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美術館・鉄道・お城・お相撲・お友達の話など趣味のブログです。
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cb598f7e.jpeg37245949.jpegもう間もなく有効期限が切れる青春18切符、中々使うことが出来ず2枚残っていました。友人と日帰りの旅と思っていましたが彼も忙しそうで折角の休みは色々あるようです。
 
元会社の後輩も一枚残っているとのことで即効で餃子でも食べに行こうということに決まりました。この所、この券の消化試合ではこの方面に年一は行っています。
 b7c51025.jpegd882c384.jpeg14e3b64d.jpege9e373ba.jpeg
日光は自宅から京浜東北線、宇都宮線、日光線に乗り3時間で着きます。JR日光駅からトコトコ歩き神橋までは大したこともなくそこから二荒山神社、東照宮程度の散策なら2時間もあれば充分です。
 
彼も何度か来ているのでそんなに細かく見ないで今日は東照宮宝物館を中心に見て、駅に戻り今市駅で二宮尊徳、杉並木などを見学予定にして帰りがけの宇都宮駅近くで餃子を戴くという行程にしました。
 
予定が狂ったのは雨が降りそうになったので今市はパスしました。今日はとても暑く、木々の間は涼しいのですがやはりシャツはびっしょり。北関東は雨が所により降るとの予報で替えのシャツは持参していませんでした。逆に使わないウインドブレーカーを入れていました。
 
何度か来ている東照宮宝物館ですが時期により入れ替えがあったりしますし家康の愛用品、朝廷、各大名からの贈呈品など国宝も多く素晴らしい工芸品が多い。
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以前から展示していたんでしょうが記憶にないのが3つの神輿、中央が家康、左が頼朝、右が秀吉の各祀神が乗る神輿。此処は元々は頼朝が造営した所ですから解りますが秀吉?は良く解らない。今までも簡単に通過して見ていたようです。
 
今はこの神輿は使わず昭和に入ってからの神輿を春秋の千人行列に使っているようです。結局腹がすき明治の館でチーズケーキも買わず日光線に飛び乗る。
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結局雨は降らず、宇都宮ではミーハーですから有名店を目指す。まず駅から少し離れた「正嗣」で水餃子と焼き餃子を戴く。この店はメニューがこの2つしかなくビールもライスもない。餃子一本の狭いお店で行列しています。
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次に近くの「みんみん本店」へ此処は暫く外で並びました。此処はライスも待望のビールもあります。焼き餃子、揚げ餃子を戴く。2つのお店は兎も角冷房があるのですが開け閉めも多く狭いのでめちゃめちゃ暑い。
 
次に駅に戻り「宇都宮餃子館」で焼き餃子の健太、肉、エビの各焼き餃子をビールと共に戴く。この店の餃子が一般的で、室内も冷房が効いて一番良かった。しかし、2時、3時に待ち時間が出ているのには驚きます。そしてお土産を購入するロットが皆さんすごい。
 
結局3軒回りご飯は食べず餃子、ギョウザでした。ビールは2杯でしたがお腹はパンパン。歩数も以外に2万弱。先日の愛知では一泊したが郵便局はゼロ、今回は日帰りなのに日光で2宇都宮で2局とスタンプが出来た。

そんなこんなで6時過ぎには帰宅。あと一枚さて,何処に行こうか。


 
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0a37fda8.jpeg東急各駅停車の散策も目黒線、田園都市線が終わり今回からはちょっと短い大井町線に出没します。

f92d6765.jpegスタンプラリーは平成9年の夏のすたんぷポン!「駅博士にチャレンジ」です。そこで切符も当時の平成9年9月9日9並びの東急創立75周年記念の全線切符、地図式乗車券にしました。
 
東急大井町線はから大井町駅から現在は溝の口駅まで走っています。すたんぷポンの平成9年当時は二子玉川園(現在は二子玉川)まで。駅数は15駅あります。当時は8000系、8090系、9000系が走っていました。現在は急行が走っていますが当時は走っていませんでした。
 
今日は暑い一日ですが昼から出かけました。大井町線は友人もいますし上野毛駅には東急の五島美術館もありよく乗る路線です。
 
大井町駅 昭和2年7月開業
9c6e35ea.jpeg97084038.jpegすたんぷポンの解説では
大井町というのは、鎌倉時代の役人、大井氏の名前がなった説と光福寺境内で了海という偉いお坊さんが生まれた時に、産湯に使った大きな井戸から地名が付いたなどの説があり、そこから駅名になったと云われています。目黒蒲田電鉄が大井町線大井町~大岡山間4.8Kを開通させたのは昭和2年ですがその後、この区間を走ったのがモハ30形です。鉄道省から譲り受けた全長15mの木造車でした。
 
大井町駅は東急以外にJR京浜東北線、東京臨海高速鉄道りんかい線も乗り入れています。この路線の最大の街で駅です。JR側東口にはヤマダ電機を核に品川区区民会館「きゅーりあん」、東急側西口にはイトーヨーカドー、阪急大井町ガーデン、JRの駅ビルなど大きな建物が林立しています。
 
27f9c212.jpegf19f3030.jpega382c196.jpeg東急の高架下には品川区役所に沿って商店街になっています。線路反対側には四季劇場「夏」があり現在はリトル・マーメイドを上演中。その隣にはJRのアパート群が何棟も立地その横にはJR線路との間にJR東京総合車両センターがあります。
 
06246445.jpeg895eba4c.jpeg今回初めて気がつきましたが東急の高架下には1階だけでなく場所によっては3階建てになっていて上は住居にもなっていました。
 
下神明駅 昭和2年7月開業
c2e5a3e2.jpeg6c1a731f.jpegすたんぷポンの解説では
下神明駅は開通時「戸越」といいましたが、神明は立会川に沿って上神明、下神明があることから現在の駅名になりました。大井町線をさっそうと走り、わが国最初のステンレスカーとして注目を集めた車両に5200系があります。5200系は昭和33年に登場した車両で、外板だけがステンレスというセミステンレスカー。湯たんぽ、ステンレスガエルと呼ばれて親しまれました。
 
5c509893.jpeg5605afc4.jpeg775bda14.jpeg下神明駅前には小さな公園でタコの遊戯が。反対側にはレンガの建物、品川区中小企業センターがあります。1階は品川区の伝統工芸品が展示されています。以前はもっと広く使って展示、毎日職人が作業を見せていました。2階には将棋囲碁のコーナがありたくさんの人が楽しんでいます。

e84be818.jpeg下神明駅では大井町線と交差するように頭上にJR東海の新幹線が走っています。

私にとっては下神明は三菱金属の大きな工場が駅前にあるというイメージで今までこの駅を下りたことはなかった。今は工場も無く大きな運動公園になっています。またホームが短く6両編成は2車両のドアが開かない駅でしたが、今は改良工事が進んでいます。
 
戸越公園駅 昭和2年7月開業
24d260fc.jpeg823831fd.jpegすたんぷポンの解説では
開通時の駅名は蛇窪といい、村の名前からきています。戸越公園と云う駅名は、昔、大名屋敷の庭園が現在の戸越公園になり、そのまま駅名になりました。公園内は自然に恵まれ、池を中心に回遊式庭園に咲く桜、ツツジ、キンモクセイ、梅など、季節毎の花々が見事で散策には最適な公園です。また表門は夜間、ライトアップされて戸越屋敷の面影が再現しています。
 
1106274d.jpegdd785a13.jpegd68c51a2.jpeg戸越公園を下車し駅前の商店街を歩き、その突き当り近くに肥後の国細川家の下屋敷があり、現在は区民の憩いの場になっています。細川家は上屋敷が滝の口、下屋敷が芝白金ですので此処は、鷹狩り,きじ狩、茶会などを行う別荘風の邸宅と言った所のようです。
 
薬医門、回遊式の庭園があり池では子供たちが水遊びを、大人は木々の下で涼んでいます。

c37a3a99.jpeg61a6823a.jpeg帰りがけ商店街で小澤いり豆店という豆菓子屋を見つけ、落花生、黒糖落花生、塩豆、千味豆(おのろけ?)、チョコマロンを購入。マロンは小さい時に良くおやつで食べた、懐かしものです。当時はチョコをまぶしてはいなかった。

商店街をうろつく楽しみはこういう無駄買いをしたり懐かしい物に会えることですね。

鉄道情報、鉄道に興味のある方は鉄道コムをご覧ください。http://www.tetsudo.com/ 

 
f3015eb7.jpeg4698af3e.jpeg北秋田に今だ乗っていない秋田内陸鉄道、JR花輪線があり、今回相撲仲間のO君が体調不良の為折角の国家公務員の職を棒にして花輪に帰っていますので逢いに行きました。ただ、病人に会いに行くだけではつまらないので彼の自宅のある鹿角花輪に行くついでに花輪線、秋田内陸鉄道も全線走破しようという魂胆です。2泊3日の行程も何も無い途中下車の旅です。6fd20049.jpeg
 
5e1157c8.jpeg3ead5b7b.jpeg050411f4.jpeg東京一番列車の秋田新幹線スーパーこまち3号&はやぶさ3号にて角館で下車、角館から秋田内陸鉄道線が始発になり鷹巣までの約94K、単線非電化、ワンマン(急行は女性のアテンダーが乗務)駅数29、愛称あきた❤美人ライン。
 
3eefbd5e.jpeg9d0bc696.jpeg2f0830c3.jpeg角館は春のしだれ桜、武家屋敷が有名です。此処では内陸線に乗るのに2時間余り時間が有り桜が咲いているでなく城下町、武家屋敷と言ってもお城が有るわけでないので、地元出身の日本画家平福穂庵・百穂親子の記念美術館、樺細工伝承館へ。伝承館では浮世絵も展示していると云う事でお邪魔。ae816f08.jpeg7d9c1552.jpeg7982f65b.jpeg
 
角館には平福親子の四条派、平賀源内、小田野直武などの秋田蘭画などの流れが有るようです。穂庵の鶴亀図、百穂の山水図、小田野直武の不忍池図(複製)これは何処かで見たような気がします。同時に女流画家展も開催中です。青森の新戸部ひろみの命、生きるなどが好きな絵でした。
 
樺細工伝承館は樺細工(山桜)は角館の伝統工芸品でその振興を目的にした施設で230年の名品が展示されています。2階ではなぜか浮世絵が展示されていますが、ばらばらで中には複製などもあり良く解らなかった。
 
a9ac52f8.jpeg0ddbbc80.jpeg41eb0dbb.jpeg3b461bb0.jpeg0f0ddce1.jpegcdd69d98.jpeg秋田内陸鉄道はかっこよく云うと日本の原風景の中を走る、山のリゾート列車です。自然にウサギ追いしかの山、こぶな釣りしかの川を口ずさみたくなる風景が続きます。急行「もりよし」から途中途中車窓から田んぼアートが見えたり、駅名も阿仁マタギ、笑内(おかしない)、比立内(ひたにない)、阿仁合(あにあい)、上桧木内(かみひのきない)など読みにくい駅名が多い。
 
ac7baf90.jpega61c5345.jpeg特別予定が無かったが車内のアテンダーの説明で当日、阿仁前田では森吉山麓たなばた火まつりが行われるとの事で下車。この駅は駅舎が日帰り温泉にもなっています。名前がクウィンス森吉。ナトリウム・カルシウム塩化物泉、450円で小、大浴場、露天ぶろ。ちなみにこの名前は何ですかと聞くも支配人らしき人も解らず。
 
駅前の道路の直ぐ裏が阿仁川でそこが祭り会場との事。駅員に宿を聞くもはっきりしないので会場準備をしているおばちゃんに聞くと丸美旅館を紹介された。場所は川の反対側の山の上。日差しが強く良く解らない坂道を登って行くとあった。昔はこの旅館の前の細い山道がメイン道路だったらしい。
 
b1f7ceff.jpegcaaa4012.jpeg1dc8637b.jpeg757f2a25.jpeg058877be.jpeg4e7d24b3.jpega3d2a8b5.jpeg49017c1b.jpeg04330a10.jpeg1b949959.jpeg02ef647e.jpeg6時から七夕祭り開始、阿仁前田獅子踊り、川の向かい側に火で山や文字を描く火まつり、火祭太鼓そして花火最後は150mのナイアガラで終了。各町会からの小さなねぷたも出る。9時過ぎに終了。01440061.jpegbb341018.jpeg
 
宿で5時過ぎに夕食を食べ、祭り会場で馬肉の煮込み、焼き鳥などを戴きながら缶ビールやチュウハイを戴く。腹はパンパン、もう一度駅の温泉に入り、暗い坂道を酔いながら帰り就寝。

本来は獅子踊りが無形文化財でメインのようです。子供から学生、大人の踊りが披露されています。佐竹の殿様が水戸から秋田へ左遷されたのを道中お慰めと武士の士気を高める為に街道沿いで踊りながら繰り広げたのが始まりのようです。

 
e8cccf1c.jpegこの所過ごしやすい日が続いています。プール授業の合間に時間もあり散策をしました。清澄通りを歩いて行きます。すぐ、横網公園が左手に此処は東京都慰霊堂、復興記念館などがあります。もうすぐ8月15日かと思いながら歩く。
 
6c0e6aa0.jpeg駒形橋の交差点からはスカイツリーが真っ正面に全貌を見せています。相変わらずの人気のようで残念がら未だに登っていません。


 
43effebe.jpegdf99ba28.jpegすぐ前には見慣れたアサヒビールの本社の金の雲の建物が見えてきます。交差点には海老屋総本舗の売店、先日佃煮は買ったばかりですので残念がら諦める。歩道を渡ると直ぐ、右手の高層建物が墨田区役所。広場には勝海舟の像がどちらを指しているんでしょうか。日本の安泰、徳川の維持?。
1階のフロアーに入ると左手には王選手の色紙などと今回は「勝海舟展」が写真やパネルで展示しています。(墨田区役所はスカイツリーの左隣の円形の高層建物)
 
左手には北斎美術館開業準備室があり少ないですが色々浮世絵やパネルで展示、平成27年度にいよいよオープンの運びになっているようです。場所は江戸東京博物館裏の近くの緑町公園内のようです。
 
隅田川沿いの墨田公園内を歩き牛島神社を越えると「すみだ郷土文化資料館」入館料100円、1階から3階までで墨田の歴史、明治時代の吾妻橋の模型、ビデオなどからの映像等、そして企画展は花火でした。
 
墨田と言えば花火、そして今は夏、今年の花火大会は途中中止になりましたが此処では浮世絵などで見る事ができます。そして花火の作り方の本なども展示しています。
 
60b0b858.jpeg84e9abfc.jpegfc4307c7.jpeg3f735769.jpeg直ぐ近くに三囲神社(みめぐり)があります。此処は歴史が古い神社ですが三井家が江戸へ進出してから守護神にしているようです。三井本店から鬼門の地で三井の井の字を囲んで守ってくれていると云う事だそうです。
 
境内には三井家の三柱鳥居、池袋三越のライオン像、藤堂高虎寄贈の灯籠などがあります。
 
また俳人其角が雨乞いの為に読んだ句「遊ふた地や田を見めくりの神ならは」という一句を奉納したら翌日降雨になったという。雨乞いにも良いようです。

三囲神社は初めて来ました。江戸東京博物館で越後屋の看板を見て行って見ようと成りました。そして近くにすみだ郷土文化資料館もあると言うことで思い立ちました。
 
ff5a21e2.jpeg来た道を吾妻橋まで戻り、浅草寺で参拝し水上バスでと思いながら地下鉄で帰宅。色々な浮世絵などを楽しめた散策でした。

 
58f8d2e5.jpeg今回は4時間程度で結構いろいろ廻りました。今までで一番少ない2駅しか廻れませんでした。この所涼しい毎日が続いていますがやはり午後イチはそれでも暑い。
 
シャツは汗びっしょりになりますので今日も途中で着替えました。途中で戴いた宣伝の団扇は大変役に立ちます。自家製の塩水のボトルはあっという間になくなり今日も途中で購入。

9cc53f47.jpeg今回の用賀から渋谷までは前は新玉川線と言っていました。以前の路面電車玉電の後、地下駅として開発されました。路面電車が地下鉄に代わった面白い路線で今は田園都市線になっています。
 



用賀駅  昭和52年4月開業
78ca44f4.jpeg61fc525d.jpegすたんぷポンの解説では
用賀駅の用賀というのはお坊さんの集まりを「よが」といったことからついた村の名前によるといわれています。平成5年11月には世田谷ビジネススクエアが完成し、駅周辺もすっかり変わりました。近く間を走ってきた電車もこの駅を最後にいよいよ地上区間へと出て行きます。背後には用賀のシンボルとなったビジネススクエアがひときわ高くそびえているのが見えます。
 
83b0d6bd.jpeg4872f2aa.jpega9ebfc53.jpeg二子玉川を過ぎ用賀に入ってくると都会と云った街になります。用賀駅は地下駅で地上の出方は三軒茶屋駅に似ています。三茶はキャロットタワー、こちらはビジネススクエア。
 
7e5bbeda.jpeg3a4d6fb9.jpeg用賀からバスで馬事公苑へ。JRAの施設で行ったのが御昼過ぎでしたのでお馬さんはお昼休みで殆ど見ません。敷地は広く、周りもJRA関連の建物。近くの東京農大女子選手が馬事公苑1周1500m位でしょうか何回も走っています。
 
d4cc80eb.jpegf154f360.jpeg71d5bee2.jpeg8d38fd9e.jpeg488c67de.jpeg7c2450c4.jpeg別の系統のバスで砧公園へ行こうと思いましたがバスの時間が合わず今回は残念。大きな公園でプールや野球場などもあり世田谷美術館もあります。此処へ来る機会もなく一度は行きたいと思いましたが今回は残念でした。
 
この他に陸上自衛隊の用賀駐屯地もあります。今回は時間の関係でパス。
 
 桜新町駅  昭和52年4月開業
b1e774b1.jpeg7e1ebf24.jpegすたんぷポンの解説では
桜新町駅はこの駅の近くに桜が多く新しい町と云う事から付けられました。この駅は他の東急線の駅とは少し変わっています。上りの渋谷方面が地下3階、下りの中央林間方面が地下2階と云うように電車が違う階で摺れ違っています。また急行電車はホームのない場所を通過して行くと云う珍しい駅です。
 
2ad2a5c0.jpegbcdbd02a.jpeg74b37c95.jpege436172b.jpeg4faab10f.jpeg77544209.jpeg此処は駅名のとおり道路には両サイドに桜が植えられ春はきっと綺麗な街並になるんでしょう。そして新聞でも取り上げられるサザエさんの銅像が商店街の宣伝物と云う事で税金が掛かるようですし波平さんの毛を抜かれるいたずらが有ったり。サザエさん通りというサザエさん一色の町です。降りる出口によって違うサザエさんキャラクターの像が立っています。
 
5987fe7f.jpeg7a375b8e.jpeg8bd2dd85.jpegサザエさん原作者の長谷川町子さんの美術館が目玉。商店街にも所々に大きなパネルが置かれています。「サザエさんと日本一周」展が開催中。夏休みに入り家族連れで大変な賑わいです。入館料600円

原作者が亡くなられても依然高視聴率の日本を代表する好印象の長寿番組。平均的な生活感があるように見えますがやぶにらみ的に見れば家族で日本中旅行にいけるのは一般的でないのですが其れを感じさせないほのぼのとした明るい番組です。

 
ace63c06.jpegf7bff347.jpeg東急田園都市線も何とか後半戦になってきました。電車に乗りながら散策と思い始めましたが暑さと駅数も多く段々だるくなってきました。今回も全体で3時間半位ですが3つの駅を廻るのが時間的に精一杯です。

東急蒲田駅から池上線で旗の台駅で大井町線に乗り換えそのまま終点溝の口駅へ行き、上りに乗り換えて隣の高津駅へ行きます。大井町線が先行で来ましたので普通に乗ったらそのまま高津駅を通過して二子玉川駅へ。大井町線は普通も止まらない方が多いようです。暑い中階段を下り上りして今度はしっかり田園都市線の普通に乗り高津駅から始めます。
 
高津駅  昭和2年7月開業
be8c6954.jpegebd35fbf.jpegすたんぷポンの解説では
高津駅の「高津」と云う地名はその昔この辺りにあった高津城の名から来ています。駅の改札を出ると、目の前には電車モハ510形が展示され、見る人達には昔の時代へと誘っています。ふと気が付くと、電車とバスの博物館のマスコット、ラッピーちゃんがお出迎え。そのまま高架下を歩くとすぐに「電車とバスの博物館」1号館の入り口・自動改札機が現れます。
 
fbc81f3d.jpege5faf17b.jpegもう電車とバスの博物館はなく、高架下はシートで囲われている状態です。この移転は田園都市線の混雑緩和の一環で複々線にして大井町線も溝の口駅まで延長。その工事関係で博物館が移転したようです。
 
f5620b43.jpeg14b94a60.jpegc3523131.jpeg高津駅の駅前は府中街道、大山街道がクロスしています。歩いて5分位に大山街道ふるさと館が有るとの事で見学をしました。また途中には昔からの薬屋「灰吹屋」の建物が現存しています。店としては昭和35年まで営業をしていたようです。
 
7cd3b05b.jpeg9da6ae15.jpegdcac2e39.jpegふるさと館は絵図による租税の展示ですが良く解らない。また何故かバーナードリーチや浜田庄司の陶器の作品が展示されています。なぜ展示されているのかもよく解らない。
 
二子新地駅  昭和2年7月開業
cab77207.jpegab87b8a8.jpegすたんぷポンの解説では
二子新地駅は多摩川を渡って最初の駅。駅名の二子新地は二子の新しく開かれた土地と云う意味です。昭和2年7月に玉川電気鉄道(東急の前身)溝ノ口線が玉川~溝ノ口駅まで軌道線として開通しましたが、(昭和18年7月に鉄道線に変更)、その時の駅名は二子新地前といい、昭和52年12月に現在の駅名になりました。多摩川の河川敷では毎年、夏の花火大会が行われ、沢山の見物客でにぎわいます。
 
8b4d5523.jpeg駅を降りると若いグループが何組もビール等を持ちながら土手へバーベキューへ向かっています。川崎の土手は有料でやる事が出来るようになっています。一時、夏に花火を上げたりラジカセで大音量を出したり夜間川に泳いだり問題になっていました。
(写真の遠目の建物は隣駅二子玉川の再開発の建物) 
014e909a.jpegdecb99a6.jpeg43ece232.jpegこの川は昔は渡しが有りました。土手近くには二子神社があり夜間の大山道中の提灯代わりに灯籠などもあったようです。神社内にはこの地で生まれた岡本かの子の記念碑が子供の岡本太郎の制作により立派な物があります。
 
二子三業地の名残の街灯を探しましたが残念ながら見つからず。
 
二子玉川園駅  昭和2年7月開業
c7c3dc1e.jpeg58b0ef5f.jpegすたんぷポンの解説では
二子玉川園駅は川の上にホームがある珍しい駅です。この駅には新玉川線・田園都市線・大井町線の3路線が集まっています。駅名は二子玉川・二子読売園・二子玉川そして現在の駅名に変わりました。二子は川崎側にある二子塚古墳から、又、玉川は玉川村から来ています。駅周辺には、タイムスパーク、兵庫島河川公園など見どころ、遊びどころがいっぱいです。
 
18f40b26.jpeg2dd54127.jpeg86bf0c91.jpeg現在は二子玉川駅になっています。田園都市線以外に大井町線も走っています。1969年に日本初の郊外型ショッピングセンターとして玉川高島屋がオープン。
 
625591e8.jpegb2b90f7c.jpega8710983.jpeg1985年に遊園地、プール、テニスコート、ローズガーデンなどの二子玉川園が閉鎖し一時はナムコワンダーランド、いぬたま・ねこたまなどの人気の施設も有りましたが、再開発の一環で今では高層のライズショッピングセンター、オフィース棟、タワーマンションなどが何本も建って、未だに工事中です。

e343c36e.jpeg二子玉川駅は渋谷に次ぐ集客駅になっています。松任谷由美のかんらん車は二子玉川園の観覧車を唄っているようです。ランドマークタワーだったタカシマヤSCは駅前の高層ビルの陰になっています。

この3駅は1週間前に行きました。結構暑い日で土曜日だったので若者が土手に沢山います。土手でのバーベキューで美味しそうな匂いが漂っています。そして写真は撮れませんがショッピングセンターには多くの人が。この路線では初めてちょっと資料館などを見て散策らしく成りました。
 

 
6c7268a2.jpeg今日はプールの手伝いもなく気候はそんなに暑くもなく家から散歩がてら菩提寺参拝、そこから平和島流通センターで行われている骨董市へ歩いて行きました。(21日まで開催。)
 
残念がら今回は会場を一周しましたがめぼしい物は無くボウズで帰りました。流通センターから第一京浜国道に出て帰宅ですが、川崎大師で風鈴市をやっている。昨夜、娘が久寿餅が食べたいとも言っていた事を思い出しとことこ第一京浜を歩いて多摩川を越えました。
 
普通は此処から京急大師線で向かいますが川崎大師は京急の駅3つ目ですから歩こうと勝手に足が駅と反対方向の土手沿いに向かいます。確かに時間的にはそんなに掛かりませんがやはり汗たらたら。
 
a15fb5bb.jpegdef230ec.jpeg川崎大師風鈴市は全国都道府県の風鈴900種3万個を展示販売しています。今日は風も有り風鈴の音が清々しい。山門脇ではおもてなしの冷たい麦茶が配られ、とても歩いて汗だくだくの身に浸みて美味しい。御代わりまでしてしまいました。風鈴市は21日まで。
 
126ee43c.jpeg7b93f2e0.jpeg帰りは流石に電車に乗って帰宅しました。暑いので久しぶりに昼間ですがお土産の佃煮で缶ビール2本を一気に飲んでしまいました。そして気づいたら猫と昼寝をしていました。万歩計は持っていませんでしたが多分2万歩は楽に越えているはずです。疲れましたが、寝起きは気持ちが良い。

99316411.jpeg2e7c9d05.jpeg川崎大師駅横にある京急発祥の地碑。境内で行なわれていた猿回し。

 
4bdc4f12.jpeg12c473e9.jpeg前回は鷺沼まででしたからその続きです。宮前平から溝の口までです。今日も午後からですから一番熱い時間帯です。
 
561ca683.jpegもう車窓から田園風景は見えませんがその分マンションなどの共同住宅が駅前から伸びています。今回も平成9年の子供と廻ったスタンプラリーを今度は一人で巡って行きます。

スタンプラリーは平成9年の夏のすたんぷポン!「駅博士にチャレンジ」です。そこで切符も当時の平成9年9月9日9並びの東急創立75周年記念の全線切符、地図式乗車券にしました。

宮前平駅  昭和41年4月開業
e8ef291c.jpeg977e3830.jpegすたんぷポンの解説では
宮前平駅の宮前平は、この辺りがお宮の前だったと云う事や地形から宮前平とつけられました。他の駅と違い、ここでは駅名が開発された街の名前となっています。駅のホームの近くには鉄橋が有り、急行電車がさっそうと走りぬけて行きます。この鉄橋はかって赤い鉄橋として緑が多い沿線の風景の中でひときわ目立っていました。
 
bf43f1e6.jpeg5e035353.jpeg現在の鉄橋の色はブルー、写真は乗り入れの地下鉄半蔵門線、駅前はやはりマンションなどが一杯でベッドタウンになっています。駅前の看板には幾つかの寺社等を巡るお散歩コースが設定されています。暑く、時間もそんなになくパス。2aa8606e.jpeg790c1df1.jpeg
 




宮崎台駅  昭和41年4月開業
d9db4d3f.jpegc5faf7c2.jpegすたんぷポンの解説では
駅名の宮崎台はこの辺りが昭和13年に川崎市に編入された時、宮前が宮崎となり、新しい台地に街が広がるようにと宮崎台とつけられました。開業間もないこの駅をはじめ田園都市線ではクハ3770形が活躍していました。またこのころ田園都市線は大井町を始発駅として現在の大井町線と一体となっていました。その後新玉川線が開通すると二子玉川園で大井町線と田園都市線に分かれていました。
 
ff31df06.jpeg9c011329.jpeg790c1df1.jpeg宮崎台には高架下に東急の電車とバスの博物館がいつの間にか高津駅から移ってきていました。

5bb44682.jpeg宮崎台と云うだけあって駅は丁度、坂の頂上辺りにあります。途中の坂道には桜並木が続き春にはとてもきれいでしょう。この駅周辺もベッドタウン、駅ホームから上の道路の間は土手に木々が植えられ何となくのどかな雰囲気。
 
電車とバスの博物館 昭和57年4月開館
e8e4e154.jpeg53f24254.jpegすたんぷポンの解説では
田園都市線高津駅の高架下にある電車とバスの博物館は、毎日たくさんの子供たち、親子連れでにぎわっています。1号館から3号館までの館内には、実際に運転を体験できる電車、バス、飛行機のシュミレータ、パノラマ模型、昔の駅、踏切、鉄道電話などがあり、その歴史やしくみを楽しく学べます。(入館料10円、月曜休館)
 
27f913d6.jpegdec53faa.jpeg平成15年に高津駅から宮崎台に移動したようです。現在は入館料は大人100円、子供50円。宮崎台の駅の高架下ですが斜面を利用しているので1階から4階という表示になります。他の会社の博物館と違うのは東急は以前東亜国内空港を持っていたのでYS11が展示されています。
 
c8c04b35.jpegcd825ce8.jpeg3a948478.jpeg8cdbc589.jpeg只古い車両を展示だけでなく今風の電車でGOのシュミレーターがあり電車、バス、飛行機、ジオラマの模型などの運転ができます。面白かったのは運転席で動かすと前のレールの上に乗っている台車が動く装置が見られる。
 
cac3ef14.jpeg387e322a.jpeg7e12f1e2.jpeg平日でしたが学校の教育の一環なんでしょうか多くの子供たちがいます。またお母さんと子供連ればかりで良い歳をしたおじいさんは私一人です。それでも懐かしい車輛ばかりです。
 
 梶が谷駅 昭和41年4月開業
801ca9d0.jpeg3e56d003.jpegすたんぷポンの解説では
梶が谷の駅名は古くから続いている村名によりますが、この辺りは昔から谷が多かったそうです。梶が谷駅のようにホームが曲がり安全の確認が難しい駅は、監視用カメラが多く必要となるため、一か所で安全確認の出来る「集中監視方式」をとっています。専門の駅監視員がお客様の安全をテレビで確認、ホーム上の車掌さんに合図します。ホーム監視用テレビ集中装置は他に東横線白楽駅などにあります。
 
0c197463.jpeg70ffd470.jpeg梶が谷のホームは確かに大きく曲がっていますので降りるのにも注意が必要です。現在はワンマン運転ですので車掌はいません。このシステムを使っているか解りませんが運転手は非常に注意が必要になります。ホームから工事車両が何台も見えます。この駅の留置線で工事車輛は待機しているようです。
 
43d07d79.jpeg26b4513a.jpeg駅周辺しか歩いていないのでホームに身代わり地蔵と云う看板が有り改札左に出て行くと道々に矢印が有るとの事、徒歩時間が書いてないのが気になったが何処も行っていないのでとりあえず行く事に、Tの字になり案内板を探すも見つからず。暑い中、汗だくだくで戻る。
 
溝の口駅  昭和2年7月開業
f2a8a592.jpeg0db1d2a1.jpegすたんぷポンの解説では
駅名の溝の口の元になった地名は昔この辺りの住民が田や畑のために多摩川から水をひいた水路の幅が、溝のように狭かった事からこの名が付いたと云われています。溝の口駅は、平成5年12月にタイル張りの広々としたコンコース、新型の自動券売機、自動改札機がずらりと並んだ改札口になりました。駅の周りも再開発により生まれ変わろうとしています。
 
e31ca81a.jpeg91fab565.jpeg溝の口駅は急行停車駅で東急大井町線の終点でもありまたJR南武線と接続している為、乗降客は非常に多い。また駅前には高層の建物、ショッピングセンター等が出来ています。
 
帽子を被っていますが汗はその帽子から垂れ流れます。もうハンドタオルでは間に合わず大きめのタオルを使っています。たった是だけで500Lボトルが2本も飲みきってしまいます。猛暑でもうしょうがない!!!
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1771ebba.jpegfcb5fa03.jpeg今回も平成9年の子供と廻ったスタンプラリーを今度はオヤジ一人で巡って行きます。今回は江田駅から鷺沼駅までです。車内は涼しいのですが駅周辺を歩くだけで汗びっしょりです。

スタンプラリーは平成9年の夏のすたんぷポン!「駅博士にチャレンジ」です。そこで切符も当時の平成9年9月9日9並びの東急創立75周年記念の全線切符、地図式乗車券にしました。

江田駅  昭和41年4月開業
95036a74.jpege403c0d3.jpegすたんぷポンの解説では
江田駅の辺りは昔、江田小次郎と云う豪族が住み着いて以来江田と呼ばれるようになりました。この駅を始め多摩田園都市の各駅間を力強く走り続ける主力車両に8500系があります。この車両は昭和51年には鉄道友の会からその年の優れた車両に贈られるローレル賞を受賞しています。
 
972e91c8.jpeg32300c9b.jpeg江田駅前には246号線、上には東名高速が走り、駅前のバス停以外周辺には見るべきものはなし。此処もベッドタウンとして開発された場所のようです。解説の8500系は未だ現役でがんばっています。
 
あざみ野駅  昭和52年5月開業
77e65af0.jpeg224256bb.jpegすたんぷポンの解説では
あざみ野駅は今年で20周年を迎えました。駅名の「あざみ野」はこの駅の辺りにあざみやたんぽぽなどがはえていた事から付けられました。平成5年3月、横浜市営地下鉄のあざみ野~新横浜間が開通、多摩田園都市と横浜中心部がつながりました。また、これに合わせて改良工事を行い便利で綺麗な駅になりました。
 
5a7c1fbb.jpeg1113ade8.jpeg急行停車駅で此処だけ昭和52年開業で確かにきれいな駅です。駅前にはまだ幾らか自然が残りゆったりとしたベッドタウン。東急は高架駅で地下に横浜市営が乗り入れている。交通の便はこの近辺では非常に良い。
 
たまプラーザ駅 昭和41年4月開業
6f04b9bd.jpeg3101e3bd.jpegすたんぷポンの解説では
たまプラーザ駅のプラーザはスペイン語で広場の事を言います。多摩田園都市の中心であるこの駅の周辺はたまプラーザ東急SC,ニューメディアとして昭和62年に放送を開始したわが国最大の東急ケーブルテレビジョンなどがあります。また駅から少し歩けば美しい街並みが続く静かな住宅街になっています。
 
f17f7ad4.jpegc9a17aac.jpegホームから改札に出ると高い天井のガラスを多く使った構造でちょっとびっくりします。駅周辺はたまプラーザテラスと云う名前で幾つかの商業施設が統一名になっています。周辺住所が美しが丘と云うようで公園などもその名前になっていますが名前負け。開発に伴う公園を作らなくてはならずの公園。その奥には団地群が聳えています。6ba02968.jpegc8158d8e.jpeg
 
 




鷺沼駅  昭和41年4月開業
62bd862b.jpeg16bbe413.jpegすたんぷポンの解説では
昔この辺りの小さな沼に美しい白鷺が居た事からこの地名(駅名)となりました。駅から2,3分の所に川崎市営鷺沼プールがあり、この街のシンボルとなっています。中には大小5つのプールがあり、8000人を収容できる規模を誇っています。またプールへ行く途中には地下鉄半蔵門線の車両が沢山停車しているのが見えます。
 
2730f012.jpeg3f2290d2.jpegプールはまだやっていないだろうと勝手に判断し鷺沼駅では半蔵門線の留置を見て戻ってしまった。ベットタウンが多く見るべきものもなく結局は郵便局の千円貯金ばかりになっていました。この駅近くに地下鉄半蔵門線が留置しているという事だけが頭にこびりついていました。ただ非常に見づらいところにあります。

何とか田園都市線の半分近くまでやってきました。午後から出て5時までには帰宅しますから中々時間的に廻れない。そしてこんな猛暑になるなんて思ってもいなかった。車内は快適です。このままずっと乗っていたい。汗が引く前に次の駅到着、各駅停車の旅はつらい。
(続く)

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98947b77.jpeg3811e9d5.jpeg前回は中央林間駅から長津田駅まででしたので今日はその続きです。今回の廻った所は余り見るべきものもなく車窓は田園風景や宅地、共同住宅が続いています。今回も平成9年の子供と廻ったスタンプラリーを今度は一人で巡って行きます。

スタンプラリーは平成9年の夏のすたんぷポン!「駅博士にチャレンジ」です。そこで切符も当時の平成9年9月9日9並びの東急創立75周年記念の全線切符、地図式乗車券にしました。
 
田奈駅  昭和41年4月開業
6b39caa6.jpegbf31a2ad.jpegすたんぷポンの解説では
明治の中頃、長津田、恩田、奈良の3つの村が合併して田奈村となりました。その村名が其のまま駅名にもなりました。田奈駅にある「多摩田園都市まちづくり館」では昔の村人が使っていた農機具、生活民具、歴史資料を展示・保存・街づくりに関するあらゆる情報がわかります。開館10時~17時、月曜休館、入館料100円・子供50円。
 
61261d1d.jpeg79c2cb4f.jpeg06505756.jpeg田奈駅隣の多摩田園都市まちづくり館は残念がら休館でした。月曜日は美術館などが休館なので散策や映画に充てていますのでしょうがないです。此処は入った事は覚えています。何処にでもある郷土資料館みたいなものです。駅周辺はコンビニなども有りますがすぐ横はのどかな田園風景です。駅前の郵便局から沖縄民謡が流れています。中では沖縄物産展が、何で此処で沖縄?まぁ郵便局スタンプはゲット。
 
青葉台駅  昭和41年4月開業
c75b41d9.jpegd9505624.jpegすたんぷポンの解説では
開発後も緑の豊富な街にしようと青葉台駅と名付けられました。青葉台駅は平成4年に駅ビル「リクレ」がオープンし、新しく生まれ変わりました。お年寄りや身体の不自由な人が電車に乗る時に便利なようにエスカレーターを設置。駅前には平成5年4月に青葉台東急百貨店、平成5年5月に同百貨店5~7階に本格的なコンサートホール「フィリアホール」がオープンし沿線の買い物客で賑わっています。
 
c7d11598.jpegf16defdb.jpegdd93bfe7.jpeg現在は商業施設をノース、サウスと云った「東急スクエアー」として統一しているようです。百貨店事業は特に東急は苦戦しているようです。8棟のスクエアーがあり駅前は人、車で渋滞していました。まだ東急が好きなコンサートホールはあるようです。是は一度作ったら中々転用が効かない。反対側にはすぐ大きな団地が見えます。是と云った特徴は無いですがのどかな駅周辺を見て来たので都会を感じます。急行停車駅。
 
藤が丘駅  昭和41年4月開業
d25b172c.jpeg2cf5e13c.jpegすたんぷポンの解説では
開発前の藤が丘は緑が濃い丘陵地帯で、丹沢から富士山までが見える景色のよい所でした。また付近に野生の藤が多く茂っていた所から、この駅名になりました。駅前広場は緑が多く、広いスペースになっています。なお、この駅は田園都市線の中でも珍しく開業当時の面影を残す駅です。
 
eda14cfa.jpeg1b670396.jpegd89c8f08.jpeg開業当時の面影と云っても良く解りませんが駅から左側のショッピングセンターの事を言っているのか、自然らしきのどかな物はなし、右側は大きな大学病院がでーンとあります。ショッピングセンターとは名ばかりで昔ながらの商店を寄せ集めたような施設で今では中々見られません。
 
市が尾駅  昭和41年4月開業
dd20bc9a.jpeg838be156.jpegすたんぷポンの解説では
駅名の「市が尾」は昔この周辺が市郷と呼ばれ、後に「市ヶ尾」になったと云われていますが町名を駅名にする時に「市が尾」となりました。緑に囲まれ、落ち着きのあるこの駅で赤・青・黄色の色鮮やかな電車を見かけた事はありませんか。長津田検車区に所属しているアルミカー2両編成の電気検測車がこの車両。毎年定期的に鉄道線各線でトロリ線の検測をしています。
 
893b4adb.jpeg5808b1e2.jpeg途中で工事車両等を車窓から見ましたがシャメ出来ず。駅前には団地群が、此処もベッドタウンになっています。

駅周辺をぐるっ見ますが余り見るべきものも無く結局は郵便局巡りのようになってしまいました。
 

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