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美術館・鉄道・お城・お相撲・お友達の話など趣味のブログです。
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地方へ旅に出るとその都市の中心地に聳えるお城が見えます。白壁に天守閣、高い石垣にお壕にはなみなみと水をたたえています。城下町と言われ政治、経済、文化の中心になっている事が多いようです。

昔は合戦に備え砦から創玄な天守閣を持つお城になり戦国時代は本拠の居城だけでなく領内各地に支城、子城、出城を設け国境には境目の城を設けていたようです。

沢山のお城も江戸期の1国1城令により激減、それでも大名は300諸候といわれていますから明治までは300のお城があったようです。そして新政府からの明治6年の廃城令で壊され、残ったお城も戦災や雷、火事などにより焼失しています。

当時のまま残っている木造天守閣を持つお城が12あります。

1、 彦根城  1606年 複合式 高さ15.5M
2、 姫路城  1610年 連立式 高さ45M
3、 丸岡城  1613年 独立式 高さ12.5M
4、 松江城  1614年 複合式 高さ22M
5、 松本城  1615年 複合連結式 高さ25M
6、 犬山城  1618年 独立式 高さ24M
7、 丸亀城  1643年 独立式 高さ12M
8、 宇和島城 1665年 独立式 高さ16M
9、備中松山城1665年 複合式 高さ11M
10、高知城  1745年 複合式 高さ18.5M
11、弘前城  1810年 独立式 高さ14.5M
12、松山城  1824年 連立式 高さ20M

織田信長の時代には天主と表記されているがキリシタン禁止からは天守になりました。キリシタン=天主教が影響なのか?天守の屋根の上には鯱がありますが鯱は水を吹き火を消す空想上の魚、起源は朝鮮役に従軍した武将が朝鮮の建物の上にある人形を真似したといわれています。城としては安土城からとも言われている。

天守外観には最上階に高欄をめぐらせ展望できる造りを望楼型といい古い天守に多い、また層搭型といわれる欄干がないもので江戸時代のものに多い。その為千鳥破風、唐破風で各層に変化をもたせています。

昭和天皇即位御大典記念による大阪城天守閣復興などは鉄筋コンクリート造りで最上階は展望台、館内は博物館と言うパターンが受けるようになりました。そしてブームは富山城のように元々なかったのに天守を作ったり城自体がなかったのに熱海城のように出来てしまったり、忍城のように土塁だったものが石垣に変更されたりしています。

最近は本格的な木造による復元が多くなってきているようです。1993年の掛川城から大洲城、白川城などの天守閣、松山城の小天守、金沢城の菱櫓など。お城は歴史ドラマとともにブームのようです。見てもとてもきれいですしそこから時代を超えた歴史ロマンを感じます。現代でも町の経済政治観光の中心になっていますし市民の憩いの公園でもあります。

さて私はあと彦根城、丸岡城、犬山城、備中松山城の4つになりました。何とか12は制覇したいと思っています。しかし、早くしないといけません。お城めぐりは物凄く体力が必要です。お城の場内は急な階段です。登りは何とかなっても下りは足と手の筋力が必要になります。体力のあるうちに行きたいと思っています。
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丸亀城
丸亀城
形態  平山城
現存する木造天守をもつ12の城の1つ
高松城の西讃岐の抑えの支城として。
別名  蓬莱城
城主  生駒親政、山崎家治、京極高和
形状  3重3層の層搭型天守閣、現存天守閣で一番小さい
     石垣は高さ日本一、大手門から見上げる天守閣は小さいが立派に   見えます。    
        石垣の構築技術の発展と歴史を伝える名城。

海抜60メートル以上の城山をそのままに使用して三の丸から本丸までらせん状に登ります。今回は入場ギリギリで駅に着きましたのでタクシーで行きましたがちょっと焦っていたのと雨だった事で結果的に道を間違え動物園の方に行ってしまいました。戻りも間違え時間が過ぎ翌日にと諦めました。

お壕も大変広く取られ周りの桜の葉ももきれいに色づいていました。春はボタン桜できれいだそうです。夜はライトアップされお城の全景もきれいでした。町全体もお城を中心にした城下町を形成しています。

このお城は当初は高松城の生駒氏の支城として作られました。その後、元和年間の一国一城令により破却されました。その後生駒家のお家騒動で東と西讃岐に分けられ東に松平頼重にそしてここ西は山崎家治になりました。山崎家治は丸亀城跡地に築城しました。そして現存する天守閣を持つ12の城になり高松城より歴史的価値も上になっています。

高松城はJR高松駅を降りればすぐ近くです。お壕の隣は琴電の高松築港駅です。

高松城について
形 態 水城
別 名 玉藻城、海の白鷺城
城 主 生駒親政 4代54年 お家騒動により松平頼重へ
設 計 黒田如水
当初禄 秀吉より17万6千石
状 態 3層5階の天守閣、要所に約20の櫓
現 在 うしとら櫓(旧太鼓櫓跡)、月見櫓、渡り櫓、水手御門のみ

高松駅に早朝に着いたので当然お城は9時頃だろうと外見からでもと見に行きました。ここはこの時期は6時半から開いています。春夏は5時半から開いているようです。入園料200円。

公園として整備されています。しかし、櫓には入ることが出来ません。これでは公園の入園料です。しかし入園料を取るほどの広さの公園ではありません。多くの城址公園は入園は無料で市民の憩いの場所にしています。お城内へは入場料は当然掛かります。ここはちょっと高いかなぁ。

水・海城としては多くが埋め立てられていますがここは宇高連絡線の基地ですから残った数少ないお城です。天守台が3方海に囲まれ漆喰で白く塗られている姿が海の白鷺城といわれた由縁のようです。

そして生駒氏のお家騒動により17万石が1万石に改易され、代わりに水戸光圀の兄、頼重が12万石の領主になり11代228年間続く。頼重は京都の天竜寺に預けられていた事もあり近くの紫雲山の麓に栗林公園を作り隠居所とした。今では此処の公園の方が立派。最も往時のお城の広さは今の8倍はあったようです。

しかし、これはお城へ行ったに入るのだろうか。日本の百名城には入っているのだが。天守閣跡の工事なのだろうか天守閣が出来ると立派なお城になるんでしょう。水手御門は北の丸から直接海に出られる城門で全国唯一の現存例だそうです。
今日の読売新聞朝刊にお城の話が二つ出ていました。
一つは江戸城の石垣に大名の銘が刻まれているという話です。江戸城は家康が秀吉の命により江戸へ入城してから天下普請で特に秀吉側の大名に築城の命が罰と資本減少のため命じられました。

今回は宮内庁の調査により築城担当の加藤清正ら10人以上の名前が刻まれているのが見つかったようです。天下普請で城の中心部での具体的な作業箇所は一部の大名について大まかな位置が文献で知られている程度だったようです。

天守台の北西の乾壕に面した乾櫓の下の石垣から「加藤肥後守内」の刻銘、書院前櫓の下などから「羽三左」姫路城主池田輝政、輝政の次男忠継の「松平左衛門督」福島正則にあたる「羽柴左衛門大夫」輝政の長男利隆の「松平武蔵守」などが見つかったようです。

名古屋開府400年を記念した「名城・堀川まきわら祭り」6,7日開催されるようです。外堀は本来入れないのですが今回は特別に377個のちょうちんを付けた「まきわら船」は2艘うかべられたそうでお城のライトアップとまきわら船のちょうちんで復活したようです。

詳細は下記参照
http://homepage1.nifty.com/uni-hp/horimachinet/matsuri/c20_rekisi/rekisi1.html


400年前のお城づくりの苦労や羽柴家への忠義などちょっとした想像とロマンがあります。だからお城は良いのです。早く天守閣現存12城制覇を終わりたい。
現存する天守閣があるお城が現在12あります。
それを回るのが旅行を兼ね私のお城めぐりの第一目標です。これは、以前日記に書いたとおりです。

今は、若い女性を中心に戦国武将がブームになっていて当然、お城や歴史館やお寺めぐりも観光の一つになっています。今日の読売朝刊の別紙日曜Y&Yに行ってみたいお城が載っていました。

第1位 姫路城(最初の世界遺産認定,何処から見てもきれいなお城,お城のNO,1)
第2位 首里城(琉球王国の象徴、但し天守閣が無い)
第3位 大阪城(巨大な堀と高い石垣)
第4位 熊本城(天下の3名城の一つ、明治に入っても戦場に)
第5位 名古屋城(尾張名古屋は城でもつ)
第6位 二条城(最後の将軍の居城、うぐいすばり)
第7位 松本城(江戸城の天守閣に似ている、天守閣が残る)
第8位 若松城(東北の首都、要の城)
第9位 弘前城(天守閣が残る、城下町風情)、
第9位 彦根城(天守閣が残る、日本一の城下町)

どうも私のベスト10とは大分違います。まず、天守閣が無いお城は私の場合後ろに行きます。そして、復元のお城も後ろに行きます。コンクリートのお城も後ろに行きます。

二条城、首里城はなぜ人気があるんだろう。確かにお城といえばお城だが。お住まいになっていた御殿と解釈していました。

日本城郭協会は日本の100名城を選定しています。また、スタンプラリーも実施しているそうです。スタンプラリー。と聞くと収集癖のある私はまた、燃えてきてしまいます。知らなかったことにしようと思います。但し、日本の100名城の本は大分前から持っています。趣味が多すぎて達成できないものはなるべく遠ざけようと思っています。

城の目標12の天守閣のある城を制覇。あと5つ。
>城下町を歩くとお堀に高い石垣、白壁が輝く天守閣、山の上に見えるお城と天守閣。日本の建築の粋を集め、戦いの守りを固めながら遠目、近くからとあの美しさ。
>城内は、襖絵、天井画、掛け軸、蒔絵、書画、甲冑等の時の最高作品が目に入る、庭に配置された木々、砂、砂利場全てに時代を感じロマンを感じる。特に殿様が住んだ御殿は良い。

>一体日本には、どの位お城があったのだろう。本山一城氏の日本の名城がわかる本には、本拠の居城、領内各地の支城、子城、出城、戦い先での付城等をいれると3~4万に達してしまうという。しかし、江戸時代には、一国一城令が出たがそれでも大名は300諸侯。300の城が明治まで生き残ったのだろうか。

>一つ一つのお城には色々な歴史があり尋ね歩けば楽しいだろう。私は、特に天守閣が好きだ。勿論、城壁、石垣、城があっての天守閣だが。

>天守の最上階には、空想上の鯱がある。水を吹いて火事を消すと言われている。天守の存在意義は、パフォーマンスと威圧と展望であり信長の安土城にもあったと言われている。

>雷、台風、戦乱、一国一城令、太平洋戦争等で現存する天守は今、12しかない。
>彦根城、姫路城、丸岡城、松江城、松本城、犬山城、丸亀城、宇和島城、備中松山城、高知城、弘前城、松山城。

>城には、櫓があり石垣、石垣おとし、唐破風、千鳥破風、鯱等があり場所で平城、平山城、山城がある。勿論天守にも独立式(弘前、宇和島、丸亀等)天守に櫓が付属している複合式(備中松山、松江、犬山、彦根等)大天守と小天守が連結したもの(名古屋、熊本、広島、松本等)大天守と複数の小天守が連結したもの(姫路、松山、和歌山等)があります。これに門があり櫓がある。

>とりあえず、が好きで、各郵便局のスタンプ集めと現存する天守閣のあるお城を中心に温泉旨い酒と肴求めローカル鉄道に乗って旅をするつもりだ。四国のお城以外は何度か見たり登ったりしたが今年は何処へ行こうか。楽しみだ。

>これをやっているとまた、佐賀は遠くなり全国制覇はまだ先か。
                               (上原さん、河西さん)
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