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美術館・鉄道・お城・お相撲・お友達の話など趣味のブログです。
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今週は寒い一週間のようです。どうも温度差があり暖かい日が続きもう春かなぁと思いそろそろ冬物は洗濯屋へと考えていましたがまだまだのようです。

 

しかし、花々、木々はもう春になっているようです。近隣ですとスポーツセンターの行き帰りでも梅は満開に近く良い匂いを漂わせています。スポーツセンター裏の公園の梅林も満開。梅は花が色とりどりできれいで、長い間楽しめます。そして実がなれば梅干しやジャムに、そして匂いが良い。

 

この寒空でも桜の早咲きが咲いてきています。スポーツセンター横の小学校、ふるさとの浜辺の桜など至る所で咲いています。

 

ソメイヨシノはまだまだです。ソメイヨシノはパッと咲いてパッと散る、匂いもないし色も白っぽい、葉をめでたい時のお茶くらいしか。それでも咲けば心弾んで見行く。春の終わりを告げるように。それを見届けに。

 

季節は春、木々花々も季節通り咲いていますがやはり空気が冷たい。もう少しの我慢で春が訪れてくるんでしょう。卒業式、入学式、入社式など街にフレッシュマンが溢れ出すとコートともさよならに。

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竹橋の東京国立近代美術館の帰りに平川門から大手門まで皇居内を歩いてショートカットをしようと久しぶりに入りました。

皇居内はいつ来ても落ち葉がなくきれいに掃除が行き届いています。少し行くと梅の木が花開いています。ただ全部の木が咲いているのではなく一部の木ですがもう春はすぐそこに来ているのを感じます。

石垣は流石立派です。遠くに天守台が見えます。此処に将来天守閣が再興できると良いなぁと思いながら初めて富士見櫓を皇居内から見ました。 

江戸城跡には幾つかの櫓が残っています。殆どお掘り側から見るだけですが裏からも中々です。 

大番所、百人番所を抜けて大手門から出ました。今日は晴れて気持ちがいいのでこのままお掘りに沿って日比谷へそしてJR有楽町まで散策。途中帝国ホテル、東京交通会館などによって帰宅。気持ちの良い散策でした。

 

恒例になっています正月の七福神巡り、羽田七福いなりと池上七福神と川瀬巴水、川端龍子見学を選んでもらいましたが友人ちょんまげさんは羽田七福いなりになりました。

 

2時に京急糀谷駅で集合、ちょんまげご夫婦と2時間で巡り終わりました。七福いなりと言いながら8つあり羽田地区の総鎮守羽田神社も参拝。羽田神社は大田区唯一の富士講の羽田富士も。結局9つの神社を参拝。

4時では打ち上げができず、穴守周辺はお店が開いてなく蒲田の初めて入った居酒屋で打ち上げ、蒲田といえば餃子で折角お越しですから
2次会で蒲田駅近くの「歓迎」で餃子を試食してもらう。肉汁を飛ばしながら喜んでもらいお土産まで注文。

 

曇り空ながら2時間トコトコ歩き沢山の神社に参拝、今年も昨年並みにお願いと感謝をしました。三が日の運動不足解消になりました。今回携帯を忘れ写真なし。

 

お正月の遊びだった羽子板、末広がりの目出度い形、災厄をはねのけるという縁起にも通じ、また浮世絵師が描く役者絵を押絵細工した羽子板は江戸時代後期、歌舞伎の隆盛とともに人気になり女の子が生まれた時のお祝いの品としても人気があります。(大きい写真の中央の白いテントが羽子板販売の屋台)

 

 歳の市として今年最後の御縁日として、17日から19日まで毎年浅草・浅草寺境内で行われています。羽子板は、その年の話題、人気者も変わり羽子板として販売もしています。

 

今年は楽天の星野監督と田中投手、長島元監督と松井元選手、あまちゃんと倍返しの半沢直樹、オリンピック決定瞬間などのようです。

 

羽子板以外にも凧、浮世絵など色々な屋台が出ています。今年も人気漫画家が羽子板に書いてくれるコーナー、東京芸大生の制作した羽子板、似顔絵。手形、お絵かきコーナーも。昨年は浮世絵でなく七福神の版画を購入しましたが、今年は漫画家長崎抜天さんの小さな版画「笑門福来」を購入。
凧屋さんのおじさんなぜか気になりなりパチリ。

                                                                                

平日ですが相変わらず東京を代表する浅草寺は海外からのお客、修学旅行生などと羽子板市の多くのお客さんが楽しんでいます。また新しくなった雷門の提灯は色も鮮やかに。二天門脇には二期咲きの桜がここでも咲いています。

 

馬込の大田区立郷土博物館で川瀬巴水の版画展を見て、時間もあり近くの萬福寺へ久々に散策。萬福寺には源頼朝から拝領した梶原景時の名馬磨墨像があります。馬込は昔は馬の産地でもあったようです。

 

同じ大田区の洗足池で頼朝が捕らえた名馬池月、此れはライバル佐々木高綱に頼朝から与えられ、有名な源平の宇治川の先陣争いをしています。

 

馬込は九十九谷と言われ太田道灌は当初、この地に城を築こうとしたとの話もあります。村の人が九十九谷と言ったので縁起が悪いと今の江戸城になったとも伝えられています。

 

大田区立郷土博物館へは臼田坂という長い坂の上にあります。坂上のバス停近くに磨墨の碑が目立たなくあります。

 

途中、前の馬込小学校にあった時計台を移設した河原家、新明社境内の珍しい庚申塔の灯篭などを見ながら萬福寺へ。

 

萬福寺には梶原景時の墓があり記念館もあります。山門には磨墨の像も。梶原景時は頼朝の石橋山の合戦では敵で洞窟で隠れていた頼朝を見て見ぬふりで逃し、後に頼朝の配下になった武将で大田区、品川区を拝領。境内には、日待供養塔、近くに住んでいた室生犀星の碑など。

 

 

近くには長遠寺など帰りの坂下には美智子妃殿下の書の先生だった熊谷恒子記念館、日本画の川端龍子記念館がありますが今回は此処で帰宅。

 

銀座は師走の土曜日で大勢のお客さんでまっすぐ歩けない。デパートはお歳暮、クリスマス関連なのか1階、地下と満員電車並みです。いつもの年末ジャンボも長~い行列です。

 

三越は入口のライオンがシンボルですが、今日は大勢の人がカメラを向けています。ライオンの足元に生後数ヶ月の子猫達が置かれています。

 

勿論デパートが用意したんでしょうが、クリスマス関連の装飾類には目に入らず全部子猫が食っています。

 

東銀座の二葉鮨、年季の入った建物で100年を超える老舗寿司屋です。ランチは高くはないのですが一度は入ってみたいと思いながらつい入りそびれています。

 

案内ハガキを頂いたギャラリー枝香庵「クリスマス」展、ちょっと気になる画家さんの作品を見に行く。残念がらオーナー不在でお茶をいただいて退散。

 

この時期はやっぱりおでんで一杯だなぁとお多幸の看板を見ながら渡辺版画鋪へ川瀬巴水の後摺り「池上本門寺」を。お宝鑑定団の鑑定士をしている渡辺さんも上野松坂屋へ出店の為不在。

人が多く普段のペースで歩けないので逆に疲れます。一寸した銀座散策でした。

多摩川線は蒲田から多摩川までの5.6k、7駅という短い路線。西武鉄道にも多摩川線がある為間違いやすい。

元々は蒲田から目黒までの目蒲線と言っていたが2000年目黒駅に地下鉄南北線、三田線との相互直通運転により、東横線の混雑解消もあり再編成された。目黒から日吉まで目黒線が入線。多摩川から蒲田までを多摩川線とした。

全線複線、ワンマン運転3両編成、全線各駅停車、全駅バリアフリー対応、平日混雑時は1時間に17本、平日昼間は1時間に10本が走っています。

多摩川沿いに大きな会社の本社、工場、施設、高校などが有り通勤通学時は大変な混雑をしている。

 

蒲田駅  大正11年10月開業  池上線で散策済

 

矢口渡駅  大正1211月開業

すたんぷポンの解説では

昔、日本武尊がこの付近で多摩川を渡るとき、敵に矢を放ったところから古跡として残り地名になりました。江戸時代このあたりには橋がなく、舟で渡っていたことから渡し場として知られ、歌舞伎の流行により有名になりました。多摩川べりに残る矢口の渡し跡は昭和24年まで多くの人を舟で渡していたところです。

矢口の渡しの看板が土手沿いにあるようですがこの多摩川には下ると六郷の渡し、羽田の渡しなどがあります。土手沿いにはナムコ本社、高校などが有り朝夕は混雑するようですが昼間はのどかな雰囲気な商店街が続きます。

 

武蔵新田駅  大正12年11月開業

すたんぷポンの解説では

開通時には「新田駅」(にったえき)と言いました。駅名の武蔵新田は、源氏の武将新田義貞の次男を祀った新田神社から付けられました。この駅を始め目蒲線各駅に停車してはスマートなライトグリーンの車体でお客様を毎日運び続けた車両が「青がえる」という愛称で親しまれた5000系です。この車両は昭和29年に登場し、昭和61年たくさんのフアン惜しまれつつ現役を引退しました。

南北時代足利尊氏、新田義貞の戦いで新田義貞次男の新田義興が鎌倉奪還を目指していた時、畠山国清に送り込まれた竹沢右京亮などにより多摩川の矢口の渡しで主従13人が謀殺される。その義興を祀っている神社が新田神社。本殿横には塚として義興の胴塚があり中の竹は塚外に出ない旗竹だそうで平賀源内がこの竹で矢守を作ることを勧めた。正月に配布するそうです。破魔矢の発祥とされています。

宝物殿には、義興の真筆、縁起絵巻、鞍、太刀、槍などを収蔵、10月10日に開帳。なぜか境内に何故か石の卓球台がある。

神社までの商店街にはお酒の量り売り、金魚・めだか専門などのお店もあります。

 

下丸子駅  大正135月開業

すたんぷポンの解説では

下丸子駅の下丸子は地名から来ていて多摩川を挟んだ川崎側には上丸子があります。この駅を始め目蒲線各駅間を結び活躍した電車にモハ500形という車両がありました。この電車は片隅式運転台により片方の座席が前面まであったため眺望が良く、子供たちに人気の車両でした。他にも車内の真ん中に手すり(スタンションポール)があり、丸く可愛い車内灯があるなどの特徴がありました。

駅前に大田区民プラザという大ホールがありこの施設以外にはきたことがないので、付近を散策するも土手側にはキャノン本社、大きい会社工場などで土手を散策以外あまりない。            

                                                                  

鵜の木駅  大正13年2月開業

すたんぷポンの解説では

鵜の木という駅名は、この地域が鵜という鳥の住処だったことや光明寺境内の木に鵜が巣を作り、この木を鵜の木と呼んだことなどの説から来ています。現在、目蒲線を走っているのは我が国初めてのオールステンレスカーである7000系をVVVFインバーター制御車に改造した7700系です。旧型の7000系車両はほとんど引退していて、今ではこどもの国線専用ワンマン車としてしか見ることができます。

駅前からいくつかの商店街がつながっています。庶民的な商店街で煎餅・あられなどの量り売りなどのお店もあった。光明寺という立派なお寺も近くにあります。

 

沼部駅  大正12年3月開業

すたんぷポンの解説では

沼部駅は、開通時「丸子駅」と言いました。丸子になったのは①丸子部~という歌人の姓からとられた。②昔、このあたりが丸子荘と呼ばれていたからなどと言われています。東急最初の路線、目黒線の始発駅は目黒駅でしたが、沼部駅はその終点として、モハ1形の試乗会などが行われました。モハ1形は64人乗りで、電車が走るための電気を集めるトロリーポールが2本ついている木造車でした。

沼部はイメージアップからか住所を田園調布本町と言っているが田園調布とは雰囲気が違う。近くには歌で有名になった「桜坂」があるが桜の時期でないので、今回は駅そばの本覚寺横に走る六郷用水のせせらぎを散策。

細い道ですが枯葉舞う静かな小道です。水がきれいで鯉などがたくさん泳いでいます。

六郷用水は狛江から世田谷、大田区をを通る23kの農業用水で小泉次太夫が開通しましたが現在は湧水を使った復刻したものです。

 

多摩川園(現多摩川駅) 大正12年3月開業


目黒線で散策済
                                            

 

今回で東急線全線終了になりました。平成9年夏のすたんぷポンで子供と2日間でスタンプラリーをしましたが各駅下車で駅周りを散策するのは結構な時間がかかりました。

東急目黒線、東急田園都市線・こどもの国線、東急東横線、東急池上線、東急多摩川線の6路線です。世田谷線は当時はスタンプラリーから外れていました。

お陰さまで少しは東急線の周辺がわかったような気がします。長い間お付き合いいただきありがとうございました。

全国の鉄道情報、鉄道に興味のある方は鉄道ドットコムを参照ください。

http://www.tetsudo.com/

池上線は五反田・蒲田間10.9Kの短い路線です。駅数15、ワンマン運転で3両編成、全線普通電車。大正11年池上本門寺参拝輸送を目的にした池上電気鉄道を昭和9年に買収した路線。品川区から大田区の住宅地を走る路線。

池上線、目蒲線(現多摩川線)は長く東急線の中では車両も古く、駅舎も改良がなく、今でも懐かしい木造スレート屋根の駅舎があります。その分懐かしくのどかな路線でもあります。

 

石川台駅  昭和2年8月開業

すたんぷポンの解説では

石川台駅は開業時は「石川」と言いましたが、現在このあたりを流れている呑川が昔、石川と呼ばれていたことからきています。この池上線を走っている車両に鋼板製の屋根が特徴のクハ385形があります。この車両は昭和27・28年に東急横浜製作所などで造られたもので、昭和48~50年に行われた車体更新で前面のライトが左右二つづつになりました。

石川台駅は改札側は平面がですがホーム後ろ側は築堤上にあります。近くには雪ヶ谷八幡神社があり石段を登ると広い境内に本殿、舞殿、斎霊殿などがあり斎霊殿の裏には7体の駒型庚申塔群、40貫の力石などがあります。

 

商店街も幾つかあり希望ヶ丘商店街は面白そうなお店もあり元気がありそうです。

 

雪が谷大塚駅  昭和8年6月開業

すたんぷポンの解説では          

雪が谷大塚駅は「雪が谷」と「調布大塚」の両駅を合併して「雪ヶ谷大塚」として生まれ、昭和41年1月に現在の駅名になりました。駅名の雪ヶ谷は雪ヶ谷大田新六郎という人に「大塚」は鵜の木村の小名(狭い領地の大名)・大塚にちなんでいるようです。この駅は電車の安全運行に気を遣い緊張の連続の運転士さんと車掌さんのために途中駅での乗務員交代が見られる駅です。

駅の近くには検車区があり、電車、工事車両などが止まっています。電車の制服を着た人達が研修をしています。この線路を使い電車の折り返しなどをするようです。

今回は行きませんでしたが近くに高さ6m直径27mの円墳もあります。

 

御獄山駅  大正125月開業

すたんぷポンの解説では

御獄山駅は江戸時代に木曽の御獄神社から別れて建てられた関東地方の第一分社である御獄神社(御獄山)からつけられています。社殿のひさし部分には「浦島太郎」や「養老の滝」などの物語や古い言い伝えにつながる彫刻(区文化財指定)が見事な姿で表されています。この御獄神社の祭日はたくさんのお参りをする人たちで賑わっています。

御獄神社は彫刻が沢山彫られた引き戸が神社裏側に4面飾られています。また御獄神社講の沢山の碑が置かれています。昔は木曽へ行けない信者などで大変賑わったようです。

 

久が原駅  大正12年5月開業

すたんぷポンの解説では                                                

久が原駅は開業時「末広」といい「東調布」「久が原」となり、現在の駅名になりました。久が原は燃料採集地を意味する久木からきているという説があります。スタンプになっているのはかって池上線で走っていた電車デハ3650形です。久が原が現在の駅名になった当時もこの電車が活躍していました。昭和28年に電動車となり3両編成で池上線を元気に走っていました。

駅前のライラック商店街があります。その他に昭和の暮らし博物館という昔のちゃぶ台冷蔵庫などを普通の一軒家で有料で見学させています。久が原はホームの長いベンチ位。

 

千鳥町駅  大正15年8月開業

すたんぷポンの解説では

千鳥町駅は開業時「慶大グランド前」といいました。千鳥というのは、昭和7年に東調布町から分かれて初めて生まれた地名です。池上線の一時代を築いた名車に3500形と言う電車がありました。デハ3450形より窓が大きく薄くなってスマートなスター的存在でした。車体は鮮やかな緑色で「海坊主」と呼ばれみんなから親しまれていました。

初めて降りた駅ですが千鳥町も特徴がない駅前です。池上線では平面駅舎は狭いホームですが車椅子用のスロープが付いています。
駅前に変わった名前の居酒屋がありました。「酔っぱらい蟹」なら知っていますが「浮かれ海老」何で付けたのか聞きたいものです。

 

池上駅  大正1110月開業

すたんぷポンの解説では

池上駅の名前は池上本門寺からきています。池上は鎌倉時代の領主・池上右衛門という人の姓から生じた説や、この地が洗足池の上にあるため地名になったという説があります。池上本門寺は、日蓮上人ゆかりのお寺で、関東でも最も古い五重塔などが有名です。毎年10月12日には万燈行列のお会式が行われ、参拝者や見学者で大いに賑わっています。

駅前は縦横に商店街が幾つもあります。本門寺までの商店街はお店は参拝者を相手にしているお店が多く、石屋、仏壇屋、花屋、お土産用の煎餅、くずもち屋など他の商店街とは違います。

久しぶりに本門寺近くの蓮月で大もりを戴きました。おじちゃん・おばちゃんは元気だった。

 

蓮沼駅  大正11年10月開業

すたんぷポンの解説では

蓮沼駅という駅名は、蓮沼村から来ていますが、このあたりに蓮が多く生えた沼があったことによります。蓮沼駅や他の池上線の駅で電車を待っていて、全面にお化粧をしたような電車を見かけたことはありませんか?それは池上線で活躍している7600・7700系車両です。このようにお化粧をしているのは、電車の接近がよくわかるようにするためです。

駅前はバス通りで此れといった特徴もない商店街です。以前は駅近くにカレーと支那そばの美味しいインディアンというお店がありましたが今は蒲田へ移転してしまいました。(写真は現在の蒲田のお店)

池上線のホームは昔ながらのままのところも多く鉄骨などはレールの再利用などが見られます。

蒲田駅  大正11年10月開業

すたんぷポンの解説では

駅名の蒲田についてはいろいろな説がありますが一般にカマタは泥深い田のことと言われています。蒲田駅は東急全駅の中でもめずらしく目蒲線と池上線という別の路線が隣り合ったホームに並んでいます。東急2路線とJR線とが集まるターミナル駅ということもあり、通勤通学客に加え、駅ビルや駅周辺のお店を訪れる沢山の買い物客で賑わっています。

蒲田は大田区で一番大きい街です。JR東急池上線、多摩川線、少し行けば京急蒲田駅もあり商店街も沢山ありますし、JRの駅ビルが東館、西館、東急の駅ビルもあります。東京都中で大田区が商店街数が多くその中でも蒲田地区が多いようです。

この路線は五反田から蒲田まで歩いて回ったこともあり、今回は各駅停車して駅周りを巡りました。電車に乗らなければ1日もかからないのに今回は数日かけて巡りました。

目黒線、田園都市線、東急東横線の散策も終わり今回は池上線を散策しようと思っています。

池上線は五反田・蒲田間10.9Kの短い路線です。駅数15、ワンマン運転で3両編成、全線普通電車。大正11年池上本門寺参拝輸送を目的にした池上電気鉄道を昭和9年に買収した路線。品川区から大田区の住宅地を走る路線。

池上線、目蒲線(現多摩川線)は長く東急線の中では車両も古く、駅舎も改良がなく、今でも懐かしい木造スレート屋根の駅舎があります。その分懐かしくのどかな路線でもあります。東急線ではこの2つの路線名が入った歌謡曲もヒットしている。(池上線、目蒲線物語・目蒲線の女)車両は最近新型7000系を投入。

 

五反田駅  昭和3年6月開業

すたんぷポンの解説では

駅名の五反田は、昔このあたりの田や畑の面積が5反であったことからきています。この駅はJR山手線のさらに上にある高い駅で、開業時から地上4階にある珍しい駅です。現在は駅ビル(東急ストアー)の4階と繋がっています。さらにJR、都営浅草線と連絡している便利な駅でもあります。

現在は駅ビルはレミィ五反田という駅ビルの4階から出ています。五反田というと個人的にはTOC、ソニーなどが思い浮かびます。少し離れたところに池田山公園があります。江戸時代に岡山城主池田氏の下屋敷があり付近一帯の高台を池田山というようです。

駅から程近い東五反田は宅地化され高級住宅地として分譲され、山の手有数の高級住宅地になっています。その中に正田家の邸宅もありましたが遺産の物納で国有になり現在は「ねむの木の庭」という小さな区立公園になっています。

美智子さまの歌碑、木々、プリンセスミチコのバラなどが植えられています。

 

大崎広小路駅  昭和2年10月開業

すたんぷポンの解説では

大火を防ぐための道路を「広小路」と呼びますが、駅前がこの広小路になっているため、「大崎広小路」という駅名になりました。また、この駅と五反田駅とを結ぶ区間は、東急線で一番駅間距離が短く300mしかありません。なおこの区間にはカーブがあるため、残念ながら大崎広小路駅のホームから五反田駅のホームから見ることはできません。

大崎広小路駅の隣には昔の郵便貯金会館、現在の「ゆうぽうと」があります。ホテルやホールでは歌謡ショーが開催されています。入ったことはないですが「タキゲン」というビルを見ると大崎広小路という感覚がありこの先が五反田にという思いです。

 

戸越銀座駅  昭和2年8月開業

すたんぷポンの解説では

戸越銀座駅の名前は、日本で最初の「銀座」を名乗ったと言われ、いつも買いも客で賑わっている「戸越銀座商店街」によります。開業は、今は姿を消してしまった「桐ヶ谷」という駅がありました。この駅は大崎広小路~戸越銀座間にあった駅で昭和28年8月に廃止になりました。

戸越銀座は、1.6kを超える長い商店街で各店舗が元気です。マスコミにも多く取り上げられていますが庶民的な商店街です。先月も高校時代の親友と昼酒を楽しみました。

 

荏原中延駅  昭和2年8月開業

すたんぷポンの解説では

荏原中延駅の「荏原中延」は昔、このあたりを含めた一帯が荏原郡(現在の世田谷、大田、目黒、品川の4区)と呼ばれていて、その中延という土地に作られたためこの駅名になりました。池上線の駅は昔懐かしい木造の駅舎が多いのですが、その中で進められた改良工事により地下ホームへ生まれ変わり、沿線でも一際目立つ駅となりました。

駅を降りるとサンモールえばら、なかのぶスキップロード、昭和通りという商店街があります。その中でもスキップロード商店街は長く、屋根付きで生鮮3品が何軒もある元気な商店街です。歩いていても楽しくなる商店街です。前の戸越銀座商店街が有名ですが個人的には此方の商店街も捨てがたい。
 池上線の駅舎は未だ木造スレート葺のレトロな駅舎が多く、逆に温かみや懐かしさを感じます。


旗の台駅  昭和2年7月開業  大井町線で散策済


長原駅  昭和2年8月開業

すたんぷポンの解説では

長原駅の長原は開業当時の馬込村(現北千束~南馬込のあたり)の小さな区域の名前です。池上線の開業時に沿線を走っていた電車にデハ100形がありますが、昭和9年にこの車両はモハ120形となりました。モハ120形は目黒蒲田電鉄の車両として活躍、会社名が東京急行となった時にデハ3250形と姿を変え、最後まで池上線沿線を走り続けました。

長原駅を初めて下車、小さな商店街が有り基本的には住宅地で近くには環七が走っています。それを超えると北馬込商店街が続いています。

 

洗足池駅  昭和2年8月開業

すたんぷポンの解説では

洗足池駅の洗足池とは「日蓮」という偉いお坊さんが旅の途中、この美しい景色に馬を止め、側にあった松の木に袈裟をかけ足を洗ったという伝説から、その名がついたと言われています。「江戸名所百景」に描かれた絶景ポイントです。池の周りにはボート乗り場、釣り堀、西郷隆盛の記念碑、勝海舟夫妻の墓などがあります。また桜の名所としても有名です。

春の桜の時期には大勢の人で賑わう池の湖畔。今は湖畔の公園に子供連れの賑やかな声が聞こえてきます。勝海舟はこの地が気に入り屋敷を設け移り住み夫妻の墓もあります。江戸城無血開城での西郷隆盛が鹿児島で亡くなった報にその追慕の為、西郷隆盛の漢詩を建碑しています。

 

妙蓮寺駅  大正15年2月開業

すたんぷポンの解説では

駅のすぐそばに妙蓮寺があり、寺の名をそのまま駅名にしました。改札口を出て踏切を渡ると、すぐ赤い山門が有り、まるでお寺の境内に駅があるようです。大正15年東横線(神奈川線)開通の際、当時の住職が境内を提供したことで、境内にある駅として妙蓮寺駅は誕生したのです。

妙蓮寺は高校時代の親友(故人)がこの地で暮らしていたので何回か来ました。それでも何十年前で全く初めての駅と同じです。すたんぷポンの解説と同じで境内を横切るように電車が走っています。

同じ日蓮宗の池上本門寺の日蓮上人入滅の地にもこの時期に咲く桜がありますがこのお寺も桜が咲いていました。

白楽駅  大正15年2月開業

すたんぷポンの解説では

白楽という駅名は地名をそのまま駅名となったものですが、昔、この付近に馬の良い悪いを見分ける「伯楽」(ばくろうともいう)達が住んでいたことからきています。白楽駅から徒歩17,8分のところにある白幡の八幡神社のあたりは、昔話の浦島太郎が竜宮城から帰ってきてから住んだとと言われ、父と子(太郎)の墓と伝えられる墓もあります。

白楽駅は商店街に囲まれた中にあるような駅です。特に六角橋商店街は、メインの商店街に沿って横に昭和レトロの細い商店街が縦横に広がっています。何だか三軒茶屋の三角地帯みたいです。

この商店街春から秋の毎月第三土曜日は「ドッキリヤミ市場」地元の神奈川大学の学生の協力で「フリーマーケット」「ライブ」大日本プロレスの興行などを行っているようです。空いた店舗は借り受け営業したい人に貸出したりしてシャッター通りにならないように頑張っているようです。

第二京浜沿いにも商店街が連なり提灯のデザインの大きな定食屋「味かな食堂」で食べても食べてもご飯が出てこないステーキ丼を戴きました。もうお腹はいっぱいです。本当は軽く何軒かあったうなぎ屋さんでもと思っていましたがあの迫力にチャレンジしようとなりました。

東白楽駅  昭和2年3月開業

すたんぷポンの解説では

東白楽駅は昔、この駅の近くには白楽山という丘があった所から駅名になっています。この駅が開業して何年か後に活躍していた電車がモハ510形です。車体は濃い緑色で屋根が茶色の木造車として人気を集めていました。また、モハ510形が走っていた当時は線路の周りに建物が少なく日差しが強かったため、日除けとして運転席全面にひさしが付けらえれていました。その独特なスタイルで注目される名車でした。

あまり駅前に此れといったものもなく、駅の看板にあった新興宗教なんでしょうかお寺でもと思いました。駅の裏は坂道の高台になっています。ご飯を食べたばかりでヒーヒー言いながら付近を散策。

駅前の国道の前は神奈川工業という高校で人事担当の時は何度か学校訪問をした懐かしい高校です。

 

反町(たんまち)駅 大正15年2月開業

すたんぷポンの解説では

駅名は「そりまち」でなく「たんまち」と読みます。「反」とは、はずす,よけるの意味です。駅近くの三宝寺から眺める景色は素晴らしく、東横線のエース9000系の姿を見ることができます。昭和61年に導入されたVVVFインバーター制御の新型車両。東急発の交流モーターを採用し、消費電力も少なく、保守が簡単な事、車内の一部に対面式シートがあることが特徴です。

この駅前も特別なく裏側を歩いていたらいつの間にかJR、京急の線路にぶつかり、そのまま線路に沿って横浜駅を目指す。

途中に幸ヶ谷公園があり階段を上ると見晴らしの良い丘に出ました。戦国時代は権現山の合戦の舞台になったようです。幕末以降は台場、鉄道用地の埋め立てで険しい山は削られてしまったようです。落ち葉が綺麗で歩いていても気持ちが良かった。

この丘から下り旧東海道の広重の五十三次にも出てくる、田中家を探すもわからず、結局京急の神奈川駅に出てしまった。(上の浮世絵が初摺り、下が変わり図、小さい画面の真ん中が田中家)

横浜駅  昭和3年10月開業

すたんぷポンの解説では

横浜駅は渋谷~桜木町間を結ぶ東急東横線をはじめJR・相鉄・京急・市営地下鉄線の5社の路線が集まり、色々な形の電車を見ることができる便利なターミナル駅になっています。また東口、西口にはたくさんのデパートや専門店が並び、買い物客で賑わいを見せています。横浜という名は江戸時代既に知られていました。

横浜はすたんぷポンの解説のとおりJR(東海道線、京浜東北線、横浜線、横須賀線)、相模鉄道、、京浜急行、みなとみらい線、東急、市営地下鉄などのターミナル駅ですので平日でも多くの人が行き来しています。もうクリスマスバージョンに装飾されています。

解説にデパートの話があるので高島屋で福砂屋のカステラ、華正楼の肉まんをお土産に購入。地下のお店も大変な人出です。

 

高島町駅 昭和3年5月開業

桜木町駅 昭和7年3月開業

2004130日をもってみなとみらい線と直通運転を実施するために高島町駅、桜木町駅は廃止された。高島町の代替駅はみなとみらい線新高島駅。

だいぶ時間が経ちましたが何とか此れで東急東横線各駅停車の散策は終わりました。東急線はまだ、池上線・多摩川線・世田谷線が残っています。両線共全駅歩いていますが今月中に池上線だけでも各駅停車の旅をしたいと思っています。

 

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