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f599eac4.jpeg7049ccef.jpeg国鉄東海道線国府津駅開業90周年記念入場券5枚セット1枚60円(見本)
この見本ですが鉄道関係者それも扱っている駅長、助役クラスが終了後ストックしていたのでしょうがたまに流通します。各駅1枚位でしょうから数は少なく価値があるのか、きっぷとしては其れこそ見本ですから価値が無いのか良く分かっていません。


東海道国府津停車場、明治22年4月東海道線は神戸まで開通。当時は国府津駅から御殿場駅を経由して沼津へと山坂の多い富士山麓を走る線(現在の御殿場線)写真は明治40年当時の国府津停車場とその当時のSL。
 
7da66973.jpeg606dde74.jpeg写真は機関車と転車台、明治20年7月国府津駅開業と同時に国府津駅構内に機関区が開設。当時としては最新型の機関車、設備を誇った。その後昭和43年機関区は御殿場線が電化されるまで活躍。
車庫は明治44年9月フランス人技師により完成、転車台は明治25年3月新設、昭和45年6月に撤去。
 
ae2e3c62.jpegeba67e1c.jpeg御殿場へ向かうD52のダイナミックな雄姿。昭和43年御殿場線電化により惜しまれつつも姿を消していった。
 






55abdd5b.jpegd3d2bd4b.jpeg昭和9年12月丹那トンネル開通、東海道線は小田原、熱海、沼津へ経由されるようになり国府津・沼津間の旧東海道線は御殿場線と名称が変更。
昭和22年から昭和43年にかけて山坂の多い御殿場線では強力な蒸気機関車D52が大活躍。大きい富士山の麓を走る、今でも人気の路線です。
夫婦で御殿場駅を下車し日帰り温泉の露天風呂から見た、目の前の迫力ある富士山に感動しました。
2e29c74a.jpegこの写真はSLではないですが開業当時の国府津駅前、開業当時は湘南地方への玄関口として賑わった。車も今は懐かしい車体です。

 Tetsudo.com(鉄道コム)




 
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c55ec826.jpeg秋田駅開業77周年記念入場券2枚セット 昭和54年10月14日 秋田駅入場券100円。
写真は明治38年奥羽本線全通式の秋田駅、多くの人が映り込んでSLが良く見えない。纏いや竿灯など駅前はお祭り騒ぎになっています。もう一枚は明治35年開業当時の秋田駅構内。
明治35年10月21日秋田駅開業、青森・秋田開通。明治40年5月16日上野・青森に奥羽線経由の直通運転開始。大正13年7月31日羽越線全通、昭和6年9月1日上越線全通、上野・秋田羽越線経由の急行運転。
 
ab56eb5e.jpeg1227cfe4.jpeg秩父多摩国立公園指定30周年記念5枚セットのSLの写真入り。奥多摩駅入場券100円。残り4枚は奥多摩風景。
昭和55年10月12日発行、SLは青梅鉄道公園に鉄道90周年を記念して昭和37年に開園。もう何十年も行っていませんが屋外には日本で初めて新橋・横浜間を走ったイギリス製IBタンク機関車やD51,C51などを展示されています。
左写真はかって青梅線は石灰石を運んで活躍したED161電気機関車も展示されています。

奥多摩はそんなに遠くないのですが何となく用もなく中々行かない場所で今回を機会に一度秋の紅葉散策と体力の確認でもしようかと思いました。

 Tetsudo.com(鉄道コム)


 
a4f47d91.jpege65b8bcc.jpeg7100形式テンダ機関車
昭和45年10月14日鉄道記念日記念金沢駅発売の5枚セット。
明治の蒸気機関車から大正、昭和の蒸気機関車が描かれています。1枚入場券30円。
明治13年北海道の最初の鉄道である幌内鉄道(札幌・小樽)の開業の為にアメリカポーター会社から輸入した小型テンダ機関車。
 
台枠等の構造がすぐれ、その後の近代蒸気機関車の基礎になった。機関車ごとに義経、弁慶、しずか等の愛称が付けられ機関車フアンのなかでも1番人気です。最高時速45K。
テンダーとはボイラーに入れる石炭、水を積載した車両が接続された形式の機関車。炭水車をもたななく機関車本体に装備されたのはタンク機関車。
 
6710dd18.jpegb243668c.jpeg8620形式テンダ機関車
国鉄の蒸気機関車は明治時代は大部分が輸入車で、大正になり国産化がされてきて大正3年製造の旅客用8620です。9600と共に国産標準機の第1号。
 
万能型の性能であらゆる所で使用され、鉄路のあるところ8620ありと言われたそうです。最高時速90K。
 
b06ddbb7.jpegaf483049.jpegC57形式テンダ機関車
昭和12年にC51形式の改良近代化機として誕生。北陸線、鹿児島線、東北線など幹線の旅客列車を牽引。形式は優美の象徴ともいうべきで国鉄の機関車の中では最もスマート。最高時速100K。
 


2216290d.jpeg9b7f9d1e.jpegC58形式テンダ機関車
昭和13年に標準中形客貨用機関車として誕生。輸送の多い全国のあらゆるローカル線用に使用された。8620に劣らない高性能で、9600に匹敵する牽引力を兼ね備えた万能機関車。時速85K。
 


6f83ef1c.jpeg01e03880.jpegE10形式タンク機関車
戦後23年に急こう配専用の大型タンク機として誕生。国鉄最終の設計の蒸気機関車。タンク機関車として最大で5軸の動輪を採用、最強力のD52に匹敵する牽引力を有した。投入された奥羽本線が電化され、九州、北陸に転用され最後は米原・田村間の小運転に昭和37年まで使用された。時速65K。
車軸が3つをC、4つをD、5つをEとアルファベット順に使われている。
これもアメリカの影響でしょうか。鉄道は当初アメリカからの要請を断りイギリスの力を借りて東海道線を開通させていきます。アメリカからの要請とは徳川幕府が結んだ条約の中に鉄道も入っていたようですが明治政府は其れは徳川幕府との契約と反古にしたようです。

輸入した蒸気機関車を日本の技術で分解研究し国産化を進めて行きます。その後の全ての物が当初は真似で改良を加え日本独自のものにして行きました。鉄道も何時の間にか世界から遅れていた鉄道技術も、今や鉄道大国になっています。




 
 

 
3ee16f78.jpeg984ac216.jpeg東北本線上野・塩釜間開通88周年記念入場券 国鉄
郡山駅入場券30円、昭和50年12月10日発売。確信は無いのですがこのSLは5270だと思います。
 
これは写真ではなくイラストですが明治20年開通時の福島駅舎が後ろに描かれています。裏の解説によると東北本線は明治5年5月高島嘉右衛門「東京ヨリ青森迄鉄道建言書」と題する意見書を工部省に提出した。明治16年7月26日日本鉄道線上野・熊谷間竣工、試運転を行う。明治18年7月16日大宮・宇都宮開通、明治20年7月16日白河まで開通。
 
明治20年12月15日上野・塩釜全通。明治23年11月11日盛岡駅まで、明治24年9月1日青森まで開通。1日1回普通列車を運転。
 
この当時は鉄道院より私鉄が長い距離を開通させていました。中央線なども政府の開通させた路線ではなかった。当時建設費が膨大で政府が出来ず民間に許可させていました。
 
高島嘉右衛門は横浜を作った人、占いの家元など明治の人は色々な所で活躍していたんだと感嘆。
 
747f4226.jpeg20cda4ed.jpeg太宰治小説「津軽」発刊50周年記念回数乗車券 津軽鉄道
記念入場券でなく通常の回数券が1,000円分。使う事は無いですが入場券などは発売日当日など制限されていますが回数券ですから有効期間が入っていません。
SLは昭和4年製造のC351、6両連結の蒸気機関車。
 
津軽鉄道は昭和3年設立でJR五所川原から津軽中里までの約21K、駅数12、単線、非電化で日本最北の私鉄。冬のストーブ列車、走れメロス号などが有名。金木の太宰の生家など文学フアンが多く訪れる路線です。
 
e1ecb85e.jpeg40239340.jpeg東北鉄道記念館(ロコモ)ファションプロムナード(エスパル)オープン1周年記念
昭和54年3月17日仙台鉄道管理局・エスパル共催によるミニSL運行記念乗車券。本当の鉄道乗車券ではなくイベントで行われたミニSLの乗車券です。

私鉄では多くありますが国鉄が共催とは云いながら発券した珍しい利用券です。また大半がイベントで使っていますので現存は少ないかも知れません。
 
ミニSLは5分の1サイズのD51です。これは秋田の国鉄土崎工場で昭和47年10月14日鉄道記念日に完成したものだそうです。

何だか相変らず写真が私と同じボケです。 

 
5323f5ed.jpeg641cd413.jpegSLさよなら記念 9600
昭和51年2月岩見沢駅から100K急行券300円。北海道総局。

国鉄100年を走り続けてきた蒸気機関車は、全国のフアンに惜しまれながら室蘭本線を最後に本線上から全て姿を消してしまいました。

9600形蒸気機関車は、追分機関区に所属、追分駅構内で入換機として最後の仕事になりました。写真は39679号機、重量94.85t、全長16.75m大正9年1月川崎造船で製造、津和野、横手、山形、青森、新津等の各機関区に所属して、昭和47年4月に名寄機関区に配属、昭和50年5月に追分機関区に配属。
 
355b8514.jpeg4d0e2c16.jpegSLさよなら記念 C57
黒煙を吐きだすC5757機 昭和50年10月20日、岩見沢駅から100K急行券200円。

北海道に昭和24年7月小樽築港機関区に配属、その後室蘭機関区に転属、最後は岩見沢第一機関区に所属。

昭和50年10月現在、岩見沢第一機関区 C57 4両、D51 19両、9600 8両。滝川機関区 D51、14両,9600 8両、追分機関区 D51 17両 9600 3両となっていました。
 
facc3a72.jpeg93725bb5.jpegSLさよなら記念 D51
昭和50年11月札幌駅から100K急行券200円。

標準形機関車として1形式最大の総1115両が生産され全国に配属。昭和11年から20年にかけて製造され、形態は3つに分類されます。

第一はナメクジ形と称し煙突、給水加熱器、砂箱、蒸気溜が一体になった半流線形(95両)、第二は量産に適した普通型(859両)第三は資材、工数を極度に節約した戦時形の一群(161両)です。

写真はD51603号機、昭和16年2月23日山口県日立笠戸工場製作、宇都宮、高崎、岡山等の各機関区に所属し、昭和39年1月12日北海道滝川機関区配属。

このきっぷも国鉄時代のものです。北海道ではやはり急行券が主流になっています。勿論A型、D型の入場券も各駅で発売をしていますが私の収集は数が少ない。100円位になってからの物ばかりです。
最新の鉄道情報は下記を参照ください。
http://www.tetsudo.com/ 

 
bda6274e.jpeg6f27f4da.jpegC62引退記念入場券 小樽駅入場券30円、昭和47年8月27日
裏の解説ではC62はシロクニと呼ばれ日本最大、最後の1級幹線用蒸気機関車であり、1号機は昭和23年1月13日、2号機は同年5月29日に完成、かっては東海道本線を特急「つばめ」山陽本線で「かもめ」を栄光の道を走っていました。

電化の波により九州、みちのくへと配属、7両のC62が最終地北海道へ昭和31年9月から10月にかけて配属、ニセコの1000分の二十の急こう配を雄々しく活躍。昭和47年8月小樽・岩見沢間の臨時列車が最後となりました。
 
77983816.jpegdc007126.jpeg北国の保存SLシリーズ3 59601
9600形蒸気機関車、名寄駅から100K急行券500円、昭和54年12月旭川鉄道管理局。

キュウーロクの愛称で親しまれ、大正2年から13年にかけて784両制作。国内ばかりでなく樺太、中国、台湾へも渡り線路の勇者として活躍。保存は名寄市名寄公園。
 
3dbbeebd.jpeg23f74351.jpegオホーツク海とSL
昭和47年、釧路駅入場券30円、釧路鉄道管理局発行。

何度も掲載している釧網本線北浜駅付近の鉄橋を行くSL。橋梁の先がオホーツク海、雪をかぶったしれとこ連山、右側には小清水原生花園と白鳥が飛来する濤沸湖がある。

1月から4月の流氷期間、白鳥は10月下旬から11月、3月上旬から4月下旬に多くの人が訪れる。

これらも全て国鉄時代のきっぷです。新しい全国の鉄道の情報は下記鉄道コムをクリックすると見られます。

Tetsudo.com(鉄道コム)


 
7a35a959.jpeg9168f598.jpeg想い出のSL(道東の風土シリーズ17)
昭和49年9月10日 塘路駅から100K急行券 100円
写真は釧網本線細川駅周辺、川は釧路川、釧網本線に関しては前回書いていますので省略。秋には湿原一面に生えるキタヨシが黄色く色づく、点在するかん木とキタヨシのかなたに沈む夕日が素晴らしい。
 
4bfd0943.jpeg9822f116.jpeg想い出のSL(道東の風土シリーズ22)
昭和50年9月10日 帯広駅から100K 急行券 200円
写真は広尾線幸福駅付近、この駅は愛国、幸福できっぷ収集以外にもブームになりました。広尾線に関しては前回書きましたので省略。沿線周辺は酪農、畑作で豆、じゃがいも、ビート、乳製品の生産地。
 
0910558f.jpeg6e234a8c.jpeg保存SLを訪ねて北の旅シリーズ4
昭和52年9月 稚内駅から100K 急行券400円
C5549と稚泊(ちはく)ドーム、C55は当初青森機関区に配属され昭和15年に北海道に配属。北海道と樺太を結ぶ北海道縦貫急行専用機関車として活躍。

稚内・大泊(現ロシアコルサコフ)航路は大正12年5月1日開設、当時は連絡船が沖合に停泊して乗客の乗下船にははしけが利用されていた。

昭和11年7月424メートルのドーム型防波堤が完成、連絡船が着岸ができ2年後には桟橋駅も完成。ドーム内に急行列車が直通できるようになりました。
第二次大戦後昭和20年8月24日宗谷丸の入港を最後に22年間の幕を閉じました。

北海道の国鉄時代の記念きっぷですが乗車券でなく急行券というのがこの時代の特徴でもあるようです。

樺太まで連絡船で輸送されていたのは言葉だけで実際は知りませんが日露戦争後ポーツマス条約で北緯50度以南を南樺太を日本に割譲され石炭、石油を産出していたようです。北海道縦貫急行専用機関車、もうこの言葉も使う人は余りいなくなっているようです。

ドームは礼文・利尻などへの乗り場となっています。確か稚内駅から近いところにあります。
最新鉄道情報はhttp://www.tetsudo.com/のJR北海道で


 

6d01228a.jpegfc2fad3d.jpeg釧網本線SLさよなら記念 
昭和49年6月 釧路駅から100K急行券 100円。
絵は斜里岳を走るC58形、釧網本線は昭和6年全線開通、釧路・網走169.1K。
沿線には釧路湿原、阿寒国立公園、斜里岳と広々とした農村・小清水原生花園・トーフツ湖・オホーツク海、秋冬は丹頂鶴、白鳥、流氷など観光資源に恵まれた路線。
C58は動力の近代化により昭和49年にディーゼル機関車DE10型にゆずり姿を見る事がなくなりました。(ICI過熱テンダ機関車)
 
123e45cf.jpeg0909f27c.jpeg広尾線SLさよなら記念
昭和50年5月20日 帯広駅から100K急行券 200円

絵は大樹・忠類間日方川鉄橋を走る9600形、広尾線は帯広・広尾間84Kで十勝南部の開拓と十勝で唯一の港、広尾町の十勝港を結ぶ目的で建設、昭和7年11月に全線開通。昭和31年士幌線と期を同じくして気動車が導入され貨物を曳き続けた9600形SLは最後になった。
 
450b72c5.jpeg0e17ed3a.jpeg士幌線SLさよなら記念
昭和50年5月20日 帯広駅から100K急行券 200円

絵は清水谷・糠平間音更川橋梁を走る9600形、士幌線は帯広・十勝三股間78.3Kで昭和14年11月全線開通。帯広・清水谷間は坦々とした農村地帯を走り、十勝三股間は大雪山の山間を縫うように走り秋の紅葉は絶景、糠平ダム、温泉と観光地としても知られています。昭和31年に気動車が導入され9600形SLは最後となりました。

急行券は全て国鉄時代のものです。
最新の情報は下記URで
http://www.tetsudo.com/ 

 
99885e06.jpeg09da333b.jpegさよならSL記念 シリーズ4
C58形蒸気機関車 昭和50年6月1日 北見から100Kの急行券200円。
解説書によれば
日華事変の進展により国内の客貨の動きが活発になり。特に地方の輸送量が増加したことと、線区で使用されていた9600形が大量に大陸に送られ、その補充として昭和13年から22年まで427両が制作。

客貨両用の万能中型機関車として丙線以外ならどこでも入線でき、どんな仕業にも適している。保安、防寒上密閉式運転室が採用され、車軸配置はプレーリー(1-C--1)だがテンダ機関車としてはわが国唯一のものなどがあげられる。昭和24年から50年まで北見区に配属、石北本線、池北線で活躍。写真は石北本線を575列車を牽引するC58418.
 
5dca833f.jpeg3feebf8f.jpegさよならSL記念 シリーズ5
9600形蒸気機関車 昭和50年7月1日 名寄駅から100kの急行券200円。
フアンはキューロクの愛称で呼ぶ、大正時代784両も作られ四国以外全国で活躍した貨物用機関車。

動輪上に置かれた火室構造で重心が高くなる欠点があると言う事で採用されていなかったが初めて採用され、火床が大きくとれ出力増大に役立った。見た目は肥満児が小さい動輪を動かすユーモラスな姿であった。旭川管内では昭和4年から50年まで管内全区で活躍。写真は名寄本線を1691列車を牽引する49666。
 
18587968.jpege2ca4502.jpegさよならSL記念 シリーズ6
D51形蒸気機関車 昭和50年7月1日 遠軽駅から100Kの急行券200円。

貨物の重要が増大に対応するために改善された大型貨物用機関車。昭和11年から20年までに1115両という最大の制作。

10%の勾配で1000トンの重量貨物を牽引し、最高速度も85k/hを出せる、幹線や勾配のある地で活躍。機関車と云うとD51と言われる代表選手である。宗谷本線、留萌本線、羽幌線、石北本線、函館本線で活躍。写真は石北本線を1591列車を牽引するD51444。
 
 

 
列車の中でSLが1番の人気のようです。白い蒸気を吐き、煙突から黒い煙を吐き、鉄の塊がゆっくり少しづつ走り、急な勾配も力強く、場合によっては連結をして頑張っていく姿。また廃止になって復活した懐かしさなどもあるのでしょうか。静態保存されていた蒸気機関車も復活させたりしています。

企画がなくなると困った時のSL頼みになっています。SLは一時は全国で走っていましたが電化に伴い徐々に無くなって行きました。SLと云うとなぜか北海道の鉄道、重い貨物を曳いているイメージがあります。

個人的にはSLは乗り心地も良くなく、特にトンネルでは窓から入る煤などあまり良いイメージはありません。写真には絵になるので復活したSLや土日に定期運行しているSLは大変な人気です。しかし整備や運行技術、重量もあり線路補修、部品の供給も無いなど色々維持するには大変なようです。
今年の夏の北海道でも幾つかSLが走ります。そんな人気に便乗して昔の切符ですが載せてみました。今回は北海道の旭川管内さよならSL記念シリーズです。

74042a70.jpeg36c61d26.jpegさよならSL記念 シリーズ1
国鉄旭川鉄道管理局 昭和50年5月1日 旭川から100Kの急行券200円。
C55形蒸気機関車
大正時代のC51形に変わり昭和10年から12年にかけて62両が制作された。
きっぷの解説書によると
動輪が水かきのように縁とりのあるスポーク動輪は美しく高性能であった。これまでの機関車は蒸気ドームと砂箱が別々のいわゆる2コブ式のものだったがC55形から1コブ式になっている。旭川管内では昭和15年から49年まで配属、宗谷本線、函館本線で活躍。
写真は宗谷本線を321列車を牽引するC5550.
 
913abeba.jpegde8f0b93.jpegさよならSL記念 シリーズ2
C57 形蒸気機関車 昭和50年5月1日 稚内から100Kの急行券200円
国鉄の中形機関車随一のスマートさを持った機関車。昭和12年から17年までに169両、その後22年までに32両と合計201両が製造。最後の12両はC58形同様の密閉式運転室が採用され、初期からの形とはかなり異なった感じをうける。
この機関車はC55形のボイラーの使用圧力を増し、光芒形スポークの動輪をボックス形へと近代化したもので、C51、C50時代の使用圧力は13気圧が普通であったがC57形は16気圧に上昇している。
C57形は改良されたD51形につぐ旅客用蒸気機関車の決定版といえる。旭川管内では昭和29年から49年まで配属、宗谷本線、函館本線で活躍した。
写真は宗谷本線を324列車を牽引するC57130.
 
e39b8be0.jpeg575e2398.jpegさよならSL記念 シリーズ3
D61形蒸気機関車 昭和50年6月1日 深川から100Kの急行券200円。
戦後国鉄の電化に伴い各線区で使用されていた貨物列車用機関車が余り始め、従台車を改良して2軸台車として機関車の動輪上重量を軽くして線路規格の低い地方の支線区でも使用できるようにした。
昭和35年から36年の間D51形を改良して6両を完成。豪雪地帯で使用するため密閉式運転室に改良し留萌区に配属。昭和35年から50年まで留萌本線、羽幌線、函館本線で活躍。写真は留萌本線を走るD614.


相変らず写真が私と同じボケで見にくいと思いますがお許しください。
 
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