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新入社員時代から10年間仕え退職後もお付き合いをさせていただいた大先輩の上司が亡くなられこの所歳のせいか昔を思い出す。

 

一杯教えを乞うた。時代に合わない言葉もあるが年次はバラバラだが思い出した順にあげてみます。

 

仕事は自分で見つけろ

上が先頭で仕事しろ

机にただ座っているなら現場を見まわれ

若い時は貯金をするな多くの人を知れ

掃除は目に見えない所から

出来る奴が仕事しろ、二軍、三軍ではお客様に失礼だ

二軍三軍には現場で教えろ

仕事を教わっている間は残業届を出すな

予約を受けるなら先方へ此方から掛け直せ

若い時は何も知らず海綿体のように言われた言葉は浸みて実践してきた。退職後は好々爺で年に数回の会食を楽しみにしていました。

お世話になりました。(合掌)

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 私の担当の各部署は個人商店みたいな物で一応、社長や支配人と役職はあるがほとんど全員現場の営業をしている状態で何を計画しこの年度をこなすかもなく全員日々の作業に追われてしまっていた。

 

本来KJ法、ブレインストーミングは何人かで意見を出して問題解決などをするが殆どこの方法を一人で紙に書いてやった。もうこの方法は古く今では違ったものがあるんでしょうが当時の私はこの方法しか知らず一人で黙々とやっていた。

 

経済学を大学で教えている友人にこの話をしたら呆れたのか苦笑いをしていたが時代遅れのこんな方法でサラリーマン人生を過ごせた。有難い世の中だった。

チラシ配り

もう40年以上も前の新入社員時代ですから今流行のチラシ配りのアルバイトもなくポスティングなんて言葉もない時代。

 

「もうそろそろ上がりだろ、一緒に帰ろう。」上司に言われ一緒に帰ると上司の手には沢山のチラシが。「お前はこの道から駅へ行って帰れ。途中の各家のポストにチラシを入れながら帰れという事でした。

 

「チラシは会社に置いていても何も役に立たない。お客様に見てもらうために作ったんだ。」

 

最初は何となく恥ずかしかったがそれも慣れてチラシが出来るたんびにポスティングをした。ある時、近くのマンションの自治会から本社にクレームがあった。これは上司に怒られると思ったが本社から帰ってきた上司には逆に褒められた。

 

今私と同じ高齢者が恥ずかしながら遠慮しながらポスティングをしているのをみると昔を懐かしく思い出す。

小さい事からコツコツと

此れも先日亡くなった上司の言葉で「何でもコツコツと仕事をしていく。」継続は力なりと言いたかったのでしょう。

 

営業と言っても私の仕事場は地場産業的で遠くからわざわざお越しになる方は少なく遠くでも自転車で行ける距離のお客様が多かった。

 

温泉会館、ボウリングなどのレジャー事業、毎日お越しの個人の方はいるが、私の担当は団体予約がメインだったので企業や商店街、町会、宗教団体、県人会など各種団体、業界がメインでした。

 

数多く来てもらっても月一か年に数回だが纏まると大きい人数になる。そう言う団体の幹事さん宅へは月に一度は必ず用がなくても御用聞き宜しく伺っていた。

 

特に今まで予約を戴いた事のない団体には必ず伺い、何かの通り道なら先日伺ってもお邪魔していた。パンフを置くだけだが此れが人間の人情なのか忘れた時に電話を戴いたりする。

 

商売はあきないとよく言ったものでその上司の言葉通りコツコツがいつの間にか仕事に結びついた。こういうお客様とは仕事の業種が違っても退職するまでお客様でした。

頭を下げるのにお金はかからない
サラリーマン生活の大半は営業体での生活だった。そして各レジャー事業は独立採算制をひいていたので各事業が何方かと言うと個人商店みたいな物。

この所若い時に指導を受けサラリーマン生活に影響を与えてくれた上司が亡くなっていく。新入社員研修を受け現場に配属になる。最初に「おはようございます。宜しくお願いします。」と配属先の上司に挨拶に行くと習ったお辞儀を直された。

お辞儀はただ頭を下げるだけではなく「足元にお金が落ちていてそれを拾うように頭を下げろ。」「そのお金がお客様から戴くものだ。」「頭を下げるのはお金がかからない。」

習ったのは45度とかだったが「頭を下げ過ぎて怒る人はいない。」「中途半端な下げ方は色々な感情でとらわれてしまう。」

そのように指導された私は今でもそうだが頭は他の人に比べても低いそうです。もう習慣になっているようで直らない。友人からもあんたは頭の下げ方が低い。最初に会った時は社長をやっているとは思わなかった。と今でも言われる。

 どうも強烈な上司のお蔭で無事卒業が出来たようだ。歳のせいかふと昔を思い出す。

ない時は知恵を出せ
東京での全国キー局のテレビ局、日本テレビ、東京放送(
TBS)、テレビ朝日、フジテレビがありもう一つテレビ東京がある。

テレビ東京は他のテレビ局に比べるとスポンサーなどが少ない。しかしお金をかけない番組、視聴者参加番組、グルメ・旅番組など番組によっては大手のテレビ局の視聴率を抜く人気番組が多くなっている。他局が真似をする番組さえある。

歳をとると昔の上司の話が思い出される。「頑張るのは高校生のアルバイトでも出来る。社員なら予算がないのなら知恵を出せ。」

各現場で自分なりにこの言葉を実践したつもりです。若い時に上司に聞かされた言葉を今でもテレビ東京の番組を見ると思い出します。

 

旅館などでは部屋に金庫もありますが別にお客様の貴重品として袋を用意しています。(写真の袋は他の旅館のものです。)

 

基本的には財布などを預かることを想定したもので、袋の真ん中にお客様の名前を書いてもらい、上の切り取り線には袋の番号が打たれています。お客様には上の紙を渡します。

 

お客様はその紙をフロントなどに持ってきて、フロントはお客様の名前を言ってもらい本人を確認して手渡します。大きいものはその袋に輪ゴムで括り保管します。

 

一番大きい貴重品は外国の自転車を預かってくれと言われた時はびっくりしました。鍵がなくチェーンを使うようですが一晩外に置く心配が有り預かった事があります。軽い自転車で有名な自動車会社のもので何十万もするようです。

 

逆に一番小さいものは指輪が多かった思い出もあります。その方は洗面所などに良く忘れたり、泉質によっては金属が傷つくそうで預かることがありました。

 

一番重かったのが宝石屋さんのバックだったような気がします。宿屋の金庫に入りきらず苦労した思い出があります。人それぞれ貴重品の考え方が違いますが部屋の金庫の貴重品は失くなっても宿屋の責任ではなく、その対応に一応保険には入っています。

 

宿泊施設に貴重品を預けた場合は失くなったらその施設が責任を負います。まぁ仕事でなければあまり貴重品は旅では持って出ない方がありがたい。

 

 

サービス業全体に言えることですが、旅館では、何とか固定客を作りたい。多ければ多いほど安定経営になる。特に繁忙期でない時の常連客づくり。

何度も来ていただくにはどうしたら良いのだろう。価格、料理、接遇、サービス、お風呂、清潔・安全等全てが満足しなければならないのか。
顧客満足度=価格+料理+接遇+サービス+α
何か来場動機付けは、ないだろうか。

検討の結果私は、収集癖がある。かみさんを見ているとポイントカードが沢山持っている。旅館でもそれが出来ないか。ポイントカードは、結構設備にお金がかかる。まして日々に使うものでないので紙のスタンプカードにした。

3年間有効で旅館には、平均2,5人位でお見えになるので10個のスタンプで宿泊券を差し上げる。途中5個で売店利用券をプレゼントにした。団体や大勢の家族の場合最高5個のスタンプにして幹事さんの慰労分にと考えた。その利用券は、また、余計に売店で買ってもらえる呼び水にもなった。

私と同じ収集癖の人がなんと多いことか、会計は多くが女性で以外に大事にして来る度にお持ちになりあと、3つよ、一つよと会話も弾む。

10個集めても1枚の宿泊券なので一人で泊まる人はいないので来場動機になり宣伝をしないでのお客様となって行った。

お客様としては、休前日でも泊まれるので価値はある。旅館も集客、固定客になる。フロントでもお客様と会話が出来る。

当初、提案した時は、えぇーそんなにサービスするんですか?やりすぎですよ。とあまりに今までなかったことなので心配の意見が多かった。

従業員が心配する大サービスはお客様にはウケルと思った。現実は、みんながみんな来てくれる訳もなく、来てくれれば大いに結構、固定安定になる。宣伝費も減る。そんな打算もあった。

現実は、そこそこの固定客に繋がった。特にお子様がいる家族は子供を連れての旅行を計画するにあたって車が多く伊豆は観光地が多く、どうせ泊まるならと宿泊地に選んでくれるようになった。そして、家族が多ければすぐ貯まる。

営業は損して得取れ。たぶん他の旅館ではないシステムだと思う。営業しないで来てくれてこちらが楽でお客様に喜んでもらえるものはと日々考えていた。ダメならすぐ止める。何でもやらなきゃ結果はでない。最も小さいから出来たんだが。

スタンプカードは今もやっている。
旅館は、直接のお客様、契約先のお客様、旅行社からのお客様とお越しになるパターンが幾つかある。

旅行社からのお客様は、たいがいクーポンという事前に払い込みをした宿泊券をお持ちになる。旅館は、クーポンを月末に旅行社に請求する。旅行社は、手数料を引いて後ほど旅館に振り込まれる。旅行社は、それを生業にしている。多くの旅館は何とか多くの送客をお願いするためあいさつ回りをする。

担当旅館に着任時、大手の旅行社からお宅は接客が悪いと言われた。旅行社も同じお客様を次回も繋げたいためアンケートを取ったり幹事さんに聞いたりする。

中々素人が教育も出来ないので報奨制度を設けた。
自分の知り合い、お客を当館に連れてきたら基本宿泊料の売上5%を進呈する。
お客様には一人ビール1本付ける。

自分の客じゃ粗末に扱わないだろう。それでサービスUPになり本人も給与が増える、お客様もビール1本のサービス。但し、景気が良くないので昇給は今年はしない。その分自分で稼げというシステムです。サービスが良ければチップも入る。

特に旅館の顔の仲居さんに頑張ってもらいたかった。彼女らのサービスUPが旅館を左右するし私は教育が出来ないので自分の持っている個性で頑張ってほしかった。
みんなお金がほしいから働いている。訳あり仲居さんは特にそうだ。

年度報奨までしてけしかけた。旅行社なら15%位は払うんだから従業員に払った方が良い。目の色変えてやる人、ひょうひょうと仕事だけする人、様々だ。

2年間ぐらいこのシステムは通用した。3年目からできる人、顔の広い人がはっきりしてきた。

また、少しづつだがサービスUPにも接遇向上にもなったと思うことにしている。
このシステムは4年でやめた。結構自分では面白いシステムだったと自負はしているが、世間では、どうか?
旅館には、仕事が分業で、ある意味決まっている。

玄関に入ると予約受付、部屋割、会計等のフロント、料理を作る厨房員、料理を運ぶ仲居、庭、風呂掃除、布団敷きの料理を部屋毎に区分けする番頭、事務所の庶務、営業等ある。その他に売店、喫茶、バー、ゲーム・カラオケコーナー、運転手、掃除掛等お店によってまちまちだが分業で成り立つ。

一番お客様と接触するのが仲居だ。
玄関で迎え、荷物を持ち部屋に案内、お部屋では、お茶を入れ館内案内、食事時間の確認し時間を見はかり、食事の進み具合で料理、飲み物を配膳、朝は、新聞を配りながら朝食の配膳、お客様を見送る。

ほとんどの時間、お客様を色々お世話をする。旅館の顔である。
仲居さんは、午後3時に出社し担当のお部屋の準備(3~4室)、お客様を迎えると簡単に食事をとり、夕食時は、飲み物、食事の配膳、かたずけをして大体9時から10時に帰宅。

翌日は、朝食時間によるが7時頃出社、8時の朝食の配膳、かたずけ、お見送りして簡単に部屋のかたずけをして11時頃帰宅する。
7時から中抜けをして夜10時までの勤務となる。

拘束時間が長く、結構きつい仕事でなり手は少ない。若い人だと着物の着付け、配膳の並べ方からの勉強になる。

私の担当旅館は、結婚をしている人は少ない。子供のいる人は、朝早めに家族の朝食、弁当を準備して出社、昼の中抜けに夕食の準備、買い出し等をして旅館に来る。独身の(ほとんどはバツイチ)人は、寮に入る人が多い。

過去は、色々あったんだろうが明るい人が多い。夏休み等特別な日は別だが大体仲居さんと同じような年代のお客様が多いので扱いも上手だ。

仲居さんの感じが旅館の感じになってしまう。極端にいうと旅館は仲居さん次第だ。ただ、残念なのが中々教育が出来ない。マニュアル通りだとお客様の方でつんつんしているになり機械的ではだめでどおしてもそのお客様お客様に対応するので経験、明るさ、親切さが出る人がお客様の受けは良い。

人間と人間の付き合いになる。どんなに忙しくてもそれを態度に出さないで上手にお客様を遊ばせる仲居が最高だ。

色々他で経験をしてきた訳ありの仲居さんばかりを相手にするので経験不足の私は、褒めたり怒ったりしても結構仲居さんに遊ばれていたんだろうか。

旅館の顔の仲居さんとはたぬきと狐の化かしあいだったり。
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