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美術館・鉄道・お城・お相撲・お友達の話など趣味のブログです。
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7a35a959.jpeg9168f598.jpeg想い出のSL(道東の風土シリーズ17)
昭和49年9月10日 塘路駅から100K急行券 100円
写真は釧網本線細川駅周辺、川は釧路川、釧網本線に関しては前回書いていますので省略。秋には湿原一面に生えるキタヨシが黄色く色づく、点在するかん木とキタヨシのかなたに沈む夕日が素晴らしい。
 
4bfd0943.jpeg9822f116.jpeg想い出のSL(道東の風土シリーズ22)
昭和50年9月10日 帯広駅から100K 急行券 200円
写真は広尾線幸福駅付近、この駅は愛国、幸福できっぷ収集以外にもブームになりました。広尾線に関しては前回書きましたので省略。沿線周辺は酪農、畑作で豆、じゃがいも、ビート、乳製品の生産地。
 
0910558f.jpeg6e234a8c.jpeg保存SLを訪ねて北の旅シリーズ4
昭和52年9月 稚内駅から100K 急行券400円
C5549と稚泊(ちはく)ドーム、C55は当初青森機関区に配属され昭和15年に北海道に配属。北海道と樺太を結ぶ北海道縦貫急行専用機関車として活躍。

稚内・大泊(現ロシアコルサコフ)航路は大正12年5月1日開設、当時は連絡船が沖合に停泊して乗客の乗下船にははしけが利用されていた。

昭和11年7月424メートルのドーム型防波堤が完成、連絡船が着岸ができ2年後には桟橋駅も完成。ドーム内に急行列車が直通できるようになりました。
第二次大戦後昭和20年8月24日宗谷丸の入港を最後に22年間の幕を閉じました。

北海道の国鉄時代の記念きっぷですが乗車券でなく急行券というのがこの時代の特徴でもあるようです。

樺太まで連絡船で輸送されていたのは言葉だけで実際は知りませんが日露戦争後ポーツマス条約で北緯50度以南を南樺太を日本に割譲され石炭、石油を産出していたようです。北海道縦貫急行専用機関車、もうこの言葉も使う人は余りいなくなっているようです。

ドームは礼文・利尻などへの乗り場となっています。確か稚内駅から近いところにあります。
最新鉄道情報はhttp://www.tetsudo.com/のJR北海道で


 
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