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美術館・鉄道・お城・お相撲・お友達の話など趣味のブログです。
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d8375de8.jpeg広島城
通称  鯉城 在間城
構造  平城
天守  複合連結式望楼型5重5階(外観復元)
城主  毛利輝元、福島正則、浅野氏12代
遺構  石垣、堀

毛利元就の時代は中国地方の9ヶ国を支配していたが孫輝元の時代に秀吉の軍門に下り黒田如水の縄張りにより太田川の三角州に築城。途中朝鮮出兵などで工事は中断、慶長4年の朝鮮の役終了後再開。外見は下見板張り、2基の小天守、80を超える櫓が経つ。

関ヶ原の戦い後毛利氏は周防、長門に減封、福島正則が49万8千石で入城。19年間城と城下町の整備をするも洪水による三の丸石垣の工事が徳川幕府に咎められ改易、浅野長晟が42万6千石で入城、以後12代続く。

3d86b562.jpegd7681912.jpegかって濠には沢山の鯉が泳ぎ蓮が覆いかぶさるように茂っていた。そこから鯉城、後の広島カープの語源にもなっている。

天守は原爆の爆風で倒壊、戦後昭和26年に広島国体に木造仮設天守閣が造られる。国体終了後に解体。是により城再建の気運があがる。城址が国の史跡指定にされ天守再建気運が高まり昭和33年に竣工。郷土博物館として開館。

f77a5120.jpegまた東京にある国会議事堂は1時明治の帝国議会も開かれている。これは日清戦争開戦に伴い宇品港(広島港)が兵站基地になったことから広島城内に大本営がおかれ明治天皇の滞在に合わせ帝国議会も開催された。(明治27年)

城内には広島大本営跡として残されている。また中御門跡後ろには原爆投下の一報を伝えた中国軍管区司令部防空作戦室(地下通信室)跡もある。

2度目の攻め入りでしたが今回は雨の為、天守閣しか見ていない。城は外郭、町全体の雰囲気も楽しめます。個人的には好きなお城です。

前回3人の8月の旅行(松坂、桑名、津など)その後の9月の明石、赤穂、龍野城と櫓だけのお城から欲求不満が。やはり城は天守閣が有った方が良く、最上階の高覧から城下を見る気分は心地良い風と共に最高です。

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