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美術館・鉄道・お城・お相撲・お友達の話など趣味のブログです。
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5d2e7e2c.jpegeb2c568e.jpeg新宿山の手七福神スタンプラリーの完走賞を戴きました。ちょうど旅の贈りものの映画は近くでは新宿武蔵野館でしたので見るついでに戴きました。
新宿駅の携帯ストラップと鉄道むすめ青森りんごジュース1缶です。8Kの御褒美でした。

 
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土曜日は十三夜でした。たまたま夕方高層の建物から水割りを飲みながら眺めました。本来は十五夜の月も見なくてはならないのですが残念がら天気が悪く見られませんでした。
 
夜のショーのリハーサルの絞った音楽を聞きながらの月見も、夕方の酒も中々です。城ではわざわざ月を見る為の月見櫓が有った位ですが現代は中々ゆっくり見る事もない慌ただしい日々を過ごしています。
 
外国から入ってきたハロウインも飲食店などのディスプレイとして秋を演じますが中々パーティやパレードと言っても日常生活には定着はしないようです。
 
ハロウインと同じように月見で各家庭を廻って団子やお菓子を子供たちが貰って歩いたりと云った行事は昔話の絵本の世界になっています。
 
眼下で慌ただしく仕事をしている人を見ながらの一杯は最高でしたが月の表面のうさぎ形の模様ができたきっかけは、39億年以上前に巨大な隕石(いんせき)が衝突して盆地ができたためであることを、産業技術総合研究所が確認したそうです。
 
何だか現実はロマンも何もなくなってつまらないニュースを聞きました。

2f64cb37.jpeg51e8193f.jpeg昨日自転車でトレーニングジムへ向かう途中、踊りの師匠、そのお弟子さんたちに声を掛けられました。伊豆の旅館の時は何度も見えて戴いた皆さんでバスの時は添乗までしました。
 
ちらしを戴いたのですが振り込み詐欺に注意のチラシを通る人に配布しています。私はお金がないから大丈夫ですよと言ったら、今はその振り込み詐欺以外に還付金詐欺も流行っているとの事です。
 
医療費、税金の還付金は自分が申請しないと戻って来ません。そして口座に振り込まれますが、どのように騙すんでしょうか。ついでにお茶も戴きました。インスタントのお茶ですが「だまされま煎茶」と書かれています。
 
帰りには交差点で信号待ちをしていたら婦警さんがティシュを配布、この所自転車マナーが悪く、そのキャンペーンだそうです。ティシュの中には自転車の正しい乗り方、いけない乗り方などが書かれていました。
 
確かに右側通行の自転車、スピードを出し過ぎ、信号無視など自分が乗っていて危ないと思う場面が多くあります。
 
警察も大変だなぁと思う。個人的には余りお付き合いは無いが此れからも御迷惑を掛けないようにしよう。

 
1453f238.jpeg写真のベルトは、昨年かみさんがコーディネートした洋服、パンツを購入して貰いました時のベルトです。
 
左側が最初に付いていた穴で右側にはその後自分で開けた穴です。1年で何となく4つ穴を開けてしめています。
 
トレーニングの効果か食事が良くないのか兎に角穴を開けないとずり下がってきますのでいつの間にか開けていました。
 
体重も5Kないし7K、計る時によって違いますが今年の春の健康診断の体重より減っています。
 
旅行から帰ったら2K戻っていました。今回は車での移動で歩く事が少なく結構毎晩飲んだのが原因かもしれません。意識はしていませんがまた少し減ればと思っています。
 
このベルトは行きも帰りも飛行場で反応してその都度はずしてパンツが落ちそうになりました。(オーバーか?)

 
3b83fd5a.jpeg3日目
広島空港から16時35分で帰るだけです。今日も秋晴れで広島だから安芸晴れかと冗談を言いながら還暦親父3人、レンタカーで福山へ1時間30分のドライブ。福山城へと向かう。
 
途中SAでお茶をしようと立ち寄るが売店は修学旅行生一団により一般客は買えない状態。団体で動くのは凄い。今や中々団体客はツアーや町会位しかなく会社単位は少ない。昔を思い出す。
 
福山城は5重6階地下一階で立派な天守閣が望楼型で乗っている。昭和41年に復原し中は博物館になっている。丁度築城390年記念「福山城展―城郭と城下町―」を開催中でゆっくり見学。
 
福山駅前にあるお城で1度攻め入り、新幹線からも見た事が何度かあります。まだ帰るには早く車で30分の鞆の浦に行き食事にする。万葉集にも歌われる景勝の地で瀬戸内の中心に位置し潮待ちの港で周りには沢山のお寺、歴史的建物などがある景勝地。
 
鞆の浦と言えば日本初の蒸気船同士の衝突、いろは丸事件で坂本龍馬も最初に上陸し暫く隠れていた桝屋清右衛門宅など。下の写真は食堂からの渡船が走っていました。短時間で何度も行き来しているようです。

岸壁では地元のご夫婦が釣りをしていてほのぼのとしています。下まで見れるきれいな水面です。 
97991614.jpeg鯛のてんぷらを戴き今日も車なので昼のお酒はなし。福山に戻り空港へと向かう。空港まで順調なのだが途中のガソリンスタンド、レンタカー乗り捨て場がナビ通りには見つからない。
 
道に迷いとんでもない山へ向かったり、新しい道路に殆ど車が走っていなし道へと1時間は走り、何とかガソリンスタンドが見つかり、レンタカー返却も出来た。時間的に余裕があったはずが1時間もなく簡単にレストランで反省会をして機上へ。
 
36582b8e.jpeg普段は列車のとことこの旅でしたが今回はレンタカーでの旅で足回りは良いのですがナビが古いようで新しい道に対応していなかったりしましが郵便局は6局出来ました。鞆の浦2局、広島空港などは鉄道利用者では中々押せない所でした。
 
長い文章最後までお付き合いいただきありがとうございました。

 
912b3b32.jpeg16797cad.jpeg0db2c1db.jpeg2日目は今回の目玉旧海軍兵学校、現在の海上自衛隊第一術科学校、幹部候補生学校、呉の大和ミュージアム、てつのくじら館など海上自衛隊関連施設をまわります。

16dca60e.jpeg583f192f.jpega92fdbd9.jpeg今日廻る所は私も初めてです。特に江田島は中々行けない所で、今回は広島からレンタカーで8時出発。ナビの使い方、読み方で苦労する。2時間で行けるはずが行けない。

江田島の海上自衛隊の学校は無料ですが10時、13時、15時の3回、案内が付き1時間半途中退場は厳禁、服装もタンクトップ、ノースリーブ、短パン、ダメージジーンズ、極度に短いスカート、破けているズボン、ビーチサンダル、下駄、雪駄等は禁止。

元々は築地にあったが文明と隔絶していて教育に専念でき、軍艦が停泊できる入江、気候が温暖と云う事で此方に移ったそうです。帝国海軍の将校を養成する目的とした教育機関。最近では坂の上の雲で人気も出ているようです。

広い構内には明治の建物、大正の建物などが残されています。とても大きな赤レンガの校舎、素晴らしい作品、特攻隊の遺書などが展示されている教育参考館などがあります。

623e8137.jpegこの教育参考館は海上自衛隊の聖地と云う事で中では脱帽し写真撮影は禁止、我々だけでなく現役の生徒がメモを取りながら勉強しています。此処では自由行動で40分間見学できますが途中で時間が来てちょっともったいなかった。

勝海舟から横山大観、戦争画のレオナール藤田、川端龍子、特攻隊の遺書、元帥、大将の書、東郷元帥の刀など。遺書関係は申し訳ないが途中通過。数万点の所蔵。歴史的資料が多いようですし、先人の偉業をたたえる、また戦没者への鎮魂施設。

583f192f.jpeg大講堂は鉄骨煉瓦石造りで大正6年の兵学校の入学・卒業式、精神教育の場として建築。此処で秋山真之が首席で赤いじゅうたんを歩いたんだと感激。

真ん中の赤い絨毯は1番の首席者のみが戴き、2番手以降は横から証書を成績順に戴く。現在は首席だけで後は学生番号順だそうです。

江田島に通った軍人は、同じ釜の飯を食った海軍兵学校の同期(クラスと呼ばれた)を何よりも大切にしたそうです。職務を離れれば「貴様と俺」で話が通じる対等の立場であるという不文律があったそうで、またクラスが戦死した場合残された家族は生き残ったクラスが可能な限り面倒を見るという暗黙の了解が存在。逆に同期のトップが不祥事等で辞める場合は同じ同期は全員が辞めるそうです。戦後に至るまで兵学校出身者の絆は強かった。中庭には同期の桜があるそうです。

 
5d2655f1.jpeg赤煉瓦校舎は幹部候補生学校庁舎で日清戦争前年の明治26年海軍兵学校生館として建設。

第一術科学校学生館(旧海軍兵学校西生徒館)は昭和13年に建てられたが昭和31年横須賀にあった術科学校が移転し、現在は第一術科学校生徒館として使用。現在の建物は平成10年に改築。
 
とにかく広い敷地に多くの建物があります。敷地の真ん中に日の丸掲揚台があります。時間で国旗が掲揚されるのでなく日の出、日の入りで行うようでその時間は居る場所から掲揚台へ敬礼をするようです。
 
a5861833.jpeg説明の方も良かったし教育参考館も素晴らしかった。解散後食堂でカツカレーを戴く。富士演習場、横須賀に次ぐ3ヶ所目の自衛隊でのカレーだった。


 
cf4bae5a.jpeg2f37ff9d.jpeg7d2c5614.jpeg呉では戦艦大和の十分の一の模型やゼロ戦、回天、特殊潜航艇などを大和ミュージアムで見学。500円。

a84b1910.jpegc4271d52.jpeg52e6d166.jpegff7fe4e9.jpeg9f32df7d.jpeg67ad2526.jpeg横の海上自衛隊呉資料館「てつのくじら館」で潜水艦の中へ見学。現在行っている魚雷の掃海艇などを見学。無料。

戦後戦艦技術は鉄道への技術の場へと移り、新幹線などへと繋がって行きます。
 
その後歴史のみえる丘を探すがナビの場所と違い、近くの山へ行ける所まで車で上り呉湾を見て、広島へ帰る。
 
夜は昨夜のホテル下の居酒屋で反省会。戦争を知らない還暦親父今日の施設見学で多いに盛り上がる。刺身や広島ならではの食べ物を選び焼酎一本で足りず、量り売り迄飲む。その後また部屋で乾杯。明日は福山、鞆の浦を予定。
江田島旧兵学校の詳細は

eec6cf80.jpeg17日(水)から19日(金)まで8月の伊勢路と同じメンバーで2泊3日の旅に出かけました。今回は①広島城、福山城のお城、②日本一の広電の路面電車、厳島神社、江田島までの船、滞在中のレンタカー、行き帰りの飛行機と乗り物の旅、③呉の大和ミュージアム、海上自衛隊の「てつのくじら館」江田島の旧兵学校という軍都広島の顔、④お好み焼き・牡蠣・あなごめし・もみじ饅頭・瀬戸内の魚などの食べ物⑤郵便局スタンプと盛り沢山の旅。

初日は羽田を8時40分発JALで広島へ。ちょっと元株主としては微妙ですがやはりJALは鶴丸が似合う。

d8375de8.jpeg3d86b562.jpeg広島は雨でとりあえず広島駅までリムジンバスで向かい、雨なので広島城を軽く見ようと攻め入る、展示品として刀展が開催中、同行二人は雨なので軽くと私に付き合うが展示品に興味を示しかなり長く滞在。個人的には城内の天守閣だけでなく櫓などお堀一周をしたかったが諦める。


b006b226.jpeg7d4b6aa3.jpeg77bda391.jpeg路面電車で宮島口へ約一時間乗る。多分私の路面電車最長時間。営業距離(35.1K)、乗降人員(1日16万人)は日本一。残念ながら「チンチン」は鳴らない。3連の車両が多く、出る、入場と前後にある。フリーキップのカードリーダーの使い方が当初解らず。乗る時は下からいれ、下車時は上から入れるも、車両によっては横から入れる。

大正元年開業で今年で100年、殆どの乗降客が磁気カード利用で昼間でも3両編成で満員、完全に市民の足になっています。

宮島口で腹が減り(3時)であなごめしを戴く。1400円は高いと思ったが他のお店は2000円前後、アナゴの炊き込みになっていて美味しかった。フェリーに乗り宮島へ。修学旅行生、ツアー団体で一杯。

721b8520.jpeg7864dd01.jpeg途中、同行者のちょんまげさんが牡蠣を食べようとなるが広島の生はどうも東京人には怖く、私と塚ちゃんはパス。夜に焼牡蠣を戴く。東京に入る広島産は加工用が多い。参道までは穴子・牡蠣・もみじ饅頭屋が多い。おやつにもみじ饅頭の出来立てを戴く。

e8520b00.jpeg97b15af6.jpeg厳島神社は当然もの凄い人、神殿で参拝をして引き潮なので雨の中ですが大鳥居まで私1人行く。この鳥居の下には50センチの松杭が100本打ち込まれている。
 
近くの民族資料館へ時間的にいけなかったのは残念でしたが修学旅行、平清盛ブームで大変な込み合いの宮島を後にして1日目が終了。この日だけ結構な雨で靴まで水が入りスニーカーが臭い。

e433b41d.jpeg夜は一番有名との「みっちゃん総本店」で一杯と入る。外人も多く食事だけのようでちょっと飲んで此処のスペシャルを戴きホテル下の居酒屋で宴会。ここでも広島お好み焼きを食べるが流石有名店で最初の店が旨かった。


 
 今日から学校・会社と全く関係ない永年の友人と3人で2泊3日で広島へ行きます。今回はとことこ列車でなく飛行機利用でちょっと残念。
 
メインは江田島の旧兵学校、呉の自衛隊などですが広島から宮島は50分の路面電車、広島城、時間が有ればJR山陽線で福山城、ついでに郵便局スタンプ、お好み焼き、アナゴめし、瀬戸の刺身など楽しみです。

昔貼り付け獄門になった鈴が森処刑場跡の近くでお酒を飲んで帰りにはタクシーで帰った。家について自転車で行った事を思い出し早朝、チャリを取りに行く。どうもこの所物忘れが激しい。
 
チャリで帰りがてら菩提寺に参拝して近くの喫茶でモーニング途中義父に遭い京急蒲田の近くのPIOでの「おおた商い観光展」へ。http://papalin.blog.shinobi.jp/Entry/1725/
 
区内の商店、伝統工芸などが沢山出展しています。早い時間ですがTVに良く取り上げられる「羽根つき餃子」は長い列が出来ている。中をとりあえず1周、色々試食をしながら物色。
 
結局買い物は試食で美味しかった山形のつや姫5K、佃煮(いなご・たらこ・あさり)赤飯、羽根つき餃子・エビのてんぷらなどを購入。義父の家で昼から宴会。
 
e789db3f.jpeg725dd153.jpeg2時から大森駅東口駅前ではUTANフェスタがあり行司&呼び出しの会の会長をして貰っている居酒屋正助市場の正助さんが商店街の会長もしていて「大森から元気発信」と云う事で広場でDDTプロレスを開催。子供教室などもありメインの試合が始まる頃は多くのお客様が雨の中観戦。
 
de5a6bb1.jpeg毎年開催していて無料でまじかにプロレスが見られると言う事で大人気です。商店街の宣伝や売り上げは無視しているようです。兎に角大森を知ってみんなが喜んでくれればと云うようです。
 
商店街の真ん中で盆踊りや阿波踊り、ソーランなどは売らんかなで厭なんだそうです。何だかんだ2つの催しものでお酒も飲んで楽しい一日でした。
 
 

 
f9f928d2.jpeg池上本門寺では10月11日~13日までお会式が盛大に行われる。13日は日蓮上人の命日にあたり宗教的に色々な行事が行われます。特に前日の夜は日蓮宗の信徒の方の団扇太鼓や鉦を叩きながらの長い行列があり万灯や提灯行列、纏いなどをふり御題目を唱えながら色々な所から本門寺を目指します。

今はこの行列も交通規制などから手前まで車で運び総門から登って行きます。毎年この12日の夜だけで30万人、35万とも言われるの人出が繰り出されます。

e9d7b68d.jpegこの池上本門寺は元々は池上家10代目宗仲が鎌倉幕府の番匠の頭を務めていた時、鎌倉出仕中、日蓮上人の説法を聞き、深く帰依し信仰を結ぶ事になりました。弘安5年10月13日旅の途中病になり宗仲の屋敷で入滅された。

宗仲は屋敷の一部を日蓮の弟子達に寄進し大坊本行寺と称しました。21代池上太郎左衛門幸広は川崎の大師河原の肥沃な地に移り先祖宗仲より伝えられた宝物、家財、家屋敷を池上本門寺に寄進、一族を連れ大師河原の開拓に着手。

そんな池上家の名前が10月21日(日)に水鳥の祭りとして出てまいります。
慶安2年(1649)5月21代幸広とその一族14名が江戸での医者・儒学者の茨木春朔とその仲間16名との間で酒飲み合戦を繰り広げたという。(仮名草子「水鳥記」に書かれています。)

幸広は酒量限りなしと言われ自らを大蛇丸底深と称し、池上家に数々の盃が伝わり最大の物は「大蛇丸寝酒の盃」次いでの盃が8代目友康が源頼朝から拝領した「蜂竜の盃」だそうです。

長々と書きましたが個人的にお会式の行列より酒の話と云う事と池上繋がりで書きました。

2254ad55.jpeg第18回水鳥(すいちょう)祭りとして大師河原での酒飲み合戦を偲び当時の扮装にして幟や瓢箪を持ちながら行列をして川崎大師、若宮八幡宮をめぐり口上を述べながら大盃でお酒を飲むという催しです。

水鳥(すいちょう)は酒がサンズイとトリから出来ているの所から付けられたようです。
 

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