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a993a10b.jpeg今日から東京駅の丸の内駅舎がリニュアルオープンです。もうマスコミに内覧見学がされて報道もされています。また私も前に復原工事は書きました。此処では東京駅についてのこぼれ話を書いておきます。

まずなぜ東京駅(当時は中央停車場)を作ろうと思ったのか?

明治政府は不平等条約を解消したかった。本当かどうか定かではないが条約はお互い対等な文明があって成り立つ。まだ未文明ではないかと言われ文明国にするにはと云う事で鉄道と鹿鳴館(跡地現帝国ホテル)となったようです。

新橋、上野を繋ぎ列島縦断の鉄道網と云う事で本来内務省の管轄が外務省の管轄でドイツのH、ルムシュテル、f、バルツァーに依頼。線路は出来たが駅舎は設計だけで帰国となってしました。

37450956.jpeg3feb7842.jpegec717b3f.jpeg345メートルの駅舎の設計はあったがその後辰野金吾に依頼します。東京駅を新丸ビルから見ると右側は入口、真ん中は皇室専用、その隣は近隣の入り口、左側は出口となっています。(写真は上段が戦災後の修復した当時、下が今回の復原された東京駅)

c8b85401.jpeg0c3ae729.jpeg日本では改札は入出口と云いますが右が長距離の入り口、左が出口とヨーロッパでは分かれている。皇室専用は駅から馬車でまん前の行幸通りを通って皇居へ。今でも運が良ければ見る事ができるかも。東京駅は皇室の表駅、原宿が裏の駅で避暑などで向かう時に使われるようですが、今は殆ど車で使われることがないようです。

ヨーロッパでは中央駅は終着駅、始発駅となっていて縦に出発します。日本では通過列車が有ったり線路は横になります。パリでは一つの駅内で乗り換えは出来ません。

辰野金吾はこの長い駅舎を苦労して設計したようです。当初は予算上2階建しかできなかったが日露戦争の勝利により駅の広場で凱旋勝利報告をすることになり予算は関係なくなり3階建て鉄骨煉瓦つくりになります。

a6a5563f.jpeg0da96b18.jpeged6cb7f6.jpeg当時も鉄骨セメント造りはあったんですが辰野は神戸で見学をしたが塊が均一のなるか疑問を持ち煉瓦を採用しました。

東京駅は江戸時代は海で埋め立てて出来た場所で地盤は弱い、今回の工事で地下には松の杭が1万本入っていた。これで関東大震災も耐えたようです。取り出した杭はまだ立派に役目を果たしていて朽ちてはいなかったそうです。先達の知恵は凄い。

3階部分はなるべく残っている素材、写真を利用して忠実に復原を目指したようです。屋根のスレートは元々宮城県石巻市産で今回の震災で流されたり泥をかぶったりした残ったものを使用。厚さ5ミリ、縦横30センチ。45万枚使用。足りない部分はスペイン産。

今回は1,2階は保存、3,4階はドーム、屋根も開業時に復原、松の杭を取り除き免震工事を施し完成しました。

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