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別名 霞ヶ城、白旗城

構造 梯郭式平山城

城主 二本松、伊達、蒲生、上杉、加藤、丹羽氏

遺構 天守台、石垣、堀
再建 箕輪門、付櫓

 

1586年伊達政宗により二本松氏滅亡

1591年政宗転封により会津若松城の支城

1598年蒲生秀行転封により上杉景勝が会津へ入城

1600年上杉転封により会津に蒲生秀行復帰

1627年加藤義明が会津へ入城

1643年加藤氏改易、白河小峰城から丹羽光重入城

 

二本松城と言うと戊辰戦争で奥羽越列藩同盟に参加、政府軍により落城。13歳からの少年が城を守るために戦ったのに名門丹羽家の殿様一族が米沢に逃亡、こんなバカ殿に命を懸けて戦った少年隊、家来も自刃していると言うのにこういう殿様を持ったら不運だ。そして丹羽家の家紋はバツ印の違い棒とは上手く出来ている。

 

白旗峰に天守があったが今は石垣だけが当時をしのぶ。ただ平成7年に完成した石垣の全面修築、復元工事により石垣自体は工法は当時を倣っているが石が新しく何となく違和感がある。ただ石垣はこの新しいのと昔からの物と工法も色々あり石垣好きには楽しい。

 

行は頑張って登って行ったが大した高さでもないが(標高345m)当日の暑さ、駅から城まで一山登って下ってきたのでこの所の体力のなさを感じる。

 

下りは楽なので日陰の井戸(印西の月影、鎌倉の星影と3井と言われているようです。)少年隊の顕彰碑、天守に合った家来の自刃の碑には手を合わせた。智恵子抄、土井晩翠などの詩碑、洗心の滝などいくつかの滝、1本からの笠松、蓮が綺麗に咲いている霞池、洗心亭などを見乍ら三の丸下に降りる。

 
  

此処からまた坂を上り下った所に二本松歴史資料館を見学、この資料館出展リストもあり、涼しく休憩がてらのんびりできた。その近くに大手門跡があり此処からは二本松駅が近い、城下町らしく和菓子屋が多い。

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