌麿、清長、広重、英泉、北斎などの浮世絵作品が展示している。今回は作品の展示だけでなく色材などの展覧会で立原位貫と言う人が脱色している浮世絵を自刻、自摺をして色材を研究して各絵師の作品を復刻させている。

 

紅、藍、青花など浮世絵は植物からの染料が中心でその復活には苦労したようです。また現在は非破壊分析などの技術も使っているようです。

 

目黒区美術館は目黒駅前から権之助坂をだらだら下って目黒川沿いの施設です。庭園の中に長崎原爆の被爆した柿の木がある。燃えていたがそんな木から2,3つの実が出来、目黒区に住む被爆者がその種を貰って育てた被爆2世の木だそうです。実は今年は出来たのか?

 

見学後来た坂道を登り目黒駅前に到着。近くの500羅漢の大円寺に御朱印を貰いに向かう。行人坂と言って急な坂で雪が降ったら歩けないだろうと言う坂です。

   

ホリプロ本社前のお寺で当日はきのえの日大黒天の御縁日でした。境内には500を超える石仏群があり左右に文殊、普賢像、正面に釈迦三尊、周りには十六羅漢像が並んでいます。

 

江戸三大火事(振袖火事、車町火事)のひとつ行人坂の火事でこの大円寺から出火、この大火で亡くなった人の供養をするために作ったようです。

 

この坂の登りはもう息絶え絶えで上がってきました。高校時代の親友と東急線の荏原中延駅近くで楽しく久々に旧交を温めた。

 

 

この時期電車に乗るとカレンダー配りの方をよく見かける。顧客に挨拶、カレンダー配りなんだろう。私も現役の頃はやっていたなぁと懐かしく思う。

 

14日泉岳寺義士祭、1719日浅草歳の市(羽子板市)19日高砂部屋激励会、23日は天皇誕生日、24日友人と松本へ新そば、25日高砂部屋餅つきでもう今年は終わってしまう。日々寒くなり重ね着、ダウンジャケットの着ぐるみが歩いているようになる。

 

今年は娘も居ないのでクリスマスケーキは食べられないだろうか?のし餅を頼まなくてはとか大掃除、年賀状書きなどそろそろやらないとと頭に浮かぶが気持ちだけが慌ただしい時期になった。

  12月9日から11日今年最後の平和島流通センター骨董市、280超えの骨董もお店が出店。ただ今回も1周して目ぼしい物はなかった。

 

出店の幾つかのお店の店主に鉄道きっぷのお願いをしていたので今回はそのお店にコレクションを卒業すると言う事を伝え廻った。店主も卒業なんだと。なんか寂しい気もしたが年齢的にも潮時と考え自分に納得させている。骨董市は此れからも時間があれば行く予定です。

昨日ジムに向かう時後ろから凄いスピードで坊さんが自転車を飛ばして抜いていった。暫くしたら角で坊さんが倒れていた。12月は師走で坊さんでも普段と違い忙しいのだろうか。

 

毎年この時期にやらなくてはならない事がかなりあります。自分の健康の面では毎年胃カメラを受診。年に一回でまず予約をして検査の為の梅毒検査を実施。これに序に他の血液の検査も実施。その後数日後に胃カメラの検査を行い結果を聞きに行く。

 

自転車のタイヤを前輪、後輪をパンクしていなくても両方取り替える。自転車はもう十数年乗っているので友人からは汚いので新しく買えばとよく言われる。タイヤを代えるだけで安い自転車は買えるが今の古い自転車が乗りやすいので替える気はない。

 

また自転車の交通保険、賠償保険に入る。自分の交通障害と相手に怪我をさしたりしたした時の賠償保険に入っている。

 

かみさんから厳しく言われている網戸、ガラス窓の清掃、フローリングのワックス掛け。

 

毎月1日にやるようにしているお墓の清掃、十二月は1日以外に途中にもう一回清掃。

 

年賀状の下書き、印刷、住所書き。

 

色々退職者ですがやる事が多い年末です。

 

 

この美術館は1122日オープンしたばかりで地元の人が大挙押し寄せているだろうから来年にしようと思っていたが開館目玉の長年行方が分からなかった幻の絵巻「隅田川両岸景色絵巻」14900万円で購入の絵巻は115日で終わってしまうので平日ならと出かけた。

 

葛飾北斎は数えで90歳までの当時としては長寿で作画活動は70年に及び作品数も膨大にある。また90回余りに及ぶ転居,30回以上の改名、自分の名前を売ってしまう。護国寺の境内での120畳の達磨絵を描いたりのパホーマンスなど変わった一面もある。

 

当初は勝川派の春草に入門、春朗に春草没後継がず、江戸琳派の俵屋宗理に、二代目宗理襲名。代表作富嶽三十六景は70を超えてから作画。三十代の広重に大いに刺激を。広重ブルーと言われるが当初は北斎が使っていた。

 

モネ、ゴッホなど印象派の画家に刺激・影響を与え作曲家ドビッシーも神奈川沖浪裏に刺激され「海」という交響詩を。アメリカのライフ誌にこの千年の間に文化に貢献した人物100名に日本人として唯一選出されている。知ったかぶりに書けば一杯かける北斎です。

 

大江戸線両国駅から数分の公園の中に近代的な地上4階地下1階の立派な建物、常設展と企画展が展示している。北斎は現墨田区亀沢(江戸本所割下水)に生まれ大半を墨田区で過ごす。

 

65歳以上なので開館記念展・常設展で900円。常設展と企画展が交差している3階は4階で見せてもう一度入場券を見せなくてはならない。大きな公園の中にあるし34億もかけたのなら常設展を別途フロアーにすべきだっただろうと素人は思う。

 

 

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