忍者ブログ
美術館・鉄道・お城・お相撲・お友達の話など趣味のブログです。
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

大正14年に金名鉄道として設立、線名は金沢と名古屋を結ぼうとしたことから来ている。鶴来駅から白山下駅を結んでいた。16.8K、駅数15駅。
 
昭和18年大統合により北陸鉄道金名線になる。道路整備が進み利用者減、昭和58年豪雨などにより橋脚崩壊復旧も昭和59年橋脚岩盤が風化して危険になり全線運休したがそのまま昭和624月廃止となった。

北陸鉄道

昭和18年政府の交通統制令により旧北陸鉄道、能登鉄道、温泉電気軌道、金名鉄道、金石電気鉄道、七尾交通など7社が合併し北陸鉄道として設立。

 各路線が離れていて合理化も出来ず、各社社風も違いストライキなどもあり政府により名鉄の管理下に。その後も小松電鉄、浅野川電鉄などを吸収していく。現在は石川線、浅野川線などが一部廃線しながら存続しているが事業の主はバス事業。

PR

新富山駅から新港東口駅を結んでいた射水線(いみずせん)昭和554月に廃線。駅数14、営業距離14.4K

大正12年越中電気鉄道として設立、沿線の旅客、海産物、米などの輸送として開業。昭和18年政府の交通大統合により富山地方鉄道射水線となる。

 富山新港建設などによる分断、乗客の増加もなく昭和554月に廃止となった。

京福電気鉄道三国芦原線は現在えちぜん鉄道に譲渡され運行している。この路線は鉄道事故以前にも数奇な運命をたどっています。

 

鉄道省の三国線と並行していて太平洋戦争末期の金属回収令によりレール等を供出し営業休止、戦後運行再開し昭和47年に国鉄三国線廃止、平成13年には列車事故により譲渡された。駅数22、福井口駅から三国駅までの25.2K

大正13年永平寺鉄道により開通、昭和19年丸岡鉄道と共に京福電気鉄道に吸収合併され永平寺線になる。平成13年越前本線での列車衝突事故により運休、ほかの路線はえちぜん鉄道に譲渡されたがこの路線は利用客が見込めないという事で平成1410月に廃止。営業キロ24.6K、駅数21、全線単線、全線電化。

 

あわらの金津駅から永平寺を結ぶ路線で永平寺、丸岡城など個人的に観光地だと思うがモータリゼーションによる乗客減、度重なる事故などで廃止に追い込まれた。

廃線切符 16 福井鉄道鯖浦線

廃線跡を巡ると言った特集では未だにホームなどが残っている場所もあり良く取り上げられている。

大正12年に鯖浦鉄道として開業、昭和20年に福武電鉄と合併し福井鉄道の一路線となる。鯖江駅から織田駅の間の19.5K、駅数13、全線単線。

昭和48年に廃止。現在は並行してバスが走っている。

 

 

栗原鉄道は大正10年創業、宮城県の石越から細川鉱山までを結んでいたが自家用車、トラックなどの普及と鉱山閉山により平成7年に廃止に。

 

地元要望により第三セクターとして「くりはら田園鉄道」として発足したが赤字が続き平成19年に此方も廃止に。

  

栗原鉄道創立80周年記念乗車券、裏面には蒸気機関車時代の路線図(昭和25年まで)電化後762mm路線図、1067mm時代(昭和30年から平成7年まで)、現在の路線図(平成74月から)

  

18形増備車入線記念乗車券セット。私鉄ローカル線は新造が中々出来ず他社からの中古車両が多くこの場合この言葉を使う。この車両は福島交通から転入。平成3年10月発行。余談だがA社からB社へ更にC社へと転籍する車両も多くある。

 

CD付乗車券は栗原電鉄からくりはら田園鉄道へ開業した記念CD、今はデッキもなくパソコンでしか聞くことが出来ない。以前はCD付の乗車券セットなどが多くの鉄道事業者から発売していた。

 

鉄道フェスタでは新しくなった「くり電」として店も出ていて、ちょっと買い物をしたらお米まで戴いた記憶がある。残念ながらこの路線は乗っていない。気が付いたら廃止になっていた。

 

全線切符はくりはら田園鉄道開業1周年入場券セット。平成7年発行。

廃線切符 14 十和田観光電鉄線
 
青森県南東部の古間木駅(三沢駅)から三本木駅(十和田市駅)を結んでいた。車両は懐かしい東急電鉄からのもの、単線、ワンマン,14.7k、11駅で大半が無人駅だった。

 
大正3年設立で昭和43年十勝沖地震に被災、国際興業に経営権譲渡で再開、観光客の大半は十和田湖周辺散策だったが東北新幹線七戸十和田駅開業により激減、沿線自治体に資金援助を求めるも「経営改善の目途が立たない」という事で拒否されたため平成24年鉄道線を廃止。バス事業会社となった。
 
この数年前に乗ったばかりでこの廃止ニュースには驚いたことが思い出される。
現在の鉄道情報は鉄道ドットコムが詳しい。http://www.tetsudo.com/

廃線切符 12 旭川電気軌道東川線

大正15年設立、旭川と東川を結ぶ農村鉄道、旅客、貨物の重要な地域交通機関だった。戦後の輸送は貨物(木材、肥料、米など)が昭和35年頃、旅客は昭和40年頃がピークで以降は減少して収支は赤字に。

 

施設の老朽化と沿線住民の廃止運動が高まりバス転換を推進する会社側と国鉄連絡貨物輸送を望む農協側と攻防もあったがトラック輸送などにより昭和47年廃止。20駅という事だが切符は21枚。会社は現在バス会社として存続しています。

 

廃線切符 13 旭川電気軌道旭川線

此方は同じ旭川電気軌道会社で昭和5年に旭川追分駅から旭川公園駅まで全線開通したが48年に廃止となる。

 

Wikiで調べても詳細は解らず、終点の切符の旭川公園駅もWikiでは旭山公園となっていたり良く解らない。バス会社として存続しているので聞けば解るとは思うのだが。

 

開通した時は地元では大歓迎だったのだが時代によって邪魔になったり新たな輸送方法(バス、トラック)が出来ると見向きもされず廃止運動などが起こったりする。

廃線切符 10 北海道簡易鉄道(別海村営軌道)

1933年標津線廃止の際支線として残った路線で奥行臼駅から上風蓮駅まで約13K位の短く軌間762mm、駅数121971年に廃止された。

末期には牛乳輸送も行われていた。何となく北海道らしい。

 

廃線切符 11 北海道簡易鉄道(標茶町営軌道)

1 955年北海道最後の簡易軌道線として開業。本線と沼幌線があった。1971年に廃止。残念ながら切符は4枚しか持っていない。

 

標茶駅前駅、開運駅前駅、南標茶駅、御卒別駅で駅前駅と言う駅名が私鉄として国鉄に対する駅名が懐かしい。

 

Wikiで調べても駅数が幾つあったかも解らない。

廃線切符 8 留萌鉄道炭鉱線

北海道雨竜郡沼田町の恵比島駅から昭和町を結ぶ17.6kの短い路線で昭和炭鉱、浅野炭鉱から産出される石炭を留萌港へ輸送。昭和3年から昭和46年まで運行。

 

昭和45年の石炭政策答申で国内の炭鉱整理統合が発表され中小炭鉱は消滅していき、留萌鉄道の存続意義がなくなる。7駅、8枚目の入場券は浅野炭山駅。

 

廃線切符 9 北海道簡易鉄道(浜中町営軌道)

茶内線と若松線、円朱別線からなる。開拓者用の鉄道で根室本線茶内駅から西円朱別まで秩父内から宮の丘駅、日向前駅などの円朱別線、中茶内から寒別辺牛駅までの茶内線。昭和47年に廃線。22

もうこの辺りになると資料がなく良く解らない。
  
現在の鉄道情報は鉄道ドットコムが参考にhttp://www.tetsudo.com/

 

 

[1]  [2]  [3]  [4
カレンダー
02 2024/03 04
S M T W T F S
1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31
カウンター
最新コメント
[09/23 大町阿礼]
[04/17 aibiki]
[04/16 aibiki]
[04/15 aibiki]
[04/14 aibiki]
プロフィール
HN:
パパリン
性別:
男性
趣味:
なんでも収集
ブログ内検索
アクセス解析
パパリン日記 廃線切符 Produced by パパリン
黄昏 Designed by ブログテンプレート がりんぺいろ
忍者ブログ [PR]
free pictures