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美術館・鉄道・お城・お相撲・お友達の話など趣味のブログです。
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59f33709.jpeg0d689393.jpeg上野からとことこアメ横をそれこそ横目で見ながら歩いていると秋葉原電気街が目の前に現れます。今は大きなビルになり家電が中心の大手が目につきます。ちょっと横町へ入れば昔ながらの電気部品販売も健在です。
 
ちょっと異様に感じるのはメイドスタイルの子がお店のチラシやお店の勧誘をしていたりします。もうAKBが有名になっていますから当然の風景でしょうがお爺さんにはちょっと戸惑いがあります。
 
万世警察署前には高い七夕飾りがたなびいています。その近くが萬世橋です。その橋の横に赤レンガのアーチの上を電車が走っています。 f491c641.jpegce9a71b9.jpeg
59f4a90e.jpegこのレトロな建物は旧国鉄の中央線「萬世橋駅」の建物です。1912年中央線の始発駅としてオープンしましたが、東京駅からの始発になりその役目も終わり、鉄道博物館として親しまれていましたが、それも博物館が埼玉に移転し役割を終えていましたがこの施設は鉄道遺産として登録しています。
 
13c67f7d.jpeg2dadb202.jpeg昼間なのに節電の夏なのにネオンがチカチカ、メイドスタイルといった現代風からこの万世橋付近だけ昔のままの雰囲気を残しています。万世橋と云えば「肉の万世」で此処は今は立派なビルで営業しています。お土産にカツサンドでもと思っていました。(カツサンド売店は相変らず橋のたもとで昭和の売店が営業しています。写真を撮っていたらいつの間にか忘れて車中で気が付きました。)
 
72e8532e.jpeg1478d018.jpegそんなレトロな建物を生かしながら現在来春のオープンを目指し内装工事が進んでいます。商業施設に生まれ変わるようです。この中には「ご主人様は」いらないが。
 
この喧騒から落ち着いた神田の町へ蕎麦でも食べにと。

詳細は鉄道コム鉄道ニュースでhttp://www.tetsudo.com/








 
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d07404b0.jpegbbabe0f7.jpegfbdcf202.jpeg京浜急行のルーツであります大師線を今日は歩きました。京急大師線は京急川崎から小島新田駅までの4.5K、7駅の短い支線ですが、明治32年川崎大師参拝の為に開通した路線です。京急はこの路線から始まりました。関東で最初の私鉄です。現存する最古の私鉄は南海電鉄です。
 
de08bee7.jpeg京急川崎駅1階の1.3番ホームから大師線は出ます。何度も乗っていますがこの路線は京浜工業地帯の幹線、産業道路を横切る為、現在地下化工事をしています。のんびりしていると線路に沿って歩くことは同じ京急空港線のように地下化して歩くことが出来なくなりますので4時間もあれば歩けますので今日歩いてみました。
 
終点小島新田まで一応あっという間でしたが乗りました。やはり、ずっと線路に沿っては歩けないようです。
 
c11f7eda.jpegda6cdc70.jpeg小島新田は終着駅で駅から降りると何にもなく、寂れた駅前ですがタクシーは沢山止まっています。京急川崎駅を除くとこの駅が1日平均乗降客が2万人を超える1番多い駅です。
 
目の前の跨線橋を歩くと下はJR貨物塩浜ターミナルです。朝夕は、旧日本治金、日本ゼオンなど大きい会社が多く送迎バスによって電車は満員になるようです。昼間に来ればバスもなくタクシーになるんでしょうか。
 
f51d6890.jpegその人たちを相手何でしょうか駅横には狭い道に飲み屋さんが何軒も並んでいます。また川崎社会保険病院という大きい病院もありますが駅から降りた人は少なかった。終着駅の寂れた雰囲気をかもし出しています。

 
fb27ad10.jpeg07b6848b.jpegefd4f0bc.jpegちょっと歩くと産業道路駅です。産業道路は6車線でトラックがひっきりなしに走って、その上には首都高横羽線が走っています。駅の周りはその他に国道409号線も走り、京急の踏切はやはり渋滞の原因になっています。


 
de08bee7.jpeg近くには水神社があり前掛け、赤い頭巾、左手に赤ちゃん、右手に椿を持っている珍しい道祖神もあります。
 
現在地下化工事が進んでいますが平成26年に竣工予定だそうです。
 
次の東門前駅は川崎大師の門前駅でしょうが実際は次の川崎大師駅で下車する人が圧倒的です。この近くは大型商業施設、マンション群になっています。
 

4eb31f03.jpeg681eba83.jpeg53da2ee6.jpeg少し行くと大師公園があります。野球場、テニスコート、プール、大きい広場があり中に「瀋秀園」(しんしゅうえん)という昭和62年川崎市と中国瀋陽市との友好都市提携5周年記念として贈られた中国庭園です。奥には滝のような施設もあり中国を感じる庭園です。
 
ccfeffeb.jpeg首都高大師ジャンクション近くには川崎大師の自動車交通安全祈祷所というイスラムみたいな建物があります。
 
線路沿いには前は特殊車両のコマツがありましたが今はマンションや駐車場などになっています。
 

7d6288c5.jpega45a00a0.jpeg202d5313.jpeg10分も歩かず川崎大師へ到着、平日ですから参拝者は少なく、関東屈指の名刹とされていますが浅草に比べればちょっと寂しい。川崎大師と云えばくずもち、せき止め飴、ダルマですが久寿餅は池上本門寺から明治の初めに伝えられたものです。駅舎横には大師電気鉄道発祥の地の碑があります。
 
川崎大師の近くには若宮八幡宮があり「かなまら祭り」で変わった事で有名な金山神社があります。下半身の病気の守護神のようです。
 
22d21c2c.jpeg1c41d308.jpeg43e93767.jpeg次の鈴木町は駅自体が味の素の敷地で前は味の素前駅と云っていました。味の素の創業者鈴木三郎助に由来して地名も鈴木町です。この路線では無いですがJR川崎駅西口からちょっと行った所も東芝町と云ったりします。
 
前は同じグループのメルシャンの工場などもありましたが今は無くなっています。しかしこの一帯は未だ味の素の工場群です。今の人は知らないでしょうが昔は味の素は割烹着を着たお母さんがトレードマークでした。
 
78498322.jpeg土手のほうに行くと川崎河港水門があります。国の登録有形文化財に指定されています。第一次大戦に伴い工場用地の拡大を図る目的で運河、港湾計画の一環で出来ましたが残念ながら今は砂利の陸揚げ程度の利用になっているようです。
 
次の港町駅は、前は土手側には日本コロンビアの工場があり「コロンビア駅」と云っていた時期もありました。わが国で最初のレコードが制作された地でもあります。
 
21c897ac.jpeg今は反対側に川崎競馬場がありナイター開催中は多くの人が降りるようです。今日は大井競馬の場外発売でナイターですので開場待ちで多くの人が新聞を広げて待っています。
 
この競馬場は明治39年に京浜競馬倶楽部として誕生、社長は板垣退助だったようですが、開場すぐ馬券発売禁止令が出て廃止、富士紡績の東洋一の工場になります。その後跡地を東芝が買収するも戦災に遭い、跡地が再び競馬場になると言う歴史をもっています。
 
ちょっと歩けば京急川崎駅です。川崎は京浜工業地帯の中核をなす工業都市です。鉄道が開通し宿場町としては寂れ、川崎大師しかない土手沿いに土地を安く提供し、地元を挙げて工場誘致をしてきました。
 
おかげで明治製糖(明治製菓)、東京電気(東芝)日本蓄音機商会(日本コロンビア)、富士紡績、味の素、日本石油、日本ゼオン、コマツいすず、日本鋼管、トキコなど日本を代表する企業の工場がありました。
 
af0e73aa.jpeg0e7cbb21.jpeg23705147.jpeg川崎はその影響でしょうか有名なお風呂屋さん街、飲食街なども発達しています。セメント通りには焼肉屋通りです。
 
旧東海道にあります宗三寺の本堂横の墓地奥には遊女の供養塔があります。これは大正時代に川崎貸座敷組合による供養碑だそうです。
その近くには毎月行く川崎・砂子の里資料館、一本奥の道は有名なお風呂屋さん街で昼間から営業をしています。
 
107534b5.jpeg68492c78.jpeg第一京浜国道沿いには稲毛神社がこの町の鎮守としてあります。その先に子供の頃良く行った川崎球場があり懐かしくどうなっているか見学に行きました。今は人工芝を敷いてラグビー、サッカー、野球と何でもござれの運動場になっていました。大洋ホエールズの試合に良く行ったものでした。
 
3e934d8b.jpeg2f1ef947.jpegその横は相変わらず川崎競輪場です。今日は非開催のようです。その前は川崎体育館で砂子で生まれた佐藤惣之助の石碑があります。
わたしは 草と花で一つの川をかいた
わたしは 星と花火で海と港をかいた と「華やかな散歩」よりの詩を武者小路実篤が揮毫しています。その花壇の近くには立ち小便するなと張り紙がかなりあり川崎らしいと思ったりしました。
 
朝夕は大きな工場の人達、昼間は競馬や競輪のファンでドル箱路線も今は一世を風靡した工場群も少なくなりマンションが沢山出現したり建設中だったりこの沿線もこれからかなり変わって行くんでしょう。そしてなりより殆どが地下になってしまいます。踏切が無くなり東西を分断したり幹線の渋滞が無くなります。今回も線路沿いは高い工事用の壁で覆われ走っている電車は余り見られませんでした。

本来は都電荒川線の残り半分を行きたかったんですが夕方から雨の予報で諦め、京急大師線になりました。4時間2万歩弱の散歩でした。

大変長くなりました。ついでにおまけです。はじめて見たお酒とタバコの自販機、ビールは全メーカー、発泡酒、日本酒、チューハイ、そしてタバコです。川崎らしいなぁ。そして紫陽花の葉ではないですが紫陽花のような、マスクメロンのような花です。e4453a0e.jpegab42b664.jpeg31feed9c.jpeg


大師線詳細は鉄道ドットコムから京急へhttp://www.tetsudo.com/

小さい写真はクリックしていただければ大きくなります。 
d07404b0.jpegbbabe0f7.jpegfbdcf202.jpeg京浜急行のルーツであります大師線を今日は歩きました。京急大師線は京急川崎から小島新田駅までの4.5K、7駅の短い支線ですが、明治32年川崎大師参拝の為に開通した路線です。京急はこの路線から始まりました。関東で最初の私鉄です。現存する最古の私鉄は南海電鉄です。
 
de08bee7.jpeg京急川崎駅1階の1.3番ホームから大師線は出ます。何度も乗っていますがこの路線は京浜工業地帯の幹線、産業道路を横切る為、現在地下化工事をしています。のんびりしていると線路に沿って歩くことは同じ京急空港線のように地下化して歩くことが出来なくなりますので4時間もあれば歩けますので今日歩いてみました。
 
終点小島新田まで一応あっという間でしたが乗りました。やはり、ずっと線路に沿っては歩けないようです。
 
c11f7eda.jpegda6cdc70.jpeg小島新田は終着駅で駅から降りると何にもなく、寂れた駅前ですがタクシーは沢山止まっています。京急川崎駅を除くとこの駅が1日平均乗降客が2万人を超える駅です。
 
目の前の跨線橋を歩くと下はJR貨物塩浜ターミナルです。朝夕は、旧日本治金、日本ゼオンなど大きい会社が多く送迎バスによって電車は満員になるようです。
 
f51d6890.jpegその人たちを相手何でしょうか駅横には狭い道に飲み屋さんが何軒も並んでいます。また川崎社会保険病院という大きい病院もありますが駅から降りた人は少なかった。終着駅の寂れた雰囲気をかもし出しています。

 
fb27ad10.jpeg07b6848b.jpegefd4f0bc.jpegちょっと歩くと産業道路駅です。産業道路は6車線で多くはトラックがひっきりなしに走って、その上には首都高横羽線が走っています。駅の周りはその他に国道409号線も走り、京急の踏切はやはり渋滞の原因になっています。


 
de08bee7.jpeg近くには水神社があり前掛け、赤い頭巾、左手に赤ちゃん、右手に椿を持っている珍しい道祖神もあります。
 
現在地下化工事が進んでいますが平成26年に竣工予定だそうです。
 
次の東門前駅は川崎大師の門前駅でしょうが実際は次の川崎大師駅で下車する人が圧倒的です。この近くは大型商業施設、マンション群になっています。
 

4eb31f03.jpeg681eba83.jpeg53da2ee6.jpeg少し行くと大師公園があります。野球場、テニスコート、プール、大きい広場があり中に「瀋秀園」(しんしゅうえん)という昭和62年川崎市と中国瀋陽市との友好都市提携5周年記念として贈られた中国庭園です。奥には滝のような施設もあり中国を感じる庭園です。
 
ccfeffeb.jpeg首都高大師ジャンクション近くには川崎大師の自動車交通安全祈祷所というイスラムみたいな建物があります。
 
線路沿いには前は特殊車両のコマツがありましたが今はマンションや駐車場などになっています。
 

a45a00a0.jpeg202d5313.jpeg10分も歩かず川崎大師へ到着、平日ですから参拝者は少なく、関東屈指の名刹とされていますが浅草に比べればちょっと寂しい。川崎大師と云えばくずもち、せき止め飴、ダルマですが久寿餅は池上本門寺から明治の初めに伝えられたものです。
 
川崎大師の近くには若宮八幡宮があり「かなまら祭り」で変わった事で有名な金山神社があります。下半身の病気の守護神のようです。
 
22d21c2c.jpeg1c41d308.jpeg43e93767.jpeg次の鈴木町は駅自体が味の素の敷地で前は味の素前駅と云っていました。味の素の創業者鈴木三郎助に由来して地名も鈴木町です。この路線では無いですがJR川崎駅西口からちょっと行った所も東芝町と云ったりします。
 
前は同じグループのメルシャンの工場などもありましたが今は無くなっています。しかしこの一帯は未だ味の素の工場群です。今の人は知らないでしょうが昔は味の素は割烹着を着たお母さんがトレードマークでした。
 
78498322.jpeg土手のほうに行くと川崎河港水門があります。国の登録有形文化財に指定されています。第一次大戦に伴い工場用地の拡大を図る目的で運河、港湾計画の一環で出来ましたが残念ながら今は砂利の陸揚げ程度の利用になっているようです。
 
次の港町駅は、前は土手側には日本コロンビアの工場があり「コロンビア駅」と云っていた時期もありました。わが国で最初のレコードが制作された地でもあります。
 
21c897ac.jpeg今は反対側に川崎競馬場がありナイター開催中は多くの人が降りるようです。今日は大井競馬の場外発売でナイターですので開場待ちで多くの人が新聞を広げて待っています。
 
この競馬場は明治39年に京浜競馬倶楽部として誕生、社長は板垣退助だったようですが、開場すぐ馬券発売禁止令が出て廃止、富士紡績の東洋一の工場になります。その後跡地を東芝が買収するも戦災に遭い、跡地が再び競馬場になると言う歴史をもっています。
 
ちょっと歩けば川崎駅です。川崎は京浜工業地帯の中核をなす工業都市です。鉄道が開通し宿場町としては寂れ、川崎大師しかない土手沿いに土地を安く提供し、地元を挙げて工場誘致をしてきました。
 
おかげで明治製糖(明治製菓)、東京電気(東芝)日本蓄音機商会(日本コロンビア)、富士紡績、味の素、日本石油、日本ゼオン、コマツいすず、日本鋼管、トキコなど日本を代表する企業の工場がありました。
 
af0e73aa.jpeg0e7cbb21.jpeg23705147.jpeg川崎はその反動でお風呂屋さん、飲食街なども発達しています。セメント通りには焼肉屋通りです。
 
旧東海道にあります宗三寺の本堂横の墓地奥には遊女の供養塔があります。これは大正時代に川崎貸座敷組合による供養碑だそうです。
その近くには毎月行く川崎・砂子の里資料館、一本奥の道は有名なお風呂屋さんが今でも営業をしています。
 
107534b5.jpeg68492c78.jpeg3e934d8b.jpeg第一京浜国道沿いには稲毛神社がこの町の鎮守としてあります。その先に子供の頃良く行った川崎球場があり懐かしくどうなっているか見学に行きました。今は人工芝を敷いてラグビー、サッカー、野球何でもござれの運動場になっていました。大洋ホエールズの試合に良く行ったものでした。
 
3e934d8b.jpeg2f1ef947.jpegその横は相変わらず川崎競輪場です。今日は非開催のようです。その前は川崎体育館で砂子で生まれた佐藤惣之助の石碑があります。
わたしは 草と花で一つの川をかいた
わたしは 星と花火で海と港をかいた と「華やかな散歩」よりの詩を武者小路実篤が揮毫しています。その花壇の近くには立ち小便するなと張り紙がかなりあり川崎らしいと思ったりしました。
 
朝夕は大きな工場の人達、昼間は競馬や競輪のファンでドル箱路線も今は一世を風靡した工場群も少なくなりマンションが沢山出現したり建設中だったりこの沿線もこれからかなり変わって行くんでしょう。そしてなりより殆どが地下になってしまいます。踏切が無くなり東西を分断したり幹線の渋滞が無くなります。今回も線路沿いは高い工事用の壁で覆われ走っている電車は余り見られませんでした。

本来は都電荒川線の残り半分を行きたかったんですが夕方から雨の予報で諦め、京急大師線になりました。4時間2万歩弱の散歩でした。

大変長くなりました。ついでにおまけです。はじめて見たお酒とタバコの自販機、ビールは全メーカー、発泡酒、日本酒、チューハイ、そしてタバコです。川崎らしいなぁ。そして紫陽花の葉ではないですが紫陽花のような、マスクメロンのような花です。e4453a0e.jpegab42b664.jpeg31feed9c.jpeg


大師線詳細は鉄道ドットコムから京急へhttp://www.tetsudo.com/
2cf3b6b1.jpegJR上野駅公園口を降りるとすぐ上野の森です。最初の美術館国立西洋美術館ではドイツのベルリン国立美術館展が開催されています。フェルメールの真珠の首飾りの少女が目玉になって多くの人が吸い込まれています。
 
c0ee48cc.jpege564a56c.jpegその横を右に曲がると国立科学館、此処は高校生以下は無料入場ですから修学旅行、子供連れ家族などやはり大変な人気です。入口のSL、クジラのモニュメントが迫力あります。現在インカ帝国展開催。
 
突当りが国立東京博物館です。現在は平成館で「ボストン美術館日本の美術の至宝展」が開催中。フェノロサ、岡倉天心による日本美術品のコレクションの里帰り。
 
e554401f.jpegそちらへ行かず右側奥へ進むと国立東京博物館の裏は寛永寺の墓地になります。元々はこの山全体が寛永寺の境内だったようですが彰義隊上野戦争で焼け、第二次世界戦争で徳川将軍廟なども焼失、上野の山に残った建物が点在しています。この道は殆ど歩いている人もなく美術館、動物園等の来場の喧騒が嘘のような静けさです。
 
388bbc36.jpeg寛永寺墓地にそって行くと国会図書館の付属国際こども図書館が静かにたたずんでいます。建物横には子供の像に下は小泉八雲のレリーフが描かれています。その隣が現在休館しています「黒田記念館」があります。その先、右に曲がると東京芸術大学になります。
 
cf5b5682.jpeg08c6f0f4.jpeg814f7a9c.jpeg日本を代表する芸術大学ですから絵画、音楽などあらゆる芸術の勉強、研究の建物が点在しています。中には美術館もあります。美術館の地下には当然学生が購入する生協、画材店、学食などもあります。(左が芸大陳列館、幾つもある芸大正門、右が昔ながらの芸大アートプラザ入り口) 
6e17a025.jpeg東京芸大の中には高村高雲、竹内久一、石川光明などの銅像が点在、変わったのはアートプラザから入って直ぐの正木直彦の座った銅像。昔の東京美術学校時代を思わせる煉瓦造りや木造の建物が点在しています。此処で「高橋由一展」、「芸大春のコレクション展」を見ました。
 
東京芸大から東京都美術館入口がすぐ見えます。現在は幾つかの公募展が開催中。6月30日からオランダのマウリッツハイス美術館展が予定されています。これもフェルメールの代表作紫のターバンの真珠の耳飾りの少女が目玉です。
 
8614499e.jpegd6ded96b.jpeg24df54d3.jpegそこから噴水広場へ歩きます。工事中で一部噴水がオープンしています。そして脇には今までは簡易なお茶のみ程度だった施設がスターバックスなどのおしゃれなカフェテリアが幾つか出来ています。
 
子供が大好きな上野動物園の出口に出てきます。出口からは子供達でなく手をつないだカップルが多く、健康的なデート施設になっているようです。その横には昔からのパンダ焼などのお店、鶯団子などのお店、百円玉で遊ぶ子供遊園地があります。
 
毎週のように子供が小さい頃は、此処の遊園地で遊んで動物園に入り、帰りにパンダ焼を買って帰ったものです。良く食べた掘立小屋風のお爺さんおばあさんがやっていたお店は大分前から閉まったままです。その横は上野東照宮です。
 
029d84b5.jpegf689658e.jpegbab057ae.jpegそこから京成口方面に歩き、清水観音堂、上野観音、西郷さんの銅像まで歩き犬の「ツン」を見て、また北上し彰義隊慰霊碑、正岡子規記念球場では草野球が熱戦中。正岡子規は野球が紹介された頃からやっていて野球用語を日本語に訳したそうです。
 
c7f94ff3.jpegその隣が上野の森美術館、現在はバラ図譜展開催中。ルドウーテと云う人は解らない。その隣が日本芸術院で今は表彰された作品が展示され無料で見られます。ちょっと気をそそられましたがこの後、芸大の奏楽堂で何だかコンサートを聴くことにしていますのでパス。
 
またそのまま噴水広場から旧東京音楽学校奏楽堂へ向かいました。
不忍池は行きませんでしたがコンサートの時間つぶしで上野の山を久しぶりに散策しました。

(小さい写真はクリックしてください。) 
57a3f7e0.jpeg19e44860.jpega9d0ff71.jpeg昨日は、我が家の名カメラマンに濡れ落ち葉宜しく、高幡不動の紫陽花撮影にべたっとついて行きました。本堂裏山には四国のお遍路宜しく八十八か所のお地蔵様巡りが出きその道に沿って紫陽花がずっと咲いています。日曜日と言う事もあり善男善女が沢山参詣。我が家からアクセスは京浜東北線川崎で南武線に乗り換え分倍河原で京王線で高幡不動下車、約50分。
 
98020ff1.jpeg6011fede.jpegfa276979.jpeg山アジサイの所は全国の紫陽花が植えてあります。本堂横にはその紫陽花を切花にして展示もしています。紫陽花の種類は沢山あるんですね。(真ん中、しらゆき姫)
 
f9222aca.jpeg6016417b.jpegfdd6704f.jpeg朝方までの雨の残りで道はぬかるみ、湿度も高く蒸し暑い散策でした。途中から私は境内で行われている骨董市の方を見学。場所場所によって出店者が違いますから品物も違います。少しは骨董市を見ていますので切手やお札もありましたので値段交渉をしましたが普段見る所に比べ高い。品物も良くない。(巴水の清水の雪、墓地の藤蔵の墓、土方歳三像)
 
63a3e832.jpegc40f7b66.jpeg写真はナイスショットで疲れた悲哀を帯びた名カメラマンの背中。


隣の駅に百草園(もぐさえん)があります。京王線はそんなに乗る事もなく、折角だからとカメラマンを此処は花の名所だからとそそのかして初めて向かいました。駅から見える山の上でちょっと坂道もあり湿度の高い日の山登りは汗をふきふきで上りましたが、此処は梅の名所のようで今は紫陽花だけのようです。高幡城址もあったようですが看板のみ。
 
759bf73f.jpegアナグマ、狸も出るようで注意の札が出ています。駅で京王百草園の人の配っていた割引券と甘酒無料券でこの暑い中甘酒を戴きました。以外に旨い。出口にはモグサファームという牧場が近くにあり直営のジェラートガ食べられるとの事で、又一山迷いながら越えてパスしようとした牧場を見て何とか美味しいジェラートを戴きました。

きっぷは昭和46年、47年の京王電鉄でなく京王帝都電鉄時代の梅の百草園のもの。

ぬかるみの坂、蒸し暑い空気、多くの人、歩数に関係なく疲れた10時半から5時までの散策でした。名カメラマンの作品が楽しみだ。

 
3160cf05.jpegJR有楽町駅日比谷下車してたまには出光美術館でもと向かうが次の展覧会の入れ替えで休館になっていました。隣の帝劇の地下でお茶でもと思い行きますと何と、大田区では話題の金沢翔子ちゃんの書が無造作に展示されていました。
 
a6235a7c.jpeg713cc585.jpeg6b635f43.jpegNHK大河ドラマ平清盛の題字、3月名古屋名鉄百貨店、4月の銀座の個展、GWは毎年の鎌倉建長寺での展覧会、京都の建仁寺の個展と毎月全国で開催中です。27歳の天才書家。
 
何だか良く解らずただ見て通り過ぎる。彼女の書は大田区内の施設でも何度か展示しているのを見た事がある。とてもダウン症とは思えない迫力のある書体です。 
9a0c4e33.jpeg皇居へ行こうか悩みながらも工事中の東京駅を見ようと其のまま北へ。東京駅はかなり出来あがって来て大きい囲いはなくなり姿がはっきりと見え始めてきました。ステーションホテルやステーションギャラリ―も昔のようにオープンするそうです。10月が楽しみです。
 
鳩山邦夫氏が注文を付けた東京中央郵便局も昔の建物に復元し、その後ろに超高層の建物が建っています。余りに高いので前の建物位しか映りません。また丸ビルも高過ぎて撮影困難。丸の内は超高層の建物建設ラッシュになっています。
a3063bca.jpeg 此処まで来れば友人にもらった逓信総合博物館の招待券もあり、またまた北上して電話と郵便のていぱーくに向かいます。「謎解き時間旅行展」と云うタイトルで館内をスタンプラリーして謎を解くようですが内容はお子様用になっています。
 
切手はエリザベス女王即位60周年に当たり女王の肖像の切手が沢山展示されています。英国連邦ですから切手に限らずお札も多分多く使われているのでしょう。平日ですから見学者は少なく、複写ですが郵便関係の浮世絵をゆっくり見させていただきました。お土産は日本の切手のSLシリーズを購入。
 
来た道を戻り、有楽町駅を銀座方面に行き何ヵ所かの各県のアンテナショップで買い出しをして帰宅となりました。






 
40efa44a.jpeg8e26059d.jpeg今朝は1番電車でJR横須賀駅へ「横須賀線開通123周年」の記念切符を購入する為に出かけました。6時前に着きましたが20人位は並んでいました。発売駅が横須賀駅だけですので8時の発売時間に行っても2000部ですから大丈夫だと思いながらどうしても早めに戸出かけてしまいます。
 
まして今日は雨です。2時間も立っているのは身体にきつい。小さい椅子もあるんですがあれも長時間は足がつったり、腰がかえって痛くなったりします。切符は910円ですが横須賀までの交通費は往復1500円を超えてしまうので手前の駅に逗子、鎌倉などがあるので北鎌倉のアジサイ寺でも、いやぁ横須賀どぶ板通り、湾内クルーズで軍艦を見ようか、横須賀しょうぶ園でもと色々考えていましたが纏まらず出かけました。
 
5e957966.jpeg412c2f02.jpegc3b9400e.jpegb57dd247.jpegd42a4019.jpeg37138b2b.jpeg切符は8時ちょっと過ぎにはゲット。駅前のヴェルニー公園で「よこすかYY(ワイワイ)のりものフェスタ」が本日、明日開催との事。しかし開始は10時からで時間が充分ありますので駅からとことこ三笠公園でも行って船艦三笠でも見ようと細長いヴェルニー公園に沿って歩いて行きました。園内は沢山の軍艦の記念碑や正岡子規の文学碑などがあります。
 
bd407f48.jpeg4be4230b.jpega3ba5137.jpeg湾内は軍艦が一杯います。何が何だか解りませんが灰色の独特な大きい軍艦です。一つだけ解るのは釣りの時たまに海面に出てくる大きい潜水艦も停泊。
 
ヴェルニー公園は明治時代造船、製鉄所の建設に貢献したフランス人ヴェルニーの名前を冠した公園で記念館もあります。この公園にはバラが今を盛りに綺麗に咲いています。フランス、アメリカ、中国、日本のバラを中心に130種類2000株だそうです。
 
今日はこの公園に横須賀海軍カレーを中心としたグルメゾーン、地元の名産品、農水産物の売店、鉄道グッズの販売などのゾーン、色々な催しのステージなどのテントが張られています。
 
1de4b38c.jpeg7153eff5.jpeg90d444c4.jpeg暫くすると米軍の基地で米兵が出たり入ったり、両サイドのお店は日本語でなくアルファベツト表記になっています。さすがお客は米兵か。お金を使わない米兵用に基地入口には流行りの立飲み屋もあります。
 
b2fea96a.jpega1871bbb.jpeg三笠公園には堂々の船艦三笠、そして東郷元帥の銅像、この公園の会場は消防車、救急車、パトカー、白バイ、海軍カレーのラッピング京急バス、清掃車、自衛隊の装甲車、日産の電気自動車、セグウエーなどの働く車の車内見学。船艦三笠も500円が200円。
 
海軍カレーのどぶ板食堂の「ゆず」お勧めのカレーパンを購入。揚げたてで美味しかった。各ブースも準備に忙しくお客はまだほとんどいません。
 
31cab562.jpegbd3eaa4c.jpeg開場まで1時間半はありますので京急汐入駅へ、途中どぶ板通りを通る。有名なスカジャンのお店、米軍払下げのお店、米軍相手の日本の骨董屋、カレー屋など。旧東海道と同じような狭い通りには足元に横須賀ゆかりの人の手形がはめられています。横須賀芸術劇場があるからサンフランシスコのチャイニーズシアターの真似かと思ったがどぶ板通りの観光の一環のようです。
 
コーヒーを飲んでしばらく休み、また横須賀駅前のヴェルニー公園会場を見学、鉄道ブースは鉄道の方向版等のグッズ、Nゲージ、くじでの鉄道グッズ、子供には駅長の制服での写真コーナーなど、雨の為ミニSL乗車、ステージの催しは中止。
 
昼には早いが折角なので海軍カレーを何処にしようか迷うが何とCoCo壱番屋も出店、先日友人ちょんまげさんから嘉手納のCoCo壱は米軍ばかりで評判が良いと聞いたばかりだが此処ではパスしてヤチヨというお店にしました。食べ終わったら内のも食べてよと観音崎ホテルの人に言われもう一皿。観音崎が海軍カレーかと思ったが大きいお肉が沢山入ってやはりホテルのカレーで美味しい。
 
途中JRのブースの隣に伊豆急があり此処で以前発売の売れ残りの記念切符を購入。以前電話した時は売り切れたと言っていたのに。京急のブースは切符はなし。駅弁は流石神奈川だからシューマイ弁当や葉山牛なども販売、東北復興の一環で各県の農水産物のブースも。
 
8b8c03c6.jpeg654ad1c1.jpeg8cde1fc5.jpeg6103df5f.jpeg6e843e88.jpeg654ad1c1.jpeg公園の隣は海上自衛隊基地。今日は一般開放ですが入り口では手荷物チェック、金属探知機でチェックされる。此処ではイージス艦「きりしま」などの船内見学。今流行りの巡子がいっぱい。雨の中乗組員が総出で案内をしてくれます。イケメンが多い。此処でも海軍カレーを販売、自衛隊グッズなども。そして折角だから海兵さんのカレーもと1皿。このカレーが一番辛かった。今日の昼食はカレー3皿、朝食も家でトースト1枚、横須賀駅でおにぎり2個食べているのに。いやぁちょっと食べ過ぎで流石にお腹がいっぱい。
 
c8f0acbc.jpege4c90f89.jpeg横須賀駅では構内で成田エクスプレスの車内見学ができます。この電車は何回か乗っているのでパス。明日は伊豆急のアルファ―リゾート21が見学できるようです。また駅の反対側の保守基地では工事車両の展示、部品の販売などがあるようです。
 
朝早かったので是だけ色々見学したり歩いてもまだ1時半です。帰りに通る鎌倉、北鎌倉は下車をしないで帰宅となりました。
今日のお土産横須賀海軍カレーレトルト2種類、カレーカステラ、当然カレーパン2種類。

Tetsudo.com(鉄道コム)



 
6d9c6f52.jpeg町屋2丁目では鳥越せんべいの看板、小さな店舗ですがなぜ此処で鳥越なのか、手作り煎餅を買いに中へ、煎餅はかたやき、ゴマ、青のり、さとう、ざらめなどで丸い草加せんべいタイプ、私の知っている鳥越せんべいではあられが美味しかったが此処にはなかった。このお店自体も4代目と云っていたので大分古いようです。かたやき、ゴマ、青のりなど5枚づつ購入、暫く歩くと岡埜があります。
 
aa9f1fe0.jpeg岡埜は大福が有名ですが此処には無く、「元祖東京カリーどら焼き」「とらが焼き」「ゆうゆう都電」三角形のあんこの塊みたいなもの(今月のお菓子水無月)を購入。とらが焼きはどら焼きの皮を縞模様に焼いたもの。金柑、栗入りの2種類。
 
bd1e09c2.jpeg先になりますが梶原では都電最中が有名なお店もあります。今回のお土産は煎餅に和菓子となりました。散策の途中ですがかなり嵩張りちょっと反省。この他に沿線では都電サブレなど幾つか有るようです。
 
東尾久3丁目、熊野前側道を歩いていきます。沿線には両サイドにずっとバラがきれいに咲いています。これは荒川バラの会と云う団体が管理しているようです。前回来た時は全く気が付きませんでしたがとてもきれいです。また時期ですから紫陽花を植えている所もあります。乗っていても歩いていてもとても気持ちが良いです。
 
71da2783.jpeg宮ノ前ではそれこそ停留所の前に尾久八幡神社があります。この地が鎌倉の鶴岡八幡神社の領地となった頃の創建だそうで1312年だそうです。1385年には社殿が再建された事が確認できるようです。この地の鎮守様。
 
9933b13c.jpegc2e8acb5.jpeg小台(おだい)を過ぎて家庭の玄関先にデコレーションがと思いましたが綺麗にお花を丸く植え込んでいました。私もケイトでまねしようかと思いました。順序が違いますが梶原の都電最中のお店近くではロケハン中、その近くのマンホールも荒川線が。荒川遊園地前に到着、実際の遊園地は入口から大分離れていました。1日フリーパスを見せれば200円になるようです。使えばフリーパス400円が200円になります。園内には都電6152が置かれています。観覧車には引かれましたが孫でも出来たらと入園は止めました。46c2fb38.jpeg6fc54bc9.jpeg7e5463da.jpeg
 a52304c0.jpeg0c3934a6.jpegちょっと歩くと都電荒川線の車庫になります。土、日のみ「思い出広場」として開放されています。アメリカからの5501号通称PCCカー、7504の通学時間に走った学園号が保存されています。勿論2両とも中に入れます。中は昔の写真や切符、改札挟み、方向板などが展示されています。床が木で出来ていたり運転は車と同じ足で踏むタイプです。これを見る為土曜日に散策を決めました。



 
961e8b04.jpegba25020b.jpeg00c78b35.jpeg6b509f82.jpegdb1589e7.jpeg荒川車庫、梶原、栄町と歩き朝降り立った王子駅前に到着。
王子では飛鳥山の博物館、紙の博物館、渋沢記念館などがありますが前回も行きましたので今回はパス。ここはもう北区になっています。

8137e4fa.jpeg王子と云えば王子稲荷、浮世絵にも沢山描かれています。大晦日の狐の話は落語にも出てきます。駅から大分歩いて王子稲荷へ。
d28910b3.jpeg6dcf34c5.jpeg先ずは本殿で参拝、この本殿の天井画は鳳凰が大きく描かれています。かの有名な谷文兆作だそうです。社殿前には誰も参拝していなければ邪魔にならに程度に本殿に上がり絵を鑑賞ができます。とても素晴らしいものです。
 


9947089a.jpeg40710841.jpeg本殿の右側へ進むと王子のきつねの穴、お石様があります。お石様は願い事をしながら持ち上げ、思ったより軽く感じれば願い事がかなうそうです。私もやってみましたが思ったより重く感じました。どうやら願いはかないそうにありません。良く神社には力石がありますが此処のは持てる石で子供、女性用?の小さい石も横に置いてありました。
 
ef48146b.jpegdaebc456.jpeg王子稲荷を来た道をもっと先に進むと名主の滝公園があります。安政年間名主の畑野孫八が自邸に開いたので名主の滝と呼ばれるようです。園内は広くせせらぎにそって行くと瀧があります。かっては王子七瀧と呼ばれ七つの滝があったそうですが現在は此処だけが残っているようです。現在は北区が管理をしているようです。とても東京にいるとは思えなく王子駅前の喧騒が嘘のようです。
 
今回は此処で5時過ぎになりましたので終了して夜の約束会場へ向かいました。続きは平日に王子から早稲田へ散策します。この日の歩数は2万弱。ビールが美味しく戴けました。
(小さい写真はクリックしてください。)
また6月10日路面電車の日の各社イベントは下記の鉄道ドットコムを参照ください。

2766cb41.jpegfe24dee0.jpeg今月10日は路面電車の日です。東京には都電荒川線と前回歩いた東急世田谷線が路面電車です。この都電荒川線を歩こうと朝九時に出てJR王子駅を下車。荒川線の丁度真ん中に当たります。黄色の電車は8800形、王子駅前ホーム上の改札、1日乗車券等の販売もしています。車内販売もあります。
 
4ee93207.jpegbcc801ba.jpeg都電荒川線はモータリゼーションの発展により41系統あったのが現在はこの1系統だけが残っています。営業キロ12.2K、停留所30ヶ所です。世田谷線は5K程度ですから倍以上あり1日では廻れないと思い、土曜日と来週以降の平日を考えています。
 
明治44年東京市が東京鉄道株式会社から買収、現在は三ノ輪橋から早稲田まで運行しています。車両は7000形、8500形、9000形、最新の8800形の4種類の39両。1日平均利用者5万1千人。
 
d5b25590.jpeg1輌の単行、ワンマン運転、線路は複線、始発から終点まで53分、王子を除く無人駅、前方乗車、後方降車になっています。運賃は160円均一。全国の路面電車と違う特徴の1つに他の路線に乗り換えが非常に便利です。(写真は車庫へ向かうレトロ調の9000形。)

 
30の停留所のうち8つの停留所で10の他の路線に接続しています。三ノ輪橋、東京メトロ日比谷線、町屋、東京メトロ千代田線、京成本線、王子駅前、JR京浜東北線、東京メトロ南北線、新庚申塚、都営三田線西巣鴨、大塚駅前、JR山手線大塚、東池袋四丁目、東京メトロ有楽町線東池袋、鬼子母神前、東京メトロ副都心線雑司ヶ谷、熊野前、日暮里・舎人ライナー。
 
まず10時に王子駅で1日乗車券400円を購入、とりあえず王子から早稲田終点まで乗車、早稲田から終点三ノ輪橋まで乗車、これでとりあえず全線走破。いよいよ三ノ輪橋から歩き始めます。土曜日は三ノ輪から王子まで5時まで歩きました。
 
6560b368.jpegf3b19170.jpeg三ノ輪橋はすぐ横に昔懐かしい狭い商店街があり、そこを抜けると日光街道が走っています。まず千住大橋近くの「荒川ふるさと文化館」を見学。常設展では荒川の歴史、文化を今流行りのデジタルで説明してくれます。会館前には橋本佐内の墓旧霊堂が近くの回向院から移され保存復元されています。入館料100円。此処では荒川の浮世絵として企画展を開催したんでしょうか浮世絵の図録が販売されていました。もう少し早く気が付けばと残念。
 
912a1130.jpeg隣の神社「素盞雄神社(すさのお)」で天王祭という御祭りを開催していました。山車や神輿がいっぱいあります。千貫神輿が有名だそうです。松尾芭蕉の奥の細道の旅立ちの地だそうで境内には幾つかの芭蕉の句碑があるようです。今日は屋台などが出て多くの子供たちで遠慮しました。
 
9632ba17.jpeg日光街道の三ノ輪橋近くには多くのお寺さんがあります。「公春院」は周囲4M、高さ14M、樹齢500年を超える松があったそうです。江戸時代、新しいお寺を建てる事は禁止されていて役人が開創年代を調べに来た時、この松を見て新しい寺院でないと言う事で「証拠の松」と言われたそうです。現在はありません。
 
f34b14e0.jpegac176e4b.jpegすぐ近くの「円通寺」寺の縁起によると延暦10年791年坂上田村麻呂将軍による開創、本尊聖観世音菩薩。八幡太郎義家が奥州征伐で賊首48を得て還り、此処に首塚48基をきづいた。そこからこの地を「小塚原」と呼ばれる。寛永3年徳川家光が放鷹の時この寺の末に止まったことから「鷹見の松」と名ずけられる。(どの松か解らず)
 
70a8642c.jpeg圧巻は本堂左にある旧上野の黒門)彰義隊の上野戦争の玉跡、刀傷などが見えます。上野戦争彰義隊266体を火葬し当寺に集骨。太政官の許可状に念ごろに供養すべしを口実に、おおぴらに賊軍の法要が出来る当時唯一の寺であったようです。その縁で旧上野の黒門を帝室博物館より明治40年10月下賜されたものだそうです。同じ黒のからすが守っているのか近づくとからすが数羽で威嚇します。ほうほうの体で退散。
 
cda95f82.jpeg「浄閑寺」日光街道向かい側の南に行った所にある投げ込み寺とも言われています。安政2年の大地震の大火で新吉原の遊女が大門を閉じられていたので多くが焼死。生まれては地獄死しては浄閑寺と言われたそうです。永井荷風が何度も作品の為訪れているようです。
この寺を東に行けば小塚原、回向院があります。
 
また三ノ輪橋停留所に戻り「荒川1中」「荒川区役所前」「荒川二丁目」と歩きます。「荒川二丁目」の前に荒川自然園があります。
ce74632b.jpeg983a91ac.jpeg三河島下水道処理場の上に1周1.2Kのジョギングコースにアスレチックコーナー、、テニスコート、昆虫観察館、乗り物広場、花のトンネル、野球場など広大な広場で中央には池が配置され家族連れ、アベックが楽しんでいます。園内には彫刻が配置されてもいます。菖蒲が咲いていたら綺麗だったでしょう。
 
「荒川七丁目」「町屋駅前」と歩いていきます。長くなりましたので次回に。
 
 

 
5550105b.jpeg昨日はまだ今月いっぱいの東急の株主優待券が残っていて高校時代の親友と午後から散策、友人と会うとどうしても夕方からの飲み会になります。たまに会うとどうしても時間も何時の間にか長くなり当然お酒の量も比例します。そんな事で前回と同じようなコースを散策の提案。
 
今回は前回の間違いを旨くこなせ、時間的にも余裕があり、世田谷駅からのボロ市通りの代官屋敷、隣の世田谷区立郷土資料館をゆっくり見学、これは友人も興味があったようで喜んでいました。個人的には終点の下高井戸駅前市場が区画整理なんでしょうか大分お店が少なくなってきました。昔のイメージが段々なくなっていきます。立ち食いメンチは残念ながら食べられず。
 
b1923703.jpeg中々彼とも会う事が出来ず久しぶりの再会、彼は現在親の食事などの面倒などを見ている。夜は空いているようですが私が今は余り夜の外出をしないため中々スケジュールが合わない。
 
彼とは高校三年間以来の付き合いです。若い頃は羽田から札幌ラーメンを食べに出かけ日帰りをしたり、石川さゆりの津軽海峡冬景色が流行っている頃、連絡船に乗って潮風を浴びながら津軽海峡を歌いに行ったり北陸では宿屋から外のお店で飲んで支払いが足りなくなり私が人質になり彼が宿へお金を取り行くと言う付け馬をされたりと馬鹿な旅行を一杯した仲です。
 
約4時間話しながら散策、途中銭湯に入ったり、三軒茶屋では相撲仲間のちょんまげさんを呼んで一杯と楽しい一時を。この歳になると話は病気の話ですが私はお陰様で薬も何も飲んでなく今のところ健康で話の中には入れられず。でも近いうち薬のお世話になるんでしょう。久しぶりの会う人には太ったなぁと言われてしまいます。体重は落ちているが。今日は18000歩。
世田谷線は以前のブログhttp://papalin.blog.shinobi.jp/Entry/1538/
鉄道ドットコム東急

http://www.tetsudo.com/
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