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美術館・鉄道・お城・お相撲・お友達の話など趣味のブログです。
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早朝から都電荒川遊園地まで行きゼンマイ式都電を購入しました。あらかわ遊園地は区営で入場料は掛からないそうですが年寄り一人がうろつけば怪しまれるのでチンチン電車に乗って王子駅まで着ました。

王子駅の隣は飛鳥山で東京で一番低い山と北区の人は言っていますが国土地理院では認めてないようです。それでも174Mあるのでエスカルゴに似たあすかパークレールというモノレールが無料で走っています。16人乗り所要時間2分、これも広い意味では電車に入ります。
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飛鳥山といえば徳川吉宗の整備した公園、桜の名所、渋沢栄一邸と浮かびます。此処には北区の飛鳥山博物館、紙の博物館、渋沢資料館、旧渋沢邸などがあります。渋沢栄一は明治の初期に500を超える企業を興したり協力したり色々絡んでいる明治を代表する実業家です。今日は渋沢資料館へ田園都市構想で訪問しました。

山には子供の遊園場所に昔の王子電鉄が寄付した都電6000形、国鉄のD51なども静態保存されています。そして桜賦の碑など多くの石碑があります。また上の写真の平和の女神像などもあります。

この像は長崎の平和祈念像で有名な北村西望の作で日本と中国の国交正常化を記念して人類の理想である平和と幸福を願って北区が建立したものだそうです。北村西望は井の頭公園の彫刻館でのアトリエがありそこで長崎平和祈念像を製作していますので井の頭公園へ行けば沢山の作品を見ることが出来ます。最近見たのですが島原城にも多くの作品がありました。

私にとっては梅屋敷の大田体育館前の「聖火」、数寄屋橋交番裏の「燈台」に続く3体目です。またウロウロしていると北村西望氏の作品に出会えるだろう。井の頭と島原で大分見たがもの凄く多くの作品があるようですので出会いを楽しみにしています。
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四万六千日/ほおずき市 浅草寺7月9,10日は四万六千日の日、浅草の浅草寺境内では多くのほうずき屋さんが威勢の良い掛け声で販売しています。昨日午後からかみさんと繰り出しました。

今年は入谷のあさがお市は中止になっています。ですから沢山の方が浅草寺へと思いましたが仲見世の参道は震災前の平日並みの混みようです。

まず外国人が居ない、欧米も亜細亜もいない。これがほうずき市かと思うくらいの人の出です。たまに参道のせんべい屋に行きます。平日ですと真っ直ぐ歩けます。日本の経済は全て仕事も遊びも外国人で賄っていたんだと実感。

ほうずき市は元々は愛宕権現境内で行なわれていたようです。6月24日の功徳日に青ほうずきの実を愛宕の神前で水で鵜呑にすれば、大人は癪の種を切り、子供は虫の気を封じるというお告げがあり24日の功徳日に試みると不思議と効果があった為、いつしか境内に御夢想の虫薬と称して青ほうずきの市が立つようになったようです。

6月24日は愛宕権現の本地仏「地蔵様」のご縁日で四万六千日にあたるとされていました。元来四万六千日は観音様の功徳日であったところから浅草でも市が立つようになったそうです。青ほうずきは漢方では解熱剤などに江戸時代に薬用として用いられていたそうです。

さて功徳日ですが観音様は18日、地蔵様は24日とか言われています。その日にお参りすると100日、1000日功徳が授かると言う。そして一番多い日が7月10日でこの日にお参りすると四万六千日に相当するそうです。そして多くの人が訪れるので前の日の9日も同じ効用があるというスペシャルサービスの功徳日?です。中々お寺さんもお茶目です。

四万六千日は白米一升分は四万六千粒にあたりこの日観音様を御参りすると一生を通じて無事息災に過ごす事ができるとか、四六時(1日)の千日分が四万六千でこれが根拠とか、石橋山で敗れた源頼朝が後に浅草寺境内に陣した時7月10日で四万六千騎だったとか色々言われています。

仏縁を結ばせる1つの方便だったんでしょうか。まぁ箱根の黒玉子みたいに1つ食べれば7年長生きとか我々もそれを肴にお祭りを楽しめればと思います。

と言う事で
ご本堂を参拝して雷除けのお札を戴き、きれいなお姉さんでほうずきを買い、かみさんとチョット早い夕食を兼ねてんぷらで一杯と相成りました。

GWも後半戦になってきました。最も今の私には毎日がGWみたいなものですが。今日は昨日の鉄道切符の整理と会社別登録をして半日を過ごしました。まだ、半分くらいです。

午後から友人のちょんまげさんが散歩をしようという話になりました。彼は花粉症でこの2ヶ月散歩もしなかったので4Kくらい太ったので何とかこのGWに減らそうと毎日散歩をしているそうです。

三軒茶屋からとことこ歩いてJR蒲田駅まで歩いてきたようです。そこからまた池上に向かい臼田坂をとことこ上り大田区立郷土博物館を見学、坂に戻り八幡様、長遠寺に参拝、梶原景時ゆかりの万福寺を見学して池上通りまで戻りました。

善慶寺の新井宿義民6人衆へ参拝、上の熊野神社から山王会館へ向かう。時間的に5時を過ぎていて係りのババァが此処は4時半入場ですよ。と、どうもこのババァとは相性が悪いようだ。その内ぶつかるだろう。

池上通りに戻り天祖神社の坂を上り馬込文士村のレリーフを見学しました。此処まで出2時間半です。彼は結局6時間近く歩いたようです。そして彼は明日も三軒茶屋から神田まで歩くそうです。私は明日切符の整理と植木鉢の植え替えをしなくてはならずお付き合いは勘弁してもらいました。GWで4k減を本気で目指しているようです。
 
パパリンのうんちくの世界

この像は関東大震災から10年後昭和8年9月1日に建立されたものです。場所は数寄屋橋公園の西銀座デパート側で有名な交番の建物の後ろに誰にも気がつかれずひっそりと立っています。

作者は彫刻家北村西望、長崎の平和祈念像を作った日本を代表する有名な巨匠です。この像は 力に満ちた青年が兜を装い、松明を掲げ獅子を従えた平和の神を象徴した作品です。

関東大震災で銀座煉瓦街も壊滅状態になり瓦礫の山だったそうです。その10年後に朝日新聞が寄付を募り作成依頼したものです。タイトルは「燈台」その台座に「不意の地震に不断の用意」と書き込まれています。

反対側の数寄屋橋公園は岡本太郎の若い時計台の像があります。燈台側は宝くじチャンスセンターの一攫千金目当ての人、タバコをもくもく吸っている人など多くの人がいます。

燈台は誰も見向きもしていません。喫煙場所の咲き始めた紫の藤と共に誰にも気がつかれませんが安心・安全の警邏を鳴らしています。
時間が沢山できたので、東京に永年住みながら東京を知らない。そこで大田区の史跡以外にも散歩を兼ねて知らない東京を歩いています。しかし、何だかんだ只歩くだけでなく郵便局のスタンプ集めや老舗と言うお店でお土産を買ってしまいます。

一番多いのがせんべい、大福、カステラ,羊かん,最中、どらやき、あんみつなどの甘いものが多いようです。またそういうお店が多いことも事実です。

甘いものは賞味期限が短く、家族分のバラ買いが多いです。最初は喜んでいたが何回も続くとまたぁと言われてしまいます。散歩場所にもよりますがこの所は賞味期限も長く風呂上りに酒の友としてつまめる佃煮にしています。

今隠れ家にあるのは三ヶ所の佃煮です。柳橋の小松屋の佃煮(一口あなご、もろこ)浅草橋から近く前の若松、高砂部屋の千秋楽打ち上げパーティ会場の近くで橋のたもとの船が泊まっていたりする風情のあるところです。

新橋の近くの玉木屋(ほたて、こうなご)吾妻橋近くの海老屋総本舗の佃煮(海老、こんぶ)、海老屋は同じような名前があります厩橋近くの海老屋総本店、そして浅草のすし屋横丁の裏辺りにも海老屋という佃煮屋があります。ここは個人的にはこんぶ、タラコ煮、うなぎが好きです。

最も江戸前ですから醤油のからさが何処も効いています。佃煮に関してはあまり詳しくなく浅草今半の牛肉、佃島の天安、田中屋と正直区別も出来ません。何となく酒のお供にしています。

さて今日もこれから銀座のギャラリーめぐりとデパートで佃煮かなぁ。


PS
本日、博品館近くで貝新にしようか玉木屋にしようか考えた。玉木屋にしようと向かうと看板に季節限定葉桜しらすとあり店頭でそれをお願いするとふりかけだった。そう、ここはふりかけもあるんですよね。
zzzバロン昨日は地方選第2弾、私達の場合区長、区議選の投票をしました。天候は良かったのですが体調は余り良くなかったのでちょっと散歩と言う事で立川の国営昭和記念公園へ芝桜でも見に行こうと出かけました。

ママリンは本当は中央本線沿線の桃の花を見たかったようですが数日前から体調を崩していて勘弁してもらいました。昭和記念公園はママリンのブログ仲間からきれいだという話で行く事になりました。

当日は立川市の市民祭りにぶっかって多くの方が出て色々なイベントが開催されていました。此処はとても広くまだ完成ではないようですがママリンの話では花がきれいで一年中咲き、冬のライトアップ、花火などもあるようです。

犬もオッケイチャリンココースもありとても広く大きな原っぱでのチューリップや菜の花、芝桜などとてもきれいでした。お祭りですから昼は焼きそばや揚げ餅、ご当地うどんなどを戴きました。
ひと隅だけの

昭和天皇在位50周年記念事業とのことで帰りには昭和天皇記念館などにも寄ってきました。早く終われば帰りには西洋美術館のレンブラントでもと思っていましたがとてもとても帰宅はしっかり夕ご飯の時間になりました。

のんびりきれいな花を見ながら散歩が出来近くにあればと何度も思いました。国営と国立の違いは解りませんが国営はひたちなかと今回で2ヶ所目です。のんびり楽しい一日でした。南武線往復全線乗車。幸せ、ネコも。ママリンナイスフォト撮れたかなぁ。

国営昭和記念公園
http://www.showakinenpark.go.jp/
ママリンブログ
http://www.freeml.com/bl/8744462/ca/
お口チャックバロン
決して「シェー」をしているんではないようです。

毎日余震が続いています。古い建物に日中いますので昼間の地震は凄く揺れます。家に帰れば帰ったで木の家でやはり古く壊れるんではと思ったりします。一番は車に乗っていたり歩いていたりですと余り大きくなければ感じません。

今は、品川宿を終わった事にして旧東海道を鈴が森先から六郷の渡しまでの街道を時間があれば歩いています。距離的には大したことはありませんが立場が2ヶ所もあったようです。もう跡形も無いようですが。

そして、小さなお堂や神社、お寺など沢山点在しています。また、古道も結構あるようです。ちょっと楽しみになります。

今回の震災や余震でその観音様や祠が崩れたり灯篭や石組みが壊れたりしています。壊れていたり壊れそうでも進入禁止のテープはありません。何時余震があるか解らずチョット怖く感じたりもします。

もう少し経ってから周ったりしたほうが良いのかなぁと感じています。結果的には大田区全体も見て歩かなければならないので安全な所からやっていこうと思っています。
枝垂桜と夕日
この枝垂桜が此処には2本、他にも枝垂れは数本あります。今日当たり満開か?
夕日と枝垂桜です。

何とか静岡から待ち時間と短い路線の繋ぎで小田原まできました。本来は小田原城の桜なんでしょうが、ここは数年前やっぱりかみさんと来ました。今回は箱根登山鉄道で入生田駅から徒歩10分くらいの山の上にある紹太寺の枝垂桜を目指しました。

枝垂桜
水仙をいれて色合いを楽しんだそうです。(ママリン)

太い参道は当然坂になっています。私達が着いた4時過ぎはもう参道の屋台は片付け始めていました。ここは小田原藩主稲葉氏一族の菩提寺で開山は鉄牛和尚(京都の万福寺で隠元禅師の下で修行をされた。)黄檗(オウバク)という曹洞宗、臨済宗とは違う江戸時代の新しい禅宗だそうです。


枝垂桜への道
登れば夕日がきれいかと一生懸命のぼります。(ママリンフォト)

お寺はすぐ左側にあります。禅宗の本堂らしいお寺で、わらぶきのご本堂です。此処は稲葉氏の菩提寺ですから当時は大変立派な大きいお寺で関東一とも言われたそうです。此処には春日局のお墓もあります。

本堂から出て橋を渡り石段310段を登ります。池上本門寺の石段96段でヒーヒー言っている私です。着ていたシャツは汗でびっしょりになりながら何とか登りました。あと50段登ると一族のお墓ですが手を合わせてパスさせていただきました。右に行くと目指す枝垂桜です。

とてもきれいなあと1日か2日で満開なんでしょうか。此処にある茶店も残念ながら片付けをしていて本当は冷たいものを戴きたかったんですが諦めました。でも、汗をかいたかいもありとても素晴らしい枝垂桜です。

俄かカメラマンのママリンが一生懸命撮っていました。この写真はママリンのブログ、フオトから勝手に取り出したものです。さて、今日でなく明日当たりは足が痛くなるんでしょうか。でも、お城めぐりはこの程度の倍歩きますから多分私は大丈夫ではと思っています。

長興山HP
http://www.choukouzan.com/
ケセラセラバロン

計画停電等で節電の一環で私の行っている公共施設のトレーニング場は休館になっています。何だかんだ何もしないで買いだめのカウチ族になっています。

運動不足解消を兼ね大森駅から歩いて臼田坂を登り長遠寺で山王のおじさんの墓参り。生前中はオヤジ、オフクロの葬儀でお世話になった。山門には梅なのかチョット変わった枝垂れのピンクの花がきれいでした。

その長遠寺を右に下れば万福寺、梶原景時,磨墨、女性奇術師初代松旭斉天勝のお墓、室生犀星の句碑など。曹洞宗の典型的な禅寺の山門が好きです。

このお寺には良く解っていないが母からの話ですが母の実家の曾爺ちゃんかその上かわかりませんがご先祖さんが鎌倉から仏様をオブって万福寺へ持ってきた。その爺ちゃんは酔うと臼田坂を下に~下に~と言って家に帰って来たとかの話です。勿論母の実家は臼田です。この辺は臼田ばかりです。尤も何時の話か今となっては?
万福寺
http://www.asahi-net.or.jp/~uu2n-mnt/kyuseki/manpukuji.html

久々にお参りをしました。また、上のバス通りに戻りチョット行って今度は左に下ります。そこは大田区立郷土博物館があります。ここへ来るのが本来の目的です。http://www.city.ota.tokyo.jp/seikatsu/manabu/hakubutsukan/index.html


品川宿から旧東海道川崎までの少し勉強をするためです。また、大田区の歴史などもついでに今回勉強をするため資料を見せていただきに行きました。

此処からまた池上通りまで歩き日赤の近くの「寿々き」蕎麦屋で一杯、その後平和島まで歩き、「ツーリスト」上映まで時間がまだあり、また一杯。鑑賞後は大森まで歩きクリニックへ薬をもらい、家族での食事会へ。本日は南大井寿司春です。
http://r.tabelog.com/tokyo/A1315/A131502/13043862/ 寿司春タベログ


当然また一杯、流石に帰りはタクシーでの帰還となりました。これから後何回か郷土博物館へは行かなくてはなりません。これからはアルコール抜きでウォーキング、運動不足解消をしなくては。本日の歩数 約2万歩

人形町は余り行ったことがなく東京江戸散歩の最初にチャレンジしました。何度か訪れて少しは分かり始めたころ、テレビドラマの「新参者」が撮影、そして放映されてくると観光バスまで来るようになり元々水天宮、明治座などでにぎわいを見せていましたがより混み始めました。

 

暫くしたらまた来ようと柳橋方面へ移っていました。放映終了後にまた人形町へ来ていました。しかし他の散歩コースを書いていたりで人形町を忘れていました。

この町は美味しいものが多くちょっと来ただけで福沢諭吉がすぐ飛んで行ってしまいます。決して高いものでなく美味しいからこれもあれもと買ってしまうからです。

 

人形町はそんなに広い街でないですが私みたいな新参者は甘酒横町、水天宮通りが中心になります。牛かつのそよいち、お座敷洋食の芳味亭、小春軒、本来の軍鶏より有名になった玉ひで、今半本店(勿論。切り落としやコロッケ)、ゼイタク煎餅、重盛の人形焼き(人形焼きのお店は沢山)せんべいの草加屋、三原堂のどら焼き、豆大福、塩せんべい、ぎんだら、銀むつ西京の魚久、卵焼きの鳥忠、佃煮屋、お寿司屋、大正時代からの喫茶店などあげたらきりがない。

 

昔は朝は魚市場、昼は歌舞伎、夜は吉原と賑わいを見せていたようです。色街ですから旨いものや今で言う伝統工芸のお店が沢山あります。老舗といわれるお店です。人形町は人形を作る人、修理する人、商う人など人形師が多く住んでいたから付けられたそうです。人形焼き屋が多いからではないようです。

 

正月の羽子板、三月ひな祭り、五月しょうぶ人形など毎月のように市も立っていたそうです。歌舞伎の中村座、市村座、人形浄瑠璃など人形芝居小屋などもあったそうです。そして一番は明治になって有馬家が移りいっしょに水天宮様も移られ一層賑わいが出たようです。

 

良く分からないのは甘酒横町に甘酒屋はなく人形町通りに人形はない。五番街にマリーがいなくティファニーで朝食が食べられない如くか。時間が出来たらまた此処から柳橋まで歩いてみたい。

人形町詳しくは
http://www.ningyocho.or.jp/

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