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美術館・鉄道・お城・お相撲・お友達の話など趣味のブログです。
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01377e5d.jpg現在の島原城は1964年の復興城です。島原駅から5層の立派なお城が見えます。天守、三層の櫓で本丸は水掘りで囲われ物凄く高い石垣が印象的です。

通称 森岳城 高来城

構造 連郭式平城

天守 独立式層塔型5重5階

城主 松倉・高力・松平氏など

遺構 石垣、堀

 

当初は二の丸と木橋でつながれていていざと言う時はこの橋を落とし本丸に籠城をする仕掛けだったようです。独立式層塔型55階唐破風のないお城です。

 

元々はキリシタン大名で有名な有馬氏の領地で有馬氏は原城に居を構えていましたが本多正信、大久保忠隣との紛争に巻き込まれ失脚、その後松倉重政が4万石で入封、島原に城を建てたそうで総石垣、天守と49棟の櫓を新築、とても4万石のお城ではなく大大名の作りだったようです。

 

普請工事の為の増税、幕府の天下普請の積極的協力、凶作、キリシタン弾圧などから一揆が起こる。そして天草でも一揆がおこり原城にての壮絶な島原の乱となっていく。この有名な話がこのお城の全てで城としては特記するものはない。

 

最近の城ブームと町興しの一環で侍・姫様姿で迎えてくれたりボランティアガイドが案内をしてくれる。有名なのが名古屋城のイケメンおもてなし隊、ここも侍、姫、天草四郎姿で迎えてくれます。私は此処で甲冑姿になりました。また本日のベストカップル賞で巻物を戴きました。

 

館内は歴史博物館になっています。また5階の廻縁からは遠く島原地区が良く見渡せひと汗かいた身体に心地よい風が吹く。

e29a5731.jpg特筆すべきは長崎生まれで日本を代表する彫刻家「北村西望記念館」がある。長崎の平和記念像の木組み骨格など中々見られないものが多く展示されています。館内外に60点の巨大な彫刻、書、絵画などが展示していす。外には迫力ある日蓮、天草四郎、聖火などがあります。板垣退助、山形有朋など沢山の作品を制作されています。
104歳のご長寿でした。近くには武家屋敷があります。ここでかんざらしを戴きました。

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東御門.jpg 私とかみさんのジジババコンビでなぜか青春18きっぷで当初は浜松城、館山寺温泉、駿府城、紹太寺の枝垂桜の1泊2日を計画していました。しかし、計画停電と翌日が休めなくなり日帰りの旅となりました。

JR東日本は朝夕でそうでもないですがJR東海は当然時間的に昼間にぶつかり計画停電ダイヤになっています。接続が悪く、連絡が短く、本数が1時間に1本、2本といった間隔になっていました。富士、島田間、静岡,興津間などと短く、当然その都度待つ時間が30分以上発生してしまいます。

それで今回は浜松は諦め静岡止まりにしました。朝のニュースでは静岡の桜は満開といっていました。お城には桜です。静岡のお城と言えば駿府城、家康が人質で竹千代の時代12年間今川義元のこの城で過ごしました。将軍を秀忠に譲ってからはこの駿府で過ごしました。

家康再入城は天下普請で名手藤堂高虎が縄張りをし多くの大名により普請されました。数度の焼失により現在は復興された櫓、門などがありますが天守はありません。家康の隠居城ですからさぞかし立派だったのでしょうが残念です。

二の丸東御門、辰巳櫓が木造で復元されています。お堀は本丸の堀は埋められていますが二の丸、三の丸の堀は残って大きな鯉が泳いでいます。石垣もしっかり残っています。現在一部修復工事中でした。途中結婚式なんでしょうか花婿、花嫁が櫓や御門をバックに写真を取っていました。桜は咲いていますが満開ではありませんでした。お城でなく違う静岡市内なんでしょうか。

電車の本数が少なく、もし地震があれば止まってしまうのでのんびりも出来ず静岡駅近くで観光案内所のお勧めのお店で静岡おでんで一杯、富士宮やきそば、鯛なし海鮮丼(家康は鯛のてんぷらで亡くなった)などを食べて早々と小田原へと向かいました。

郵便局スタンプはゆうちょ銀行静岡店だけでした。ちょっと残念。
古建造物現存の城 21城    
   
松嶺城 山形県 1779 櫓門
中村城 福島県 1611 大手門・城壁
土浦城 茨城県 1616 櫓門・石塁・堀
江戸城 東京都 慶長年間 富士見櫓・桜田翼櫓・西の丸伏見櫓・大手門・堀
上田城 長野県 1622 本丸隅櫓・水ノ手櫓・本丸・二の丸・塁壕
小諸城 長野県 1590 石垣・大手門・三ノ門
掛川城 静岡県 1593 太鼓櫓門・石塁・壕
新発田城 新潟 1598 大手門・隅櫓・石垣・堀
佐賀城 佐賀県 1590 鯱ノ門・石塁
鹿島城 茨城県 慶長年間 大手門、正門・石垣・堀
福江城 福井県 1863 門・石垣・堀
金沢城 石川県 1583 石川門(国宝)・三十間・長屋・石垣・塁
亀山城 京都府 1590 多聞櫓・石塁
二条城 京都府 1602 二の丸御殿・隅櫓・城門・壕
福知山城 京都 1575 多聞櫓・石垣・堀
明石城 兵庫県 1617 隅櫓。巽櫓・石塁・堀
高松城 香川県 1590 月見櫓・渡櫓・水戸御門・石垣・堀
大洲城 愛媛県 1590 台所櫓、高欄櫓・石垣
秋月城 福岡県 1624 表御門・黒門・石垣・堀
府内城 大分県 1599 隅櫓・石垣・堀
佐伯城 大分県 1601 櫓門・殿館・石垣

お城めぐりも現存木造天守をもつ12の城達成もあと岡山の備中松山城、福井の丸岡城を残すだけになりました。岡山の高梁市にある備中松山城はちょっとしたハイキングの強めを考えて行動するそうですからもう少し暖かくなってからと思っていました。当然、丸岡も暖かくなってからと思って早くなら5月頃達成しようと思っていました。

そんな中、お城めぐりの先輩から上記の古建造物現存のお城が21あるとメールを貰いました。お城めぐりにはオーソドックスなものは日本の城100名城があります。当初は現存天守12をやったら次は100名城かと思っていました。しかし、昨年四国一周のお城めぐりでたった1週間弱でねをあげてしまいました。

本当に足腰が弱っている事を実感しました。地方での和式トイレもまいりました。あと2つやって佐賀に行って嬉野温泉にでも入ろうかと思っていました。そんな時21のお城?

このお城は半分以上行ったことがありません。場所も全く頭に浮かばないお城もあります。性格上やろうと決めると何とか無理してもと思ってしまいます。さて、如何なものか。

まぁもう少し頑張ってお城めぐりのためトレーニングも止めないで頑張れといった事なんでしょうが。もう少し、暖かくなったら考えよう。

重要文化財名古屋城西南隅櫓の写真
西南隅櫓、現在工事中


本丸御殿建設中

名古屋城は、那古野城といわれた。織田信長が生まれたお城の跡に徳川家康が天下普請で築城したお城です。この城は那古野城の信長が清洲城へ移った跡廃城になっていました。

伊勢は津で持つ、津は伊勢で持つ。尾張名古屋は城で持つと言われています。金の鯱で有名です。そんな名古屋城へ久々に行きました。このお城はたいした物ですエレベーターがあります。とても楽チンです。エレベーターがあったお城はあと大阪城だったか。

今回は本丸御殿の工事を見学する事が目的です。平日に午前、午後見学をさせていただけます。とてもゆっくり見学ができました。また、西南隅櫓、東ニ之門も工事中でした。あちこちで囲いが出来ています。

本丸御殿はここでは城主の為でなく将軍用だったようです。ですから二条城に匹敵するくらいの立派なものだったようです。本丸御殿の利用は2代秀忠、3代家光位だったようです。昭和まで残っていましたが残念ながら空襲で焼失してしまった。今回は平成34年完成を目指し総工費150億円だそうです。

お城もコンクリートから木造の天守へとの話もあるようです。復元されれば素晴らしいお城になると思います。名実ともに尾張名古屋は城で持つになります。

お城までのアクセスですが名古屋駅から地下鉄で乗り換えながら市役所前で下車ですが、この地下鉄が東京もそうですが中々曲者で難しい。チョット迷う。帰りは市役所前からバスにする事にしました。それが中々来ない。旨く行かないものです。前はどうやって来たのか全く思い出せない。

市役所、県庁もお城を乗せて立派です。この旅もオワリでおわりとなります。オーソドックスに駅前できしめんを食べういろうを買って帰りました。



犬山城は織田信長の叔父である織田信康によって創建された現存する木造天守12のひとつで国宝のお城です。

尾張と美濃の国境に位置するため戦国時代を通じて国盗りの要所で城主は目まぐるしく変わりました。小牧・長久手の合戦では秀吉が大軍を率いて入城、小牧山城の家康との直接対決もあった。

江戸時代に入ると家老の成瀬正成が城主になり幕末まで続きました。明治に廃藩置県で愛知県の所有になりましたが昭和24年の濃尾地震でお城が半壊。修復を条件に成瀬家に。なんと平成16年財団法人へ移管するまで唯一の個人所有のお城だった。

通称  白帝城
構造  平山城
     複合式望楼型 天守3層4階
城主  織田氏、池田氏、石川氏、平岩氏、成瀬氏など

裏側に木曽川が流れ自然の要塞になっています。遠目から見たほうが日本のライン城としてきれいです。お城自体は小さく豪華さはあまりありません。特に板一枚で下の階が見えきしみます。お相撲さんが乗ったら折れるんではと思ってしまいます。

また廻縁は外に出られますが、きしみ、斜めに傾き、幅が狭く柵には触ってはいけないとの事。尤も柵に体重をかければ壊れて落ちそうです。よく外へ出しているなぁと思います。結構しっかりしているお城の廻縁でも出さないところが多くなってきています。自己責任ですが木曽川側方面は高さを感じ怖い。そして今は係員しかいない。その係員も木曽川側にはいない。お城めぐりをして気がついたのですが私は高所恐怖症かもしれない。

犬山は前泊しました名古屋の方がビジネスは沢山あるのは解っていますが犬山に泊まった事もないので犬山に無理して来ました。ビジネスはすぐ取れました。此処には銭湯はないそうでスーパー銭湯はチョット離れているようで今回はユニットで我慢。

部屋からライトアップされたお城が見えます。ホテルでは余り情報が得られずしょうがなくまた駅前をうろつき、チェン店でない地場のお店を探しもぐりこんで一人宴会をしました。

駅前からお城までは徒歩20分も歩けば着きます。お勧めの道は城下町の雰囲気をつくりすっかり気分は江戸時代。電柱も地中に処理し街で雰囲気作りしています。お店の人は良いですが当然一般の家もあり洗濯物の処理も大変だなぁと。

良く城主がころころ変わったお城ですが落城炎上がなかった。そして当時は嫌う4を此処では4階建てにしています。お城はミステリーだ。そして、本物の城は階段も急です。それでも足腰は何とか、私の足腰も今回はミステリー。

犬山観光協会HP
http://www.inuyama.gr.jp/

鉄櫓(模擬再建)吉田城の櫓

牧野古白が今川氏親の命により1505年に築城と言われている。家康が江戸へ入封の後池田輝政が15万石で城、城下町の整備を固めたようです。

 

特徴は城主がころころ変わっています。この城絡みでのビックネームは今川義元、池田輝政、徳川家康などです。

 

徳川家康時代では吉田城として三河吉田藩の藩庁が置かれた。明治になり松平信古が版籍奉還したため明治政府下の豊橋城となり廃城となった。

 

現在の鉄櫓は昭和29年に模擬再建されたもの。見学は残念ながら日曜日だけのようで今回は入ることが出来なかった。城址として豊橋公園内にスポーツ施設、文化会館などがある。周りには石垣、土塁、堀が残っています。

 

岡崎城もこの吉田城もそうですがJR駅でなくここは市電で市役所前下車になります。どうもJR駅からは離れていることが多いようです。

 

徳川譜代は本多、酒井、大久保といった安城譜代という古い家来が中核ですが東三河の戸田、奥平、牧野などは今川、武田などを松平と天秤にかけて最後に家康についたり、井伊のような今川旧臣、保科のような武田旧臣など時代によって違う大名軍でもある。

岡崎城

何と言ってもこの城で徳川家康が生まれたということがうたい文句です。但し、このお城は昭和34年に天守、付櫓、井戸櫓が復元されたものです。

 

JR岡崎駅からでなく愛知環状鉄道で二つ目の中岡崎で下車し徒歩15分という事でした。確かに高架の駅からはお城が見えました。しかし、駅前からは全く見えずお城の手前に見えた建物(ラブホテル)を目指して歩きましたが結局解らず地元の人に教えてもらいやっとたどり着く。

 

お城は普通近くまでいけば見えるものです。また、お城の天守が街のシンボルになって城下町を形成しています。この地域は、ラブホテルとマンションでお城は全く見えません。ですから城下町と云ったものもありません。

 

この町は鉄道を拒否したように見え駅からかなり離れて街が形成されているように見える。但し、この中岡崎駅前は八丁味噌が有名のようでその蔵があります。また釜揚げうどんのお店も雰囲気が良い店づくりをしています。そしてここの饂飩は美味しかった。

 

天守閣は外に出られますが風が強く、誰もいなくちょっと怖かった。下に見える屋根が沢山あり神社の屋根ですがこちらの方が立派に見えました。

 

藤棚がたくさんありその時期に来ればきれいなんだろうなと思いながらまた、ラブホテルの脇を通り駅へ向かいました。三河武士のやかた家康館は見所が多い。


岡崎公園 

http://okazaki-kanko.jp/recommend/menu01.htm


大垣城大垣城

通称  巨鹿城

構造  平城

天守  復興天守 複合式層塔型 3重4階

お城では4という数字は嫌われあまりない。

関ヶ原では当時の城主伊藤盛宗が西軍につき石田光成も入城、しかし西軍敗北により落城。その時の逸話が「あおむ物語」

 

江戸時代には石川康通、戸田氏鉄で明治を迎え、廃城令により廃城になったが天守の破却を免れ昭和11年国宝に指定された。しかし戦災で焼失。1959年RCで復興、また今年屋根瓦の葺き替え、外壁の改修工事を終了。

天守最上階は風が強く、駅から汗をかいて歩き登って非常に暑かったがこの風は非常に冷たかった。そして他に誰もいなくちょっと空想でロマンを感じる事ができた。

 

大垣は、松尾芭蕉の奥の細道の結びの地である。

さびしさや  すまたに勝ちたる  浜の秋  芭蕉

あちこちに句碑がある。また記念館もあるようです。お城は駅から近くその間は立派な商店街が広がっている。

駅の近くの金蝶園という和菓子屋さんとても美味しく温かいおまんじゅうを食べた。此処へ行ったらまた食べたい。宇治金時琥珀という小さな周りが砂糖の羊羹も美味しい。島根の桂月堂の薄小倉みたいなものです。
http://www.kinchouen.co.jp/

 


信長が理想とした城なのか、結局は燃えて資料もなく幻の城と言われています。城フアンが此処を訪ねると霊気を感じるとか夜、魘されるとか天下統一目前だった信長の悔しさが出てくるのでしょうか。

 

浅井、朝倉両氏を滅ぼし武田勝頼を破った織田信長が築城し安土桃山時代という言葉の代表になるお城、安土城。朝、安土駅に到着しました。信長像が出迎えてくれます。レンタサイクルでいざ安土城跡へ。事前では伝徳川家康屋敷跡、伝前田家屋敷跡、伝豊臣秀吉屋敷跡や天守の大きな基礎石などと思っていました。

 

また大手門は城の石段としては異例の真っすぐな道になっています。お城は防御の要と考えられていた、途中曲がりくねり枡形を作り敵を迎え撃つ構えが一般的だがここではそれがない。この道は、天皇を迎える道だったのだろうか、天皇のための本丸御殿だったのだろうか、しかし信長は天主(天守)で生活をしていたと言われる。天皇を見下す様なことができるのだろうか。これもミステリーです。

 

安土城はこの安土山に建造されました。城域全部を石垣で築いた初めての山城です。構造は宣教師の報告では望楼型6階建てだと言われています。4階は八角形で最上階は金色だったようです。安土城は本能寺の変後突然焼け落ちた。なぜ焼けたのか。

その後三法師丸(信長長男信忠の遺児)の居城として再建されたが豊臣秀次は城を近江八幡に移し城下町も移した。

 

この敷地は総見寺が管理しています。緫見寺と書くようです。百々橋口付近にありここを通らないと城に行けなく此処には七堂加羅を備えている立派なお寺です。三重の塔、仁王門などは当時の建築だそうです。信長はそんなに宗教心があったのだろうか。

 

麓の石垣や南山裾帯郭の虎口、西側石塁の桝形虎口と平入り虎口、西側上段郭とかまど跡、井戸など現在も調査研究中のようです。信長の館など安土城5,6階を復元した豪華絢爛な仏教絵、黄金の間などとても豪華です。

 

安土は今回私だけか何処へいってもサービス、あいそうが悪く、料金が高いここは城址以外何もないのにと思ってしまう。これもミステリーか。

 安土城大手道
馬でも登れる大手道、戦国の守りの要の天守への道には考えられない。


彦根城

通称  金亀城

構造  平山城

天守  複合式望楼型 3重3階地下1階

    現存木造天守の12城で最古の城、国宝認定


井伊14代の居城、多くの大老を輩出した譜代大名。
変わったところで馬屋は重要文化財に認定。

北側に玄宮園・楽々園の大名庭園の保存作業が行われてる。
               

彦根城は色々な城から転用した部材で出来ています。天守は、秀吉時代の大津城からの移築、天秤櫓は長浜城から、西の丸三重櫓は小谷城の天守だった。太鼓門、多門櫓は佐和山城遺構とも言われている。

近江の国湖東地方を中心として琵琶湖周辺には織田信長やその配下の武将の居城がたくさんあります。安土城、秀吉の長浜城、明智光秀の坂本城、丹羽長秀を入れて安土築城までの核としたのが佐和山城でした。

東から京へ向かう時の最初の戦略的拠点が佐和山城でした。この城は結局石田三成が入城します。徳川家康は関が原の合戦の最初の目標がこの佐和山城でした。

家康はこの重要地に四天王と言われた井伊直政を入れた。その後、城を彦根に移す。家康は、佐和山城、大津城などを廃城とし新しい近江を支配する体制を築く象徴のような城です。

 

古材の再利用は経済的な面と旧領主の天守を取り込み格下に扱って威信を示すという面もあるようです。彦根は人によっては日本一の城下町とも言われています。

お城のエンディングソングなんでしょうか三橋美智也の古城が流れていました。

翌日は安土を予定しているのですが安土より彦根のほうがビジネスホテルも多いと思い彦根の駅前に宿泊しました。ビジネスは浴槽がユニットで入った気がしないため銭湯へ行った。此処でも銭湯は(山の湯)一軒しかないそうです。結構銭湯フアンとしては薬湯の上には大きな水槽で鯉が泳いでいたり脱衣所と洗い場の間には下に鯉が泳いでいたりと面白い銭湯でした。

 

だいぶ駅から離れた所が繁華街になっています。途中に武家屋敷らしい家が結構あります。面白いのは銀行の社員寮も黒板塀で立派な庭のお屋敷でした。社員寮と書かれてなければ武家屋敷で通るくらい大きい建物です。

 

友人からはお土産を教えていただいたが残念ながら此処は6時にはどこも閉店しています。もう、ひこにゃんブームも去っているのでしょう。今はブームは隣の長浜に移っています。映画の桜田門外の変じぁお客は来ない。スナックはあるんですがまだ開いてなく食事とお酒が出来る店が見つかりません。結局何でも屋へもぐりこみました。それが美味しく安く正解でしたが。

 

JRと並行して走る近江鉄道には乗ってみたかった。ちょっと残念でした。

東日本大震災という大変なことが起こっている中、暢気に城へ行きましたと言っているのも何か変だと思いながら書いています。大被害の宮城、岩手の場所は個人的にも好きなところで何度も行っているところです。どうぞ早い復興を、二次災害のない事をお祈りしています。

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