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d07404b0.jpegbbabe0f7.jpegfbdcf202.jpeg京浜急行のルーツであります大師線を今日は歩きました。京急大師線は京急川崎から小島新田駅までの4.5K、7駅の短い支線ですが、明治32年川崎大師参拝の為に開通した路線です。京急はこの路線から始まりました。関東で最初の私鉄です。現存する最古の私鉄は南海電鉄です。
 
de08bee7.jpeg京急川崎駅1階の1.3番ホームから大師線は出ます。何度も乗っていますがこの路線は京浜工業地帯の幹線、産業道路を横切る為、現在地下化工事をしています。のんびりしていると線路に沿って歩くことは同じ京急空港線のように地下化して歩くことが出来なくなりますので4時間もあれば歩けますので今日歩いてみました。
 
終点小島新田まで一応あっという間でしたが乗りました。やはり、ずっと線路に沿っては歩けないようです。
 
c11f7eda.jpegda6cdc70.jpeg小島新田は終着駅で駅から降りると何にもなく、寂れた駅前ですがタクシーは沢山止まっています。京急川崎駅を除くとこの駅が1日平均乗降客が2万人を超える駅です。
 
目の前の跨線橋を歩くと下はJR貨物塩浜ターミナルです。朝夕は、旧日本治金、日本ゼオンなど大きい会社が多く送迎バスによって電車は満員になるようです。
 
f51d6890.jpegその人たちを相手何でしょうか駅横には狭い道に飲み屋さんが何軒も並んでいます。また川崎社会保険病院という大きい病院もありますが駅から降りた人は少なかった。終着駅の寂れた雰囲気をかもし出しています。

 
fb27ad10.jpeg07b6848b.jpegefd4f0bc.jpegちょっと歩くと産業道路駅です。産業道路は6車線で多くはトラックがひっきりなしに走って、その上には首都高横羽線が走っています。駅の周りはその他に国道409号線も走り、京急の踏切はやはり渋滞の原因になっています。


 
de08bee7.jpeg近くには水神社があり前掛け、赤い頭巾、左手に赤ちゃん、右手に椿を持っている珍しい道祖神もあります。
 
現在地下化工事が進んでいますが平成26年に竣工予定だそうです。
 
次の東門前駅は川崎大師の門前駅でしょうが実際は次の川崎大師駅で下車する人が圧倒的です。この近くは大型商業施設、マンション群になっています。
 

4eb31f03.jpeg681eba83.jpeg53da2ee6.jpeg少し行くと大師公園があります。野球場、テニスコート、プール、大きい広場があり中に「瀋秀園」(しんしゅうえん)という昭和62年川崎市と中国瀋陽市との友好都市提携5周年記念として贈られた中国庭園です。奥には滝のような施設もあり中国を感じる庭園です。
 
ccfeffeb.jpeg首都高大師ジャンクション近くには川崎大師の自動車交通安全祈祷所というイスラムみたいな建物があります。
 
線路沿いには前は特殊車両のコマツがありましたが今はマンションや駐車場などになっています。
 

a45a00a0.jpeg202d5313.jpeg10分も歩かず川崎大師へ到着、平日ですから参拝者は少なく、関東屈指の名刹とされていますが浅草に比べればちょっと寂しい。川崎大師と云えばくずもち、せき止め飴、ダルマですが久寿餅は池上本門寺から明治の初めに伝えられたものです。
 
川崎大師の近くには若宮八幡宮があり「かなまら祭り」で変わった事で有名な金山神社があります。下半身の病気の守護神のようです。
 
22d21c2c.jpeg1c41d308.jpeg43e93767.jpeg次の鈴木町は駅自体が味の素の敷地で前は味の素前駅と云っていました。味の素の創業者鈴木三郎助に由来して地名も鈴木町です。この路線では無いですがJR川崎駅西口からちょっと行った所も東芝町と云ったりします。
 
前は同じグループのメルシャンの工場などもありましたが今は無くなっています。しかしこの一帯は未だ味の素の工場群です。今の人は知らないでしょうが昔は味の素は割烹着を着たお母さんがトレードマークでした。
 
78498322.jpeg土手のほうに行くと川崎河港水門があります。国の登録有形文化財に指定されています。第一次大戦に伴い工場用地の拡大を図る目的で運河、港湾計画の一環で出来ましたが残念ながら今は砂利の陸揚げ程度の利用になっているようです。
 
次の港町駅は、前は土手側には日本コロンビアの工場があり「コロンビア駅」と云っていた時期もありました。わが国で最初のレコードが制作された地でもあります。
 
21c897ac.jpeg今は反対側に川崎競馬場がありナイター開催中は多くの人が降りるようです。今日は大井競馬の場外発売でナイターですので開場待ちで多くの人が新聞を広げて待っています。
 
この競馬場は明治39年に京浜競馬倶楽部として誕生、社長は板垣退助だったようですが、開場すぐ馬券発売禁止令が出て廃止、富士紡績の東洋一の工場になります。その後跡地を東芝が買収するも戦災に遭い、跡地が再び競馬場になると言う歴史をもっています。
 
ちょっと歩けば川崎駅です。川崎は京浜工業地帯の中核をなす工業都市です。鉄道が開通し宿場町としては寂れ、川崎大師しかない土手沿いに土地を安く提供し、地元を挙げて工場誘致をしてきました。
 
おかげで明治製糖(明治製菓)、東京電気(東芝)日本蓄音機商会(日本コロンビア)、富士紡績、味の素、日本石油、日本ゼオン、コマツいすず、日本鋼管、トキコなど日本を代表する企業の工場がありました。
 
af0e73aa.jpeg0e7cbb21.jpeg23705147.jpeg川崎はその反動でお風呂屋さん、飲食街なども発達しています。セメント通りには焼肉屋通りです。
 
旧東海道にあります宗三寺の本堂横の墓地奥には遊女の供養塔があります。これは大正時代に川崎貸座敷組合による供養碑だそうです。
その近くには毎月行く川崎・砂子の里資料館、一本奥の道は有名なお風呂屋さんが今でも営業をしています。
 
107534b5.jpeg68492c78.jpeg3e934d8b.jpeg第一京浜国道沿いには稲毛神社がこの町の鎮守としてあります。その先に子供の頃良く行った川崎球場があり懐かしくどうなっているか見学に行きました。今は人工芝を敷いてラグビー、サッカー、野球何でもござれの運動場になっていました。大洋ホエールズの試合に良く行ったものでした。
 
3e934d8b.jpeg2f1ef947.jpegその横は相変わらず川崎競輪場です。今日は非開催のようです。その前は川崎体育館で砂子で生まれた佐藤惣之助の石碑があります。
わたしは 草と花で一つの川をかいた
わたしは 星と花火で海と港をかいた と「華やかな散歩」よりの詩を武者小路実篤が揮毫しています。その花壇の近くには立ち小便するなと張り紙がかなりあり川崎らしいと思ったりしました。
 
朝夕は大きな工場の人達、昼間は競馬や競輪のファンでドル箱路線も今は一世を風靡した工場群も少なくなりマンションが沢山出現したり建設中だったりこの沿線もこれからかなり変わって行くんでしょう。そしてなりより殆どが地下になってしまいます。踏切が無くなり東西を分断したり幹線の渋滞が無くなります。今回も線路沿いは高い工事用の壁で覆われ走っている電車は余り見られませんでした。

本来は都電荒川線の残り半分を行きたかったんですが夕方から雨の予報で諦め、京急大師線になりました。4時間2万歩弱の散歩でした。

大変長くなりました。ついでにおまけです。はじめて見たお酒とタバコの自販機、ビールは全メーカー、発泡酒、日本酒、チューハイ、そしてタバコです。川崎らしいなぁ。そして紫陽花の葉ではないですが紫陽花のような、マスクメロンのような花です。e4453a0e.jpegab42b664.jpeg31feed9c.jpeg


大師線詳細は鉄道ドットコムから京急へhttp://www.tetsudo.com/
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