忍者ブログ
美術館・鉄道・お城・お相撲・お友達の話など趣味のブログです。
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

 JR蒲田駅東口―①大田区民ホールアプリコー②蒲田切子見学―③安養寺―④宝幡院―⑤東陽院―⑥宝珠院―⑦六郷神社―⑧六郷の渡し(北野神社)―京急六郷土手駅
 
⑤東陽院 仲六郷4-6-2

5bc2856f.jpg真言宗智山派 山号 慈雲山 院号 安楽寺 高畑宝幡院の旧末寺。
文化年間焼失し中々復興が出来ずその跡地に大きな宝筺印塔を建てた。江戸末期になって伽藍が再建される。
弘法大師坐像と厨子(非公開)は寄木造り44㎝、玉眼、釈迦如来立像(非公開)寄木造り43㎝、共に妙連尼の寄贈、正保3年竹之内長右衛門寄贈の観世音菩薩立像がある。
 
⑥宝珠院  仲六郷4-34-8

d196a5f4.jpg真言宗智山派 山号 御幡山 寺号建長寺 高畑宝幡院の旧末寺
六郷神社の旧別当寺で江戸期には葵定紋使用と長柄神輿が許されている。境内には延宝8年の庚申塔がある。弁栄を開山としている古いお寺。
 
⑦六郷神社 東六郷3-10-18

a35334ae.jpgこの地域の八幡神社、祭神は誉田別命、旧別当は宝幡院
社伝では天喜5年(1057)源頼義、義家の奥州征伐の際、老杉に白旗を掲げ勝利を祈願、凱旋後その奉賛に当社を建立、頼朝伝説では石橋山の戦いで敗れ房総に落ちのび再び大軍を率いて鎌倉への途中この地を根城として向かった。梶原景時の普請奉行により八幡宮創建。境内には区内最古の狛犬、頼朝寄進の手水石、正面には景時寄進の太鼓橋などがある。
江戸期は葵の御紋が許され宮司先導による六郷橋のお見渡り神輿など徳川家からも庇護を受けていた。この神社風景は江戸名所絵図にも書かれています。
(写真はたまたまロケ撮影中でした。) 

⑧六郷の渡し(北野神社)

旧東海道における八幡塚村と川崎宿の間を結ぶ重要な渡船場であった。永禄12年(1569)に武田信玄の軍勢が乱入した時は行方弾正が六郷橋を焼き落とし防戦したある。慶長5年(1600)家康が再び橋を架ける。その後何度も架けるが流され貞亨5年(1688)以後渡船、明治7年に鈴木佐内が有料の橋を架けるが何度も流され明治33年京浜電車が権利を買い取り無料で公開、大正14年コンクリートの橋になり渡船が消滅。
36f7f238.jpg北野神社には六郷の渡しの碑がある。この神社は落馬止め天神とされる。この近くに住んでいた柳生家の留守居役馬別当があり、八代将軍吉宗の馬が暴走してあわやの時に止めたという。天神様は昔から天神乗りと言うように天神様は乗馬の師でもあり、東海道を行き来する大名、武士は落馬止め天神として崇められたそうです。近郷の村人はあえて落馬と云わず止め天神と呼び人の身にかかる悪い事を止めてくれる天神様として崇めているそうです。
この神社は、周りから全く見えず荒れ果ててちょっと寂しい感じです。境内には止め塚、平癒塚、日本橋へ4里の碑、力石などがあります。
ab46bcc9.jpg9e00c8d2.jpg4ce36d3f.jpg
 
 
 


六郷温泉此処の湯は良いです。河原は野球場、テニス、サッカーゴルフ、上流には昔巨人のグランドがあった。台風などで水量が多くなると河になってしまう。土手から富士山も見えた。季節を感じる散策に最適です。

このコースは今回で終了です。時間的に区民ホールアプリコの美術展の見る時間、江戸切子の展示の時間により変わりますが全体で約3時間半を想定しています。また江戸切子は工場のオープンディしか見学はできません。

またこのコースには温泉付き銭湯がありますのでタオル持参がお勧めです。
大分前に出来ていたのですが旅行へ行ったりしてその記事により遅くなりました。
次回は大森山王ウォーキングコースです。
54eba071.jpg













 
PR

JR蒲田駅東口下車ー①アロマスクエアーー②蒲田切子ー③安養寺ー④宝幡院ー⑤東陽院ー⑥宝珠院ー⑦六郷神社ー⑧六郷の渡し(北野神社)-京急六郷土手

6d6d5bac.jpg6d041025.jpg①アロマスクエアー(蒲田5-37-3)

1998年に高砂香料の工場跡地に大田区と日本生命で共同開発したもので日本生命側がアロマスクエアー、大田区側が大田区民ホールアプリコとして竣工。

大田区民ホールは「アプリコ」という5階建て地下1階で演劇、コンサート、講演などに利用されています。地下は小ホールで同好会の発表の場にも最適な幾つかのホールになっています。

入り口には蒲田松竹撮影所にあった松竹橋の親柱、地下には松竹撮影所のジオラマが展示されています。地下のホールにはアートギャラリーにもなっています。

1e82d964.jpg②蒲田切子展示(仲六郷1-9-15)

一階は江戸切子を製作している東亜硝子工芸㈱でその二階で蒲田切子として商品を展示販売している(有)フォレストがあります。この蒲田は明治時代に日本発の黒澤貞次郎のタイプライター工場(吾等が村)、大倉陶園(現TOTO、ノリタケ、日本碍子、旧森村財閥など)松竹キネマ撮影所、各務クリスタル、高砂香料、新潟鉄工、三省堂印刷、東洋オーチスエレベーターなど明治、大正、昭和初期まで蒲田で活動した「蒲田モダン」と言われるものです。現在もモノづくり大田として切子工場があります。

2507a3ef.jpgf59126f0.jpg江戸切子が基本ですがそのデザインを活かしながら新しいモダンなデザインの切子作品(蒲田切子)も展示しています。

1階工場では日本の国認定の伝統工芸士鍋谷聡氏が江戸切子を日夜切磋琢磨した作品を制作しています。

但しこの展示は工場オープンディに限ります。
http://www.glassforest.co.jp/


45b0c921.jpg③安養寺 (西六郷2-33-10)

真言宗智山派 山号 医王山 院号 世尊院 通称古川薬師
和銅2年(709)行基によりイチョウの木により薬師、阿弥陀、釈迦の三尊を一刀3札に彫刻、和銅3年(710)精舎を建て東光坊とした。光明皇后により七堂伽藍が寄進された。

銀杏折取禁制碑は光明皇后が銀杏をを奉納して祈願したところ乳の出が良くなったとの伝えから木、枝を折る人が絶えなかったので元禄三年に立てられたもの。

本堂と薬師堂には弘法大師坐像、本尊の大日如来坐像、十王像など多くの仏像群があります。薬師如来、阿弥陀如来、釈迦如来三坐像(非公開)などが。
入り口には古川薬師道道標、境内には富士講碑、また永代百味供物講社を兼ねて4月8日に百味供養が行なわれる。(写真イチョウの木)

00722f22.jpg④宝幡院 (西六郷2-52-1)

真言宗智山派 山号 大綱山 院号 光明寺
かっては境内1万5千坪、末寺23を持ち別称六郷本寺
鵜の木の光明寺3世行観が開創、北条氏康、徳川家康の庇護を受けていた。(後北条氏文書4通、徳川家康始め歴代将軍の寺領寄進朱印状12通)
阿弥陀如来立像(非公開)境内には江戸初期の大田区内最古の梵鐘、手水石などがある。
本堂入り口には7体の地蔵様、境内には四国88ヶ所のお砂踏みもある。








 

 
JR蒲田駅ー①大田区民ホールアプリコ(蒲田松竹撮影所ジオラマ、松竹橋親柱、アートギャラリー)ー②蒲田切子(江戸切子展示販売但しオープンディのみ)ー③薬王寺ー④安養寺ー⑤宝幡院ー⑥東陽院ー⑦宝珠院ー⑧六郷神社ー⑨観乗寺ー⑩六郷の渡し(北野神社)ー京急六郷土手駅

このコースで直線的には蒲田から六郷までの道になります。ただ、旧東海道沿いから少し反れていたりJR東海道線を跨いだり京急本線を跨いだりして現在の京浜第一国道に戻ったりと渡るのに時間がかかったりします。

近くに六郷川(多摩川)があり旧東海道の江戸へ入る要所でもあり古く歴史のあるお寺、神社ですので源頼義、義家、源頼朝、徳川家康などの庇護を受けていますので歴史好きでなくても知っている名前が結構出ます。

お寺さんは此処では殆ど真言宗智山派のお寺です。今までは本門寺関係で圧倒的に日蓮宗でしたが此処は、川崎大師が近いのか開創の栄伝の影響なのかまだ分かっていませんが境内に弘法大師像が大体あります。東京国立博物館で開催している「空海と密教美術展」のポスターも貼ってあります。

そして古いお寺ですから当然墓石も古く、墓地公告もでています。もう身寄りもなく時間で無縁仏か合祀墓になります。お寺も昔みたいに広大な敷地もなくなり墓地希望者も多く公告を出しています。何処もやっているんでしょうが品川から歩いてきましたが此処の周辺が目立ちます。

もう1つの特徴はトイレが何処もありません。六郷神社にはわざわざ防犯上トイレはお貸しできませんと書いてあります。結構長い時間歩きますから途中の公園をチェックしておく必要があります。社務所に言えば貸してはくれるんでしょうが。六郷の河原の鉄道の橋の下に多くのホームレスのお家がありますからその関係でしょうか。

非公開の仏像もお寺の関係者に説明すれば時間が許せば拝観はできます。但しいきなり行って見せろと言っても難しいでしょうが。

まだ、地図上では多くの神社仏閣があります。なぜ行くのか見るのかを決めて後何回か周り、コース設定をしようと思っています。神社仏閣ばかりでなくアプリコの松竹関係、工場オープンディの時は江戸切子の展示も入れてみました。途中には温泉付きの銭湯が何軒かあります。汗を取るには最高です。


 参考文献 下記を参考にしています。

大田区史研究 史話 26 29 31 33 37 番外編
大田区史研究 史話31  大田区史編さん室 
大田の史話 1   大田区史編纂委員会
大田の史話 2       〃
大田区史蹟散歩    新倉善之  学生社
馬込文士村ガイドブック   大田区立郷土博物館
大田区の史跡めぐり         〃
大田区海苔物語           〃
大田区の歴史        新倉善之   名著出版
京急グループ110年史     京浜急行電鉄
昭和の風景 蒲田・羽田界隈と京浜電車  石川利夫  国際書院
大森の春秋  2000年版  大森消防署地誌編集委員会
羽田糀谷の年表    伊東奨学会
大森沢田  昔   蒲田4地区地名保存委員会
池上線 目蒲線   北川俊一   個人の出版
警視庁カメラマン石川光陽写真集
大森蒲田ことがら辞典   与倉秀雄   城南タイムス
わたしの住むまち再発見 大田区  大田区企画部広報課
写された大田区―懐かしい、まちとくらし  大田区立郷土博物館編
町場ガイド  西村敏康監修   月刊おとなりさん
大田区ウォーキングガイド  西村敏康 編著  月刊おとなりさん 
渋沢資料館パンフ
今日は早朝菩提寺に参拝してから蒲田から六郷の渡しまでの散歩コースを自分なりに作り歩いてみました。場所も解らない初めてのところも多く毎回の事ですが自転車で地図を片手に回りました。お蔭さまで曇り空で雨もなく汗ばむこともなく続ける事ができました。

第一回目ですから沢山入れてありますし目に付いた所は寄りましたので六郷の渡し跡にたどり着いたのは出発から5時間かかりました。自転車で5時間ですから歩いたら大変です。

コースはもう少し精査して作らなければと思っています。今回は東海道を横に何度もJR、京急と跨がなければならないコースです。やはり線路は生活をふさいでしまうのを実感しました。

昼ごはんも忘れタダタダ色々行きました。とりあえず直線では旧東海道を大森海岸から六郷までは終わります。この間の両サイドを次のコースとして考えています。将来的には自分の散策コースと老人会や町会の歩こう会のボランティアガイドを考えてのコースにするつもりです。

4時には大森で来週からの旅の打ち合わせがあり3時頃から大森に向かいました。

旅の打ち合わせと称しての前夜祭みたいなものでこれは大体盛り上がります。現役の社長をやっている友人は結局1泊で行き帰り飛行機になりました。設定コースは彼だけ変わり全体的には変わりませんでした。


山陰は学生時代から何度行ったか分かりませんが出雲大社は30年振り位になります。平成の大改修ですが了承を貰い行く事になりました。JR、一畑、岡山チンチン電車にも乗れ岡山城、松江城そして備中松山城、いくつ出来るか郵便局の千円貯金、松江しんじ湖温泉と盛りだくさんです。

さぁ明日から旅先で捨ててしまう古い衣類、下着をセレクトしなくては。来週中に終わってしまう展覧会に明日、明後日は行けるだけこなさなくては。葬儀もあるんだ。ちょっと忙しいフリをする2日間になりそうです。

何時行ってもきれいに掃き清められています。稗田神社

京急梅屋敷下車ー①大林寺(大森中2-7-19)ー②密乗院(大森中2-17-5)ー③三輪神社(大森中3-17-15)ー④梅屋敷公園(蒲田3-25-6)-⑤椿神社(蒲田2-20-11)-⑥円頓寺(蒲田2-19-15)-⑦薭田神社(蒲田3-2-10)-⑧栄林寺(蒲田3-1-16)-⑨妙安寺(蒲田4-18-15)⑩蒲田八幡神社(蒲田4-4-18)-京急蒲田駅ないしJR蒲田駅


薭田神社 蒲田3-2-10
延喜式の神名帳に記載されている武蔵野国荏原郡の古社2つのうちの1つ。祭神は応神天皇、社伝では日蓮、行基などの関連性が出るがその資料はない。
石鳥居
花崗岩の明神型鳥居で柱間3.14M、高さ3.1Mの立派な鳥居です。左柱には蒲田井郷 薭田神社 武州荏原郡北蒲田村 右柱背面 寛政12庚申卯月15日建之
区内では古い部類の石鳥居で蒲田井郷の刻銘は注目に値するそうです。
境内には薬祖神社、稲荷神社、三十番神社、天祖神社など小さい祠としてあります。この地域の総神社になります。

蒲田八幡神社 蒲田4-18-18
旧蒲田新宿村(しんしゅく)の村社、旧別当は妙安寺、祭神は誉田別命
宇佐八幡宮を勧請した古社と言われている。境内には小円墳がありこの古墳が元になって祭祀されたともいわれている。
慶長年間(1596-1615)に蒲田村から新宿村が分村した時に行基作と伝えられる春日神像一体が稗田神社から分与されこれを神体として祀られた。しかしその像は明治初年の神仏分離により別当の妙安寺へ移遷されたが妙安寺が戦災で焼失している。

鳥居の種類
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%B3%A5%E5%B1%85 

これにてやっと蒲田まで来ました。これからは雑色、六郷へ向かいます。ただ、途中糀谷、羽田、蒲田西口などを取り上げます

京急梅屋敷下車ー①大林寺(大森中2-7-19)ー②密乗院(大森中2-17-5)ー③三輪神社(大森中3-17-15)ー④梅屋敷公園(蒲田3-25-6)-⑤椿神社(蒲田2-20-11)-⑥円頓寺(蒲田2-19-15)-⑦薭田神社(蒲田3-2-10)-⑧栄林寺(蒲田3-1-16)-⑨妙安寺(蒲田4-18-15)⑩蒲田八幡神社(蒲田4-4-18)-京急蒲田駅ないしJR蒲田駅

椿神社 蒲田2-20-11
小さな祠といった方が良いような神社。由緒は不明、祭神は猿田彦命という。場所的には道祖神を祀ったものかもしれない。

変わった習俗として風邪、百日咳、ぜんそく等にかかると境内の額堂に奉納されている麻ひもを首に巻くと治癒するという慣習があり治ると新しい麻を奉納する。変わったところでは神社でありながらお線香を供える。神仏混淆的な奇習、足の病気が平癒すると草鞋を奉納する慣習もある。

円頓寺 蒲田2-19-15
日蓮宗 山号 性光山 池上本門寺の旧末寺
寺伝では後北条氏の有力家臣の行方弾正累代の館跡と伝えられている。直清は天正18年(1590)豊臣秀吉の小田原征伐の際に出兵討ち死にしたと伝えられている。

中興開山の日芸は行方最後の当主直清の弟で出家して兄の供養をした人物とされている。行方弾正直清の供養塔、日芸の印塔(供養塔)がある。近年ですが京急梅屋敷駅裏に花市場があったその当時の花供養碑もある。(京浜生花市場)近くの呑川には弾正橋という橋名もある。

栄林寺 蒲田3-1-16
日蓮宗 山号 長光山 池上本門寺の末寺
日好が開創、稗田神社の別当寺として栄えたようですが由緒は不明。
開山供養塔は寛永3年(1626)4月29日に没した千如院日好の供養の為に日英が造立、石造りの笠塔婆型の供養塔で2つの石で出来ていて形式的に珍しい。

妙安寺 蒲田4-18-15
日蓮宗 山号 行方山 池上本門寺の末寺 尼寺
後北条の有力家臣 行方弾正ゆかりの寺院で永禄年間(1558-1570)に小田原で戦死した行方修理義安の妻が兄の斉藤政賢の屋敷内に庵を作り供養をした。奥まった本堂左側に妻の円光院妙安尼の供養塔がある。他に日蓮聖人坐像(非公開)などがある。



京急梅屋敷下車ー①大林寺(大森中2-7-19)ー②密乗院(大森中2-17-5)ー③三輪神社(大森中3-17-15)ー④梅屋敷公園(蒲田3-25-6)-⑤椿神社(蒲田2-20-11)-⑥円頓寺(蒲田2-19-15)-⑦薭田神社(蒲田3-2-10)-⑧栄林寺(蒲田3-1-16)-⑨妙安寺(蒲田4-18-15)⑩蒲田八幡神社(蒲田4-4-18)-京急蒲田駅ないしJR蒲田駅

密乗院

真言宗智山派 山号は海光山 寺号 大森寺
承久年間(1219-1222)真栄が開創したと伝えられる。墓地には大森干海苔を考案したという野口六郎佐衛門の墓、明治初年に当寺で私塾を開きその後貴船、寄来小学校校長を歴任した山口琢磨の遺徳碑、2基の庚申塔、16基の板碑がある。板碑は大田区では鵜の木の光明寺、
馬込の万福寺に次ぐ青石塔婆と呼ばれる。

三輪神社

享徳年間(1452-1456)住民が土地開拓の神として大国主命を祀り第六天社(この地域ではデイロクサマと呼ばれる)が創始と伝えられています。

天正4年(1915)7月に貴船神社、天祖神社などを合祀してこの地区の鎮守となった。祭神は大国主命、天照皇大神、高麗神、菅原道真、元別当は密乗院。神社の威容は高まったが戦災により全焼しました。昭和27年に新築され祭礼は10月の第一土日に行なわれています。

境内には海苔の養殖に貢献した北村石見守を祀った北村神社がある。

社によるとこの地域は徳川期以前すでに大森周辺は武蔵野国大森と総称され堀の内はその字で今日まで伝承され住民に親しまれてきました。堀の内という地名は「館」に壕を巡らせた地名だけに与えられるもので此処は北条時頼の時代(1247-1259)に陣屋の旧邸が有ったとも言われています。


京急梅屋敷下車ー①大林寺(大森中2-7-19)ー②密乗院(大森中2-17-5)ー③三輪神社(大森中3-17-15)ー④梅屋敷公園(蒲田3-25-6)-⑤椿神社(蒲田2-20-11)-⑥円頓寺(蒲田2-19-15)-⑦薭田神社(蒲田3-2-10)-⑧栄林寺(蒲田3-1-16)-⑨妙安寺(蒲田4-18-15)⑩蒲田八幡神社(蒲田4-4-18)-京急蒲田駅ないしJR蒲田駅

大林寺 大森中
2-7-19

日蓮宗 長亨山 薬王院 池上本門寺の末寺

7世日了が天正年間(1573-1592)七面大天女を勧請、大森の七面様と呼ばれ戦前まで縁日で賑わった。建物は戦災にあい焼失。

 

12世日好は享保年間(1716-1736)村民の窮乏を解消する副業として「麦わら細工」を村民に教え東海道筋のお土産玩具として販売させ大森名物となる。当初は箱や小型の屏風などの表面に色を染色した麦わらを貼り付けたものからその後生き物玩具などを編んで作る物に変わっていく。

 

享保14年大森村甲子講が建てた池上道標がある。元は東海道筋にあったものが道路拡張により当寺に移されたようです。高さ1.62Mの池上までの道しるべとしては比較的大きいもののようです。

 

池上道と刻し側面には品川へいきぬけと書かれ池上本門寺を参詣して品川宿へそのまま行けることを示している。都内では旧東海道に残っている数少ない道標です。

 

非公開ですが三面大黒天画像がある。紙製着彩の絵。戦国武将武田道遥軒信綱の永禄7年(1564)の作。武田信玄の弟で天正10年織田信長に滅ぼされた。この地区には武田の没落後落人となったという伝承もある。

 

大林寺の梅屋敷駅をはさんで反対側に妙典寺という日蓮宗のお寺があるがそこはこの地域をおさめていた蒲田四郎入道道儀の墓碑や武田氏の武将の末孫という嶋田家、荘官といわれる杉原家のお墓がある。

 

大林寺は現在本堂、庫裡の屋根などを修復中。屋根は軽いチタンでの葺き替えだそうです。尚、此処の前住職新倉善之氏は大田区史編集主任専門委員で数多くの著作があります。大半の人がこの方の「大田の史話」、「大田区史跡散歩」、「大田区の歴史」などを参考にしています。大田区文化財保護審議会委員、大田区立郷土博物館運営委員など。大田区の歴史に関しての重鎮です。

 

商店街活性化の一環で本堂を貸し出し商店街主催の落語会、境内では植木市なども開催。お寺と地元との融合も図っています。昔の七面大天女ではないですが三面大黒天で決まった日の商店街も門前町として縁日?を開いてもらいたいものです。

 

京急梅屋敷下車ー①大林寺(大森中2-7-19)ー②密乗院(大森中2-17-5)ー③三輪神社(大森中3-17-15)ー④梅屋敷公園(蒲田3-25-6)-⑤椿神社(蒲田2-20-11)-⑥円頓寺(蒲田2-19-15)-⑦薭田神社(蒲田3-2-10)-⑧栄林寺(蒲田3-1-16)-⑨妙安寺(蒲田4-18-15)⑩蒲田八幡神社(蒲田4-4-18)-京急蒲田駅ないしJR蒲田駅

梅屋敷と麦わら細工
品川宿と六郷宿の間に梅屋敷と言われるお店がありました。当初は道中の常備薬としての「和中散」を販売したり茶店的なものでした。宝永年間(
17041710)数軒あった1軒山本久三郎は和中散の本舗が近江の国の梅木村であった関係で庭に梅の木を植え酒肴も楽しめる茶屋を開業しました。
パパリンの趣味の世界
広重 蒲田村 梅屋敷


旧和中散本舗(滋賀)http://www.biwako-visitors.jp/search/spot.php?id=1706 

それがいつしか梅屋敷と呼ばれ大盛況に広さも3000坪に及んだそうです。12代将軍家慶が鷹狩りの折、14代家茂が上洛の際など休憩をしています。

 

幕末には高杉晋作、佐久間象山、三条実朝、岩倉具視、木戸孝允、大久保利通、伊藤博文などが会合を開き、特に高杉晋作など攘夷派の志士たちも此処で横浜異人館焼打ち計画の密議があり山内容堂、毛利元嗣などが慰留をした「梅屋敷事件」などが有名です。

 

明治維新後は明治天皇始め大正天皇、皇族の方のご来遊もあり特に明治天皇は9度の行幸、梅の木のお手植えもされていました。そして此処は聖跡梅屋敷公園となっています。

 

大正7年京浜国道の拡幅工事により東側が大きくさかれ西側は京浜電車の開通により大きくさかれ今は当時の面影は全くありません。現在狭い庭内には復元ですが里程標(距 日本橋3里18丁 蒲田村山本屋)山本家の梅の句碑、狂歌堂真顔の歌碑などがあります。弓道場、土俵もあります。

 

東海道を往来した旅人、文人墨客に親しまれこの梅園は広重はじめ多くの絵師に描かれています。木戸孝允、伊藤博文が二人で此処で新年会をした際合作の一幅のの中にも書かれたそうです。

 

街道のお土産として大森名産として麦わら細工があります。茶店で東海道の手ごろな土産物として販売されていました。麦わら細工は、梅屋敷東口にあります大林寺の12世日好和尚が漁間の稼ぎ、村民の窮乏を救う一助として作らせたようです。

 

当初は小箱や小さな屏風の表面に色を付けた麦わらを切り張りしたものでした。後世には虎、熊、兎などの動物、でんでん太鼓、纏いなど色々な形に編んで行く高度な細工物になり大変な人気になったようです。

 

その他に梅を使った梅干し、梅びしおの販売、当時の江戸の梅干しの大半はこの地域のものだったようです。

梅びしおの作り方と料理応用

http://www.town.minabe.lg.jp/ume/umeryouri2.html 


麦わら細工は明治に入り雑色村の川田谷五郎と言う人が横浜で米国人のかぶっている麦わら帽子をこの麦わら細工の手法により「麦稈真田」(ばっかんさなだ)としてアメリカ人の帽子として輸出されるようになり生糸と並んで輸出品になり細工職人が帽子の方へ行き手仕事職人は居なくなってしまいました。

 

麦稈真田も大森から手間賃の安い地方に移っていき檜を薄く経木にした経木真田、麻真田と材料も変わっていき麦わら細工職人は一人もいなくなりました。結局大田区からは麦わら細工、麦稈真田もなくなりました。

写真:大森麦わら細工 
大田区郷土博物館より 

大田区の郷土玩具

矢守(矢口新田神社)

鉄砲狐(穴守稲荷神社)

お会式万灯、纏い(池上本門寺)

とんびたこ(六郷)

なくなった玩具

麦わら細工、河豚提灯、弓河豚(穴守稲荷神社)

現在次の東海道蒲田村周辺を散歩コースとして歩き始めています。どうも欲張りなこれも入れようこれもとまだはっきりしたコースになっていませんが最初のモデルコースとして何回か散策しています。

京急梅屋敷下車ー①大林寺(大森中2-7-19)ー②密乗院(大森中2-17-5)ー③三輪神社(大森中3-17-15)ー④梅屋敷公園(蒲田3-25-6)-⑤椿神社(蒲田2-20-11)-⑥円頓寺(蒲田2-19-15)-⑦薭田神社(蒲田3-2-10)-⑧栄林寺(蒲田3-1-16)-⑨妙安寺(蒲田4-18-15)⑩蒲田八幡神社(蒲田4-4-18)-京急蒲田駅ないしJR蒲田駅

直線では京急梅屋敷駅から一駅隣の京急蒲田駅までのコースです。途中休憩を入れて約4時間位の時間がかかります。行くたんびに新しい発見があります。もう少し時間を掛けて散策コースを作りたいと思います。

一人で墓地に入りますから風があり曇っていたりすると塔婆ががたがたと音を立て品川であれだけお寺回りをしていてもまだドキッとすることがあります。必ずそのお寺の歴代住職のお墓は参拝しますが大体一番後ろ、蔭になっているところが多く、また場所的に無縁仏、海難供養の墓、首塚、無念で亡くなった(切腹した)人の墓などを巡っていたり探している時は余計ビクビクします。

Tシャツを何枚か途中で代えますが(墓地内ではしませんが)藪っ蚊には色々なところを刺されたり汗でべったりのシャツでヒャットしたりします。時間がありますから少しづつ書いて行きたいと思っています。

参考文献は前回の大森東口ウオーキングコースと同じです。

[1]  [2]  [3
カレンダー
03 2024/04 05
S M T W T F S
1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30
カウンター
最新コメント
[09/23 大町阿礼]
[04/17 aibiki]
[04/16 aibiki]
[04/15 aibiki]
[04/14 aibiki]
プロフィール
HN:
パパリン
性別:
男性
趣味:
なんでも収集
ブログ内検索
アクセス解析
パパリン日記 大田区ウオーキングコース Produced by パパリン
黄昏 Designed by ブログテンプレート がりんぺいろ
忍者ブログ [PR]
free pictures