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美術館・鉄道・お城・お相撲・お友達の話など趣味のブログです。
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温かくなるとツアーの案内が沢山来ます。北海道は新幹線、他は桜とお城が目立ちます。特にツアーは我々高齢者がターゲットで年齢的に桜、新しい物(新幹線・北海道。北陸)、逆に歴史的古い物(城・世界遺産)など好まれるようです。

 

23日で8つのお城1日目 大阪城、明石城、姫路泊まり2日目姫路城、龍野城、鳥取城、鳥取泊まり 3日目 出石城、竹田城、篠山城 共に羽田、伊丹飛行機利用。費用は曜日によるが7万円位。

 

織田信長・豊臣秀吉・徳川家康ゆかりの名城と桜の饗宴

12日で7つのお城1日目 駿府城、浜松城、名古屋城 名古屋泊まり 2日目 墨俣城、岐阜城、犬山城、岡崎城 共に新幹線利用。4万円前後。

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78つのお城を巡る旅です。バスで案内をして歩くのはそんなに多くは無いのかも知れませんし車窓見学と言った奥の手もあるでしょうが経験からキツイツアーだと思います。バスで案内してくれガイドや添乗員がいるでしょうから費用的には安い。

 

私の城めぐりは1日2城が限度で此れでも朝は早くから行動して昼食もそこそこだったりする。此れからは年齢的に1日1城が良いのかも。

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さぁ暖かくなったら私も桜とお城そしてB級グルメの旅に。尤も私は病気の戻す事と怪我を早く治すことが先決ですが。
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別名 白河城、小峰城

構造 梯郭式平山城

天守 御三階櫓 (1991年木造復元)

城主 丹羽、榊原、本多、奥平、結城、久松、阿部家

遺構 石垣、土塁、堀

再建 御三階櫓、太鼓櫓、門

 

1340年 結城親朝が築城

1590年 会津領となり蒲生、上杉、蒲生氏

1627年 丹羽長重10万石で入城

    その後7家21代の城主

1868年 戊辰戦争により落城

JR白河駅ホームから御三階櫓が正面に見える。

一昨年訪れた際は東日本大震災で三階櫓手前まで石垣が崩れ、いたる所が崩落していて入場できず。挙句に集古苑(資料館)も休館日でした。今回も工事中ですが御三階櫓には入城が出来ました。

  

集古苑は8代将軍吉宗の孫で藩主で江戸では老中として寛政の改革をした松平定信展が開催中。白隠の達磨絵かと思う定信の絵、書、茶道具、笛など政治家でなく文化人としての面が見られる展覧会です。

 

 

 

 

 

別名 霞ヶ城、白旗城

構造 梯郭式平山城

城主 二本松、伊達、蒲生、上杉、加藤、丹羽氏

遺構 天守台、石垣、堀
再建 箕輪門、付櫓

 

1586年伊達政宗により二本松氏滅亡

1591年政宗転封により会津若松城の支城

1598年蒲生秀行転封により上杉景勝が会津へ入城

1600年上杉転封により会津に蒲生秀行復帰

1627年加藤義明が会津へ入城

1643年加藤氏改易、白河小峰城から丹羽光重入城

 

二本松城と言うと戊辰戦争で奥羽越列藩同盟に参加、政府軍により落城。13歳からの少年が城を守るために戦ったのに名門丹羽家の殿様一族が米沢に逃亡、こんなバカ殿に命を懸けて戦った少年隊、家来も自刃していると言うのにこういう殿様を持ったら不運だ。そして丹羽家の家紋はバツ印の違い棒とは上手く出来ている。

 

白旗峰に天守があったが今は石垣だけが当時をしのぶ。ただ平成7年に完成した石垣の全面修築、復元工事により石垣自体は工法は当時を倣っているが石が新しく何となく違和感がある。ただ石垣はこの新しいのと昔からの物と工法も色々あり石垣好きには楽しい。

 

行は頑張って登って行ったが大した高さでもないが(標高345m)当日の暑さ、駅から城まで一山登って下ってきたのでこの所の体力のなさを感じる。

 

下りは楽なので日陰の井戸(印西の月影、鎌倉の星影と3井と言われているようです。)少年隊の顕彰碑、天守に合った家来の自刃の碑には手を合わせた。智恵子抄、土井晩翠などの詩碑、洗心の滝などいくつかの滝、1本からの笠松、蓮が綺麗に咲いている霞池、洗心亭などを見乍ら三の丸下に降りる。

 
  

此処からまた坂を上り下った所に二本松歴史資料館を見学、この資料館出展リストもあり、涼しく休憩がてらのんびりできた。その近くに大手門跡があり此処からは二本松駅が近い、城下町らしく和菓子屋が多い。

別名 あやめ城

構造 平城

天守 御三階櫓 平成6年木造復元

城主 溝口氏

遺構 櫓、門、石垣、土塁、堀

文化財 重文 表門、旧二の丸隅櫓

再建 御三階櫓 辰巳櫓


1581
年新発田重家が上杉景勝により落城。

1597年上杉氏会津転封により溝口秀勝が6万石で入封。

低湿地が多く治水も困難であったが溝口氏は先進的な治水工事を導入して土地を豊かな水田に変えていった。

 

復元された御三階櫓は十字型の平面を持ち鯱が3つ乗る珍しい形です。但し自衛隊の基地にあるため内部は公開されていない。本丸表門、二の丸隅櫓が現存、再建辰巳櫓も中に入れる。忠実に復元しているため階段は現存天守のお城のように急で背中のバックは引っかかる。

   

駅近くの清水園は国指定の名勝庭園で旧新発田藩下屋敷で前には足軽長屋、武家屋敷などがある。清水園は当日誰もいなく開け離れた部屋は風が通り汗ばんだ身体に気持ち良く昼食時に呑んだ日本酒もあり畳の部屋でごろんと池を見乍ら午睡をしてしまった。

 

新発田駅から城までは直線で2Kと言う事でしたが途中郵便局スタンプをしたり初めての所で30分位は掛かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

トリップアドバイザーの2014年6月から2015年5月までの統計による順位です。結果は熊本城が3年連続一位。好みはそれぞれですがベスト20には現存天守の12のお城がランクアップされています。また沖縄の石垣だけの城址が入っています。

 

1位 熊本城 2位 松本城 3位 姫路城 4位 松山城 5位 備中松山城 6位 犬山城 7位 二条城 8位 高知城 9位 彦根城 10位 松江城 11位 座喜味城址 12位 勝連城址 13位 二本松城址 14位 中城城址 15位 弘前城 16位 宇和島城 17位 首里城 18位 丸亀城 19位 丸岡城 20位 郡上八幡城

 

沖縄3城が入っている。余りにも人が訪れ入場規制をしている竹田城が入っていない。20位内では行っていないのが沖縄の座喜味城址、勝連城址です。

 

個人的には20位以外では江戸城、佐賀の名護屋城跡、伊賀上野城などが好きです。

弘前城 

日本には砦などを含めれば沢山の城跡がある。遺跡として堀、土塁、石垣が残っている城だけでも相当ある。コンセプトなしに廻っているといつまでたっても達成できないが旅のついでにお城があれば攻め入っているのでこの所数はこなしても100名城と言われるお城は14城残っている。

 

お城では9月から現存天守の弘前城の本丸石垣大改修で天守と天守台を切り離しジャッキーで持ち上げ10月下旬までに78m移動させる工事は是非見たいものです。

3日目 新居城

千秋楽打ち上げパーティから真っ直ぐ帰りもう一度シャワーを浴びてそのまま朝までぐっすり。今までの寝不足、暑い中の疲れだったんでしょうか気持ち良い朝を迎えました。

 

今回名古屋では一人なので朝食は付けていなく名古屋で有名な喫茶店のモーニングを食べようと考えていました。フロントで聞くとテレビによく出るお店は一ノ宮で名古屋には殆どないとの事。

 

ホテルの隣のコメダでモーニングを戴き栄の駅に向かいます。

名鉄瀬戸線の新居城へ向かう予定です。朝9時過ぎですがもう太陽はギラギラで空気も暑く、もう一度喫茶店で煙草休憩をして体調を整え向かいました。

 

新居城

別名 旭城

構造 模擬天守層塔型3層4階平山城

城主 水野宗国 詳細は不明

遺構 土塁

交通 名鉄瀬戸線尾張旭駅下車徒歩15分

栄駅から名鉄瀬戸線尾張旭駅が最寄りですが車中からお城が見えます。此処も駅から離れていそうです。大きい道路に出てそのまま戻るように歩くと右側に見えてきます。

 

天守から下に田んぼアートが見えます。その他に一部甲冑が展示されているだけで1階のレストランの為の施設かと思ってしまう。風が入って来て田んぼアートとこの風が気持ち良かった。鯱は瀬戸ですから黄瀬戸で出来ていたようです。

 

只帰るだけでなくこの城と瀬戸線に乗るために来ましたがわざわざ来るには?と言った施設で帰りも汗をかきかき栄駅、地下鉄で名古屋へ、百貨店で代えのシャツを購入着替える。

此処で山本屋の味噌煮込みうどんは流石に食べる勇気はなく今回はパスして駅弁にして東海道線で真っ直ぐ帰宅となりました。帰って来て鉢に水撒きでまたひと汗をかいてしまいましたが花々、猫も喜んでいます。

二日目
 
綾部駅から福知山駅へ。福知山駅には昔懐かしい国鉄型特急が3台も並んでいます。また京都丹後鉄道の特急も。改札も上はデジタルの出発表示ですが改札は係員の人的な作業でほのぼのとしています。
 
目指すお城は車中から見えましたが駅までかなりあり確か徒歩15分だと思ったがこの暑いさなかもっと時間が掛かるかと不安になりながら向かう。

福知山城

別名 横山城、臥龍城、福智山城

構造 連郭式平山城

天守 複合・連結式望楼型(現在は昭和60年の外観復元)

城主 明智光秀、青山氏、朽木氏など

遺構 曲輪、石垣、井戸、移築番所、門

再建 大・小天守、続櫓、釣鐘門

交通 福知山駅から徒歩15分、火曜休館、310円

織田信長の命により明智光秀は山陰道、秀吉が山陽道を攻め入り丹波国を平定、光秀が築城し女婿の明智秀満が入城。
 
2重3階の大天守、2重2階の小天守を復元し中は博物館になっている。天守周りには天守台に使った五輪塔、墓石などが大量に使用されていたものが展示されている。今でも天守台には墓石が入っている。(転用石)。近隣の寺から大量に墓石を持ってきたようです。
 
深さ50mの日本一の深さの豊磐井と言う井戸が。関係者の方がそう説明して戴きましたが確か丸亀城の井戸が日本一と記憶していたのだが。この他に銅門番所が移築され、光秀も祀られている神社もある。城の上り口には日本画の佐藤太清の記念美術館もある。

 
光秀は娘が嫁いでいる細川忠興に応援を頼むも断られた時点で敗戦だったのか。細川忠興の妻ガラシャは悲しい末期に。忠興の父細川幽斎は田辺城での籠城戦では天皇まで巻き込み助かる、後には細川家は九州での大大名になる。街では大河ドラマの誘致を目指そうとしているが明智光秀では難しいだろう。細川ガラシャでその父として出るくらいか。

 駅に戻る途中商店街の中に福知山ポッポ館があるとの事でお邪魔した。長い屋根付きの立派な商店街だが人が歩いてなく店も殆ど閉まっている地方でよく見る典型的なシャッター通りになっている。
 
切符や大きなジオラマもあり立派な物でした。あまり時間がなかったが係りの人から丁寧に説明をしていただきました。帰りは早足で駅に向かい福知山から京都、そして名古屋へ向かう。

 

 

 

1日目 伏見城

今回は一人旅で日程はいい加減に組んでいます。初日は福知山まで行っても城は門を閉じているので当日は泊まって二日目に攻め入り、名古屋へ戻り高砂部屋千秋楽パーティーへ出席程度の考えでした。

 

泊まる前に何処かでお城は無いかと城のガイドブックを見いたら本山一城氏の「日本の名城がわかる本」で近畿地方に伏見城だけが行っていないので模擬天守ですし中に入れないので今までパスしていました。

 

京都から奈良線ですぐのようで桃山駅下車してなだらかな坂道を登って行く。両サイドは高級な立派なお宅が続く。駅から15分ですから軽く考えていましたが坂道はどうと言う事もないが兎に角暑い。

 

伏見城

 
別名 桃山城、指月城、木幡城

構造 悌郭式平山城

天守 複合式望楼型5重6階 小天守3重4階

    RC造模擬天守1964年築

城主 豊臣秀吉、徳川家康

遺構 移築門、石垣、堀

交通 JR西奈良線 桃山駅徒歩15分

 

1591年 秀吉聚楽第、関白を甥の秀次譲る。

1592年 肥前名護屋城へ

1593年 秀頼が誕生、大阪城へ移る。

1594年 京都の拠点として伏見指月台に隠居城を築き始める。

1596年 近畿大地震で城は倒壊。

1597年 近くの木幡山に築き直す。

1598年 伏見城で秀吉死去。

    秀頼大阪城へ。徳川家康が入城、前田利家死去、石田三成を佐和山城へ追放、家康も大阪城へ

1600年 家康会津征伐に出ると石田三成軍により陥落

1602年 家康により再建

1603年 此処で征夷大将軍の宣下を受ける。

1619年 廃城

    櫓、門、部材などは二条城、江戸城、大阪城、淀城、福山城、明石城、お寺などへ移築、櫓は伏見櫓と呼ばれる。

 

現在は運動公園などもあり近くには明治天皇の陵墓になっていて全体

的に宮内庁の管轄でこの模擬天守は近鉄の遊園地の一環として建されたもので後に京都府に寄贈され街のシンボルになっている。

 

中に入れないのがこの暑い中歩いてきた身には辛い。

 

他の本ではもっと行っていない城があるが本山一城氏の「日本の名

城がわかる本」では近畿地方の城は制覇で良しとするか。

 

桃山駅から京都駅までの間に稲荷駅、東福寺駅があり時間もありどち

らにするか考えるも東福寺は遠く伏見稲荷は駅の目の前なので稲荷

駅下車。

 

伏見稲荷は全国の稲荷神社の総本社、外国人に人気の観光スポット

2年連続一位、外国人には赤い千本鳥居が良いのだろうか。今日

も多くの外国人が。中の茶店でお稲荷さんを戴こうと覗くも満

員で諦める。

 

京都から山陰線に乗り車中からの絶景を楽しみながら綾部駅前のビ

ジネスホテルに泊まる。日帰り温泉施設で入浴後、今日はお祭りのよう

で花火を楽しむ。




お城を見に行くと壁には三角や四角などの狭間と呼ばれる弓や鉄砲で攻撃する穴が良く見られる。現存でない施設は戦後建替えられたコンクリート製の物が多い。

 

中には現存していなかったが恰好が良いので天守を3層に建てたり土塁だったのに石垣にしたり天守がなかったのに作ったり資料がないのか復興時に作り替えられたものも多い。

 

模擬天守でもお城があるないとでは観光的にも違う。元々なかったが観光施設として作られ廃城になった尾道城は迷惑な施設だが。城には桜が似合うが戦国時代は無かった。今ではとても良い。

 

狭間は同じ弓狭間なら何列か並ぶがデザインなのか三角四角と交互の施設も多い。当時は鉄砲は火縄銃ですから玉や火薬の詰め込み、火をつけてから飛び出すまでの時間などから鉄砲隊は打ったら後ろへと何列にも並んで攻撃をしただろうし野戦では玉薬箱を持って行ったり早合(はやご)と言ってあらかじめ1発分の火薬と弾丸を竹筒に装填してそれを幾つかを紐で結び首にかけて装備したようです。

 

そんな事を考えながらこの城は実際に籠城戦をしたのか、他地域に攻め込んで野戦ばかりで攻め込まれていなかったとか考えながら見るのも面白い。

 

さてこの夏もどこのお城へ攻め入ろうかと考えるのも楽しいがもうだいぶ行くところが無くなり石垣だけの城址になりつつある。

しっかり目的の山陽新幹線開業40周年の入場券は西明石駅1番でゲットしました。昨日、姫路で今日の天気を聞いたらとても寒く、雪も降るとの事でしたが8時には風が強いが晴れています。

早い時間なので大阪の高砂部屋の稽古見学も考えていましたが昨日お城が攻められなかったので行ったことのない岸和田城を攻め込み南海電鉄の特急ラピートでも乗って行こうと決めました。

  青春18きっぷですからJR大阪駅から環状線でJRの難波駅から南海と勝手に決め込んでいました。旧国鉄の101,201の今では東京で走っていない山手線・京浜東北線・中央線カラーを楽しみたかった。現実は大阪駅から地下鉄の方が早く難波に着きます。
JR難波駅から南海の難波駅は物凄く遠かった。初めてラピート号に乗りましたが距離の割に特急料金500円は高く感じた。空港までのJR西日本と対抗して走っているんでしょうがかなり空いていた。

だんじりで有名な岸和田駅へ初めて降りました。お城までは歩いて15分位だそうで商店街を真っ直ぐ歩く。郵便局があり千円貯金をして向かうが道が良く解らずまたまた郵便局にぶつかり貯金。昔は結構栄えたようで町並みは古く歴史を感じる建物が多い。中々の城下町風情です。NHKカーネーションのロケ地だったそうです。お城は結局2つ目の郵便局の近くだったが市役所や学校で見えなかった。
 
さてお濠を一周していざ攻め入りと向かう。復興天守、付け櫓、隅櫓など中々良いじゃないかと思って向かうと本日臨時休館と看板が。中は博物館になっているようで展示の入れ替え日のようです。敵は恐れをなしたか籠城戦をひいていた。

今回結局お城は一つも攻め込めず、こういう時は無理をしないで昨日、本日早く起きているので真っ直ぐ帰る事にする。
 
南海で難波まで行くのはやめて羽衣駅で下車して近くのJR東羽衣駅から一駅しかない阪和線に結ぶ羽衣線?で鳳駅へ阪和線で天王寺、大阪環状線で大阪駅、京都方面新快速野洲行きへ。乗り換え乗換は色々な電車に乗れて楽しい。
 
この時点ではたまに雪がちらついてくるが近江八幡では晴れたりと天候は変わりが早い。米原ではいきなり強い風と雪が降ってきた。
 
列車は雪の為遅れ出してくる。遅れると車内は当然多くの人で満員になる。豊橋駅で乗り換えだが多くの人がホームに溢れている。タバコを吸おうと下車。
  
次の浜松行は強風で遅れているとの事、暫く待って乗り込む。始発で座れたが時間はかかる。浜松から沼津行きが出るが此れも混んでいるのでパスしてタバコを吸いに下車。

こんな事を静岡駅もやり何とか三島駅まで来たがもう
9時過ぎになっていたので此処からしょうがなく新幹線で帰宅。当然新幹線は喫煙車両でコーヒーを飲みながらゆったり帰宅。

雨、雪で予定が狂う旅でした。

 

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