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美術館・鉄道・お城・お相撲・お友達の話など趣味のブログです。
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東京朝潮会は、現高砂親方をサポートする若い人の会です。今は、もう皆若くはないですが。大関朝潮として引退を迎え山響親方としてまだ、ちょんまげを結っていた時代に、引退式は、かなり先の東京場所と決まっていました。
 人気力士でしたから部屋の後援者、親方個人の後援者が沢山いました。山響と若松の名跡を交換して若松部屋を継ぐ予定で進み、いざ、受付だ、手土産だ、諸々の手配、使いばしり等雑役があり後援者は、お金を出してくれるがそんな使い走りはしませんのでお金は出せないがなんとかお手伝いができる人を集めるため石田さんが作った会です。
 当時のメンバーは、石田さんを中心にその伝手で私も、私の先輩伊内さん、横浜新都市ホールの音響、映像担当の河合さん、石田さん関係の高校野球の高橋監督、後輩の鈴木さん、元プロの佐々木さん、弁護士の飯塚先生、ほとんどが、相撲界に関係のない人で心配した親方が相撲界を知っているということでお父さんが高砂部屋後援者のレインコート制作販売会社のの萩原さん、建設会社の鵜飼さんを入れ総勢10名でスタートしました。
高砂部屋は、パーティというとニューオータニに決まっていて今でも同じホテルでやっています。当初は、7人位の先代の若松からの力士で一ノ矢君が三段目で部屋頭で人を呼ぶのも全て親方の顔でした。親方以下力士は全員パーティ会場に行ってしまうので受付、グッツ売店、帰りのお土産の袋詰め等朝潮会のメンバーで千人位を裁くのですから結構大変でした。そんな中、相撲界に慣れている萩原さんは、心強い人で色々教えてもらいました。
 最初の披露パーティは、当然一門の力士がきますが当時の大横綱千代の富士がパーティ途中、会場から受付の我々の処にきて椅子に座り我々の仕事を、ホゥーこうゆう風にやるんだと観察を?していました。暫くしてから千代の富士は引退しました。前回のパーティでも珍しく横綱朝青龍が同じように我々の席に途中来て坐っていました。昨日の稽古総見でのニュースを見るとなんとなく千代の富士の事とだぶって思い出しました。

>11日が初場所初日。
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 正月は、神社仏閣へ今年一年を祈願してお参りをする。
行司は、相撲の勝負を裁くだけでなく神社の神主様の仕事をする。
 今年は、年末年始喪中のため失礼するため、正月最初は行司と木村朝之助の話を。
 高砂部屋には、先代の木村庄之助がいたが定年になり現在は、木村朝之助が十両格としている。昨年十両格になり立派な装束を着て裁いている。私は、彼と呼び出し邦夫の会を今年で9年やっている。朝之助は、私がお世話になっている石田会長の甥っ子でもある。
 なぜか、彼とは縁があり旧若松部屋に入る前、(たぶん平成2年の秋)現高砂親方、石田会長と彼の高校へ行った。彼は、柔道着を着ていた。その後親方たちと彼の実家に行ってご飯を御馳走になった。その後一の会の理事だった故佐藤さんの焼肉開店祝いに行った。彼とは、そんな出会いだった。結婚式にも出た。
 彼や一ノ矢君から聞いた行司の仕事は、ただ審判をするだけでなく色々な仕事をしている。1、場内放送 2、勝負結果の記録 3、取組・番付各編成会議の書記 4、顔触れ書き 5、巡業先の移動先手配 6、宿ビラ書き 7、部屋の案内状書8、土俵入りの先導(これは偉い人がやる) 9、番付表書き(主任がいる) 10、毎日の取組表読み合せ 11、土俵祭りの祭主等々
 今の部屋が若松部屋としての部屋開きは、木村庄之助が祭主として務め当時の横綱千代の富士、曙、水戸泉が土俵入りをして邪悪なものを踏み鎮める四股を踏んだ。写真もあるが初めて見た豪華土俵入りだった。
 >現在は、朝之助が初日前日に土俵祭りを行う。土俵の真ん中にお米、塩、野菜昆布、日本酒などを封じ相撲の安全を祈る。
 同じように国技館でも一辺6.7メートルの正方形のその中央に直径4.55メートルの円が勝負俵で作られていて中央には勝栗、昆布、米、塩などが神への供物として埋められている。土俵の屋根の四隅を飾る四色はそれぞれ春夏秋冬と天の四神獣を表して五穀豊穣を祈念している。
 彼は、一昨年まで木村勝次郎だったが十両格昇格に伴い部屋の先代木村庄之助がつけていた朝之助を拝命した。十両格になると軍配についている紐、袖、裾の紐と装束の胸と袴についている菊の飾りの色が変わる。十両格は、青白房、足袋になる。幕下以下は、青房又は黒房で素足。早く草履をはける事を祈る。
 十両格になると装束が変わるため一揃え数十万円になりそれを各シーズンで用意しなくてはならない。最低10着近くいるそうでタニマチに作ってもらうそうで貰えないと自分で作るか先輩のお古を戴くことになる。部屋後援者、さすが高砂部屋、かなり戴いたようだ。もちろん、石田会長もプレゼントをした。

>今月千秋落後、行司木村朝之助&呼び出し邦夫の会を大森居酒屋正助市場で開催予定。お楽しみの抽選会とお好み一番で邦夫の呼び出しで朝之助の裁きが聞ける。興味ある方のビジター参加をお待ちしています。
 

 
久々に両国へ行った。高砂部屋へお客さんを案内する時の待ち合わせや相撲見物や江戸東京博物館以外めったに下りない駅だが、今回は、会社のTさんが国技館も両国も下りたことがないということで大宮の帰りについでに下車。

私も、とし田で花氷をついでに買おうと思った。花氷は、金沢の銘菓に似た干菓子だ。一時我が家でブームになったお菓子です。横浜高島屋では売っている。

両国は、まず、国技館。ちょうど展示会の跡かたずけで周りを知ったかぶりで案内、次に回向院方面へ途中横綱のブロンズ、手形を見て相撲の町を意識させ相撲関係和菓子屋を(とし田を含む)を冷やかし高橋で相撲グッツを見てもらい(ここは、本来関取の座布団の店。現若松親方の朝ノ若関にあげようと検討したことが今は笑い話)途中の足袋屋さんが無くなっていたが力士ご用達のライオン堂をへぇーと見て吉良邸跡地そして回向院を暗い中見学(力塚、ねずみ小僧次郎吉の墓等を見学)

そして駅隣の居酒屋ちゃんこ舞の花。ケチかもしれないが私としては寄せ鍋風のちゃんこ鍋はお金を出して食べるのは?ここで適当に頼んで土俵での甚句を聞いて帰った。一緒のTさんは、満足だったようだが、私としては、九州場所でもあるがいがらし屋(田舎パフェがおいしい)もなく足袋屋もなくすもうとりもいなく今回の九州場所のように寂しい両国だった。
 高砂部屋のホームページの管理人は松田さんだ。(元一ノ矢、現部屋マネージャー)彼が昔から今日の高砂部屋というブログを書いている。相撲フアンの中では有名だが、彼は、琉球大学の物理を専攻なので他ののおすもうさんと少し違うのは日常のおすもうさんのことも書くが相撲の稽古を科学的、歴史的に研究していることだろう。

あまり、学術的になったり専門性が高く解らないことが多いが同じ研究者やスポーツ選手の中では権威になっているらしい。実際に相撲を昭和での最高年齢までとった元力士が研究しているのだから。

 
 実際にやってみての発言と机上の理論との違いかも。私も、なるべく机に座っているんでなく現場100回を実践しよう。
 高砂親方と知り合って20数年経つ。相撲部屋には、力士は勿論、行司、呼び出し、床山、部屋付き親方、若者頭、マネージャー、そして師匠としての親方、結婚してればおかみさんがいる。その他に協会にまだ登録されていない候補生が居たりする。大所帯だ。
 そんな中で高砂部屋は、石田さんの関係で東京朝潮会理事(名前だけ実質雑用掛)、一ノ矢君のファンクラブ一の会、行司&呼び出しの会をやっている。一の会は、もう12年になるし行司呼び出しの会も8年になる。両方に入っている人もいるが異業種交流を兼ね相撲好きの集まりだ。両方とも年会費5千円、年2回の懇親会で参加費各1万円と格安。お土産抽選会で彼らならではの商品が出るのも相撲好きには良いみたいで長続きしている。今年も秋には2回目を行う。

 朝青龍関が大関2場所で優勝した。若松親方は、大変喜んでいることだろう。おかみさんは、石田氏がお祝いの電話をしたら泣いていたそうだ。自分の弟子が、部屋として初めての優勝!どんなに嬉しいか、勝負の世界と言いながらもサラリーマンの世界も勝ってナンボの世界、その分の報酬をもらっているのだから。朝青龍は、たしかに才能もあったが稽古は、新弟子の時から人一倍していた。個人的にはあまり好きなおすもうさんではないが、稽古については、本当にハングリーにやっていた。サラリーマンもハングリー精神で頑張らなかったら今生きていかれないだろう。まして、大勢のスタッフもいるのだから。

 若松親方は、座を盛り上げるのが上手だ。飲んでる席での話。、親方のお父さん、おかあさんと帝国ホテルのすし屋でのこと、マグロから食べそのうち1カン2,500円位と話すと驚き、じゃ、この鰯にすると言ったそうです、これなら、浜でいくらでも落ちている、これは安いだろう、100円もしないだろう。これは、追っかけの鰯ですと板さん、親方が1000円はするよと言ったらもう食べなくなったそうです。もうひとつ東京で暇だったので、映画でも見ようとして買い方が解からず前の人が学生1枚と言ったから、田舎者2枚といったそうです。
 どこかで、聞いたことがあるような気もするが。
 旧若松部屋での朝稽古、あんなに厳しい稽古を見たのは初めての頃、気絶して汗と鼻水と涙が砂まみれの子が、稽古終了後、シャワーを浴びて親方と関取、我々お客が最初に食事がとれるのだが、その子が後ろに立ってビールをついでくれたり無くなりそうなチャンコのお変わりをしてくれたりかいがいしく立ち働く、今まで気絶したのが嘘だったのかよと思うぐらい元気に動く、早くやめて帰らないとこの子たちが食べられない、昼寝もできないとせっかくのチャンコだったが申し訳なくなって1杯で止めてしまったのが最初のチャンコだった。
 相撲場の稽古風景は、若松部屋しか知らないが、朝早くから若い衆が汗みどろになり明日の関取を目指している。入門したての15歳の少年がぶつかり稽古をしている場面は鳥肌がたつ。疲れて足取りもフラフラ、まだまだと胸をだす先輩に向かっていく、倒れる、また立つ、そのうち、気絶する、水をかける、またぶつかる、泣き声をだしフラフラでぶつかる、延々と続く、もうやめればと誰も言わない、ここからが、本当の稽古だという、まだ、本来なら学校へ行っている時期だし遊びほけてる年齢だ。私も、何かで悩んでたり、仕事で行きづまったりした時、こんな15歳くらいの子がこんなに頑張っているのにと、自分を励ますことがある。テレビだけの瞬間の相撲にはこんな苦労があるんだと思う此の頃である。
若松親方の話、若松親方と知り合って15,6年経つまだ、現役の大関朝潮だった。気さくな人、腰の低い人、よくしゃべる人といった印象だったと思う。親方の故郷は高知県室戸で海と山があり環境の素晴らしい(悪く言えば大変な田舎)学校から久振りに帰る時、一山超えるそうで、熊と間違がえられないように「俺は、熊じゃない、俺は熊じゃない」と言って帰ったそうです。ステーキじゃないけど親方が初めて高級中国料理を食べたとき店員に俺はよく中国料理を食べているんだという顔をして「ドナルドダック」をと注文しこのドナルドはうまいんだ。はじめてのデートの時相手の人に言ったそうです。女性は、解らなかったそうですが、店の人は、「ハイ、ドナルドです」と運んできたそうです。以来その店では、親方に対しては、北京ダックでなくドナルドになっているそうです。今は、もう勘弁してもらったそうですが。がんばれ親方
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