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美術館・鉄道・お城・お相撲・お友達の話など趣味のブログです。
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 土日は混むのでなるべく家にいるようにしていますが学生時代の方からの呼び出しで東急の三軒茶屋でのランチに出かけました。

 

株主優待乗車券を使うため東急蒲田駅から多摩川線で終点多摩川で乗り換え東横線で自由が丘に、此処で大井町線に乗り換え二子玉川、此処で田園都市線に乗り換え三軒茶屋へと言う人によってはめんどくさいコースで向かう。

 

東急蒲田駅には長い行列が7600系のさよなら記念入場券が朝5時から発売しています。もう私は東急は全駅入場券を持っているのであまり興味がない。今、並ばれても買えないですと係員が案内していても益々並んでいく。

 

50年近い切符収集で感じることは昔も並ぶことがあったが今みたいな異常な事はなかった。逆に売れないこともあり郵送での販売もあり全国からのコレクターもわざわざ行かなくても買えた。

 

 

  ランチ終了で別れ折角来たので近くの東急世田谷線松陰神社へ。今NHK大河ドラマになっているのでさぞや混んでいるだろうと野次馬根性で見に行く。


 
 
 

しかし何度か来ているがその時と同じような普段通りの参拝客で大変には混んでいない。(写真の建物は松下村塾を模して造られたもの)

 

松陰神社から渋谷に出て三鷹駅前の三鷹市美術ギャラリーで「写楽と豊国」展を見る。市の美術館にしては130点の浮世絵を展示。久々に写楽の浮世絵を見た。

  

中央線で東京駅、京浜東北線で大森下車、駅前広場で秋田三種町のPRでじゅんさい祭が開催しているので行司呼び出しの会の会長をしていただいている正助さんが商店街の会長でもあり主催者になっているので顔をだす。

 

じゅんさいスープを無料で配っている。冷たい空気にはとても美味しい。秋田の物産はすぐ売れたそうで何もなく義理を果たしたという事で帰宅。家に帰れば猫が散歩に連れて行けと玄関で待っていた。

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上諏訪の旅

今回上諏訪に泊まる事にしたのは義父からこの地で古くからやっているうなぎ屋が旨いという事と温泉に入ろう。出来れば雪見風呂でもと。今まではかみさんとは温泉旅館に泊まっていたが今回は一人ですからビジネスで温泉付のホテルに泊まる。

 

私のイメージでは上諏訪は諏訪湖があるのでワカサギ、鯉こく、野沢菜などでウナギは全く思いつかなかった。義父からは店名は忘れたという事で観光協会で聞くと「古畑」だろうという事でホテルから歩いて雪道を向かう。なぜか2軒のうなぎ屋が並んでいましたがもう一軒は本日休業で「古畑」へ入る。

 

蒲焼に時間が掛かるだろうから熱燗を戴き、つまみを幾つか戴き、その中で御通しにわかさぎの甘露煮が出たが非常に美味しかったのでお土産にしました。ウナギは当然養殖ですが美味しく、安かった。

 

この近くに高島城がありライトアップしているかと思い向かうが残念ながら春先や夏場だけの様でした。スパイク付長靴は大活躍ですがやはり寒くお酒も醒め、ホテルで温泉を楽しみました。露天風呂もありましたが雪見風呂とはいかなかった。
 


翌日は高島城、諏訪湖湖畔を歩き原田泰治美術館、その後湖畔を反対側に歩き立湯の片倉館、此処は大きい千人風呂と言われる浴槽に立ってはいる温泉です。今の時期は割引料金でした。諏訪美術館は休館、駅近くのお土産屋えびすや、駅反対側の郵便局などをめぐってとりあえず小淵沢まで行く。

上諏訪ホームには臨時団体列車でさよなら115のヘッドマークが、横須賀線カラーの115も引退するようです。しかし中央線にはまだ今回乗れなかったが115はわずかながらカラーが違いますが走っています。

 先週は丸の内から皇居周辺を散歩しました。丸の内は三菱村でオフィスが中心の街ですが東京駅反対側北口の日本橋方面は三井村で逆に商業の街。此方もいたる所でスクラップビルドしています。工事中ですと以前はどんな建物だったか思い出せません。

 

東京駅北口からまず一石橋へこの橋の袂には迷子しらせ石標があります。この周辺は江戸時代繁華街で当時は迷子などは町内が責任をもつ事になっていたそうで安政4年に近隣名主が世話人になりこの告知石標が建立されました。左側に尋ねる方、右側に知らせる方と書かれ上に窪みがあり紙を貼るシステムだったようです。

 

一石橋は近くの金座支配。後藤庄三郎、南の呉服町の頭取後藤殿助の屋敷があり五を足して一石橋と付けたそうです。

その先のめがね橋が常盤橋、その近くには常盤橋門跡があります。枡形にした江戸城を守る門の一つです。公園には渋沢栄一の像が。

一石橋を渡った右前は日本銀行本店明治29年金座があったこの地に永代橋から移転。辰野金吾設計。ドームや柱はネオバロック様式の建物で壁面などはルネサンス様式で水洗便所、エレベーター、防火シャッターなど当時の最先端の設備を要していたそうです。この建物は上から見ると円と言う字になるようです。向かい側は貨幣博物館で無料で見られます。1億円の重さも体験できます。

 

日銀の裏が三井本館、江戸時代の越後屋呉服店が出店した周辺に立っています。昭和4年に竣工。コリント様式の柱列で囲まれています。戦後はGHQに接収されていた。

その前が三越本館、越後屋の呉服店を引き継ぎながら百貨店に。関東大震災後鉄筋コンクリートのルネッサンス様式に昭和10年改修。


三越は三井と越後屋の頭文字をとった。中にはロンドントラファルガー広場のライオン像、天女像があります。人知れずライオンに跨ると受験に合格するという都市伝説も。

 

日本初のエスカレーターを設置、エレベーター、スプリンクラー、全館冷暖房など当時の最先端の設備だった。

 

コレド室町1、コレド室町2、コレド室町3と高層の商業施設がド~ンと聳えています。全国の老舗が入居しています。来年の年賀のおしるしとして敦賀の奥井海生堂の吉祥昆布を購入。

 コレド12の間が浮世通りとしてその突き当りに色々変遷があった福徳神社が10月に建てられた。コレドが出来てこの周辺は一変しました。

コレドの裏の数年前にオープンした天丼の金子半之助、未だに並んでいます。オープンした頃戴いた事がありますが千円程度で天麩羅がどんぶりから溢れるくらいの量でお腹いっぱいになります。

三浦按針遺跡

三浦按針(ウイリアム・アダムス)イギリス人航海士、オランダ船リーフデ号で臼杵に漂着。徳川家康に招かれ当時の国際情報、造船、航海術、天文学など指導し旗本に。この地に屋敷があった。

同じ漂着したヤン・ヨースンも招かれ屋敷が今の八重洲あたりでそこから八重洲と言う地名に。

日本橋。もう語る必要のない日本の道路起点地。この橋の袂には広重の東海道にも描かれている魚市場があった。今は桟橋が出来てリバークルジングが人気。この寒い冬でも多くのお客が楽しんでいます。

高島屋日本橋店

昭和8年に日本橋店は開店。今でも昔ながらのエレベーターガールがいて中扉が付いたエレベータが有名。入るとすぐメリーゴーランドが。地下のとらやへ年末年始の饅頭を買いに行くも販売なし。日本橋手前のとらやは売り切れで残念。

高島屋前の三菱UFJ信託銀行、洋書の丸善、創業者早矢仕有的氏が作ったとされるハヤシライスで有名。

山本海苔ではお正月、新しくなった東京駅八重洲口。

本来は水天宮方面へ行くつもりで出たが急用ができ帰宅。

 

 

 


今年も
17日から19日まで浅草寺境内で歳の市が開催されています。もう今では暮れの物と言うより羽子板市だけと云った方が良いのかも知れません。

  

50店舗が境内に昔ながらの羽子板を威勢よく販売しています。私は今年も羽子板は購入なし。身内に羽子板を上げる子供がいません。いつもの通り浮世絵販売のお店で復刻版1枚購入。江戸凧もどうしようか考えましたが今回はパス。

 

今年の話題の羽子板はテニスの錦織圭、だめよ~だめ、だめの日本エレキテル連合、逸ノ城、健さん、ノーベル賞の各先生等。

 

いつでも多くの人が訪れている東京を代表する観光地ですから仲見世はまともに歩けず、一本横の通りから向かいました。只仲見世の杵屋でいつものあられを購入する為ちょっとだけ仲見世を歩く。

 

お土産屋さんより歩いて食べられるお店は並んでいます。また有名店の飲食も並んでいます。

 

奥山では早咲きの梅が咲いています。奥の鐘楼は浅草の時の鐘。


前にも載せましたが各店舗の上には歌舞伎の題材の人物が下を見ています。朝方は寒かったが風もやんで多くの人がいるからか暖かった。

 

東京駅丸の内側から行幸通りを通り内堀通り、千鳥ヶ淵公園脇から北の丸公園と皇居の間を通り北桔橋門から皇居東御苑を散策して大手門から東京駅へと戻るコースを散策しました。

 

もう何度も散策しているコースですので今回は新旧の建物を見ながら散策しました。当日は快晴でコートを着ていますので暑い位です。

 

東京駅丸の内駅舎前は工事中、日本工業倶楽部会館1920年建造、今の建物は2003年に復元したもの。右は東京銀行会館、
東京中央郵便局外観だけ残し高層のキッテビルに。
行幸通りから正面は皇居。

日本郵船ビル横にはオランダ船のレプリカ、館内にはクリスマスの飾りつけ「アナと雪の女王」をモチーフに。

ビルのハザード下には何処もオープンカフェが東京と言う感じがしない。

三菱一号館美術館右は明治生命館。
二重橋
、後方は伏見櫓、二重橋は普段は渡れないが23日天皇誕生日、1月2日の祝賀は此処から渡ります。

桜田門と警視庁、警視庁は上から見るとAの形。お濠と石垣、ここら辺は高い。
桜田門前から。

警視庁の前には法務省旧本館1895年建造ですが1994年に復元、国の重要文化財。

 今はお留守の国会議事堂。

この辺に来るとお濠は土塁、緑が綺麗。相変わらず頑張る市民ランナーが多い。

此処で結婚式をした懐かしい半蔵門東条会館、英国大使館、国立劇場と続く。

千鳥ヶ淵公園から右折して皇居と北の丸公園の間を散策。途中にはやはりお巡りさんが。

国立近代美術館工芸館。旧日本陸軍近衛師団庁舎で国の重要文化財。
  
北桔橋門からお札を戴き皇居東御苑に、此処も石垣は高い。入ればすぐ天守台が当時は日本で一番大きなお城だった。すぐ横には香淳皇后還暦記念で建てた音楽堂「桃華楽堂」まだ紅葉はいくらか残っているが寂しい。

松の廊下跡、14日は討ち入りの日だ。富士見櫓

大番所、百人番所、同心番所

三の丸尚蔵館では天皇陛下傘寿記念展が開催中。昭和28年皇太子の頃の欧米14ヶ国の旅展が無料で開催。各国から戴いた勲章、絵画などが展示。若き日の当時の皇太子の写真やご自身の撮られた写真なども展示しています。

旧大手門渡櫓の鯱、大手門から出て東京駅へ戻る。

最後は東京駅のステーションギャラリを見学しようと思ったが入れ替え休館。

何だかんだの3時間半の散策でした。

 

 

商店街など歩いているとお惣菜屋さんから仕込みの醤油の匂いが、蕎麦屋さんでもかえしの鰹節の良い匂いが、寿司屋の前からはシャリの合わせ酢の強い匂いが、パン屋さんから甘い匂いが。天麩羅屋さんからはゴマ油の匂いが。

 

昼過ぎになると焼き鳥屋さん、ウナギ屋さんの換気扇から美味しいよ、おいでよと匂ってきます。お茶屋さんからはほうじ茶の炒る香りが。中華屋さんからニンニクの匂いや醤油の焦げた匂いが。お惣菜屋さんの店先には糠漬けの匂いが。

 

最近多くなった歯医者さんのドアの開け閉めで消毒液の匂いが。喫茶店からは布ドリップで落としているんだろうかアイスコーヒーを作っているのか珈琲の香りが。

 

良い匂い、嫌な臭いなど色々時間で漂っています。昼間の一番好きな匂いは近くのチョコレート工場の甘い匂い、夕方はやはり焼き鳥、ウナギのたれの焦げた匂いが良いですね。

 

家の横丁でも今日の夕食は焼き魚、肉じゃがかと云った想像できる匂いも流れてきます。そして色々な匂いを嗅いで一日が過ぎていきます。さて今晩の我が家の献立は?



大田区は日本でも有数の物づくりの集積地です。中小企業、大手の工場などが沢山あります。しかしこの所私の周りではその工場などが撤収し跡地にはマンション、リハビリ病院、介護施設などに様変わり。

 

それでなくてもマンション群になっているのですが現在も大型タワーマンションなどが幾つか工事中。

 

まだまだ日本、世界に通用する物づくりの工場も健在です。建物も昔はのこぎりの刃のような三角屋根が工場のシンボルでしたが今はそのような工場は少なくなっています。

 

景気は良いのか悪いのか解りませんが近くの後輩の工場は家族経営ですがこの半年以上平日夜遅くまで、日曜も機械を動かしています。日が短くなり足の影は長くなってきました。散策の時間は足の長さと反比例に。

                                                                                                 

 

 

 

 

 

 

 

伊万里からたびら平戸口向かう列車の時間が大分あり駅前を散策することに。時刻表を持たないいい加減な旅ではこういう事が多い。

 

伊万里と言えば港から近隣の陶磁器を輸出する港町で此処から出島を通じて海外に輸出された。また鍋島藩が伊万里の山の中で窯業していた「鍋島」が有名。

 

駅内にも陶磁器のお土産や展示がされています。早朝のためお店は開いていませんが多くの専門店がありました。またシンボルとして駅前や橋の欄干にも大きな陶磁器が鎮座しています。

 

川の近くの佐賀銀行には陶磁器のからくり人形も陶器商家資料館、海のシルクロード館などもあります。

  

個人的には陶磁器より土が感じる唐津焼の方が好きです。尤も古伊万里、鍋島は私には買えないのだが。今回は唐津焼をはじめ多くの焼き物を見られました。

一時間近く散策して松浦鉄道でたびら平戸口へ向かう。

 23日千秋楽で高砂部屋マネージやーからアラ鍋を食べにとの誘い、九州の千秋楽を行けば名古屋、大阪と全部制覇、アラ鍋は一度は食べてみたいもの、そして序に唯一残っている佐賀を攻めれば47都道府県県庁所在地制覇となる。一石三鳥とその気になる。

 

世の中そうは上手く行かないもので23日は博多周辺、かなり離れた地域も満室、ジャニーズ公演があるようです。翌日は何処もガラガラなのにそして翌日夜はマネージャーは都合が悪いときている。やはり佐賀県は相性が悪いのかと半分諦める。

 

そんな時相撲仲間のハギさんが先に全国制覇した事を知り私も遅ればせながら年寄り割引の空港券もあるとの事で重い腰を上げた。
 
全く計画なしの出たとこ勝負で出かけました。コースは早朝一番の飛行機で福岡から市営地下鉄で姪浜、筑紫線で唐津、唐津から呼子の名護屋城、名護屋城博物館見学、イカ料理の昼食、戻って唐津城、高取邸、唐津曳山、旧唐津銀行などを見学し宿泊。

 

2日目は早朝筑紫線で伊万里、少し散策して松浦鉄道でたびら平戸口、そこから平戸島へ平戸城、松浦資料館、ザビエル記念教会などを見学、平戸口に戻り高速バスで佐世保駅前、佐世保はパスして特急ソニックで佐賀へ佐賀牛の夕食をとり宿泊。

 

3日目も早朝より佐賀城周辺を散策。鍋島藩ゆかりの佐嘉神社、松原神社参拝、見学予定の場所を確認したら9時過ぎになり佐賀城本丸御殿、工事中の大隈重信記念館、徴古館、旧古賀銀行などの歴史民俗館、佐賀錦の旧福田邸などを見学。ほぼ2周した計算です。

 

佐賀駅から特急みどりで博多、市営地下鉄で福岡空港、夕方5時には雨の羽田へ。本来は3泊のつもりでしたが早足ですが大体廻ったので吉野ヶ里公園、武雄・嬉野温泉は残念ながら次回に残しました。

 

まぁとりあえず20数年間残した佐賀市を攻め47都道府県県庁所在地を制覇し名護屋城も攻め込み筑紫線、佐世保線、松浦鉄道も乗れて満足の3日間でした。

 

今日は大崎に用があり来ました。時間もあり天気も良く久しぶりに東海禅寺大山墓地を見ようと大崎駅から歩き結局、東海道品川宿を経由して大森まで散歩。

 

以前品川宿のボランティアガイド的な物をしていました。大山墓地は久しぶりです。この墓地は沢庵和尚の為に徳川家光が創建した広大な敷地を要した東海禅寺の鉄道敷地、国道などによりこの墓地が飛び地になっています。

 

歴史あるお寺ですから江戸、明治の有名な方のお墓があります。当然沢庵和尚のお墓もあります。(上の写真)私の目的は鉄道の父と言われる井上勝のお墓です。

  

大山墓地は小高い丘の三角地みたいな敷地になっています。その三角地の先端に井上勝のお墓があります。墓の後ろには新幹線と横須賀線が走り、前は自身が作った東海道線、京浜東北線が走っています。まさに鉄道の父と言われる人のお墓にふさわしい墓地です。

 

その墓前に変わった形の新しいお墓があり沢山のお花が捧げられています。誰かとみると今年亡くなった島倉千代子のお墓になっていました。多くのフアン、関係者が訪れているようです。

 

幕末・明治の実業家の西村勝三の墓、爆薬、銃などで戊辰戦争で大儲けしてその後、靴の製造で軍靴など、官営ガラス工場の払い下げなど一大事業を築いた人。日本国学の賀茂馬淵、そして沢庵和尚の墓など。

この官営硝子工場は現在の三共製薬の工場にあった。建物は明治村に保存展示されています。

  

現在の東海寺は山手通りに小さくあります。隣は墓だけ管理している細川家の墓地もあり歴代の殿様達が眠っています。

 

ここまで来たので海晏寺(かいあんじ)を見ようと向かう。此処は江戸時代、秋は楓で有名なお寺で浮世絵にも描かれている。非公開ですが岩倉具視、福井の殿様松平春嶽などのお墓もあります。残念ながら紅葉にはまだ早く、現在は楓も少ない。浮世絵は勝川春潮作。

 幾つかお寺を見てそのまま待ち合わせの大森駅へ。美味しい夕暮れのお酒が飲めました。

 

 

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