忍者ブログ
美術館・鉄道・お城・お相撲・お友達の話など趣味のブログです。
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

29ccbef8.jpeg京急上大岡に用があり帰りにちょっと金沢文庫駅から徒歩で15分位の「金沢文庫」へ行きました。大分昔に行きましたが十数年ぶりです。此処は称名寺の境内の一部なんでしょうか、称名寺には数年前来た記憶があります。
 
金沢文庫では6月3日まで「金澤八景いま昔」という企画展を開催しています。先日、平木浮世絵美術館で広重の近江八景を見ました。深川江戸資料館で広重は金沢八景、鎌倉、江ノ島には実際に行っていると言うのを覚えていましたから、此処へ行けば広重の金沢八景が見られると言う事でお邪魔しました。
 
金沢文庫は鎌倉時代金沢北条氏の北条実時により今から約700年前創設された武家文庫。実時から子、孫と受け継がれ北条滅亡により金沢北条家菩提寺の称名寺で保管され、現在は県立金沢文庫として博物館になっています。この金沢文庫が日本で最初の図書館と言われています。
 
今回は金沢八景に拘り蒐集されている楠山永雄氏のコレクションの展示です。金沢八景関連の昔の摺り物、広重八景3点、古写真、絵ハガキ、京急電鉄の前の湘南電車時代の沿線パンフレットなど多岐にわたっています。金沢八景3点はちょっとと思いましたが一般人が収集するのですから限度があります。これはお土産の絵ハガキと金沢文庫と称名寺との間のトンネルの絵で我慢。それにして良くこれだけ沿線パンフを蒐集したものです。
938bd995.jpege8786d2b.jpega01e490f.jpeg8418ab52.jpeg0e2253d0.jpeg622829d9.jpeg7db25598.jpeg87265d48.jpeg
(この広重の浮世絵、金沢八景は金沢文庫から称名寺までのトンネルの中で掲げられている写真です。) 


金沢八景は中国の僧心越が名付けたといい、上左から洲崎晴嵐、瀬戸秋月、小泉夜雨(こずみ)、乙艫帰帆(おっとも)、平潟落雁、野島夕照、称名晩鐘、内川暮雪の八つですが今は無き六国峠にあった能見堂からみた心越が故郷を思い見た景観だそうでこの浮世絵は広重が描いた金沢八景です。
 
金沢文庫の企画展は6月3日までですが5月12日から1部入れ替えがあり広重の金沢八景は2枚新しく変わるようです。入場料400円、月曜休館、9時~16時30分。

称名寺は真言律宗別格本山で金沢北条氏の北条実時が創建、菩提寺にもなっているようです。広大な境内には国の史跡に指定され赤門、仁王門、金堂、釈迦堂などがあります。金堂前には浄土式庭園というようで金沢三代貞顕の代に整備されたそうです。本堂には国宝、重文指定のお宝が多く有ります。
7fe109d4.jpeg88963992.jpegdf6f88e2.jpeg34d34597.jpeg35b29ae2.jpegec91978c.jpeg3a5e80dc.jpegd5cd5098.jpeg67293676.jpeg

                    
                    曇りから一時ぽつぽつと降り始めましたので本堂裏の登山道の石仏群、実時の墓域には行けませんでした。前回来た時は其れこそ秋も深まりイチョウがきれいで金沢八景の雰囲気がありました。もう面影はないですが金沢八景の地を巡るのもウオーキングを兼ねて一興かもしれません。(写真はクリックすれば大きくなります。)







 
PR
308f8b78.jpeg浮世絵が好きなら歌舞伎も見るでしょ。是、参考にでもして下さいと歌舞伎公演の今で言うプログラムを戴いた。実は私は今まで歌舞伎を1回しか見ていません。それも話題と云う事で「スーパー歌舞伎」でした。話の内容も解らず途中からつまらなくなり寝そうになりました。
 
戴いたのはちょっと古い昭和3年12月の南座公演「吉例顔見世興行」、昭和5年3月「東京大歌舞伎」明治座の昭和5年2月興業のプログラムです。そして大阪新歌舞伎座の昭和51年4月1日の入場券の半券。
 
9f033b39.jpegf2b5a8e4.jpega8ac5369.jpeg         歌舞伎を見る為のプログラムですから昭和3年の中身を見ますとまず南座座主松竹合名社の口上あいさつで始まり、出演者の口上挨拶、ここでは中村雁治郎、七代目嵐吉三郎、三代目市川九団次、中村章景、沢村宗十郎、沢村訥升など。
 
次に観劇の出し物が昼の部 前狂言伽羅先代萩2幕、中幕源平布引瀧、浄瑠璃釣女、切狂言壽曾我体面、夜の部が前狂言鬼一法眼三略巻、中幕敵討檻樓錦、2番目助六由縁江戸桜、大喜利大津絵となっています。書いてて全く解りません。
 
4cc95b3c.jpeg93794ba7.jpeg各出し物の話の内容が書かれています。しかし、旧かなづかい、旧漢字で読みにくいです。
しかしその後は浮世絵の図柄のような其の出し物の名場面でしょうか挿絵が入っています。これにしっかり色が付けば錦絵になるようなものです。その場面場面の下に出演者の名前が入っています。これは内容が解らなくても興味が湧きます。
 
daea44bd.jpeg最後のページは歌舞伎文字で出演者、作者、スタッフなどの名前が書かれています。もうひとつ興味を引いたのは明治座の最後のページにお願いという項目があります。
 
お座席の番号を忘れないようにから始まり案内人は御祝儀心付けはご辞退申し上げます。女給、食堂係員に不都合がありましたら直接お知らせなり、備え付けの投書箱をご利用なりを願ひます。お出口は1,2階の靴又はお草履の御方に限り正面及び西側お出口へ。三階の黒札の方は東側御出口へ。赤札の方は西側御出口へ混合ひますから番号の御記憶を願ひます。お帰りの御乗り物は自動車及び人力車のご用意がございますが、終演になりますと不当営業者(モーロー)が集まりまして不当な料金を貪りますから、御用の際は腕章をした係員迄お申込を願ひます。
9cd7132d.jpegd3faa571.jpegdaea44bd.jpeg 
c89f6601.jpeg93794ba7.jpeg274530b1.jpegこの当時から白タクがいたようです。また食堂は東側2,3階和食堂、三階正面、地下東側西洋料理があるようです。ちなみに三重弁当お椀付1円30銭、刺身弁当、卵焼き弁当、親子丼は1円、うなぎ二重弁当1円30銭、三階食堂は定食5品付2円、三階正面和食堂は弁当、親子丼、すし、ちらし、大阪すし、さしみ全て50銭均一、地下東側西洋料理は定食1円30銭と1円だったようです。ちなみに入場料は座席1等7円30銭、2等4円50銭、三等3円、四等2円、五等1円でした。
 
行かないので解りませんが今は明治座で定食3100円が高く、月替わり膳で1,900円、ちらし2400円、にぎり2600円、うな重3800円となっていました。今は食事より入場料の方が昔に比べ上がっているようです。
 
どうも歌舞伎は敷居が高いのと日本語が解らない。浮世絵では役者絵が当初は一番人気だったんですが歌舞伎が解らなければ見ても解らないのが当然のようです。しかし此処からまた広げて歌舞伎までは手が回らない。月一位の映画で。
(写真はクリックすれば大きくなります。)

 
25b9d128.jpeg浮世絵の風景画に描かれた風景は日本を印象する景色として、広く印象付けられています。今回は日本人として心和む風景の美しさに焦点をあて、第一部広重「六十余州名所図会」を中心に、(4月7日~5月6日)第二部色鮮やかな風景と近代化が進む街並みを織り交ぜて、(5月12日~5月27日)第三部「川瀬巴水や吉田博など緻密で臨場感のある風景画を(6月2日~6月24日)。江戸から昭和まで版画の可能性を追求した各ジャンルの絵師達による作品の展示です。入館料500円、月曜休館、11時~18時
 
今回の六十余州名所図会は広重が嘉永6年(1853)~1年休止をはさんで安政3年(1856)5月までの3年を掛けた江戸百景のシリーズと共に広重晩年の作品五畿(五畿、東海道、東山道、北陸道、山陰道、山陽道、南海道、西海道)68の国を網羅し目録を加え70図。
 
日本全国のなじみのある風景、ない風景を交え全国津々浦々までを描き庶民は居ながらにして全国を旅した気分を味わえたので大変人気になったようです。今回の展示作品は初摺りで状態も大変良いものです。
 
今回は風光明媚、月の名所、祭礼、人々の営みなどに分けられるようです。浮世絵の風景画は北斎、広重によって確立しますが、初めて聞いた名前ですが西川重長、奥村政信など初期の浮世絵にも見受けられるようです。
 
風光明媚などを八つの景色にする八景というのは明応9年(1500)近衛政家、尚道父子が中国の瀦湘八景になぞらえ近江八景として琵琶湖湖畔を和歌を詠んだのが始まりのようでやがて絵画化もされ多くの絵師が描くようになったようです。浮世絵では近江八景、江戸八景、名所八景、隅田川八景、金沢八景、琉球八景などがあります。
 
この所、川崎・砂子の里資料館、東京国立博物館の浮世絵を見ていますが平木浮世絵美術館は1ヶ月振りでやはり此処の所蔵は綺麗で保存状態も良く初摺りで素晴らしい。このシリーズは川瀬巴水などの最近の版画も楽しみです。

b3bc4bef.jpegddccb268.jpeg昨日は銀座に用があり、ついでに早目に行って「空也」の最中を購入、何度か「今日のおやつ」に書いていますが年に数回此処の最中が食べたくなります。
 
開店10分前に並び予約品以外に僅かにある店売り用をゲットするためです。このお店は基本は予約をして取りに行くお店で決して高額でなく銀座としては格安な最中ですが、餡と種が絶品で開店10分しないで本日分売り切れになっていると思います。知る人ぞ知る東京の銘菓です。(新橋へ行く時通りましたがやはり売り切れの張り紙が貼ってありました。)
 
まだ約束時間が早くお茶して時間つぶしをしてランチして午後から帰りがてら新橋の旧停車場跡の鉄道歴史展示室で「会津の旅」を見学。会津は先週行ったばかりですから思いも強く、良く解ります。
 
展示品はやはり初めてみるものばかり、江戸時代の道中案内などまして岩越鉄道と云う名も初めてで此処も渋沢栄一に助けて貰って喜多方まで開通させたなんて知りませんでした。
 
339da213.jpeg3599cf51.jpegb69d43e8.jpeg    無料の展示室で年に何回か企画展示が変わるようです。暖かい日だまりで久しぶりに復元駅舎の裏の0キロポスト、線路、ホームも見学しました。
 http://www.tetsudo.com/
旧停車場鉄道歴史展示室
http://www.ejrcf.or.jp/shinbashi/
7092fd2d.jpeg
待ちに待った桜も春の訪れを知らせあっと言う間に散ってしまいました。
2ee625cc.jpeg

気がつくと東洋蘭も咲き始めてきます。
88c55ec8.jpeg

山吹も咲き、ボケはもう直ぐ開きます。
1315c1b5.jpeg

君子蘭も芽が育ち始めています。
2a96227f.jpeg977ec871.jpeg     
石楠花も蕾が大きくなっています。もう後少しできれいな大きな花を咲かせます。
b26b330c.jpeg










百合もかなり上がってきています。

梅や桜の開花が遅いとか言って春を待ちました。そして桜も散ればもう待つものは無くなったのか、何も思わなくなりました。それでも花木は黙って蕾を付け咲かそうとしています。日当たりの悪い我が家でも黙々と自然と共生して折り合いを付けて何時の間にかきれいな花を咲かそうとしています。

サビは鉄より出でて 鉄をくさらせ
グチは人より出でて 人をくさらす

グチばかりでなく我々が出来る事を共生しながら黙々としよう。
 
d46a4fde.jpeg芳年没後120年「月百姿」後期
トコトコ列車の旅から帰り9日から始まっている川崎・砂子の里資料館へ後半の50枚を見に行く。
 
前にも書きましたが月岡芳年はこの時期は大蘇芳年と改名しています。幕末から明治にかけての浮世絵師で歌川国芳に入門し月岡芳年、一魁斉芳年、魁斉、玉桜楼、咀華亭、子英、大蘇と改名しています。
 
9f306c94.jpeg月百姿は、日本や中国などの歴史、故事に基づいて描かれて大変人気がでた浮世絵師ですがこの様な綺麗な絵以外に残酷な拷問や血が出たりする絵も描いています。
 
精神障害を起こしたりしていますが明治25年54歳で亡くなりますが多くの日本画家を育てています。

照明による色褪せなど保存の問題で此処はかなり照明も薄暗くメガネを忘れた私には今回見づらかったが出品リストは相変わらず無料なのに上質のカラーを使っています。

百点の揃い物は沢山出ています。しかし一遍に見たほうが良いのか半分づつ見たほうが良いのか解らなくなっています。前は一遍に見たいと思って勇んでいましたがこの所体力的なのか1度は見たからなのか半分くらいが丁度良くなっています。
 
f3442566.jpeg帰りはとても気持ちが良くTシャツで六郷川を超え散歩がてら帰宅しました。




 
現在ブリヂストン美術館は開館60周年記念として「あなたに見せたい絵があります。」というタイトルで所蔵作品109点を自画像、肖像画、レジャー、海など11のテーマに分けて題材別、ジャンル別に展示しています。
 
この美術館を建てた創業者石橋正二郎氏が喜びの寄稿を書いていますの展覧会内容でなく少し長いですが記録として此処に転載します。この後に建てた青木繁の為の美術館として日本画を中心の故郷久留米に石橋美術館もあります。此方には国宝、重文なども所蔵。
 
功なり財を成した人の私立美術館が多くありますがその設立理由は色々あります。理由は様々ですが後世に残してくれた事に感謝しながら個人蔵で見られないよりは素晴らしい作品を公開、保存修復などをされて展示されていく事に関係者にもう一度感謝し心して見学。


文藝春秋の昭和27年6月号に「美術館と私」というブリヂストン創業者石橋正二郎氏の寄稿が載っています。
 
私は40数年前からゴム工業で終始している者で、地下足袋とゴム靴を毎日15万足宛生産して、世界中に輸出をしたので、20年前にはルーズベルトやマクドナルド首相から、ダンピングと云って外交問題として攻撃された事は、石井伯爵から聞かされました。

 その頃自動車タイヤも作り始めましたが、これの国産化に当たりまして、英語の名前でなければ売れない時代でありましたので、石橋をブリヂストンともじりまして、ブリヂストンタイヤとしました。最近はビルヂングを建てましてブリヂストンビルと称し、此処の美術館も亦ブリヂストン・ギャラリーと名を付けたので、益々ブリヂストンの方が有名になり、外人からミスター・ブリヂストンと呼ばれる事もあり、ある高官からミスタ・ーブリヂストンとして手紙の来た事がある位で、さも私がアメリカ人か何かの様に誤解されることがありますが、私は決して左様な者ではありません。田舎の商業学校をを出たばかりで、碌々英語も話せませんから滑稽な話です。

 私が美術館を設けた経緯を良く聞かれますから少し書いて見ますが、私が久留米の小学校生徒の時、今美術界で有名な坂本繁二郎さんが私たちの図画の先生でした。(坂本さんは当時17,8歳)その後30年も経って坂本さんが東京から久留米に再び帰って来られ、今尚、親密にして居りますが、坂本さんは同郷の先輩である青木繁の名画、田舎に散乱しており、将来が心配だから買い集めて、小さくとも美術館を建てて保存したいと話が進みましたので、探して手に入る丈け手に入りましたのが私のコレクションの始まりであります。

 また私は、藤島武二さんの絵も好きで、度々アトリエを訪問して、多年の間に数十枚となりました。藤島さんは好きな自分の絵を、命よりも大切にして、晩年まで手放されず、病気になられてからは、絵の将来を憂慮されて、私にまとめて保存を頼まれました。1度は常に座右において愛蔵された滞欧作品の残り全部を私に渡されたが、それ等の絵と別れた事が淋しくて、一晩も二晩も眠られず、遂に又買い戻された事もある程で、その後1年ばかりして、またそれ等を私に譲られたのでありましたが、その時も美術館を建てて貰いたいと言う様なお話があったことを記憶して居ります。

 フランスの絵は、青木、藤島等の絵を集める傍ら、永い間に集めたものですが、松方コレクション、福島コレクションその他で、日本へ将来された、主として印象派のものが多く、私は絵の理論は詳しくないのですから、只自分の好きで選んだのですが、今回常設美術館を設けるに就て、委員諸君に頼んで絵の素質を調べて貰いましたが、余り誤りは無かったので、殆ど全部を陳列しました。

 私は一昨年の春、渡米しました際、商用の傍ら美術館の視察を熱心にやりました。
 ワシントンでは坂井米夫さんに美術館巡りのプログラムを作って貰い、ボストン博物館では富田さんを訪ねましたが不在でしたので館長自ら案内をされたり、またハーバード大学の美術館でも館長のウォーナー博士自ら案内して東洋美術の価値の高いことを賞讃されたので、鎌倉、奈良、京都が空襲されなかったのは、博士の助言によるとのことで、日本国民に代わって感謝しますと述べたところ、自分の微力で感謝される程のことは出来なかったと謙遜されました。またニューヨークのモダンアート・ミュージアムを見て、美術館を建てる事に大いに役立ちました。昨年ロックフェラー三世夫人が私のコレクションを見に来られた際、その話をしました処、非常に喜ばれて今後は兄弟としての交際をしましょうとのことで、その後色々参考品を送って戴いております。

 私は不器用で、遊び事が出来ず、酒煙草も嗜まず、只美術と建築と庭造りに凝って居りますが、アメリカの美術館を見て、益々念願を達し度いと決心し、ビルを建ててから一番良い場所を選んで、二階を使用する事にしました。照明、換気設備に苦心しましたが暖冷房も整い、美術品の保存の上にも、又観覧者の為にも万全を期したのであります。

 私一個人の微力で、顧る不充分のものと恥じて居りますが、開館以来皇太子様にも御覧戴き、又芸術家、学者、実業家のみならず凡ゆる方々から予想外の賛辞や感謝の言葉を戴いて、嬉しい事ばかりで、不愉快に思った事は一度もありません。私の生涯中で一番良い事をしたとうれしく感謝してい居ります。(ブリヂストン・タイヤ社長)
5b44cc71.jpeg勝田から水戸へ、桜は見あきたのでまずは郵便局へスタンプし駅近くの弘道館への坂道をあがる、登る時はこりゃきついかなと思うが距離がなくすぐ弘道館に着く。
 
入館無料だが中には入れないとの事、入り口近くを見る程度になった。今回の旅は入れない所が多い。9代斉昭によって作られた日本最大級の藩校。最後の将軍15代慶喜も教育を受けた。入口には斉昭の夫人登美宮様が嫁ぐ時に仁考天皇より下賜された左近の桜が。横には斉昭手植えの黒松が立派な姿で迎えてくれます。
 

151a0ba1.jpeg254743c8.jpeg7b6ad154.jpeg4fcc5087.jpegd57179f4.jpeg6eab32d7.jpeg弘道館の横には立派な城風の小学校、中学校があります。水戸城は土塁や濠程度で城址公園になっています。ちょっと先の薬医門がお城があったかという雰囲気を出している程度です。水戸城は石垣でなく土塁です。堀もかなり深くなっています。(道路になっていますが人が小さく見えます。)
 
もう少し時間があれば何度か行った徳川ミュージアムも良いのですがミュージアムはもう少し時間を掛けたいので次回に回しました。どうせ梅の季節にまた来るでしょう。
 
c5d0e7de.jpeg駅に近い東照宮へ参拝、此処は水戸藩初代頼房公が徳川家康を祀る神社として創建。此処はちょっと思い出があります。社会人になって高校の仲間と大晦日に酒を飲み紅白も終わりさて駅に向かい参拝に行こうとなり最初に来た電車に乗ろうと決め、上りが来て先ずは上野の寛永寺へ、上野で次に来るのが常磐線でこの水戸へ来て東照宮へ参拝をしました。結局水戸から帰れず宮城の石巻神社まで行ったのですが仙台では元旦で当時はビジネスホテルもなく泊る所が見つからずレンタカーで鳴子温泉に泊まって帰ってきた思い出があります。
 
38b2487a.jpegacc15864.jpeg水戸は茨後の中心地でもあり駅舎も立派。お土産の納豆、水戸の梅を購入して常磐線で上野へ。夕方5時過ぎには帰宅。夕食には時間があり近くの銭湯で旅の疲れと汗をぬぐいました。楽しくのんびり各駅停車の旅でした。

今回利用した青春18きっぷは、名古屋のJR東海リニア鉄道館の1泊、名古屋日帰り、今回の会津、白河、茨城の1泊と使わせていただきました。
次回の青春18きっぷは夏休み時期に発売予定です。http://www.tetsudo.com/
 
 

 
32825f4b.jpegJR勝田駅1番ホームからひたちなか海浜鉄道湊線がでます。単線非電化ワンマン運行です。今回は9時22分発のキハ205の単行のマッチ箱列車に乗車。この路線は1昨年以来です。震災では大変な被害を受け全線不通になり少しづつ復旧して7月下旬に全線開通になりました。
 
c6a008fb.jpege2d15226.jpeg16be5478.jpeg    とりあえず終点阿字ヶ浦まで乗車、1日フリー切符を利用しています。最初の日工前駅では日立工機の周りが桜並木でとてもきれいです。乗車のキハ205は昭和40年製、クロスシート仕上げです。車内は平日の9時過ぎですから乗客は少なく何処かに国鉄色が残っていないか探す。扇風機にかすかに残っていました。
 
14da300d.jpeg34052545.jpeg87263a32.jpeg    車両は太平洋に向かっていきます。終点阿字ヶ浦駅まで到着、今回は一人ですから国営ひたち公園はいかず、一人折り返しの時間待ちになります。
 
3be50347.jpeg68c83656.jpeg68a32fba.jpeg    那珂湊駅で下車、お昼の食事には早く、とりあえず駅で戴いたマップで湊公園方面に行き水戸藩小石川邸にあった山上門を潜り登る。此処には9代斉昭建設の防衛上から作った反射炉2基が復元されています。横には反射炉を作る耐熱性のレンガを作る登り窯も復元されています。反射炉は佐賀の鍋島直正、伊豆の江川太郎左衛門などが独自にオランダの技術書等を参考に作成。遺構は伊豆と萩に残っています。
 
4528156f.jpegaa996c34.jpege31c9c72.jpeg    湊公園は小山になっていて徳川光圀の別荘跡(い賓閣)のようで御殿の松という立派な黒松が残っています。周りにも多くの立派な松があり、近くには与謝野晶子の歌碑など、此処からの眺めも市場から静かな海が良く見えます。
 
2090dacd.jpeg商店街に出て郵便局でスタンプしふるさと懐古館で資料でも見せて戴こうかと行くが休館、今日は火曜日だから開いているはずだが鎖が掛かっていました。
 
そこから海に向かいお魚市場へ、駐車場は自家用車、バスが一杯です。大きな魚、海鮮お土産売り場が何軒も並んでいます。とりあえず大きなお店を見学、茨城と言えばアンコウです。さて放射能の関係でここでは青森産になっています。これで少し安心しました。地元産と言って売っていたらご飯は違う所やマグロだけにしようと思っていました。千葉では地元木更津のあさりで美味しいと売っていました。とても貝は申し訳ないけど食べられません。
 
5ac911d1.jpeg187a32a9.jpeg   一人なので食堂でなく回転寿司にしました。気取る訳ではないのですが回転寿司は余り行く機会がなく若い人の車で郊外のお客様へ行く時などに食べる程度でお茶の出し方、精算の仕方を若い人に笑われながら教わった。
 
此処はとても美味しそうなマグロが流れています。パクパク戴きましたが気が付くと1枚1000円のお皿でした。それでも久しぶりの美味しいマグロでした。駅で戴いた地元商店の割引券を出してもお値段はニューオータニのランチと同じ。それでもこのネタなら納得。
 
ec033122.jpegお土産は水戸納豆のリクエストですし海鮮物を持って帰る訳にも行かず此処では買わず。那珂湊駅で鉄道グッズでもと思っていましたが売店がない。改札で駅名のキーホルダーだけ購入。初めてみましたがホームに自転車置き場があります。(レンタサイクルか)この駅の黒猫を探すも今日は「おさむ」は見当たらず。那珂湊駅から勝田経由で水戸へ向かいます。(写真はクリックすれば大きくなります。)
 
ひたちなか海浜鉄道HPhttp://www.hitachinaka-rail.co.jp/
鉄道ドットコムhttp://www.tetsudo.com/
 

 
 0b8bf813.jpeg平成20年に茨城交通から第三セクターとして運行、14,3K、9駅というJR勝田駅から太平洋側阿字ヶ浦駅までの盲腸線。非電化で単線、ワンマン運行、殆どの駅は無人駅。地域の生活の足となっています。
 
d8d2d5c4.jpeg中心になるのが本社もある那珂湊駅、各駅前は住宅、路線は畑、雑木林などを走る。最初の駅日工前駅の日立工機が最大の工場、那珂湊駅はお魚市場があり人気のスポット。終点の阿字ヶ浦駅は昔は海水浴客で賑わったそうです。
 
近くに大きな国営ひたち海浜公園があり1年中花が咲き、家族でもアベックでも楽しめる大きな公園。米軍の射撃訓練所後で阿字ヶ浦駅から此処まで延伸されると営業的にもかなり変わるような気がします。一昨年二月にかみさんとお邪魔したので今回は一人ですからパス。
 
fc18f684.jpegac07c48f.jpeg4b748e80.jpeg32825f4b.jpega855bc95.jpeg77bbca1f.jpegこの鉄道会社は鉄道フアンには涎が出るような車両のオンパレードです。各鉄道会社の廃線などでこの会社に移籍した車両たちです。

キハ222昭和37年製造、羽幌炭鉱鉄道からの移籍、キハ205昭和40年製造、元国鉄キハ20でJR西日本から水島臨海鉄道を経て移籍、ミキ300平成10年製造、三木鉄道から移籍、キハ2004,2005は昭和41年製造、留萌鉄道から移籍、キハ3710は平成10年の新製造車、この他に平成14年製造車を所有。
 
もうひとつの特徴は第三セクターですと社長が名目だけの市長などが多いのですが社長は公募です。富山の三セク万葉線の総務に居た吉田氏が運営、民間ならではの経営力と企画力で多くのイベントを手掛ける。
 
a9186120.jpeg1部として車両のデザインコンテスト、車両の清掃体験、撮影会、季節毎のイベント列車、グッズの充実、地元と共同の駅での直売会、地元応援団の設立、無料レンタサイクル、テレビ、雑誌などのメディアへの積極的な働きかけによる露出。チオビタの菅野美穂のCM車両など。旅番組などに多く取り上げられています。
 
経営ロケーションとしては余り良くない所ですが頑張って軌道に乗り始めて来た時に昨年の3月の東日本大震災で線路が至る所で崩壊、全線不通になりました。部分部分開通させ7月23日全面復旧に。大変な努力があったと思いますし地元の人を大事にしてきた鉄道会社だから早い復旧が出来たと思います。

b43353c6.jpegまだまだ安全安心な運行にはお金がかかります。そして快適な車両や駅舎など。事故が起きなければ問題はないのですが、少しでも問題を起こせばマスコミは一気に叩きます。この路線は大丈夫でしょうが、ゆっくりトコトコ運行で良いのかなぁと思っています。住民の生活の足でありよそ者のテツにも優しい路線です。

途中の歴史遺跡、那珂湊のおさかな市場、終点からの大きな国営ひたち公園などチャリンコや徒歩、バスで観光も出来ます。勿論旧国鉄などのバラエティな車両も魅力です。これからは観光の季節です。東京から1時間でゆったりのんびり美味しい旅が出来ます。

25日にはBSフジ17時から「甦れ東北の鉄路」が放映予定のようです。

 
[212]  [213]  [214]  [215]  [216]  [217]  [218]  [219]  [220]  [221]  [222
カレンダー
01 2025/02 03
S M T W T F S
1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28
カウンター
最新コメント
[09/23 大町阿礼]
[04/17 aibiki]
[04/16 aibiki]
[04/15 aibiki]
[04/14 aibiki]
プロフィール
HN:
パパリン
性別:
男性
趣味:
なんでも収集
ブログ内検索
アクセス解析
パパリン日記 Produced by パパリン
黄昏 Designed by ブログテンプレート がりんぺいろ
忍者ブログ [PR]
free pictures