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712日たまたま訪れた交流館で上記のタイトルの講演会があるとの事で拝聴した。講師は元JR東海の専務をしていた志田 威氏、現在は生家の蒲原宿で醤油屋を東海道町民誠克歴史館館長をされています。

 

東海道は普通五十三次ですが五十七次と言うのは京都から大阪への大阪道を言うんだろうと思っていましたが、結果はその通りでした。

 

なぜ世間的には東海道五十三次と言われていますがそれを五十七次に拘っているのか良く解りませんが私も道は当然つながっていることは弥次喜多道中、参勤交代、飛脚などもあり以前から逓信総合博物館(現郵政博物館)の東海道展などで見ていました。、

 

解説としては1、関ケ原の戦い後江戸~京へ新たに40の駅を設け人馬継立を開始。(1601年)2、大坂夏の陣で豊臣が滅び大阪延伸を始める。

 

その後40から川崎、戸塚、箱根、最後に庄野が決まり京までは53駅になる。

しかし、歌川広重の東海道五十三次の浮世絵が大ヒットになり現在でも大阪道として東海道は京までと思いこまれている。現実は伏見、淀、枚方、守口の4駅を置き、幕府は道中奉行が直接管理していた。

 

だから57次だという事のようです。大阪道を含めるという答えありきの講演会でした。

 

私自身は講演会で宿駅伝馬制、地子、参勤交代ではなるべく京都によらないような指導をしていた。と云った話は新鮮だった。
 
東海道と言っても鉄道では東海道線は東京駅から神戸駅までを指し、新幹線は東京、新大阪を指す。一般的に広重の影響か東海道は五十三次日本橋から京までを指す。

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