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今月も先月に続き小倉擬百人一首です。1から50までの先月は広重と国芳でしたが今月は51から100までの50枚。絵師は広重、国芳に三代目豊国(国貞)の3人で描いています。

 

 歌川派黄金期の代表絵師3人が描いている豪華版ですが残念ながら百人一首自体が解っていなく、その下の絵は百人一首と関係ない題材ですから余計わからない。

 

個人的な感想では広重の役者絵などよりやはり三代目豊国が上手なような気がします。そして国芳も上手な絵です。折角の有名絵師3人の揃いものですが勉強不足の私には難しすぎました。

 

来月は広重の「堅絵東海道五十三次名所図会」のようですから楽しみにしています。

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東京国立博物館本館では約400年前に伊達政宗の命によりヨーロッパに渡った支倉常長(はせくら)の慶長遣欧使節の企画展が開催中です。3月23日まで。

慶長遣欧使節の30年前には天正少年遣欧使節団が同じようにローマ教皇に謁見していますが、支倉使節団は実質メキシコとの通商を求める外交使節団。

 

支倉は日本からヨーロッパに渡った最初の外交使節で武士でした。秀吉の文禄の役の渡航、異国滞在など経験、足軽組頭という経験で失敗した時の影響を考え上級でない下級の家臣から選ばれたようです。

 

当時メキシコはスペイン領でその許可を求めるためスペイン国王へ謁見するもいい返事がなく、イタリアローマ法王の仲立ちを求めローマへ、それも虚しくうまく行かなかった。

 

行き帰り7年間という長きに渡り交渉をするも当時の日本はキリシタン弾圧もあり交渉はうまくいきませんでした。帰国後は数年で亡くなりましたが長きに渡り持ち帰った資料、渡欧の事は明治になって岩倉使節団が行くまで忘れ去られていました。

 

今回の展示は等身大のイタリア人が描いた支倉常長の肖像画(イタリア個人蔵)、南蛮人渡来図屏風(重文・個人蔵),世界図屏風世界及び日本図屏風のうち6曲1雙(重文・個人蔵)が展示されています。作品が個人蔵の為写真は撮れず。
左雙

右雙

現在スペインでは帰国をしなかった当時の人の末裔がハポンという苗字で多くいるようです。支倉常長の銅像も立っているようです。当時としては幕府の許可を取った使節団ではあったようですが雄大な構想で支倉常長は下された命を頑張ったんだろうと思いを馳せた時間でした。

 

今月の国宝展示室では雪舟等揚の秋冬山水図です。室町時代の禅僧。下から段々上がっていくように見える奥行の広がる水墨画で精密に描かれて此れが室町時代に描かれたとは。

 


 

浮世絵は江戸初期、絵師の手書きによる肉質画でしたが、後に大量生産が可能な版画が生み出され、黒一色から朱を後から塗ったり、赤が入る紅摺り絵になり彫り、摺りの技術革新により多色摺りの錦絵と呼ばれるきれいな版画へと移っていきます。

 

今回は浮世絵の判の形と今の時期の雪、梅などの季節感に富んだ美人画、風景画によって色々なタイプが展示されています。浮世絵は細判、中判、大判、長大判、柱絵、団扇絵など。

 

古山師政「踊りの稽古図」三味線と踊り手、まだ寒いのでしょうか火鉢が真ん中にそして開け放れた障子には庭に梅の木がほころんでいます。これは肉筆画です。師政というのですから菱川師宣の弟子でしょうか。

 

奥村政信「二代目あづま藤蔵と初代佐野川市松」これは細判、紅摺絵、まだ錦絵になっていない時代、奥村政信は版元で自身も絵師で柱絵も多く手がけています。今で言うプロデューサーでもありました。

 

礒田湖龍斎「雪中相合傘」これは柱絵、錦絵です。柱絵は柱や壁に貼ったり軸装して掛けたり、屏風や襖に張交させたりしました。相合傘の構図は高祖頭巾の二人で何となく鈴木春信の同じ題名の雪中相合傘に似ています。晴信の絵は傘の上の雪や着物が浮き上がる立体的なる摺りが施されています。

 

喜多川歌麿の「雪中芸者と箱屋」大判、錦絵。箱屋とは芸妓の三味線を箱に入れて座敷に向かう芸妓の付き人をさし、この図は足元を提灯で照らし、芸妓の持つ傘にはしんしんと雪が積もっていく。提灯の角木瓜の紋が常盤津節の芸者と解るようです。

 

横大判は歌川広重の風景画などに。

名所江戸百景「びくにはし雪中」京橋の下流の橋、比丘尼橋の冬景色。真ん中には蕎麦屋、寿司屋なのか物売りが雪の中歩いています。山くじらは猪の肉、〇やき十三里は焼き芋屋、さりげなく江戸には沢山いた寒さに強い犬も描いている。

 

団扇絵は同じ広重の亀戸小室井梅園、遠くに富士山を望み、下では観梅の客がお茶屋で休んでいます。団扇絵ですが広重らしく細かく描いています。

歌川豊国の肉質画「炬燵美人図」豊国は歌川派の祖豊春の弟子でその弟子には国貞、国芳など多くの弟子がいます。師匠だけでなく美人画は鳥居春信、歌麿、役者絵は勝川派から取り入れている。

 

伝菱川師宣の「四季風俗図巻」長い巻物に四季の行事などを描いている肉質画。正月の角付けの縁起物の漫才を見ている人。旅なのか行楽なのか出かける人、その装束、花見、船での水遊び、入浴など当時の風俗、流行が描かれています。(小さい写真はクリックして頂ければ大きくなります。)

  鈴木春信「見立て鉢の木」中判、錦絵2枚続き。

日本では有数の館蔵がある東京国立博物館ですから毎月入れ替えの展示は楽しみです。

                    

 

江戸東京博物館で行われている「大浮世絵展」は浮世絵の基本的なおさらいができる展覧会で50を超える国内外の美術館、個人蔵の作品が集まっています。

 

しっかり調べていないのでいい加減なところもあると思いますがそれを恐れず今回の展覧会のおさらい。

 

第一章浮世絵前夜

岩佐又兵衛

 

又兵衛を浮世絵の元祖という、師宣を元祖ということもあり昔の学会の解釈の違いのようで今は岩佐又兵衛を指すようです。信長に滅ぼされた荒木村重の子供で風俗画、長い絵巻物などがある。


第二章浮世絵のあけぼの

菱川師宣、杉村治兵衛、鳥居清信、鳥居清倍、宮川長春、西川佑信、奥村政信、石川豊信など。

 

菱川師宣は浮世絵を確立した。見返り美人で切手にもなっています。

肉筆画が中心だった。時代は絵入好色本の挿絵から鑑賞に耐えられる一枚絵が墨一色の大量印刷で庶民にも手に入る。紅絵、漆絵、紅摺絵となっていく。

 

鳥居清長は鳥居派の祖で歌舞伎の看板絵を描いていた。清倍の市川團十郎などの荒事のひょうたん足、みみず描きは迫力が。

 

第三章 錦絵の誕生

鈴木春信、一筆斎文調、勝川春草、勝川春好,礒田湖龍斎、北尾重政、北尾政演、北尾政美など。

 

武士の間で絵暦交換会が盛んになり金に糸目をつけない人と違う作品をという事で彫師、摺師も技術革新で多色刷りの「錦絵」が出現。その第一人者が鈴木春信。勝川春草は鳥居派と違い立役、敵役などの男性美、写実的にプロマイド的な役者似顔絵が人気に。北斎は弟子。この時期は欧米でも単色の印刷だったので欧米人が驚く。

 

第四章 浮世絵の黄金期

鳥居清長、喜多川歌麿、勝川春英、鳥文斎栄之、東洲斎写楽、歌川豊国、歌川国政、歌川豊広など。

 

鳥居清長は役者絵より8頭身の美人画で背景に江戸の風景を入れる美人風俗画、同じ美人画の歌麿は大首絵。寛政6年から10ヶ月間に突然145枚の役者絵を描く写楽が出現、その後は描いていなく謎の絵師と呼ばれる。別人説、1,2期と3,4期の別人説など未だ誰だかわかっていない。

 

第五章 浮世絵のさらなる展開

渓斎英泉、葛飾北斎、歌川広重、歌川国貞、歌川国芳など。

 

美人画の英泉、江戸の旅ブームに乗って北斎、広重が名所絵、風景画を浮世絵の世界に新しいジャンルを。美人画、役者絵の国貞、武者絵の国芳が台頭。国芳は天保の改革に皮肉を込めた絵、子供が書いたような絵、好きだった猫を使った絵、魚を使った絵文字などの判じ絵などを描く。この時代は歌川豊春を祖とする歌川派の全盛期。

 

第六章 新たなるステージへ

落合芳幾,月岡芳年、小林清親、楊洲周延、豊原国周、橋口五葉,伊東深水、山村耕花,川瀬巴水など。

 

明治に入ると浮世絵は廃れ始める。月岡芳年が最後の絵師と言われる。小林清親の光線画、ポンチ絵。自分で描いて自分で彫って自分で摺る創作版画が織田一磨など。江戸の浮世絵を復活させようと渡辺庄三郎が版元で新版画として川瀬巴水、伊東深水などを起用しブームになる。

 

浮絵は西洋の遠近法を用いて近景が浮き出て奥行が広がる絵で奥村政信西村重長歌川豊春葛飾北斎と継承されていく。

 

今でこそ浮世絵師は芸術家として認知されていますが当時は職人として浮世絵版画絵師は画家としては認知されていない。同じ浮世絵でも肉質画の方が当然認められている。武士出身の絵師は肉質画が多い。

 

今回は大浮世絵展ですが多くの絵師が描いている「春画」はなかった。私も複写の春画をもっともらしい木箱に入ったセットを持っていますが此処へはUPを控えています。

写真は複写絵、絵葉書など。展示されていない絵もあります。

 

 

 

1月2日から3月2日まで江戸東京博物館開館20周年記念特別展が入れ替えをしながら開催中。江戸東京博物館の各コーナーの説明には当時の状況として浮世絵が必ず展示されています。

 

浮世絵はその当時の流行りもの、浮世を描いています。写真のない時代は浮世絵が当時の社会生活、人気者、ファションなどを知るもののひとつでした。

 

今回の展示は浮世絵の前夜から隆盛を極め、明治大正昭和の新版画、創作版画まで順に展示されていて非常に浮世絵の流れが解りやすい。ただ難を言えば大変多くの方が見に来ています。

 

 1度はチケット売り場が長蛇の列で諦め、今回は非常に寒い日だからと出かけましたがチケットはすんなり買えましたが中は非常に多く混雑して前に進めません。こんなに浮世絵が人気だとは嬉しい驚きです。浮世絵専門館はこんなに混んではいませんが。もう一度は見に行きたい。

 

 

 

2度目の後期、昭和20年代から晩年の作品展を見学、そして今日は渡辺版画舗の摺師の実演が丸一日会議室で行われています。解説は渡辺版画舗の社長渡辺章一郎氏。

 

巴水の版画は30回の摺りを経て作品として商品になります。展示室にも10回程度の推移を展示しています。摺りの実演は何回も見ていますが解説付きは初めてです。

 

今回は摺っていた作品にはないのですがバレンの使い方による色々な作業も見せていただきました。出入り自由の会議室に超満員の見学者。巴水人気の凄さを感じます。

前夜からの大雪で博物館は馬込の臼田坂の頂上にあります。雪が氷状態の足元の悪い中いくら無料といっても凄い人出です。(絶筆の平泉金色堂)

 

展示にも名人と言われた摺り師斧銀太郎印付きとその後の同じ版での作品(後摺)が展示されています。微妙に違いが出ています。下手な写真では見分けが付かない。

作品として川瀬巴水が出てきますが浮世絵と同じ彫師、摺師の技術が相まって作品が世に出ます。そして3人を束ねるプロデューサーが版元でこの4人がいないといい作品が出来ない。

この所銀座の渡辺版画舗で巴水作品を買っていますが、見るとどうしても欲しくなる作品が出てきます。池上本門寺五重塔の夕景か雪景色さて。

 腰が痛くここまで来るのも大変だったが良い一日でした。

 

 

王子と言えば私には都電、飛鳥山ですが今回は「お札と切手の博物館」へ。名前に惹かれ初めての訪問。

 

日銀が「貨幣博物館」目白には「切手の博物館」「てぃぱーく」は閉館しましたが此処は郵政省の管轄で大量の切手、郵便事業の歴史資料があり3月にはスカイツリーの下に「郵政博物館」として再オープンします。

 

「お札と切手の博物館」は隣の行政法人国立印刷局が運営しているようです。メインはお札や切手の印刷です。

 

貨幣博物館、切手の博物館、前のていぱーくへ行っていましたので私の趣味と目的からは少し違っていました。

王子駅の反対側の飛鳥山に渋沢栄一の関係博物館が3つありますので時間もあり「紙の博物館」「北区飛鳥山博物館」を見学。「渋沢資料館」は以前見ているので今回はパス。

北区飛鳥山博物館は郷土博物館ですから大体こんなものかと納得、紙の博物館は渋沢栄一ですから王子製紙だと思いますが4階で展示していたペーパークラフト展?は素晴らしかった。(写真は飛鳥山子供遊園のD51,あり日の王子軌道)

 

サラっと回りましたが午後からでは3館は時間がかかり慌てて帰宅。

 桜が咲けばきれいな散策路、昔の鉄道レールの再利用の柱)

 

 

シャヴァンヌという画家は初めて聞きました。19世紀のフランスを代表する画家で特に壁画を沢山描いているようです。

 

ポスターの表紙になっている「諸芸術とミューズたちが集う聖なる森」は縦4.6m横10.4mの壁画で、夕暮れの山の中の水辺に芸術の女神達が理想郷に集う。3人の諸芸術の化身と9人のミューズが霞んだ森の中に淡い光で包まれた静かな風景です。

教会などの鮮やかな色彩でなく霞んだフレスコ画的な絵で落ち着いた色調が多く個人的には古典的な絵画様式に見えます。

しかし、スーラーやマティス、ピカソなどに影響を与え、黒田清輝なども絶賛していたようです。3月9日まで開催。今回も東急の株主優待券で見学。(入館料1400円。)TV東京「美の巨人」の放映後で大変混んでいました。

 

 

 

六本木一丁目駅すぐの住友コレクションを収蔵する泉屋博古館(せんおく・はくこかん)で2月16日まで木島櫻谷展を開催中です。

                           

住友グループのコレクションを展示している美術館で本館は京都にあるようです。木島櫻谷は住友家の注文により描いているようで小さな展示室いっぱいに四季を描いた大きな屏風が展示されています。

春は柳に桜、夏は燕子花、秋は菊などの図柄、冬は雪中梅図とどれも素晴らしい。本家邸宅用の屏風だそうです。これをひとつ広げたら我が家は寝るところがないくらいの大きさ。

木島櫻谷は写生を丁寧に描いて、琳派の手法なんでしょうか動物は素晴らしい。馬が走っている図も一筆書きではないですがさっと描いたような感じですが躍動感が伝わります。

 

獅子、奈良の鹿、厩の馬と脇のさるすべりなど写実的に描かれています。余り見る機会のない作家ですが楽しく見学ができました。

 

久しぶりに六本木のアークヒルズ横のスペイン坂を登りホテルオークラへ。目的は敷地内の大倉集古館。

大倉集古館は創業者大倉喜八郎が創設した日本で初めての私立美術館です。明治維新以来日本の文化財が海外に流失して行くのを嘆きその保護から収集、その後息子と続いています。

 今回日本画は少なく蒔絵作品、鍋島焼き、自在置物などの工芸品、能装束などが中心です。能装束は能自体あまり見たことがなく装束も遠目でしか見ていないので繊細な素晴らしい刺繍、図柄が入っていたのもゆっくり見たのは初めてです。

東京国立博物館には毎月浮世絵を見に行きますがそのコーナーには衣装も沢山展示していますが殆ど見ていませんでした。また蒔絵作品の長生殿手箱は重要文化財指定、田子の浦蒔絵文台、硯箱、吉野山蒔絵五重硯箱など繊細な細工で素晴らしい。

陶器で出来ている小さな加藤清正像も明治の作品だそうですが素晴らしかった。今回はぐるっとパス消化で前回同様お邪魔しました。

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