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美術館・鉄道・お城・お相撲・お友達の話など趣味のブログです。
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fcb0a167.jpeg会津若松城
通称  鶴ヶ城、若松城
構造  平山城
天守  層塔型5重5階RC造り1965年
城主  蘆名、蒲生、上杉、加藤、保科氏など
遺構  石垣、土塁、堀
時間  8時半~17時 500円、駅から40分
 
再建された天守は郷土博物館になっている。蘆名氏を伊達政宗が攻め落とし、その後蒲生氏が入封城を整備、その後上杉景勝120万石で入場も西軍加担により30万石で米沢へ移封、加藤嘉明が入封、会津地震で倒壊した天守を再建、家光の庶弟保科正之が23万石で入場。この城は陸奥、会津の両方を睨む東北の要の地。
 
7b80af0d.jpeg931be818.jpeg06ed730f.jpeg個人的には蒲生氏郷、保科正之、最後の松平容保のイメージが強いが蒲生時代に会津塗などの特産品、千利休の実子少庵ゆかりの「麟閣」酒、駄菓子、絵ろうそくなど郷土特産品がある。
 
戊辰戦争では城に立て籠もり1ヶ月持ちこたえ落城はしなかったが少年まで戦争に駆り出し町の火事を落城と勘違いした白虎隊40名は可哀そう、しかし降伏式では責任者として城代家老西郷頼母は切腹せず家族は全員自刃。この戦争は殿様、筆頭家老がなぜか生き延びる。
 
平成23年3月に黒瓦から赤瓦へ葺き替え。雪も無く瓦は良く見えたが数年前とそんなにイメージは変わらなかった。
会津若松城、次の白河城も司令官や殿様の問題があり城にいくとワクワクしますがこの2つは配下の人が可愛そうであまり気分的に乗らないお城です。
 
鶴ヶ城は4年前大森いさ美寿司のバス旅行で東山温泉に泊まり城は前日に見たのですが夜からの大雪で太平洋側は通行止めで新潟経由で12時間かけて大森まで帰った思い出があります。トイレが大変だった。私のバス最長時間。

此方では伝統的な工芸品も多くありますが「五郎兵衛飴」は柔らかい飴にパラフィン?が付いた物で何処となく懐かしい物です。創業800年以上の老舗、義経、弁慶の平泉落ちの際の飴購入の借用書などもある。
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