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美術館・鉄道・お城・お相撲・お友達の話など趣味のブログです。
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廃線切符 6 北海道炭鉱汽船夕張鉄道線

 
函館本線野幌駅から室蘭本線栗山駅、夕張市の鹿ノ谷駅を経て夕張本町駅を結んでいた。昭和
50年に廃線、53K19駅。

夕張炭田の石炭輸送がメインだったが客車もあり混合列車。

 

廃線切符 7 定山渓鉄道

札幌の白石駅から定山渓までの19駅を結ぶ27K。定山渓温泉への観光列車と鉱石を輸送。バスやマイカーに乗客を奪われトラックに鉱石輸送も奪われ昭和44年に廃線。

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廃線切符 3 雄別鉄道

釧路、雄別炭山間を走っていた混合列車。大正12年から昭和45年まででその後別会社に譲渡する。譲渡先も昭和59年には全線廃止。全盛期は14駅あったが途中廃止になったりしています。

 

廃線切符 4 三井芦別鉄道

昭和15年三井鉱山芦別専用鉄道、昭和24年三井鉱山芦別鉄道として組織替え。旅客部門は炭鉱合理化に伴い人口減により昭和47年に運行取りやめ、貨物部門も平成元年に廃止。全10

 

廃線切符 5 北海道拓殖鉄道

昭和3年から昭和43年まで根室本線新得駅から士幌線上士幌駅を結んでいた。11駅。

鉄道開通により入植者が集まるだろうと言う目論見で道内の商工業者の出資により発足。

 

昭和恐慌、途中からトラック輸送に切り替えられ沿線人口が伸びなかった。石北本線開通で意義が薄れた。


炭鉱は明治の産業振興、そして昭和の戦前まで日本の重要な資源で産業だった。しかし需要と輸送が新しいトラック、バスに変わられ混合列車は衰退していきます。現在の鉄道情報は鉄道ドットコムへ。http://www.tetsudo.com/

 廃線切符、たまたま持っている切符の中でいつの間にか廃線になっていた切符もありますが、大半は他のコレクターが集めた切符を骨董市、オークションなどで購入したもの。

 

此処に載せると何か自慢ぽくなるので今まで特別なカテゴリーでの中で載せてはいましたが今回少しづつ載せようと思ったのは今は私がホルダーして大事にしていますよと以前のコレクターに伝えたかったからです。多分お亡くなりになってはいるとは思いますが。

 

大分交通耶馬溪線は大正2年開業、大分鉄道はその他に別大線、国東線、宇佐参宮線、豊洲線もあった。耶馬溪線は山国川に沿って走る鉄道で青の洞門、羅漢寺、守実温泉などの観光地を抱えていた。昭和50年に全線廃止、バス事業に転向。

 

中津駅から守実温泉駅まで36K の全線単線路線、19駅だった。



 

鉄道切符を集めていると何時の間にか廃線になってしまった路線が出てくる。持っている物では北海道、九州、北陸などが多く。国鉄が廃線を決めて三セクとして生き残った路線もあるが大半はそのまま消滅してしまった路線が多い。

 

北海道はビート、石炭、木材などの貨物輸送から発足し旅客は後から地元要望で混合列車になった鉄道も多い。特に北海道は国鉄廃線も多く現在三セクも走っていない。

 

十勝鉄道は大正12年から昭和52年まで運行していました。元々はビート(北海道製糖)を輸送するための貨物線だったが地域からの要望もあり混合列車として活躍した。北海道最大の私鉄だった。

 

帯広部線、清水部線があった。時代と共に輸送はトラックに変わられ廃線となった。

 

切符は昭和25年、26年、32年、52年と年代はバラバラだが帯広大通駅から戸蔦まで。藤駅から八千代駅まで。清水駅から鹿追駅まで揃っています。

 

この切符は大分前にオークションで購入したものです。最近特に思うのですがコレクターは集めている時は楽しく色々な所へ行ったりして収集したが亡くなれば遺族が興味がなければ二束三文で処理されるかゴミとして処理されてしまう。

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