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この設計を依頼された時そしてもう一度は日露戦争勝利した時だそうです。
万歳をしながら事務所に戻り,所員の給与が是で払えると言って何度もしたようです。多くの設計を手掛けていますが日銀本店、東京駅そしてやりたかったのが国会議事堂だったようです。国会議事堂は色々工作をしたが残念ながら設計はできなかった。
辰野金吾は相撲好き
自宅にも土俵が有り、日銀本店完成の日は息子を太刀持ちにして自ら土俵入りをした。
息子を梅ヶ谷部屋に入れてそこから学校へ通っていた。息子の隆は力士にはならず東大フランス文学教授で小林秀雄、三好達治を育てた。
旧国技館の設計、横綱審議委員なども務め、梅ヶ谷親方に勝った事が有るというのが自慢だった。
東京駅のドームは大銀杏で横綱が皇居に向かって土俵入りをしている設計とも言われている。
今回の工事は駅を普段どおり営業しながらあの重い駅舎の松の杭を取り除きながら450本の仮杭を深さ20メートルまで打ち込み支え、松杭と仮杭が支えている間に本杭を打つという工法をしました。書けば簡単ですが大変な工事だったようです。
東京駅はJR東日本では新宿、池袋、渋谷、横浜に次ぐ5番目の乗降客数のターミナルですが新幹線の発着駅として東西に利用される全国規模の駅ですから完全に駅機能を止めるわけには行かない。
東京駅は戦後何度も取り壊し論議が起こる。
戦後取り壊して50階建てにしようと言う案が出たが当時の土木技術では50階建てにしたら1階は柱だらけになると言う事で廃案となった。
東京駅と有楽町よりの東京中央郵便局とは地下で繋がっている。
郵便物を運搬する為地下通路があるようです。現在も有るかどうかはわかりませんが。
JR東日本は今回の復原工事総額500億円と云っていますがホテル、内装などその他の工事に2000億円以上ともいわれています。
この費用は全部でなく余計な話ですが今回の丸の内駅舎は3階建てで国の重要文化財指定で高層建物は建てられず。当然空中権が発生し、他の会社に販売して工事費に充てています。
ホテルも56室から150室の増床しています。来年の3月まで一杯だそうですが1泊80万円の部屋はまだ空いているようです。昔は中央線からホテルの浴衣の人が見えましたが当然もうそういう事もないでしょう。国の重要文化財の中のホテルですから。
バーには戦災での焼けた煉瓦がまだいくつか見られましたが今回はどうしたんでしょうか。
ちょっと興味があるのがギャラリーです。あの煉瓦の壁に負けないような作品はどんな作品を展示するんでしょうか。梅原隆三郎の絵を昔見た記憶が有ります。今日から「始発電車を待ちながら東京駅と鉄道をめぐる現在アート9つの物語」が始まります。
東京駅は日本一発着本数、旅客収入が多い。
1日約3000本、売り上げは平均2億5千万円。
日本一プラットホームが多い。
地上に東海道本線、中央本線、山手線、京浜東北線の5面10線、新幹線が5面10線、地下に総武本線、横須賀線、京葉線、武蔵野線の4面8線で合計14面28線。
日本で最初の乗車券の自動販売機を設置
1929年省電(後の国鉄)で10銭区間の販売機を設置。入場券の自動販売機は1911年大阪駅。
東京駅には駅長が2人いる。
もう有名な話ですがJR東日本と、東海道新幹線のJR東海の駅長。同じように小田原、熱海、米原、京都、新大阪。小倉、博多などにもいます。
まずなぜ東京駅(当時は中央停車場)を作ろうと思ったのか?
明治政府は不平等条約を解消したかった。本当かどうか定かではないが条約はお互い対等な文明があって成り立つ。まだ未文明ではないかと言われ文明国にするにはと云う事で鉄道と鹿鳴館(跡地現帝国ホテル)となったようです。
新橋、上野を繋ぎ列島縦断の鉄道網と云う事で本来内務省の管轄が外務省の管轄でドイツのH、ルムシュテル、f、バルツァーに依頼。線路は出来たが駅舎は設計だけで帰国となってしました。
345メートルの駅舎の設計はあったがその後辰野金吾に依頼します。東京駅を新丸ビルから見ると右側は入口、真ん中は皇室専用、その隣は近隣の入り口、左側は出口となっています。(写真は上段が戦災後の修復した当時、下が今回の復原された東京駅)
日本では改札は入出口と云いますが右が長距離の入り口、左が出口とヨーロッパでは分かれている。皇室専用は駅から馬車でまん前の行幸通りを通って皇居へ。今でも運が良ければ見る事ができるかも。東京駅は皇室の表駅、原宿が裏の駅で避暑などで向かう時に使われるようですが、今は殆ど車で使われることがないようです。
ヨーロッパでは中央駅は終着駅、始発駅となっていて縦に出発します。日本では通過列車が有ったり線路は横になります。パリでは一つの駅内で乗り換えは出来ません。
辰野金吾はこの長い駅舎を苦労して設計したようです。当初は予算上2階建しかできなかったが日露戦争の勝利により駅の広場で凱旋勝利報告をすることになり予算は関係なくなり3階建て鉄骨煉瓦つくりになります。
当時も鉄骨セメント造りはあったんですが辰野は神戸で見学をしたが塊が均一のなるか疑問を持ち煉瓦を採用しました。
東京駅は江戸時代は海で埋め立てて出来た場所で地盤は弱い、今回の工事で地下には松の杭が1万本入っていた。これで関東大震災も耐えたようです。取り出した杭はまだ立派に役目を果たしていて朽ちてはいなかったそうです。先達の知恵は凄い。
3階部分はなるべく残っている素材、写真を利用して忠実に復原を目指したようです。屋根のスレートは元々宮城県石巻市産で今回の震災で流されたり泥をかぶったりした残ったものを使用。厚さ5ミリ、縦横30センチ。45万枚使用。足りない部分はスペイン産。
今回は1,2階は保存、3,4階はドーム、屋根も開業時に復原、松の杭を取り除き免震工事を施し完成しました。
もうオープンすれば窓を閉められず電気も消せない為中々見られることが出来ないショーです。
46台のプロジェクター、高さ30メートル、幅120メートルの映像ショー。時間は10分ですのでお時間があればご覧ください。朝日新聞提供のロングバージョンです。
http://video.asahi.com/viewvideo.jspx?Movie=48462269/48462269peevee496604.flv
上記が写らない場合下記ユーチューブで
http://www.youtube.com/watch?v=xHsbdq8GtKc
品川方面の平和島、大森町、梅屋敷、京急蒲田、雑色、六郷土手までの本線4.7Kの本線、京急蒲田から隣の糀谷までの1.3Kの高架工事が完成。
京急は創業110年を超える日本でも歴史ある会社ですがこの区間は下を走り脇には京浜第一国道、環状八号線と日本でも有数の道路が走っています。踏切で大渋滞が起こっていました。特に京浜第一国道は正月の箱根駅伝で全国的に有名な踏切にもなっていました。
平成22年5月には上り線が高架化し渋滞も緩和、踏切の待ち時間の減少が図れました。そして渋滞の環状八号線はいち早く平成22年9月に上下高架化。そして今回上下高架化になります。
踏切が28ヶ所なくなり朝の電車通過の待ち時間がなくなります。(渋滞解消)東西の地域の分断もなくなり(地域の発展)、駐輪場、駐車場などの設備も出来(利便性の向上)、違法駐車もなくなって緊急の車両もスムースに通れます。(安全・安心の向上)、此れで羽田空港間の時間も短縮、本数も増えるようです。
10時~13時までに3000人の希望者が見学しています。はっきりテツと云う人や地元の方々、家族連れなどが新しいホームや少しだけ線路わきからも見学、子供たちはスタンプラリーや京急のぬいぐるみなどと写真を撮ったりしています。
大田区も京急蒲田周辺再開発の説明をパネルを使いスタッフが汗だくでしています。例の快特通過問題も時間と共に終わったんでしょうか。区議会議員らしき人は見なかったが。
(上の写真は左からさびたレールを磨く車両、レール上を走れる自動車、運転は?)
お土産は京急蒲田から羽田空港までの乗車券、バス券の記念切符セットでした。
10月から供用したらもう下には降りられない。ちょっといい体験でした。)
姫新線(きしんせん)兵庫県姫路駅と岡山県新見駅を結ぶJR西日本の路線です。路線距離158K駅数36、全線単線、非電化、今回は姫路から本龍野までしか乗っていませんが1車両、ワンマン運転でした。車両は新型キハ127。
山陽地方と山陰地方を結ぶ連絡線の一つです。しかし高速バス、並行する智頭急行線などもあり観光客と云うより地元地域の足として活躍しています。当然地域の足ですから廃線になったら困りますので地域あげて鉄道を使おうと言うキャンペーンをやっているようです。JRも私鉄ですが地方の私鉄にも応援団を創設して利用促進を図ったり無人駅を清掃したりとボランティア活動が盛んです。
上のポスターは乗車求むという皆で姫新線に乗ろう、300万人乗車作戦です。是非頑張ってもらいたいものです。
姫路駅からは同じように山陽から山陰への連絡線として播但線も走っています。残念ながらこの路線はまだ乗ったことがない路線です。姫路から和田山までの路線で電化、一部非電化路線のようです。
赤穂軽便鉄道
山陽本線有年駅から播州赤穂駅(現在地とは別)を結んだ鉄道。当時の山陽鉄道は山間部を走り、瀬戸内に近い塩の生産地赤穂とは離れていて地域住民にとって鉄道を敷設する事は長年の夢でした。
大正10年に長年の夢だった赤穂鉄道が開通、塩輸送が行われ全国的に広まり産業発展に貢献、また赤穂浪士、忠臣蔵の史跡などから観光事業も積極的に展開し営業的にも成り立っていました。
戦後、山陽本線相生駅と接続する国鉄赤穂線が開業する事になり昭和26年12月に発展的に廃業。
現在、JR播州赤穂駅から程ちかい公民館前に赤穂鉄道記念碑、そこから少し南下したウエスト神姫の駐車場前に赤穂鉄道播州赤穂駅跡があります。
鉄道は地域の産業、住民の足など必要な施設ですが創業は大変な苦労して開業し、町、村を上げて待ち望んだものですが、現在は車社会が当たり前で地方へ行けばいくほど発達しています。そして折角の鉄道に乗らず赤字になり廃線を迎えています。
赤穂鉄道は国鉄線の距離も伸び発展的に解消しましたが現在は苦しい私鉄が廃業してバス事業も撤退し、コミュニティーバスが運行している地方が多くなってきています。是は当然地域の税金で賄っています。皆が少しでも地域の足として鉄道を利用すれば税金も使わず人も採用でき便利な足と活用できるんですが。
地方へ行くと地域の足の鉄道、地元の商店街が気になります。交通難民、買い物難民が続出しています。
鉄道に興味のある方は鉄道ドットコムへhttp://www.tetsudo.com/
1,2は土日なので郵便局がやっていない、3,4は月曜があり博物館などが休み。しょうがなく3,4日で北でなく西へ、見たことがないお城という事で明石、赤穂、龍野城を攻める事にしました。場所的には播州です。
3つとも天守閣がなく、隅櫓だけです。乗り換えの姫路はお城のナンバーワンの姫路城がありますが現在平成の大工事中です。工事中も見学可能ですが先般も見たのでパス。
明石はタコ、日本の標準時、明石大橋、明石焼位しか思いつきません。お城入り口には中部謙吉の像が昔好きだった大洋ホエールズのオーナー、大洋漁業、大森にもあった林兼水産などのオーナー。此処の生まれだったようで町には多大な寄付をしているようです。
明石焼=玉子焼きで此処では玉子焼きというようです。ふわっとした皮に小さくタコが入っていました。たこ焼きの元祖だそうです。城と反対側に魚の棚と呼ばれる商店街があり此処では玉子焼き、タコ、鯛などの海産物、佃煮、たこをそのまま圧縮潰した豪快なたこ煎餅など小さなお店がひしめいて活気が有ります。久しぶりに活気のある商店街を見て嬉しくなりました。玉子焼きは祭りの屋台以外では初めて戴きました。
その日は赤穂線で播州赤穂まで行き、泊まり。赤穂といえば駅から何から赤穂浪士尽くしです。忠臣蔵と塩位しかしりません。段通も有名だそうです。カーペットの高級品。佐賀、堺と並びその筋では有名だそうです。加里屋段通と言うようです。
午後から姫路に戻り神姫線で4つ目の本竜野駅下車して龍野城へ此処も2つ隅櫓と御殿が復元されています。天守閣は、山の上に在ったそうです。山の上は時間的にパス。龍野といえば揖保川が流れ、揖保の糸という名の素麺が有名です。我が家も大体この商品です。初めて知ったんですが揖保の糸と言うブランドはお店の商品名でなく協同組合のブランドである規格に合格した物を出荷しているようです。
隅櫓ばかりのお城でちょっと消化不良でした。元々櫓は表は綺麗なんですが裏は何もなくつまらないもので大体中にも入れない、物置だったりしています。青春18きっぷの残りの消化する旅でしたが、ちょっと物足りなかった。帰りもトコトコで豊橋まで出ましたから途中の彦根城なども通過、時間があればまた見たかったし石垣、天守跡だけしかない直線の安土城でも行きたかった。
何だかんだとブツブツいっていますが初めて知った物も多く、郵便局も5局できたし途中の幾つかの鉄道会社で売れ残りの記念きっぷも買えたので満足ではあります。
赤穂線、神姫線などは 鉄道ドットコムを参照ください。http://www.tetsudo.com/
千葉のきっぷですから東京では購入できないので市川駅で下車し購入し、7時20分には木更津駅へ到着。もう、かなり並んでいます。前にも発売していますが今は、何処の駅でも長蛇の列です。
9時5分には購入できたんですが、館山方面の電車は約一時間後、4番線の久留里線を見たりして時間調整して乗るも土曜日なのか座れず、二時間近く切符発売を立っていたのでちょっと辛い。
保田駅は初めて降りる駅です。目指す、菱川師宣記念館は歩くと海岸線1本道ですが20分と言う。陽は出て暑いし、タクシーはなし、参ったなぁと思っていたら駅舎横に観光協会がありレンタサイクルの旗が。ラッキー!早速お借りしました。
国道127号線を鋸山の南で鋸南(きょなん)というそうですが目指す「菱川師宣記念館」は駅から1K位のきょなん道の駅の中にあるようです。国道の右側は海でとても綺麗に見えました。途中保田漁港がありその隣では「ばんや」という漁港直営のとても大きな食堂、日帰り温泉施設(人工)、宿泊施設などがあるようで多くの車が止まっています。
そこから少し行くときょなん道の駅が。ちょっと楽しみにしていた道の駅ですが、「ばんや」に比べるとちょっと寂しい。まだ11時前なんで食堂は開いていませんが今はやりの道の駅に比べるとかなり小さい。
浮世絵の菱川師宣記念館は立派な建物で「江戸、明治の戯画の世界」を開催中です。常設としてこの地で生まれた菱川師宣の肉質画などが展示されています。想像していた施設より立派で展示点数もかなり多い。
道の駅で落花生、ケンピ、ブルーベリーを購入、野菜は安いと思うのですが重いのでパス。12時を過ぎていましたので保田漁港直営のお店は観光バスも何台か入り、大入り満員でしたが何とか席につけました。
値段はそう安くはないですが量が多く、余った場合は刺身以外はパックで持って帰ってくださいと書いてあります。隣の人のてんぷらはてんこ盛り、金目の煮付けも1人では大きい。結局おまかせ海鮮丼を注文。とても美味しかった。
保田漁港直営ばんやHP
http://www.banya-grp.jp/
日帰りの温泉に入りたかったが此れから千葉に戻らなくてはならず断念。隣の海から富士山が見えました。手前の海岸の水も透き通り、遠くへ海の色が変わる南国の海のようです。千葉の海がこんなに綺麗だったか、まして東京湾。
駅で自転車を返しまた内房線で千葉へ戻り、千葉駅東口から少し歩いた千葉市美術館へ。此処も初めて入る美術館です。今は「どうぶつ大行進」と言うタイトルで動物が描かれた日本画、浮世絵が中心に展示されています。
広重、北斎、国芳、国貞、小林清親、鈴木春信、芳年など浮世絵のビックネームの作品が大量に、俵屋宗達、酒井抱一、河合玉堂、円山応挙、伊東若冲など此方も沢山。帰りで疲れもありちょっと残念でしたが流して見学をしました。
5時には帰宅。1800円のフリーキップを使い乗車時間も多く、2館の美術館で早朝から出ましたので少し疲れた1日ですが満足でもありました。
パワフル×スマイルちばフリーパスは
昨年までは青春18きっぷと同じで使えるのが3回でした。(青春18きっぷは5回(人)です。)期間内ならバラバラに使っても良く3人で使う事も出来ました。値段は9180円。(写真は昨年の使用券)
今回予定される「秋の乗り放題パス」は3日間連続して1人で使用しなくてはなりません。私は日帰りで使ったり、暫くして1泊で使っていました。2泊3日の行程を考えるか、日帰り3日にするか、今までに比べると少し使いづらくなりました。
JRもそこを考え料金は7500円に値下げしてきています。1日が2500円です。昨年までは3060円でした。今回の発売予定は10月5日~19日まで。使用期間は10月6日~21日まで。利用方法は青春18きっぷと同じ。
短期間のJR全線乗り放題きっぷですから青春18きっぷみたいに2回買う事もなく、使っても1回でしょうから余り文句も行ってもしょうがない。しかし2泊3日か、中々行程が浮かばない。
詳細記事は鉄道ドットコムで
http://www.tetsudo.com/
博多長崎を結ぶ全線開業は10年後の22年度に予定されています。是で全線着工になりますが新鳥栖ー武雄温泉間は在来線を使う。その為、新幹線規格のレール幅と在来線とは違い走りながら軌間変更が出来るフリーゲージトレインを日本初で採用するそうです。
現在四国で台風、雪など各気象状況、カーブでの高速安全性が担保出来るか開発、テスト中だそうです。在来線を利用するので新幹線用の高架ではないので踏切が90ヶ所もあり安全性、高速性などが疑問です。
「交流人口の拡大が期待される。新幹線開業に合わせて魅力的な街づくりに取り組みたい。」と長崎県知事が期待しています。佐賀、長崎は旅行者にとっては不便な所です。博多から一本で高速輸送が出来れば確かに期待が大きくなりますが、現実には時間的に現在の特急と比べ驚くほどの時間短縮にはなりません。
このルートは在来線をJRから経営移管がないですから市町村が赤字覚悟で代行運行しなくても良いのはまだ救いです。しかし、当然現在の特急は無くなり新幹線利用になりますから利用者費用は上がります。
佐賀では在来線利用区間は普通が待ち時間が多くなり、今までより時間が掛かる区間も出てくる事が予想されます。九州は何と言っても福岡が一番です。この地域からどの程度の人が期待通り観光に訪れてくれるんでしょうか。
関西、関東からはやはり観光には飛行機利用になるでしょう。佐賀は佐賀空港より福岡空港から列車の方が場合によっては便利ですからそこへ整備新幹線で行けばより便利かもしれません。
本当に長崎の人は整備新幹線を望んでいるんだろうか。国も財政負担が大きいため、わざわざ長い工事期間を設けています。余計、工事費も掛かったりしないんだろうか。財政危機で「社会保障・税一体改革法案」を成立させ、国民に多くの負担を強いるのにその中から公共事業費として莫大な予算を回すのは私には解らない。
詳細は下記記事は
http://www.asahi.com/travel/rail/news/SEB201208180013.html
机にも幾つか鉄道ののNゲージがありますが同じ鉄道でも走らせるより乗ったり、きっぷを集めたり、名物を食べたりする旅の方がメインです。
昔から鉄道模型ではないですが蒸気機関車や特急にその土地のお酒を入れた焼き物は中身が好きです。若い頃は中身が大体日本酒でした。今はその土地の日本酒もありますが焼酎の方が多くなっています。
焼酎の方が中身が長く持ちます。日本酒は何時までも持ちません。また飲んだ後も飾っていても綺麗ですし見ると旅の想い出にもなります。
私は今は芋焼酎かバーボンの炭酸割が多くなっています。列車でカッコがいいのは今はJR九州です。沢山の拘った列車を走らせています。このボトルは実はかみさんが同級生からもらったもので私のではないので指をくわえて見ているだけです。
特急ゆふいんの森が出た時はわざわざ由布院へ行きました。ただこのボトルは麦焼酎ですので昔は良く飲みましたが今は殆ど飲みません。中身は大分の銀座のすずめです。由布院に行った時丁度JALの大分線何周年かで銀座のすずめのボトルが銀座のガス塔に似せたボトルでちょっと古酒になっていて機内で購入その後良く飲みました。
九州新幹線さくらはN700系で車体自体は珍しくもないですが中身は鹿児島の芋焼酎です。今は宮崎の黒霧島か鹿児島の薩摩白波があれば頼みます。九州全体に黒霧島が行渡っているようです。東京も私が行くようなお店には必ず黒か赤、最近は緑もあります。宮崎に行けばなぜか霧島を飲まず飫肥杉を飲んでいました。
長くなりました、実は模型よりボトルより中身が好きなんです。では戴きます。
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