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美術館・鉄道・お城・お相撲・お友達の話など趣味のブログです。
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ピーナッツ糖―伊江食品

沖縄アンテナショップに行けば必ず購入するピーナツと黒糖の三つで固めた商品。なぜか懐かしい味で美味しい。昔は食べ過ぎて鼻血を出したこともある。

 

久寿餅―池田屋

池上本門寺参道の池田屋の久寿餅、子供の頃から慣れ親しんでいるのか美味しい。ママリンのお土産。

 

草餅―たねや

近江八幡のたねや、東京のデパートでは大体とらやの隣に店舗を構えていて面積も大きい。此処の和菓子は人気があるだけでなく店員もマナーがとらやと同じに良い。

 

どら焼き、最中―たねや

この所たねやの製品を戴く時が多い。今日は渋谷の東急百貨店本店で最中とどら焼きを購入。最中は自分で餡を入れる物もあるが今回は半分こしあん、半分白餡の最中を購入。どら焼きは此処の物は大好きで粒餡がしっとりして美味しい。

 


あべかわ餅―餅甚

この所戴いていないと思ったら娘が平和島流通センターへ行った序にお土産で買ってきた。相変わらず美味しい。

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今日のお昼 2・14~纏めて

台所に置いてある先月の高砂部屋打ち上げパーティのお嬢さんのテーブルフラワーはもう元気がなくなってきた。代わりに人参の葉は元気に伸び青々として目を楽しませている。

 

12月26日() 有り合わせのスパゲッテイ

20分弱で出来るので伊豆の昼休みには良く作ったスパゲッティ、湯を沸かし今日は朝のサラダ用のハムとピーマンを切り茹であがった麺にケチャップを和えるだけ。麺は6分、100g。

 

12月25日() 有り合わせ

ご飯、味噌汁に沖縄ショップで購入したもずく、しらすおろし、伊豆のわさび漬けで戴いた。しらすおろしやわさび漬けはご飯がいくらでも食べられるので注意。勿論味噌汁は八丁味噌でわかめ、葱、豆腐。

 

2月24日() お稲荷さん

いつもの梅屋敷商店街の伊勢屋でお稲荷さん5個、しらすおろし、味噌汁は前夜に見た徳川家康に影響されわざわざ八丁味噌を購入し、葱とワカメの味噌汁。八丁味噌は名古屋で味噌煮込みうどん位しか機会がなかったが普段の信州みそとそんなに気にならなかった。

 

翌日には食べたものを書くようにしているが3日過ぎれば完全に忘れ思い出さない。老化現象ははっきり出ている。その為にこれを書いたのだがダメだ。

 

2月22日() カツカレー

作り置いてあるカレーに買ってきたカツを乗せたカツカレー、だんだん煮込んでいるのでコクが出てきた。

 

2月21日() 焼きそば

残っていた日清焼そばに夜の予定のマーボー豆腐用のひき肉にキャベツ、揚げ玉、小エビを混ぜて戴いた。なめこと葱の味噌汁も作る。

 

2月19日() 鍋焼きうどん

前日の鍋の残りで饂飩を入れてママリンがパッと作る。寒い日には温まる。残り物の具だが出汁も出て美味しい。

 

2月18日() カレーライス

前日作ったカレーライス、めかぶ、ポテトサラダ、ほうれん草のおしたし。

 

217() カレーライス

ママリンが3日間居ないのでカレーライス作り今日はカレーライス、カレーうどん、カツカレーなどのバリエーションしか解らないが此れで暫くは持つ。

 

216() 肉まん

普段おやつ程度は一つですがお昼ご飯の代用食で萬珍楼、聘珍樓の肉まんを2つ戴く。私は聘珍樓の方が好きです。

 

2月14日() おにぎり(昆布、鮭)

昨夜友人の誕生日会で日本酒をしっかり飲んで帰りも久しぶり遅くなりました。水を飲んだのですが夜喉が渇き三時に目が覚める。

 

取りあえず普段の朝食の量を食べたのだがどうも調子が悪く今日はコンブの佃煮、崩し鮭の瓶詰めでおにぎりを2つ作り戴く。味噌汁は大根、若布、揚げ、玉葱、葱と具沢山にして飲んだ。

 

まだ寒い日が続いていますが三寒四温でその内温かくなる。JRも春のダイヤ改正が3月4日から変わります。そして時間に余裕のある私の為にあるような「青春18きっぷ」の春のきっぷが20日より発売になりました。このきっぷは3月1日から4月10日までの有効期間です。

 

三月後半には西の方では桜も咲きますが今年は東北の桜を見に行こうと思っていますのでこの切符は使えない。大阪場所の高砂部屋激励会は3月4日()、相撲初日は12日からで4日は早いなぁ、まだ寒いだろうし相撲関係は千秋楽P位か、やはり城巡りかと思うが近場は大半の城は攻め入った。

 

JRのダイヤ改正は?こんな事を考えている時間が楽しい。時刻表を見ているだけで時間を忘れる自分がいる。

 

イギリスのゴールドマン氏のコレクションでとても綺麗な作品が展示されています。外国人のコレクションはとてもきれいに保存されています。まぁ外国へ行ったから戦災を逃れ現在保存されているのだが此れが日本から出ていた物と思うと悔しい。

 

今回は河鍋暁斎の作品です。暁斎は浮世絵師歌川国芳の門下に入りその後狩野派に学んだりしたそうです。幕末から明治を生きた天才絵師。今回は錦絵より肉筆画が多く序章から第6章までに分かれています。

 

序章は動物を描いた肉筆画がど~んと迫力の展示。私は鯰の曳物を引く猫たちが好き。

 

第一章は柿の枝に止まった鴉の墨絵、第二章は躍動するいのちで虎の掛け軸などは墨一色ながら鋭い顔つき、動きが迫力がある。「月下猛虎図」、また動物戯画が多く展示されている。

 

第三章幕末明治―転換期のざわめきとにぎわいー黒船来航により作品自体も変化が出る。「各国人物図」では西洋人、清人、アフリカ人、アラブ人、エスキモー人などが描かれている。此れは種本から描いた?「隅田川今戸瓦焼と渡し」では師匠の歌川国芳より上手い。「五聖奏楽図」は明治6年にキリスト禁教が解かれ十字架のイエスの下に神武天皇、孔子、孟子、釈迦が見上げている。皮肉な絵でもう一つは「盲人の書画鑑賞、囲碁」の作品など。「野菜づくし、魚介づくし」は暁斎だけでなく川端玉章、渡辺省亭などの当代の作家との共作。

 
右は師匠の国芳の作品

第4章は戯れる―福と笑いをもたらす守り神―「弁財天の絵を見る六福神」ではひとり毘沙門天が本を読んでいる。鍾馗様が鬼退治をする肉筆画が多い。数点貼交絵や錦絵も展示。戯画。春画も。新政府を批判した戯画も描いて捕まっても居る。

 

第5章は百鬼繚乱で幽霊画の展示、第6章は祈る―仏と神仙、先人への尊崇で達磨絵などの展示です。久しぶりに河鍋暁斎の此れだけの点数を見た。明治の建築家のジョサイア・コンドルも弟子になっている。今回は彼の作品は展示はない。

 

文化村は招待券があるのでもう一度は見に行きたいし見ごたえがあった。4月16日まで。

 

 

月末の金曜日に退社時間を早め、買い物や食事、旅行映画・観劇など楽しんでもらう官民一体の取り組みだそうです。

 

読売朝刊では見開き1ページの広告が小田急、Suntory、21のブランドのお店、SOFTBANK、ローソン,アサヒビール、化粧品のエスプリークの7ページ、3分の1ページは名鉄が出ていた。

 

TV,ラジオでも中継が出ている。日本橋、新橋の居酒屋は大半が満席だそうで、総理大臣、世耕大臣、バカな安倍総理のかみさん、小池都知事と各イベントに出席している。

 

旅では熱海、静岡、草津などが東京から近く混んでいるそうです。年金生活の身では毎日日曜日ですからあまり関係ないが此れで少しでも経済活性化が出来れば良いのでしょう。

 

そう言えば昨日も夕方4時から飲んでたし今週は昨日を入れてたそがれのお酒を2回楽しんでいる。来週も月曜日から予定がある。

 

ただ此れに参加している企業は130社でまだまだだが毎月繰り返していくのだから段々多くなっていくんだろう。私の以前の仕事はサービス業だから逆に忙しくなっていくんだろう。経営者としては有難いが働いている人は?

大分前の木村勝次郎(現木村朝之助)さんから戴いた色紙。

これは段ボールの箱に入っていた物ではなく伊豆のホテルの社長を退任し東京のグループ会社の社長就任した時の行司木村朝之助、呼び出し邦夫から戴いた物。邦夫の手製で文字は朝之助が書いたもの。雲竜型。

一文字に庄之助の書、横にその当時の大関、横綱の手形を押した縁起物。巡業などでその地にお世話になった勧進元などに贈るもの。本来は私などは貰えないが関係者に戴いた。

 

色紙

親方、部屋の力士、行司、呼び出し、マネージャーと付き合っているので沢山の色紙を戴いている。高砂部屋関係だけの色紙を。

変わった色紙

相撲関係者が見れば≪おやっ≫と思う手形。力士を廃業した後には手形が打てない。曙は高見山が引退して高砂一門の東関部屋を起こした時の横綱、高見山も関脇の印が押してある。時間が掛かった色紙。


大関朝潮、大関小錦


関脇水戸泉
(錦戸親方)、小結闘牙(千田川親方)


朝乃若の2種類の手形
(若松親方)


朝乃翔、十両泉州山
(現在は共に引退)


朝青龍の大関、横綱

十両皇牙、十両朝弁慶 皇牙は現在は北九州でちゃんこ店を経営。現役時代は十両になっても弓取式を行っていた。

若松部屋の第一号の十両の太田の手形は貰っていたが見つからない。朝赤龍も2種類持っているが写真を撮るのを忘れて次回にでも。

朝乃翔の博多織紙入れ

朝乃翔は網膜剥離で引退後借株乍ら部屋付親方として高砂親方を真剣にサポートをしていた。この紙入れは朝乃翔の媒酌人を務めた萩原社長から戴いた。綺麗な紫色でしっかりしまい込んでいた。

 

相撲カード


まだザンバラ頭の本名で出場していた長岡(現高砂親方)のカード。三賞最短記録ベスト
2初土俵から6場所目で敢闘賞を受賞。因みに親方は殊勲賞10回、敢闘賞3回、技能賞1回、幕内優勝1回。

 

闘牙このカードは幕内時代でサイン付、此れは後に呼び出し邦夫に頼んで書いてもらった。元小結で今は水戸泉の錦戸部屋所属の部屋付親方。

 

朝青龍、若松部屋に明徳義塾卒業後1年での新十両のカードと幕内のカード。その他に安治川部屋(現伊勢ケ浜部屋)時代の安美錦、怪我に負けず頑張っている。このカードは関係者に戴いた。

 

シール、楊枝入れ

若松時代から今でも後援者の村田さんから戴いたシール、スナックのボトルに一杯貼っていた。村田さんの奥さんが番付や力士の反物の端切れで着物、傘などの楊枝入れを作っていた。とても器用な方です。ミニ化粧まわしは萩原社長から戴いた。

 

テレホンカード

朝乃若、親方の木村えいじ氏の似顔絵、朝乃翔、真ん中は一ノ矢のやく・みつる氏の似顔絵、高砂部屋と川崎球場でロッテの選手と野球をやっていた時代のテレカ。親方とロッテの有藤監督が同じ大学での関係で大関朝潮、大関小錦、関脇水戸泉。名前は忘れたがロッテの3選手の結婚祝いも兼ねて川崎球場から平和島クアハウスで汗を流し、その上の平和島大飯店でパーティを行った。懐かしい。

 

 

翌年入門の太田が数年後に若松部屋として十両となって初めての関取が誕生した。近大から入門の朝乃翔、朝乃若が幕内に。高知の明徳義塾からのモンゴルの朝青龍が大関になり初優勝を。この時期までは凄い稽古で真面目な青年だったが。千秋楽に力士控室に呼ばれて万歳三唱をした。私は残念ながら後ろで写っていないが良い思い出です。

 

顔ぶれ書

中入りに翌日の取り組みを庄之助などが披露する顔ぶれ、此れは当時木村勝次郎(現木村朝之助)さんから戴きたもの。当時も顔ぶれを書いていたそうですが今は十両格になり当時よりは上手になっています。(失礼)

 

懸賞金

関係者に戴いた朝青龍の懸賞金袋。中日新聞からのものは対戦相手が旭鷲山、九州の八女茶は千代大海戦で朝青龍も大海、旭鷲山も共にキツイ性格で相撲というより殴り合いになったりした。

 

大入り袋

相撲関係者、力士、新聞社などに配る大入り袋、大分戴いたがお店をやる方に縁起物として配ってしまったがまだ残っていた。特に天皇陛下、皇后陛下がご臨席の大入り袋は行幸啓記念の赤いハンコが打たれている。行啓記念は皇太子のお見えの記念ハンコのようです。                                                        

段ボール箱を整理しようとしたら相撲関係の物が出てきた。相撲と言っても私は現高砂親方から知ったので他の部屋の事は知らない。

 

大関朝潮晩年期で引退して当初は山響の名跡を継いでいた。すぐ若松部屋を引き継ぎ当初は元の両国回向院近くの部屋から本所に稽古場を作った。この写真は部屋開きと土俵開きを行った。

 

土俵開きは木村庄之助、横綱千代の富士、太刀持ち横綱曙、露払い水戸泉という高砂一門で挙行。当時のタニマチも錚々たる方々だった。

私は部屋開きの方々のニューオータニの披露会場へのバスの手配だった。

 

当初は力士が67名位でタニマチは一杯いるが受付などのお金はないが働くボランテァが必要で石田会長から東京朝潮会に混ぜて戴いた。まだ力士数名で親方の人気で1000人以上の人を集めていた。

 

ニューオータニの激励会、小さいのは千秋楽の打ち上げパーティ、餅つき大会などでその都度この法被を着て受付などをした。高砂部屋になり部屋に大勢の力士も出来き受付・帰りのお土産などは力士がやる事になり会は消滅。67人の東京朝潮会は年に数回親方を囲んで一杯飲むが楽しかった。法被のイラストは漫画家の木村えいじ氏。

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