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東都名所 歌川広重画(幽斉書)
大判、横型、錦絵、極印、板元 川口正蔵板、アダチ版画研究所復刻
芝浦は新橋から田町辺りまでの海辺をいい、雑魚場となづける漁猟の地であった。この海から産した魚は芝肴と称されて江戸ッ子の賞味する所であったと言います。
画の真ん中に大きく帆船の帆を二張り描き、遠くに小さく帆船が描かれ左側は海が遠くはるかまで描かれています。また潮干狩りをしている人々が点で表されています。遠くまで海が曳いています。
右真ん中は芝浦の漁村が描かれています。真ん中右の石垣は今の濱離宮の石垣なのでしょうか。あなご、アサリなどが多く取れ、此処からのアサリが深川へ運ばれ「深川めし」にあなごは今は無き「品川飯」になったんでしょうか。
ここでも空、海にベロ藍を使っていて画面の広がりの中でしまっています。この図からは朝なのか夕なのか解りませんが静かな江戸湾が描かれて今では想像できないひなびた海辺が描かれています。
大判、横型、錦絵、極印、板元 川口正蔵板、アダチ版画研究所復刻
芝浦は新橋から田町辺りまでの海辺をいい、雑魚場となづける漁猟の地であった。この海から産した魚は芝肴と称されて江戸ッ子の賞味する所であったと言います。
画の真ん中に大きく帆船の帆を二張り描き、遠くに小さく帆船が描かれ左側は海が遠くはるかまで描かれています。また潮干狩りをしている人々が点で表されています。遠くまで海が曳いています。
右真ん中は芝浦の漁村が描かれています。真ん中右の石垣は今の濱離宮の石垣なのでしょうか。あなご、アサリなどが多く取れ、此処からのアサリが深川へ運ばれ「深川めし」にあなごは今は無き「品川飯」になったんでしょうか。
ここでも空、海にベロ藍を使っていて画面の広がりの中でしまっています。この図からは朝なのか夕なのか解りませんが静かな江戸湾が描かれて今では想像できないひなびた海辺が描かれています。
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