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昭和61年に砧公園内に世田谷区が財団法人として設立。とても大きな公園の中に木々に埋もれたような2階建ての美術館。
分館として向井潤吉アトリエ館、清川泰次記念ギャラリー、宮本三郎記念美術館があります。
今回はジャポ二ズムを取り上げボストン美術館の作品が沢山来ているとの事で楽しみにはしていました。私の美術館巡りの原点はこの印象派の人たちの作品を見てそこから浮世絵、日本画と見るようになりました。
面白いものでフランスでは印象派の人達はサロンでは認められていませんでした。アメリカ人が印象派の人達の作品を認め多くがアメリカに流れました。
そして浮世絵は日本ではプロマイド的な物、お土産品程度で破れ障子に貼ったりしていましたが、万国博覧会などで浮世絵がヨーロッパに渡ると印象派の人達を中心に一大ブームになりました。
自国の良いものは中々解らないのか舶来ものに憧れるのか。浮世絵に限らず日本の工芸品、柿右衛門様式の磁器、豪華な薩摩焼、蒔絵などが日本の輸出品になって行きます。そんな事で今回の美術展は楽しみにしていました。
7月12日たまたま訪れた交流館で上記のタイトルの講演会があるとの事で拝聴した。講師は元JR東海の専務をしていた志田 威氏、現在は生家の蒲原宿で醤油屋を東海道町民誠克歴史館館長をされています。
東海道は普通五十三次ですが五十七次と言うのは京都から大阪への大阪道を言うんだろうと思っていましたが、結果はその通りでした。
なぜ世間的には東海道五十三次と言われていますがそれを五十七次に拘っているのか良く解りませんが私も道は当然つながっていることは弥次喜多道中、参勤交代、飛脚などもあり以前から逓信総合博物館(現郵政博物館)の東海道展などで見ていました。、
解説としては1、関ケ原の戦い後江戸~京へ新たに40の駅を設け人馬継立を開始。(1601年)2、大坂夏の陣で豊臣が滅び大阪延伸を始める。
その後40から川崎、戸塚、箱根、最後に庄野が決まり京までは53駅になる。
しかし、歌川広重の東海道五十三次の浮世絵が大ヒットになり現在でも大阪道として東海道は京までと思いこまれている。現実は伏見、淀、枚方、守口の4駅を置き、幕府は道中奉行が直接管理していた。
だから57次だという事のようです。大阪道を含めるという答えありきの講演会でした。
私自身は講演会で宿駅伝馬制、地子、参勤交代ではなるべく京都によらないような指導をしていた。と云った話は新鮮だった。
東海道と言っても鉄道では東海道線は東京駅から神戸駅までを指し、新幹線は東京、新大阪を指す。一般的に広重の影響か東海道は五十三次日本橋から京までを指す。
26日まで川崎・砂子の里資料館で川崎市制90周年記念として川崎を描いた浮世絵、木版画75点の展示。
東海道の宿駅でもあり、広重、歌麿、北斎、国芳、国貞、二代目・三代目広重、英泉、芳虎、貞秀などの浮世絵に小林清親、川瀬巴水、笠松紫浪、平塚運一などの木版画が展示されています。
川崎(調布の多摩川を含む)がこんなに多く描かれているのを見てびっくりしました。狭い会場ですが中々見ごたえがありました。
斎藤館長の話では川崎は江戸の時代は多摩川の清らかな流れの中で、漁、洗濯などが出来ましたが京浜工業地帯の中心地として公害の街にそして今は音楽ホールや美術館など文化溢れる街に変貌を遂げています。
工場跡地が高層マンション群になっていますが未だ昔の面影を伝える東海道、川崎大師などで観光客も増えているそうです。
当初はデュフィと言う画家も知らず、チラシの絵を見てもそんなに興味をひくものでなく招待券は今年一杯使えそうですので今回はと考えていましたが折角行って見られなかったので悔しいので再挑戦。
1900年代から晩年の作品まで油彩、水彩、版画、デザイン作品、晩年の作品と時代を追って見られます。
チラシの馬に乗っている作品「馬に乗ったケスラーー家」という作品も注文主から作品を受け取ってもらえずその後描いた作品のようです。
本来の肖像画からはやはり逸脱しています。最初の入口の作品は風景画でどこにもある上手な絵ですが段々、マティスの影響、印象派の影響か点描画、セザンヌの影響と時代時代の影響を受けています。
芸術の解らない私には上手な絵描きさんも時代時代で最後の方は子供が描いたのかと思うような絵になって行きます。ただ水彩画は好きな絵が何点かありました。
木版画はやはり黒と白のあまり面白くない版画です。1910年当時のようですがこの時代は日本では浮世絵が隆盛を極めていた時代を過ぎた頃です。
明治維新であれだけの技が無くなったのは残念です。7月27日まで開催。1500円。
ミュージアムがある東急百貨店脇には紅白の名前が解らない木が白と赤の花を咲かせています。何となくめでたく気分を治して帰宅。
昨日はママリンから食事がてら渋谷Bunkamuraへ行かないかと言われ、普段より早めにトレーニングをやって12時前に帰宅。
ママリンはBunkamuraでお友達の個展があるとの事、私は地下のザ・ミュージアムの「デュフィ展」の招待券があるが余りこの展覧会は?と思っていたがママリンのお友達の個展よりは良いだろうと向かう。
暑い中、Bunkamuraに到着、しかし何と今日は水曜日なのに入れ替えの為休館。いやぁ参った。
1階のラウンジにあさのたかを氏の木壁画の展覧会が開催中。天然の木の色や木目だけで描く作品です。富士山の風景や動物など子供から大人まで楽しめる珍しい作品です。高いのは数十万円、安いのは10万以下で販売中です。
折角来たので東急本店脇の坂を登っていくと渋谷区立松涛美術館があります。何をやっているかわかりませんがとりあえず向かう。「藤井達吉の全貌」と言う展覧会でした。入館料500円ですが60歳以上は半額。こういう時だけ60を超えて良かったと思う。
藤井達吉と言う名前は初めて聞く。大正から昭和に活躍した工芸家?七宝、彫刻、陶芸、日本画、木版、刺繍などなんでもござれの作家だったようです。
何方かと言うとデザイナーのような感覚で全てが出来ないとと云った普段使いの工芸を目指したんだろうか。特異な作家さんのようです。
渋谷は大変な人ですが現在は東急の再開発にJRも再開発中です。営業しながらですから大変な工事です。数年するとこの景色が一変します。
今月の浮世絵は6月17日から7月13日までで七夕や蛍狩り、夕涼みなどの夏の風俗、日光の滝を描いた図、広重の魚など涼を感じる季節感の作品です。
最初に肉質画で東川堂里風筆の「遊女立姿図」、絵自体はこの様なスタイルは単純な私は遠目からでは菱川師宣の絵と思ってしまう。また東川堂里風という絵師の名前も初めて知った。とても素敵な絵です。
その菱川師宣の浮世絵は墨摺絵で初期の作品でしょうか。「よしわらの躰」と言うタイトルで客引きが通りすがるお客の袖を引いている。侍は深く傘を被り素知らぬ風。武士は食わねど高楊枝でしょうか。
夏と言えば行水?タイトルは風呂鳥居清満の紅摺絵
石川豊信の「佐野川市松の久松」は重要美術品、幅広の柱絵判、そして後から色を入れた紅絵。
「七夕の短冊を書く美人」は鈴木春信で彼が考案した多色摺りは色鮮やかで以降多色刷りは錦絵と呼ばれる。美人画と言えば喜多川歌麿で写真は「腰かけ美人」
鳥文斎栄之の「蛍狩り」蛍の照らす色でなくそのままですから何だかアリみたいな感じに見えます。栄之と言えば旗本で立姿の美人画、未だに鳥居清長と区別が出来ない。
広重の不二三十六景大江戸市中七夕祭、同じ広重の茄子と鯒、この時期は鯒の刺身が旨い。中々釣れない魚で刺身にするのも骨があり少々面倒だなんてこの絵を見て思い出した。
溪斎栄泉の日光シリーズの滝、華厳の滝、裏見の滝などですが風景画では広重と人気を二分したようですがこの図は?
奥村政信の「両国涼見三幅対」細判3丁掛と言う珍しいタイプ。大判2枚で済むところですが。
その他に物干し、蛍狩り、七夕祭などが展示されています。行くたんびに初めてという物があり刺激を受けます。
6月24日から9月15日まで東京国立博物館平成館では台北故宮博物院神品至宝展が開催中です。
目玉は「白菜」で海外初公開でこの作品は7月7日までの展示です。普段は持ち物検査がないのですが今回は持ち物検査が私みたいな本館だけの人間も全員チェックされます。台湾と中国の問題があるようです。白菜は平成館でなく本館一階に展示されこれを見るのに3時間待ちとの事です。
何時間も暑い中待ってやっと見てから平成館へ行きますがお年寄りが多く今日は疲れたから今度にしようとお帰りの方たちも。
1時近かったので本館の入場券を買って東京芸大学食でいつもの昼食を戴きました。途中の黒門は旧因州池田屋敷の表門、現在の東京丸の内三丁目にあった鳥取藩池田家江戸上屋敷の正門。重要文化財指定。この先が東京芸大です。
東京国立博物館の西のはずれにあり木々の中とこのどっしりした黒門を見ると何となく武士が出てきそうな雰囲気です。個人的には好きな場所で土日には解放されます。(長くなりましたので続く)
原宿にあります浮世絵専門館太田記念美術館では6月26日まで相撲絵の展覧会が開催中です。浮世絵の中でも相撲錦絵はジャンルとして役者絵、美人画、風景画に比べマイナーな感は否めません。(相撲錦絵は東京国立博物館で写したもので今回の展示とは違います。)
今回は石黒氏が今まで収集した相撲錦絵550点を寄託したものの中から100点余りを展示しています。展示内容は白熱の取組,相撲絵を描いた絵師たち、個性派力士勢揃い、大相撲の賑わい、力士たちの日常、相撲にまつわる物語と言ったカテゴリーで展示されています。
浮世絵は似顔的なものから誇張したものまであります。絵師によって様々な表情を出しています。歌舞伎絵などの勝川派の絵はちょっと頼りないような躰、表情があったり歌川派になりますと大きな誇張した絵になります。
当時の相撲は遊郭、歌舞伎とともに娯楽の代表格だったようです。多分相撲錦絵は相撲博物館が一番所蔵しているのではと思いますが中々纏まってみる機会は少ないので楽しみに出かけました。
最初は土俵上の取り組みや横綱土俵入りなどを三枚つづりの大判で迫力ある展示です。現在さがりは一本一本になっていますが当時は縄を下だけ少しばらしたような感じのさがりのようです。現在は布海苔で一本一本固めています。また昔は化粧まわしで相撲を取っていたそうですがそう云った絵は見たことがない。
また土俵入りは横綱だけが土俵で露払い、太刀持ちが土俵下に描かれたりしています。多分これは横綱を大きく描くためだけの構図だったかも知れません。?
相撲は歴史的にも神事を取り入れていますが興行が主だったようで見世物的な相撲を取らない大きな力士、怪童と言われた子供もいました。有名な谷風も当初はそのような所からスタートしたようです。
人差し指で娘を持ち上げる釈迦が嶽雲衛門、牛を跨いだ大空武左衛門、生月鯨太左衛門、ペリー再来日した頃一度に米俵8俵を担いで異国人を脅かした白真弓肥太右衛門、横浜で2mを超える怪力を誇るフランス人を投げ飛ばした無名力士など。子供では写楽が描いた大童山などが有名です。此方では国芳の鬼若力之助と言う怪童の作品が展示。
作品としては国貞の両国橋の上の力士23人を描いた大判6枚横長の浮世絵は圧巻でした。初めて聞いた名前ですが肉筆画の佐藤正持の稲妻雷五郎の土俵入りの図は中々です。
100枚を超える浮世絵で疲れましたがまだ時間があり原宿から両国の相撲博物館へ「江戸時代の横綱と雷電」展を見ました。今回3度目の見学。此方も今回は浮世絵が多く展示されています。
太田記念美術館は26日まで月曜休館、700円。相撲博物館は6月20日まで無料、土日休館があります。
原宿はパンケーキ、ポップコーンなど現在話題のお店では若い人が長蛇の列、平日でも若い人ばかりで散策も落ち着かないが両国は私的にはお相撲も終わり静かですが此方の方が落ち着く。
若手の切り絵作家高木亮氏の個展を2ヶ所見学。大分前から気に入っている作家で案内状を戴きのこのこ出かけました。
1つ目は池袋東口駅前のジュンク堂書店9階で新しく刊行した「きりえ画文集」の記念個展。人気のユメとバルーンシリーズで黒猫や犬などが坂道の風景の中に溶け込んで情緒的で個人的に好きな絵が多い。原画15点の展示、そこへ色が付いた絵も展示されています。7月31日まで。
久しぶりの池袋ですがこのジュンク堂と言う本屋は全国チェーンだそうですが兎に角大きい。ビル1つ9階まで全部このお店です。神戸三宮だそうですが丸善のグループに入っているようです。ないものはないと言った凄い量の本屋さんです。結構な人が各階入っています。町の小さな本屋さんが無くなっていくわけですね。
2つ目はJR御茶ノ水にある明治大学中央図書館ギャラリーで6月29日まで開催中。此方は着せるだけで別の本にしてしまうブックカバーで名作をパロディー化した偽本シリーズ全100点とそれをもとに今でも連載している新潮45誌上での贋作名画大全。図書館ですからパロディー化の元の名作も紹介しています。
以前から興味があり案内も戴き見にはいっていますが中々原画は高く購入は出来ない。
久しぶりに御茶ノ水に降りた反対側は大病院があったりして見舞いなどで降りるが神保町方面は久々です。御茶ノ水でまず驚くのが楽器屋さんが道の両サイドにめちゃめちゃあること。私の概念では御茶ノ水=神保町=本屋街、スポーツ用品店街と言った方が強かったが楽器屋も凄いある。食事時間なら明治大学か日大の学食でも戴きたかったが時間がずれていました。
毎月お邪魔する川崎砂子の里資料館では先月に続き開港150年を記念した横浜絵の展示です。今月も大量の68点の展示。
館長の斎藤先生の解説文から
「明治新政府に招聘されたフランス人プスケは「ルイ11世からフランス革命に至る300年を日本は駕籠から汽車に飛び乗り走っていくようだ。」と評論しているが、まさにチョンマゲからザンギリ頭、着物から洋服、下駄から靴へと生活様式が大きく変わったのみならず。明治新政府により新しい社会制度がどんどん取り入れられた。
欧米文明のの流入により「猿まね」と言われたが、江戸職人の優れた技術により近代産業の基礎が作られていった。文明開化の表徴、岡蒸気が走り、国内の殖産振興に大きく貢献した明治時代、近代日本の幕開けとなった。」
歌川貞秀 商館内の図
亜米利加、英吉利、仏蘭西、阿蘭陀、露西亜の五か国がいつの間にか自国民を守るという口実で駐留するようになり不平等条約の中少しづつ貿易に対しても平等貿易へと向かおうとして行きます。良く植民地にならず凌げたと明治新政府の役人たちの努力、急速な殖産振興、富国強兵策も功を奏したんでしょうか。
三代歌川広重 横浜郵便局開業之図
横浜絵は外国人の姿や生活などを描いています。しかし江戸時代の浮世絵の絵、色などからだいぶ変わって行き写真などの発達により残念ながら徐々に浮世絵としては衰退していきます。
午後から変わりやすい天気との予報ですが夏の空になって日差しが肌に痛い位でした。大きい入道雲今年初めて見たような気がします。
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