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美術館・鉄道・お城・お相撲・お友達の話など趣味のブログです。
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dc4e7bb8.jpegほのぼのとした夕暮れの里山をランドセルを背おった子供たち、畑仕事を終わって帰宅途中のおばあさん、畑には餌をついばむ丹頂、飛んでいる丹頂緑の山に黄金色の空、日本の原風景のような作品です。
 
作者は兵庫県明石で活躍している若手の須飼秀和氏。見た瞬間は週刊新潮の表紙を飾っていた谷口六郎に似ているタッチ。谷口六郎の絵がと思ってしまいました。
 
銀座のギャラリー枝香庵の「サマーフェスタ」という夏のお祭りで展示されていた絵です。最終日近くにお邪魔したのですがなんとまだ未売約でオーナーの勧めもありましたが一目で気に入り購入しました。
 
写真はデジカメでは綺麗に映るのですがブログへの載せ方が解らず面倒な携帯からの写真ですので写りが悪いのですが、子供達等の顔は描かれていませんが下の野菜、田んぼの中等詳細に描かれています。
 
51ac35ea.jpeg225f1894.jpeg4099148d.jpeg先日大失敗をしました。買ってきた絵を額から外す作業中に硝子を割ってしまいました。そんな事で中の絵だけの撮影は今回しませんでした。この絵は当分隠れ家に飾っておこうと思っています。(小さい写真はクリックしてください。)
 
酒を飲む機会がグゥンと減りましたのでその分で少しづつ購入しています。浮世絵が本当は良いのですが中々購入が出来ません。
 

須飼/秀和
1977年8月兵庫県明石市生まれ。2002年3月兵庫大学短期大学部美術デザイン学科卒業。2004年4月京都造形芸術大学部美術工芸学科洋画コース卒業、8月神戸新聞明石版「郷愁の風景ふるさとスケッチ」掲載(全8回)、12月初個展、ギャラリー島田(神戸)(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
 
 
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73eb2332.jpegこの絵は豊原国周筆の尾上菊五郎演じる東京ノ花 よ組です。千社睦会という千社札交換会の中で復刻したものです。浅草の長尾版画匠でどなたかが購入しなかった余り物です。

1番下の写真になりますが千社札の各会員の自慢のお札が描かれています。この3枚で1セットになります。

尾上菊五郎が纏いを持っています。纏いの田は神田の田からきているようです。そして1番組よ組は町火消の中で最大の人足数700名以上を数え人気も最高でした。よ組の担当地域は神田明神下界隈です。尾上菊五郎の屋号「音羽屋」が襟に書かれています。

c5812b2b.jpeg喧嘩と火事は江戸の華といわれますがその最大の火事が明暦の大火で東京大空襲、関東大震災を除けば日本史上最大の物と言われています。

それまでは幕府直轄の歌川広重も仕事をしていた「定火消」、「各藩の大名火消」でしたが処理能力の限界により徳川吉宗の命により享保3年南町奉行所大岡越前守忠相が自衛の「町火消」を組織します。
 
江戸城下に「い組」からいろは47組が編成されその後1組増やし48組の本格的な町火消制度となって行きます。、
 
「町火消し」は、出火地点の風下側の家を人海戦術で迅速に撤去し延焼を防ぎました。消火と云うよりは鳶などにより周りを取り壊す方法だったようです。いなせで命がけで庶民の財産を守る彼らは大人気だったようです。

「いろは」の中で、ひ・へ・ら・んの4つはなく例えば1番組はい・は・に・よ・万で2番組は百・千・ろ・め・も・せ・すというようになっていたようです。
 
e55fa475.jpeg73eb2332.jpeg21368024.jpeg本来は3枚組みですからこのようなに並べ額に入れます。ちょっと安かったので額は真ん中の1枚入れでした。(小さい写真はクリックしてください。)

今月の絵はまだ1枚広重の東都名所が残っていますが時期をずらせてしまいましたのでまた、春にでも載せようと思っています。
  

 
5ae58faf.jpeg初夏になり今年も節電で扇子やうちわを使う機会が多くなるのでしょうか。そんな季節の先取りで今月はこの扇を取り上げました。今までサラリーマン時代は扇子を人前で使う事はなかったのですが。
 
この扇は江戸時代から版元の特に団扇、扇に浮世絵を描いていた伊場仙の飾り扇です。伊場仙は現在も日本橋小舟町で営業を続けている老舗です。本社ビルにはギャラリーも併設しています。
 
2c46d5a4.jpeg79f748fe.jpegこの扇は手書きで「かきつばた」を描いています。作者は残念がら此処では解りません。確か日本橋三越の江戸の技展で購入し、隣で実演をしていたのですが名前を聞くのを失念しました。ギャラリーへ行った時でも聞いて見ようと思っています。
 
浮世絵には花菖蒲やあやめなど沢山描かれています。個人的には好きな花で外国産のランに匹敵する絵になる豪華な日本の花だと思っています。しかし自分では区別が出来ないのがたまにキズです。
 
実際に使う物でなく飾り扇ですがどの様に飾って良いか今だ解らず他の戴いた扇子と一緒に抽斗の中にしまいこんでいます。

http://www.ibasen.com/index.html 
 

 
東都名所 歌川広重画(幽斉書)
7208a53f.jpeg大判、横型、錦絵、極印、板元 川口正蔵板、アダチ版画研究所復刻
芝浦は新橋から田町辺りまでの海辺をいい、雑魚場となづける漁猟の地であった。この海から産した魚は芝肴と称されて江戸ッ子の賞味する所であったと言います。
 
a9551034.jpegf71140c7.jpeg画の真ん中に大きく帆船の帆を二張り描き、遠くに小さく帆船が描かれ左側は海が遠くはるかまで描かれています。また潮干狩りをしている人々が点で表されています。遠くまで海が曳いています。
 


6036dbc4.jpeg右真ん中は芝浦の漁村が描かれています。真ん中右の石垣は今の濱離宮の石垣なのでしょうか。あなご、アサリなどが多く取れ、此処からのアサリが深川へ運ばれ「深川めし」にあなごは今は無き「品川飯」になったんでしょうか。
4c3baa2a.jpegここでも空、海にベロ藍を使っていて画面の広がりの中でしまっています。この図からは朝なのか夕なのか解りませんが静かな江戸湾が描かれて今では想像できないひなびた海辺が描かれています。


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8932f3aa.jpeg東都名所 歌川広重(幽斉書)
大判、横型、錦絵、極印、版元 川口正蔵板
 
浮世絵では都内(江戸)には桜の名所が多く沢山の図が描かれています。庶民にとってお花見は春を待ちわびる気持ちと庶民には数少ない楽しみでもあったのでしょう。
 
目黒の元不二、目白芭蕉庵、亀戸、飛鳥山、王子稲荷、市谷、千駄木、日暮里、、目黒千代の滝、玉川堤、隅田川、上野清水堂、そして先月の御殿山などに描かれています。
 
0f7cd1c9.jpeg今回は隅田川葉桜の景で満開の桜から葉桜と浮世絵では余りない画です。それも夕暮れで花見客もなく茶店も暇を弄びそろそろ仕舞おうかと云うところでしょうか、真ん中のご隠居風の人が何時桜が散ったんだと聞いているんでしょうか。いかだや船も家路に向かっています。そんな寂しそうな光景ですが真ん中に清澄な大きな隅田川を描き、ゆったりと流れていますがそんなに寂しいと言った感じは出ていません。
 
605ebbeb.jpeg7527e07a.jpeg8e2da7c7.jpegこの近くは広重が生まれた近くで何度も生活の中で見てきた光景でしょうか。左上には待乳山の聖天が見えますから隅田川対岸の向島、本所辺りから描かれたのでしょうか。この東都名所は広重が世に認められるシリーズでもありベロ藍と夕日の赤、構図も隅田川の大きさが解るようにまた細部にも細かく丁寧に描かれています。
 
今、隅田川も綺麗になり多くのクルーズや屋形船が浮かんでいますが、この当時はもっと綺麗で澄み切っていて庶民の台所へ上がる貝や小魚が沢山取れた事でしょう。そんな事を思いながら鑑賞しました。

 
c000bed2.jpeg今月の絵―御殿山之夕桜
東都名所 歌川広重画(幽斉書)
大判 横型 極印 板元 川口正蔵板

品川の御殿山は、春は花見、秋には紅葉と景勝の地として江戸ッ子に親しまれた景勝地です。夕日に染まる空と夕凪に静まる海を背景に花見の後の静かになった所で風流然とした人が花を見上げています。
 
先月の新吉原朝桜之図、今回の夕方、月夜、雨、雪の日など微妙な光線につつまれた景観を多く描いています。それぞれ桜花の華麗さを正面から写さないでそれぞれ違った表情を変えた景観を描いています。
 
b96f0a32.jpeg東京も今年は昨日開花宣言がありました。広重は余り書いていませんが花見の宴会で桜の名所は賑やかになるんでしょう。御殿山は徳川家康が鷹狩りの為の休息場としての品川御殿があった。焼失後600本の桜が移植され庶民の桜の名所になった。
 
幕末期には黒船対策の台場造りの建設用土砂が此処から持っていき山の北側はえぐられています。開国後は外国の公使館が建ち高杉晋作、井上馨、伊藤博文ら尊王攘夷派によって焼き払われたり、鉄道敷設で東西に分断されてしまうなど歴史の中に出てくる江戸湾を望める景勝地でした。
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俳諧でもやる人でしょうか夕日が沈んだ一瞬でしょうか青い海、赤い空と青い空をバックに誰もいなくなった静かな時に夕桜を見ています。

逆に下の夫人と男性は筵を持って帰宅途中でしょうか、花見よりそのお客目当ての仕事の帰りのように見え動きのある画面です。

上段の画面では青ぼかし、夕日の名残の茜空、江戸湾には船が縦に浮かび奥域を出して広い海を、中心に桜の木と御殿山の緑を配置しています。広がりのある遠近法の画面構成になっていますが広重は以外に色を多用していません。これは版元にも喜ばれるものです。
a69fb583.jpeg3dd237f6.jpegb96f0a32.jpeg

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3e5f45a8.jpeg今月の絵―新吉原朝桜之図
東都名所 歌川広重(幽斉書)大判 横型 極印 川口正蔵板
 
今年は梅が咲くのも遅れています。そんな中桜の絵では早いかもしれません。

広重の出世につながる「東都名所」は10枚のシリーズですがその内桜は三枚あります。
 
今回の「新吉原朝桜之図」「御殿山の夕桜」「隅田川の葉桜」とそれぞれ表情を変えたニュアンスに富む景観を作り出しています。最後の葉桜は5月になります。
 
bab0bf31.jpeg東北では5月のGWに満開の知らせが来ます。弓なりに長い日本列島は桜前線も徐々に上がっていきます。また岡の桜の次に山に登れば美しい桜も待っています。昔から日本人の心をとらえる代表的な花は桜です。
 
花見の後の吉原遊郭は華やいでいた事でしょう。絵はたなびき渡る朝もやの中、大門口にきぬぎぬのお別れを惜しむ遊女と馴染み客が描かれ大門の中の桜がかぐわしく朝もやの中匂っています。
 
f40ef255.jpeg朝もやを水平に水色白で直線的に描き、並行して上段では朝焼けの赤が水平に描き真ん中に満開の桜を描き画面全体の奥行きを出しています。馴染み客を待つカゴ一人、もう一人は何処へ居るんでしょうか。どうせ別れを惜しみ時間がかかると思っているんでしょうか。夜桜の賑やかな場面から早朝ののんびりした風景を想像させます。
 
acacc7fd.jpeg梅まつりが期間終了してもまだ梅は満開にならないという今年の異常気象です。それでも確実に木々は春の準備をしています。
 
 
 
 

 
f930289b.jpg今月の絵―広重作蒲田村「梅園」
写真は彫師 新実護充 摺師小野寺隆二 平成14年制作のものです。名所江戸百景。

今日は立春、当初今月の絵はいつもの広重の東都名所を考えていましたが今年は例年になく寒波が厳しく梅も咲くかどうかの時期に桜は早いと言う事で蒲田村梅屋敷にしました。此処はウオーキングコースでも書いていますのでダブります。

品川宿と六郷宿の間に梅屋敷と言われるお店がありました。当初は道中の常備薬としての「和中散」を販売したり茶店的なものでした。宝永年間(1704~1710)数軒あった1軒山本久三郎は和中散の本舗が近江の国の梅木村であった関係で庭に梅の木を植え酒肴も楽しめる茶屋を開業しました。
旧和中散本舗(滋賀)http://www.biwako-visitors.jp/search/spot.php?id=1706 

それがいつしか梅屋敷と呼ばれ大盛況に広さも3000坪に及んだそうです。12代将軍家慶が鷹狩りの折、14代家茂が上洛の際など休憩をしています。
 
幕末には高杉晋作、佐久間象山、三条実朝、岩倉具視、木戸孝允、大久保利通、伊藤博文などが会合を開き、特に高杉晋作など攘夷派の志士たちも此処で横浜異人館焼打ち計画の密議があり山内容堂、毛利元嗣などが慰留をした「梅屋敷事件」などが有名です。
 
明治維新後は明治天皇始め大正天皇、皇族の方のご来遊もあり特に明治天皇は9度の行幸、梅の木のお手植えもされていました。そして此処は聖跡梅屋敷公園となっています。
 
大正7年京浜国道の拡幅工事により東側が大きくさかれ西側は京浜電車の開通により大きくさかれ今は当時の面影は全くありません。現在狭い庭内には復元ですが里程標(距 日本橋3里18丁 蒲田村山本屋)山本家の梅の句碑、狂歌堂真顔の歌碑などがあります。弓道場、土俵もあります。
 
2cfbb48a.jpg東海道を往来した旅人、文人墨客に親しまれこの梅園は広重はじめ多くの絵師に描かれています。木戸孝允、伊藤博文が二人で此処で新年会をした際合作の一幅の中にも書かれたそうです。
 
広重の絵には上面に白梅、空は赤く、中段には池を望み萱葺きの小屋が2棟、遠くの梅には紅梅、その周りの小さく多くの人が観梅しています。この遠景を出しているのが下段の浮いているような籠、大きな梅の幹。

4a23186b.jpg幹の裏側には今もあります、句碑が幾つか建っています。小屋にはお茶を出している人、待っている人、春ののどかな一日が終わろうとしているようです。


そんな歴史的な場所も残念ながら再び京浜急行の高架事業、国道の拡張工事などで今は見る影もありません。同じように原村(矢口)の梅園も今は面影を留めるものがなくなっています。
 
今月の絵―洲崎雪之初日
東都名所 安藤広重画(幽斉書)4abe9a62.jpg
大判 横型 錦絵 極印 板元 川口正蔵板
アダチ版画研究所復刻版
正月のおめでたい絵で東都名所の10枚組の1番最初の絵です。
小林忠氏(学習院大学教授・千葉市美術館館長)の解説によると
 
新春をことほぐような大輪の太陽がその一部を海上にのぞかせる明け方、雪に埋もれた洲崎弁天社の境内が、すがすがしい静寂の中に沈んでいます。流れる雲の紅と上空の藍のふきボカシが、白々と明ける朝空のさわやかな空気を伝え、夜の闇から開放されて日の出を喜ぶ海浜の光景が印象的にとらえられている。
 
6ea57771.jpg木々の緑や海面の色淡い藍も美しい諧調をみせ、夜明けの風景が目を射る様にまばゆい、日や月の時間によってその性質を変える微妙な光の働きは、広重の鋭敏な感覚によって、初めて画き分けられたと言えよう。風景画家にふさわしい広重の資質を、その出発点において、いち早く証明するものであった。
 
私もこの位立派な評が出来るように今年は一生懸命精進しなくてはと思います。書こうと思った事がよりわかりやすく解説されていて個人的な感想は今回は書けませんでした。歳の初めから大丈夫だろうか。
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88e05c11.jpg東都名所 歌川広重画(幽斉書)
大判 横型 錦絵 極印 版元 川口正蔵板
今月の絵「高輪之名月」 アダチ版画研究所復刻版

10枚揃いのうちこの「高輪之名月」が唯一秋の絵です。時期的に秋は過ぎていますが池上、羽田を載せましたので少しずれてきました。

最も春が6枚、夏が3枚、秋が1枚の10枚ですので来年も少しづつずれ込みます。「両国之宵月」と並ぶ秀作と言われています。
 
小林忠氏の解説によれば石垣と高札の芝高輪の大木戸が画面左下に画かれ、それを起点に海岸線を大きく湾曲させる思い切った構図法は銅版画や北斎の弟子北寿の風景画に学んだのだろうか、画面上半分に広くとられた空には、鮮やかな藍色が一文字に刷かれ、摺り残した紙の素地大きな秋月を輝かせている。月に雁は広重が特に好んだ主題のひとつで花鳥版画にいくつか秀作が残っている。
 
「こむな夜が又も有うか月に雁」の句賛が記されている。秋の夜景の美しい一瞬を演出したこの図にも、そのまま借りて当てはまる事が出来る、軽妙洒脱な句である。広重の詩心が素直に流露してさわやかに好ましい。と絶賛しています。
 
また、この復刻版をつくったアダチ版画研究所の評もこの画は出色の出来で北斎の風景画と違い穏やかで温かみがあり若き広重の意気込みがほとばしっている。と好評です。
 
7c79014b.jpg高輪は江戸をたって最初の宿場品川に近く海岸にそって休み茶屋などがあり見送る人も、行楽の人、旅人と往来の盛んなところでそろそろ夕餉に近くなりこの海と空の広重ブルーが秋の月と大きな雁にマッチしています。
 
現代では天王洲アイルの高層建物やてんぷら船の屋形船が舟だまりにあり船頭がこれからの客の準備をしている時刻ででしょうか。雁に月なんてあまり見ることもなく東京では味気ないからすになってしまいます。そんなロマンのないことを思ってはいけないのですが。
 
この成功で広重の名も売れ、東海道五十三次への下地が出来て行ったようです。

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