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午前中大した雨でないのでトレーニングに行き、12時半に大先輩と大森駅前で久しぶりのランチ。
食後別れて会社時代の社長さんから散策をしようと言われていて大森東口の散策コースをお渡ししてある。その後暖かくなったら行こうと言われていたが連絡がなく、もうこのコースは何年も歩いていないので時間つぶしに歩く事に。
大森東口駅前広場の大森停車場階段鉄柱。鉄道院時代の遺跡だが野ざらしで挙句の果てに喫煙場所になっている。鉄道産業遺跡もさぞや煙いだろう。
次は同じ鉄道産業遺跡、今の京浜急行が大森海岸から現在の大森駅の手前まで乗り入れていた当時の敷石。このチンチン電車に乗って大森海岸へ海水浴へ行ったようです。
当時の新橋、横浜間はまだ石炭の機関車です。この路線のお蔭でこの付近では京浜急行の売電により電気が早くつきました。
入新井公園内にある萬霊地蔵、地元の方が大事にお守りしている地蔵尊で太平洋戦争などで亡くなった方をお祀りしています。
今年は二の酉三の酉まであるのか福を搔き込む大森の鷲神社、当日は小さな社境内に多くの福を求める人が訪れる。
近くの鈴ヶ森処刑場に祀っていた八百屋お七のお地蔵さんが一夜で蜜厳院へ飛んできたという言い伝えのお七地蔵。
歴史ある磐井神社と旧三業地はパスして第一京浜国道を渡り三原通りへ。第一京浜と海岸の間の細い道が旧東海道。三角地の交番右が第一京浜国道で東京マラソンなどでは此処が折り返し地点でTVに良く映ります。
この交番あたりに昔、馬屋がありその名残で近くの川島屋海苔店が馬頭観音としてお守りしています。海苔屋の前が三原不動尊。
暫く旧東海道を歩き信号を左折して大森東小学校の校門前にあるのが海難供養塔、現存の供養塔では大きいものだそうで近くの方が講を作りお守りしています。
もう一度三原通りに出て第一京浜と産業道路がぶつかる三角地帯が現大森警察署、その裏にはここが昔大森区役所で此処に西南戦争、日清戦争で亡くなられた人の碑が。左の西南戦争の碑は珍しいようです。山縣有朋の書だそうです。
本来の大森はこの辺り周辺で三原通りは一番賑わっていました。今の大森駅辺りは入新井、不入斗と言っていました。その名残で駅周辺は大森北と言う住所になっています。大森と言う名を駅に付けたのは大森と言う地名が有名だったとの事です。
本来は此処からわが菩提寺厳正寺、ふるさとの浜辺などを巡りますが雨が少し強くなってきたのと今朝菩提寺は参拝していますので此処より帰宅。
久しぶりにこのコースを歩きましたが元社長は歩けるのか心配になりました。歩数的に一万五千歩を超えています。
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