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品川宿界隈には大名の墓所があります。今回はお墓をあまり取り上げるのをやめていましたが大名の墓所も時代により変わっていくのを取り上げました。

まず奥平家、細川家、山内容堂とこの3つがあります。大名のお墓ですからやはり一般の人、明治の有名人の墓とも違います。何処も墓域に入ると中の空気が違います。個人的には余り長く一人で居たくない雰囲気があります。

奥平家墓域 清光院 臨済宗 南品川
4235

清光院に祀られている。初代奥平定昌は徳川家康の長女亀姫を夫人として美濃10万石、2代家昌宇都宮10万石、4代昌能山形から豊前中津藩主、広さ594㎡、瓦を重ねた土塀に囲まれ家昌夫妻各代88基の墓が並んでいる。特に家昌夫妻、姉の雲松院の墓は3Mを超える五輪塔、中世の様式を留めている。慶応義塾の福沢諭吉の家も中津藩のようです。

 

細川家墓域 北品川31117 細川家敷地

目黒川の前にあり山手通りの間にあります。通りからも五輪の塔がみえます。

この墓域は東海寺の塔頭のひとつ妙解院だったようですがお寺が廃寺となったが墓域だけ残り細川家所有地に入り口に管理をされている方の家があります。留守でも入ることが出来ます。

熊本藩主細川光尚が父の忠利の供養のためこのお寺を建てた。広さ2864㎡、上の段(熊本新田支藩・高瀬藩)と下の段(熊本藩)に分かれている。6代以降の9代、10代を除いて16代まで護立までの墓。16代は元総理のおじいさん。

五輪塔は空、風、火、水、地を表す。五輪塔が沢山ある。関東大震災などで欠けている部分が多い。肥後熊本藩54万石の大名。藩祖は細川忠興(3代)信長、秀吉、家康と仕え豊前中津藩39万石、のち熊本藩54万石。忠興の夫人は明智光秀の娘のガラシャ。

  

山内豊信(容堂)の墓 東大井4-8 大井公園内

豊信は分家山内豊著の長男で豊惇の養子になり15代藩主となる。寛永元年(1848)土佐藩主になった豊信はペリー来航など対外的危機、先進的な吉田東洋に藩政を任せ、越前福井藩主松平春嶽、薩摩藩主島津斉彬と一橋慶喜の擁立に尽力。
 

安政5年安政の大獄の後隠居、6年謹慎を命ぜざれ鮫洲の別邸にて鯨海酔侯?として。

文久24月謹慎を解かれ公武合体、尊王攘夷派弾圧に乗り出す。しかし、その後大政奉還論をとり慶喜に建白、徳川家権力保全に努めるも王政復古により失意の余生をおくる。

 

この墓所は土佐山と呼ばれた下屋敷があったところです。墓は土饅頭型、3つあり中央が豊信、右が豊範(16代)、左が豊煕。立会川小学校の隣にあり管理も学校がしているようです。

ちょっとした小高い山?ぽく階段はお城へ登るような感覚で袴対応の階段らしく一段づつの高さがある。

 

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