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この時期は海水浴やサーフィン、海辺のバーベキューなどに訪れる人が多くなります。
海水浴も海の家を使えば問題がないのですが車で来て車内で着替えて海で遊んで足や手などをトイレの水道をシャワー代わりに使う人が多くなるようです。
当然のように使用後は一面水浸しになり下がタイルなどでスリッパなどで慌ててトイレを使おうとする人は滑って怪我をしたり、水の出しっぱなしだったり折角用意してあるトイレがこういう事が重なり使用中止になったりして善良な人に迷惑を掛けることになります。
海岸ならでは注意事項ですね。
本日の読売朝刊には初めて男性の平均寿命が80歳を超えると1面に出ていました。それはそれで結構な事ですがやぶにらみ的に見るとどうなんでしょうか?
平均寿命に対して平均健康寿命と言う言葉があります。健康寿命とは日常的に介護を必要としないで自立した生活ができる生存期間を言います。
平均寿命と健康寿命の差が大きいほど介護や医療などに頼っている期間になります。今回のデーターでなく少し古いですが平成22年発表の平均寿命男性79.55歳、健康寿命は70.42歳、この差が9.13年あります。女性だと86、3に対し73.62で差は12.68になります。
この期間には運動器の障害、脳血管障害、認知症などが代表的な事例だそうです。差が大きいほど介護、入院など外にも中々出られず極端に言えばベット生活の期間になる。介護費、医療費だけが掛かって行きます。
平均ですから90,100を超えても元気に暮らしている人が沢山いますが、逆に平均ですからそれ以下の年齢から介護のお世話になることもあるわけで私的には後5年好きな事をして暮らそうと思ったりしています。
厚労省のデーター
http://search.yahoo.co.jp/search;_ylt=A2RACGr84tpTEG8A86iJBtF7?p=%E5%B9%B3%E5%9D%87%E5%81%A5%E5%BA%B7%E5%AF%BF%E5%91%BD&search.x=1&fr=top_ga1_sa&tid=top_ga1_sa&ei=UTF-8&aq=&oq=&afs=
浜松町、大森、品川港南口、品川港南口は駅前は高層の建物が多く林立していますが一寸海側に歩くと昔の呑兵衛横丁が縦横無尽に存在します。
初めて案内してもらいましたが三軒茶屋の三角地帯、大森山王側の地獄谷のような感じで細い道が縦横無尽にあるディープな感覚の横丁です。
浜松町は開店前から行列のできる有名な焼き鳥屋ですが3時半前に着き付近を散策。文化放送前ではインタビューをされそうで慌てて横にそれる。それにしても開店すぐに満杯になる凄い店ですがこの人達何をしているんだろうかと疑問に思う。尤も人の事は言えないが。
大森は何でも300円の中華のお店で24時間営業でいつ行っても開店しているので安心です。8月の旅行の打ち合わせを兼ねて集合。
目的はそれぞれ違いますが久しぶりに昼酒を楽しみました。今週は胃の為に大人しく過ごそう。
夏を告げる川崎大師恒例の風物詩、風鈴市、17日から21日まで境内の特設会場で行われています。
特徴は全国47都道府県900種類3万個の風鈴が涼しげに奏でています。
当然多くの参拝者が訪れていますので縁日の屋台や猿回しなども賑やかに人を集めています。やはり川崎大師はだるまでだるま屋、くず餅屋、とんとこ飴、手焼きせんべい屋、海苔屋などが参道に並んでいます。
そして食事もうなぎ屋、あなご・はまぐりなども名物です。今日は一寸曇り空でしたが夏を感じるイヴェントを楽しみました。
その他に19日は「人間国宝一龍斎貞水の世界」納涼講談(無料)21日「古賀政男生誕110周年記念元気古賀メロディ―コンサート」アントニオ古賀他の出演(無料)なども行われます。
18日から20日までの3日間東京モノレール東京流通センタ駅前流通センターで開催中。普段は午前中ですが午後に出かけました。出展者はこの所同じお店ですがやはり午後からの客は午前に比べると少ない感じ。
普段見る外国人、特に欧米人は少なく、中国系の人がトランクなどをもって団体で買い物をしています。
普段顔を出すお店は今回も目ぼしいものはなく、初めての店で中古の額を一点購入。
東京モノレールは17年ぶりの新型10000が今日から運行するので暫く見ていたが残念ながら見れなかった。
帰りに京急平和島駅前で自転車を預け川崎大師に行こうと予定していましたが額が重く、そのまま自転車で帰宅。
この期間、梅雨が明けたのかと思うような気温で暑かった。
夏のようで菩提寺のお花は2日しか持たない。明日からお花の料金も下がるだろう。
お酒もこの所外であまり飲まないのが火曜日は昼の酒、夜の酒とダブルヘッダーだった。
普段ビールは最初だけだが昼は2杯続けてビールになったし、夜もビールから始まった。夜は日本酒だったがやはり気候に関係なく私には日本酒が旨い。
65歳過ぎると介護保険料は入っている健保組合の保険徴収から個人で区に払うようになるようだ。郵便局に行き払い込むと、2回目の日本の城シリーズが発売になっていた。今回は松前、松江、高松、熊本、犬山城でパッと見解らない。構図、私のイメージの違いもあるがまだまだ修行が足りない。
家にいれば昼はざるそばばかり食べているが今回は外食が多かった。健康診断の結果は全部〇でトレーニングのお蔭でしょうが外出すると揚げ物が多くなるのがたまに瑕です。もう社会人時代のように動き回っていないのだから週に1度くらいにしないと。
ご先祖様、明日になると花も安くなり、今日一日汚い花ですが今暫くお待ちください。(合掌)
昨日13日が盆迎え火で横町の何軒かでも迎え火を炊いていました。今日もお寺では役員さんが総出で新盆の受付をしています。時間ごとに本堂ではお経が挙げられています。
14日私の菩提寺厳正寺は東京都の無形文化財の水止めの舞が行われます。残念ながらその時間は友人と8月の旅行の打ち合わせ中。
水止めの舞の由来は昔、水ごいをしたら雨が止まず田畑に水があふれた。そこでほら貝、太鼓を鳴らし龍の頭を被って踊ったら雨が止んだという言い伝えから始まっている変わった行事です。
山門入口までは藁に巻かれた三匹の龍に多くの人が掛けます。しかし山門内からは水止めとなり3匹の龍が舞を踊ります。まぁ今日は朝から腕に痛い位の日差しの気候ですから雨は最初から降ってはいません。
水止め舞http://members2.jcom.home.ne.jp/ichikondo/07%20shishimaimatsuri,mizutome.html
携帯を落としたので3日前に携帯を買い直しました。その際前回と同じような機種を選んでもらいました。
翌日、ブログにアップする為写真を撮りましたが、前回は横、縦とサイズがありましたが今回縦しかなく大森から散策の写真はとりあえず縦で撮りました。
集合写真やどうしても車両や風景などは横型で撮りたいので説明書?携帯をいじりながら色々探したが解らない。
ドコモショップへ教えてもらいに行きました。使い方の説明を求めたらまず身分証明書の提示を求められる。
担当者も色々見たが解らずメーカーに電話。結局、この機種は縦にしか撮れないとの事。カメラを横にして撮ってパソコン上で回転させてください。
その都度直すのは面倒だから古いタイプでもいいから代えてくれと言ったら「お客さんが買い取った物ですから引き取れません。」「そちらが勧めたから同じものと思って購入しました。」「カメラまでの機能は把握していません。」「このカメラで2年も使うんですか」「そうですね、」
本当に馬鹿にした言い方です。クーリングオフがなくてもまだ買って3日目というのに。
店ではらちが明かずドコモインフォメーションに電話すると操作が面倒だが携帯上で回転させることができる方法を教えてくれた。いちいち直さないと面倒だが窓口より遥かに丁寧な応対だった。
それにしてもドコモショップ蒲田店窓口のブスデブの女は最低だった。次回変える時は他も良いかなと思う。
午前中大した雨でないのでトレーニングに行き、12時半に大先輩と大森駅前で久しぶりのランチ。
食後別れて会社時代の社長さんから散策をしようと言われていて大森東口の散策コースをお渡ししてある。その後暖かくなったら行こうと言われていたが連絡がなく、もうこのコースは何年も歩いていないので時間つぶしに歩く事に。
大森東口駅前広場の大森停車場階段鉄柱。鉄道院時代の遺跡だが野ざらしで挙句の果てに喫煙場所になっている。鉄道産業遺跡もさぞや煙いだろう。
次は同じ鉄道産業遺跡、今の京浜急行が大森海岸から現在の大森駅の手前まで乗り入れていた当時の敷石。このチンチン電車に乗って大森海岸へ海水浴へ行ったようです。
当時の新橋、横浜間はまだ石炭の機関車です。この路線のお蔭でこの付近では京浜急行の売電により電気が早くつきました。
入新井公園内にある萬霊地蔵、地元の方が大事にお守りしている地蔵尊で太平洋戦争などで亡くなった方をお祀りしています。
今年は二の酉三の酉まであるのか福を搔き込む大森の鷲神社、当日は小さな社境内に多くの福を求める人が訪れる。
近くの鈴ヶ森処刑場に祀っていた八百屋お七のお地蔵さんが一夜で蜜厳院へ飛んできたという言い伝えのお七地蔵。
歴史ある磐井神社と旧三業地はパスして第一京浜国道を渡り三原通りへ。第一京浜と海岸の間の細い道が旧東海道。三角地の交番右が第一京浜国道で東京マラソンなどでは此処が折り返し地点でTVに良く映ります。
この交番あたりに昔、馬屋がありその名残で近くの川島屋海苔店が馬頭観音としてお守りしています。海苔屋の前が三原不動尊。
暫く旧東海道を歩き信号を左折して大森東小学校の校門前にあるのが海難供養塔、現存の供養塔では大きいものだそうで近くの方が講を作りお守りしています。
もう一度三原通りに出て第一京浜と産業道路がぶつかる三角地帯が現大森警察署、その裏にはここが昔大森区役所で此処に西南戦争、日清戦争で亡くなられた人の碑が。左の西南戦争の碑は珍しいようです。山縣有朋の書だそうです。
本来の大森はこの辺り周辺で三原通りは一番賑わっていました。今の大森駅辺りは入新井、不入斗と言っていました。その名残で駅周辺は大森北と言う住所になっています。大森と言う名を駅に付けたのは大森と言う地名が有名だったとの事です。
本来は此処からわが菩提寺厳正寺、ふるさとの浜辺などを巡りますが雨が少し強くなってきたのと今朝菩提寺は参拝していますので此処より帰宅。
久しぶりにこのコースを歩きましたが元社長は歩けるのか心配になりました。歩数的に一万五千歩を超えています。
パソコンを買い替えた時も暫く今までのように使う事が出来なかった。そして沢山の機能の中でパソコンはブログと調べる検索とたまに使うメール位です。それでも未だにスムースに行かない。
先日携帯を落とし買い換えました。此れがまた同じような機種との事ですが今一良く解らない。そしてバックアップのCDが見つからず電話番号はとりあえずかかってきた人を入れている状態です。当然今度の携帯もガラ系です。
友人からはバックアップがないと面倒だし使いたい時使えないから大変でしょうと心配されています。本当にありがたい事です。
のんきな私はあまり大変だと考えていません。社会人の時戴いた名刺は次の後任の人にそのままお渡ししていました。会社と言う背中に看板を背負っていただいた名刺ですからまた必要になった時、後任者に電話番号を教えてもらっていました。
落とした携帯も長年の中で殆どかけない人が多くいますので、必要な人だけそのうちに掛かってきたらホルダーに入れようと思っています。
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