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e4c5c9ce.jpeg東芝科学館50周年企画として東芝の創業者の一人田中久重没後130年を兼ね「田中久重ものがたりを今月27日まで川崎市小向東芝町の東芝科学館で開催しています。
 
田中久重は上野の国立科学館にある万年時計の制作者、東芝の創業者、銀座にお店があった位しか知りませんでした。先日、水戸へ行った時反射炉を見たりして最初は佐賀・鍋島藩が作ったと言う事を知り、そこで今回の開催チラシを貰いました。
 
自分でも良く解っていないので少し田中久重を整理します。寛政11年久留米の亀甲職人の子として生まれる。当時久留米はからくり興業が盛んで、家業を継がずからくり人形師へ。しかし、藩財政が苦しくなりからくり興業が出来なくなり大阪へ時計の修理や燭台の制作などで生活、しかし大塩平八郎の乱で一面が焼け、全財産をなくす。
 
再起を図り京都に出てろうそくの10倍の明るさの無尽灯を発売、時計修理だけでなく色々な時計を発明販売。
 
嘉永6年ペリー来航以来、開国の道を進みま技術革新の時代へと、佐賀藩は当時長崎の警護にあたっていた為日本の最先端の科学技術研究機関佐賀藩精煉方の佐野常民に招かれました。佐賀藩に招かれ蒸気船の製造。その蒸気機関を利用した可愛い模型の蒸気船、蒸気機関車を制作、鍋島直正にみせる。日本で最初の鉄製大砲の制作、改良に関与、その後久留米藩からの指導依頼があり久留米、佐賀を行ったり来たりの生活になる。
 
明治になるとモールス式電信機が発明され、政府が輸入したベルの電話機から東京でその電信機の制作を始める。輸入品と違わぬ精巧な物で次々と注文が舞い込む、時に久重75歳、電気機械工業の礎を築く。二代目久重は明治15年東京・芝浦に田中製造所を設立、銀座の煉瓦の建物は販売店となった。        
 万年時計        佐賀藩精煉方897c5576.jpeg66d4c6a0.jpeg5dab0064.jpeg  ペリー献上品蒸気機関車







蒸気車動体模型    蒸気車雛型   蒸気機関雛型試運転        
2a919e3c.jpegf80ca5ce.jpeg601217c4.jpeg






凌風丸          明治初期東芝電話機   芝浦製作所
dc4af9a8.jpeg579dbb13.jpeg66accf7f.jpeg






此処は久重の佐賀藩の蒸気機関車を見たかった事でお邪魔しましたが、外国からの品々をあっという間に同じような品々を作る情熱とからくりの器用さなどこの人はやはりすごい人だったようです。久留米の人間が佐賀の機密的な情報場所で仕事を任せると言う当時としては全く考えられない事ですがその技術を持っていたからなのでしょう。

佐賀には行った事が無く佐野常民記念館など見たいと思いました。東芝科学館は入場無料、音声ガイドも無料、館内案内の人も多く、展示品の立派な図録まで無料で戴きました。流石世界の東芝です。また観光バスで学習の一環でしょうか子供達がたくさん来館していました。
 
さて、私は今何が出来るんだろうか、全く何もない。テレビが映らなくなっても直せない。完全アナログ人間で、かと言って美味しいものも作れない、畑作業も出来ない。車も運転できない。あぁホワイトカラーで何とかお勤めが出来て良かった。これも諸先輩、友人、後輩のお陰と密かに感謝。

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