美術館・鉄道・お城・お相撲・お友達の話など趣味のブログです。
×
[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
2日目は今回の目玉旧海軍兵学校、現在の海上自衛隊第一術科学校、幹部候補生学校、呉の大和ミュージアム、てつのくじら館など海上自衛隊関連施設をまわります。
今日廻る所は私も初めてです。特に江田島は中々行けない所で、今回は広島からレンタカーで8時出発。ナビの使い方、読み方で苦労する。2時間で行けるはずが行けない。
江田島の海上自衛隊の学校は無料ですが10時、13時、15時の3回、案内が付き1時間半途中退場は厳禁、服装もタンクトップ、ノースリーブ、短パン、ダメージジーンズ、極度に短いスカート、破けているズボン、ビーチサンダル、下駄、雪駄等は禁止。
元々は築地にあったが文明と隔絶していて教育に専念でき、軍艦が停泊できる入江、気候が温暖と云う事で此方に移ったそうです。帝国海軍の将校を養成する目的とした教育機関。最近では坂の上の雲で人気も出ているようです。
広い構内には明治の建物、大正の建物などが残されています。とても大きな赤レンガの校舎、素晴らしい作品、特攻隊の遺書などが展示されている教育参考館などがあります。
この教育参考館は海上自衛隊の聖地と云う事で中では脱帽し写真撮影は禁止、我々だけでなく現役の生徒がメモを取りながら勉強しています。此処では自由行動で40分間見学できますが途中で時間が来てちょっともったいなかった。
勝海舟から横山大観、戦争画のレオナール藤田、川端龍子、特攻隊の遺書、元帥、大将の書、東郷元帥の刀など。遺書関係は申し訳ないが途中通過。数万点の所蔵。歴史的資料が多いようですし、先人の偉業をたたえる、また戦没者への鎮魂施設。
大講堂は鉄骨煉瓦石造りで大正6年の兵学校の入学・卒業式、精神教育の場として建築。此処で秋山真之が首席で赤いじゅうたんを歩いたんだと感激。
真ん中の赤い絨毯は1番の首席者のみが戴き、2番手以降は横から証書を成績順に戴く。現在は首席だけで後は学生番号順だそうです。
江田島に通った軍人は、同じ釜の飯を食った海軍兵学校の同期(クラスと呼ばれた)を何よりも大切にしたそうです。職務を離れれば「貴様と俺」で話が通じる対等の立場であるという不文律があったそうで、またクラスが戦死した場合残された家族は生き残ったクラスが可能な限り面倒を見るという暗黙の了解が存在。逆に同期のトップが不祥事等で辞める場合は同じ同期は全員が辞めるそうです。戦後に至るまで兵学校出身者の絆は強かった。中庭には同期の桜があるそうです。
赤煉瓦校舎は幹部候補生学校庁舎で日清戦争前年の明治26年海軍兵学校生館として建設。
第一術科学校学生館(旧海軍兵学校西生徒館)は昭和13年に建てられたが昭和31年横須賀にあった術科学校が移転し、現在は第一術科学校生徒館として使用。現在の建物は平成10年に改築。
とにかく広い敷地に多くの建物があります。敷地の真ん中に日の丸掲揚台があります。時間で国旗が掲揚されるのでなく日の出、日の入りで行うようでその時間は居る場所から掲揚台へ敬礼をするようです。
説明の方も良かったし教育参考館も素晴らしかった。解散後食堂でカツカレーを戴く。富士演習場、横須賀に次ぐ3ヶ所目の自衛隊でのカレーだった。
呉では戦艦大和の十分の一の模型やゼロ戦、回天、特殊潜航艇などを大和ミュージアムで見学。500円。
横の海上自衛隊呉資料館「てつのくじら館」で潜水艦の中へ見学。現在行っている魚雷の掃海艇などを見学。無料。
戦後戦艦技術は鉄道への技術の場へと移り、新幹線などへと繋がって行きます。
その後歴史のみえる丘を探すがナビの場所と違い、近くの山へ行ける所まで車で上り呉湾を見て、広島へ帰る。
夜は昨夜のホテル下の居酒屋で反省会。戦争を知らない還暦親父今日の施設見学で多いに盛り上がる。刺身や広島ならではの食べ物を選び焼酎一本で足りず、量り売り迄飲む。その後また部屋で乾杯。明日は福山、鞆の浦を予定。
江田島旧兵学校の詳細は
今日廻る所は私も初めてです。特に江田島は中々行けない所で、今回は広島からレンタカーで8時出発。ナビの使い方、読み方で苦労する。2時間で行けるはずが行けない。
江田島の海上自衛隊の学校は無料ですが10時、13時、15時の3回、案内が付き1時間半途中退場は厳禁、服装もタンクトップ、ノースリーブ、短パン、ダメージジーンズ、極度に短いスカート、破けているズボン、ビーチサンダル、下駄、雪駄等は禁止。
元々は築地にあったが文明と隔絶していて教育に専念でき、軍艦が停泊できる入江、気候が温暖と云う事で此方に移ったそうです。帝国海軍の将校を養成する目的とした教育機関。最近では坂の上の雲で人気も出ているようです。
広い構内には明治の建物、大正の建物などが残されています。とても大きな赤レンガの校舎、素晴らしい作品、特攻隊の遺書などが展示されている教育参考館などがあります。
この教育参考館は海上自衛隊の聖地と云う事で中では脱帽し写真撮影は禁止、我々だけでなく現役の生徒がメモを取りながら勉強しています。此処では自由行動で40分間見学できますが途中で時間が来てちょっともったいなかった。
勝海舟から横山大観、戦争画のレオナール藤田、川端龍子、特攻隊の遺書、元帥、大将の書、東郷元帥の刀など。遺書関係は申し訳ないが途中通過。数万点の所蔵。歴史的資料が多いようですし、先人の偉業をたたえる、また戦没者への鎮魂施設。
大講堂は鉄骨煉瓦石造りで大正6年の兵学校の入学・卒業式、精神教育の場として建築。此処で秋山真之が首席で赤いじゅうたんを歩いたんだと感激。
真ん中の赤い絨毯は1番の首席者のみが戴き、2番手以降は横から証書を成績順に戴く。現在は首席だけで後は学生番号順だそうです。
江田島に通った軍人は、同じ釜の飯を食った海軍兵学校の同期(クラスと呼ばれた)を何よりも大切にしたそうです。職務を離れれば「貴様と俺」で話が通じる対等の立場であるという不文律があったそうで、またクラスが戦死した場合残された家族は生き残ったクラスが可能な限り面倒を見るという暗黙の了解が存在。逆に同期のトップが不祥事等で辞める場合は同じ同期は全員が辞めるそうです。戦後に至るまで兵学校出身者の絆は強かった。中庭には同期の桜があるそうです。
赤煉瓦校舎は幹部候補生学校庁舎で日清戦争前年の明治26年海軍兵学校生館として建設。
第一術科学校学生館(旧海軍兵学校西生徒館)は昭和13年に建てられたが昭和31年横須賀にあった術科学校が移転し、現在は第一術科学校生徒館として使用。現在の建物は平成10年に改築。
とにかく広い敷地に多くの建物があります。敷地の真ん中に日の丸掲揚台があります。時間で国旗が掲揚されるのでなく日の出、日の入りで行うようでその時間は居る場所から掲揚台へ敬礼をするようです。
説明の方も良かったし教育参考館も素晴らしかった。解散後食堂でカツカレーを戴く。富士演習場、横須賀に次ぐ3ヶ所目の自衛隊でのカレーだった。
呉では戦艦大和の十分の一の模型やゼロ戦、回天、特殊潜航艇などを大和ミュージアムで見学。500円。
横の海上自衛隊呉資料館「てつのくじら館」で潜水艦の中へ見学。現在行っている魚雷の掃海艇などを見学。無料。
戦後戦艦技術は鉄道への技術の場へと移り、新幹線などへと繋がって行きます。
その後歴史のみえる丘を探すがナビの場所と違い、近くの山へ行ける所まで車で上り呉湾を見て、広島へ帰る。
夜は昨夜のホテル下の居酒屋で反省会。戦争を知らない還暦親父今日の施設見学で多いに盛り上がる。刺身や広島ならではの食べ物を選び焼酎一本で足りず、量り売り迄飲む。その後また部屋で乾杯。明日は福山、鞆の浦を予定。
江田島旧兵学校の詳細は
PR
この記事にコメントする
カレンダー
10 | 2024/11 | 12 |
S | M | T | W | T | F | S |
---|---|---|---|---|---|---|
1 | 2 | |||||
3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 |
10 | 11 | 12 | 13 | 14 | 15 | 16 |
17 | 18 | 19 | 20 | 21 | 22 | 23 |
24 | 25 | 26 | 27 | 28 | 29 | 30 |
カウンター
カテゴリー
最新コメント
最新記事
(04/17)
(04/17)
(04/16)
(04/15)
(04/14)
(04/13)
(04/12)
(04/11)
(04/10)
(04/09)
(04/09)
(04/08)
(04/07)
(04/06)
(04/05)
(04/05)
(04/04)
(04/04)
(04/03)
(04/03)
(04/02)
(04/01)
(03/31)
(03/30)
(03/30)
プロフィール
HN:
パパリン
性別:
男性
趣味:
なんでも収集
ブログ内検索
アーカイブ
アクセス解析