美術館・鉄道・お城・お相撲・お友達の話など趣味のブログです。
×
[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
金沢文庫では6月3日まで「金澤八景いま昔」という企画展を開催しています。先日、平木浮世絵美術館で広重の近江八景を見ました。深川江戸資料館で広重は金沢八景、鎌倉、江ノ島には実際に行っていると言うのを覚えていましたから、此処へ行けば広重の金沢八景が見られると言う事でお邪魔しました。
金沢文庫は鎌倉時代金沢北条氏の北条実時により今から約700年前創設された武家文庫。実時から子、孫と受け継がれ北条滅亡により金沢北条家菩提寺の称名寺で保管され、現在は県立金沢文庫として博物館になっています。この金沢文庫が日本で最初の図書館と言われています。
今回は金沢八景に拘り蒐集されている楠山永雄氏のコレクションの展示です。金沢八景関連の昔の摺り物、広重八景3点、古写真、絵ハガキ、京急電鉄の前の湘南電車時代の沿線パンフレットなど多岐にわたっています。金沢八景3点はちょっとと思いましたが一般人が収集するのですから限度があります。これはお土産の絵ハガキと金沢文庫と称名寺との間のトンネルの絵で我慢。それにして良くこれだけ沿線パンフを蒐集したものです。
(この広重の浮世絵、金沢八景は金沢文庫から称名寺までのトンネルの中で掲げられている写真です。)
金沢八景は中国の僧心越が名付けたといい、上左から洲崎晴嵐、瀬戸秋月、小泉夜雨(こずみ)、乙艫帰帆(おっとも)、平潟落雁、野島夕照、称名晩鐘、内川暮雪の八つですが今は無き六国峠にあった能見堂からみた心越が故郷を思い見た景観だそうでこの浮世絵は広重が描いた金沢八景です。
金沢文庫の企画展は6月3日までですが5月12日から1部入れ替えがあり広重の金沢八景は2枚新しく変わるようです。入場料400円、月曜休館、9時~16時30分。
称名寺は真言律宗別格本山で金沢北条氏の北条実時が創建、菩提寺にもなっているようです。広大な境内には国の史跡に指定され赤門、仁王門、金堂、釈迦堂などがあります。金堂前には浄土式庭園というようで金沢三代貞顕の代に整備されたそうです。本堂には国宝、重文指定のお宝が多く有ります。
曇りから一時ぽつぽつと降り始めましたので本堂裏の登山道の石仏群、実時の墓域には行けませんでした。前回来た時は其れこそ秋も深まりイチョウがきれいで金沢八景の雰囲気がありました。もう面影はないですが金沢八景の地を巡るのもウオーキングを兼ねて一興かもしれません。(写真はクリックすれば大きくなります。)
PR
戴いたのはちょっと古い昭和3年12月の南座公演「吉例顔見世興行」、昭和5年3月「東京大歌舞伎」明治座の昭和5年2月興業のプログラムです。そして大阪新歌舞伎座の昭和51年4月1日の入場券の半券。
次に観劇の出し物が昼の部 前狂言伽羅先代萩2幕、中幕源平布引瀧、浄瑠璃釣女、切狂言壽曾我体面、夜の部が前狂言鬼一法眼三略巻、中幕敵討檻樓錦、2番目助六由縁江戸桜、大喜利大津絵となっています。書いてて全く解りません。
しかしその後は浮世絵の図柄のような其の出し物の名場面でしょうか挿絵が入っています。これにしっかり色が付けば錦絵になるようなものです。その場面場面の下に出演者の名前が入っています。これは内容が解らなくても興味が湧きます。
お座席の番号を忘れないようにから始まり案内人は御祝儀心付けはご辞退申し上げます。女給、食堂係員に不都合がありましたら直接お知らせなり、備え付けの投書箱をご利用なりを願ひます。お出口は1,2階の靴又はお草履の御方に限り正面及び西側お出口へ。三階の黒札の方は東側御出口へ。赤札の方は西側御出口へ混合ひますから番号の御記憶を願ひます。お帰りの御乗り物は自動車及び人力車のご用意がございますが、終演になりますと不当営業者(モーロー)が集まりまして不当な料金を貪りますから、御用の際は腕章をした係員迄お申込を願ひます。
行かないので解りませんが今は明治座で定食3100円が高く、月替わり膳で1,900円、ちらし2400円、にぎり2600円、うな重3800円となっていました。今は食事より入場料の方が昔に比べ上がっているようです。
どうも歌舞伎は敷居が高いのと日本語が解らない。浮世絵では役者絵が当初は一番人気だったんですが歌舞伎が解らなければ見ても解らないのが当然のようです。しかし此処からまた広げて歌舞伎までは手が回らない。月一位の映画で。
(写真はクリックすれば大きくなります。)
今回の六十余州名所図会は広重が嘉永6年(1853)~1年休止をはさんで安政3年(1856)5月までの3年を掛けた江戸百景のシリーズと共に広重晩年の作品五畿(五畿、東海道、東山道、北陸道、山陰道、山陽道、南海道、西海道)68の国を網羅し目録を加え70図。
日本全国のなじみのある風景、ない風景を交え全国津々浦々までを描き庶民は居ながらにして全国を旅した気分を味わえたので大変人気になったようです。今回の展示作品は初摺りで状態も大変良いものです。
今回は風光明媚、月の名所、祭礼、人々の営みなどに分けられるようです。浮世絵の風景画は北斎、広重によって確立しますが、初めて聞いた名前ですが西川重長、奥村政信など初期の浮世絵にも見受けられるようです。
風光明媚などを八つの景色にする八景というのは明応9年(1500)近衛政家、尚道父子が中国の瀦湘八景になぞらえ近江八景として琵琶湖湖畔を和歌を詠んだのが始まりのようでやがて絵画化もされ多くの絵師が描くようになったようです。浮世絵では近江八景、江戸八景、名所八景、隅田川八景、金沢八景、琉球八景などがあります。
この所、川崎・砂子の里資料館、東京国立博物館の浮世絵を見ていますが平木浮世絵美術館は1ヶ月振りでやはり此処の所蔵は綺麗で保存状態も良く初摺りで素晴らしい。このシリーズは川瀬巴水などの最近の版画も楽しみです。
開店10分前に並び予約品以外に僅かにある店売り用をゲットするためです。このお店は基本は予約をして取りに行くお店で決して高額でなく銀座としては格安な最中ですが、餡と種が絶品で開店10分しないで本日分売り切れになっていると思います。知る人ぞ知る東京の銘菓です。(新橋へ行く時通りましたがやはり売り切れの張り紙が貼ってありました。)
まだ約束時間が早くお茶して時間つぶしをしてランチして午後から帰りがてら新橋の旧停車場跡の鉄道歴史展示室で「会津の旅」を見学。会津は先週行ったばかりですから思いも強く、良く解ります。
展示品はやはり初めてみるものばかり、江戸時代の道中案内などまして岩越鉄道と云う名も初めてで此処も渋沢栄一に助けて貰って喜多方まで開通させたなんて知りませんでした。
旧停車場鉄道歴史展示室
http://www.ejrcf.or.jp/shinbashi/
待ちに待った桜も春の訪れを知らせあっと言う間に散ってしまいました。
気がつくと東洋蘭も咲き始めてきます。
山吹も咲き、ボケはもう直ぐ開きます。
君子蘭も芽が育ち始めています。
百合もかなり上がってきています。
梅や桜の開花が遅いとか言って春を待ちました。そして桜も散ればもう待つものは無くなったのか、何も思わなくなりました。それでも花木は黙って蕾を付け咲かそうとしています。日当たりの悪い我が家でも黙々と自然と共生して折り合いを付けて何時の間にかきれいな花を咲かそうとしています。
サビは鉄より出でて 鉄をくさらせ
グチは人より出でて 人をくさらす
グチばかりでなく我々が出来る事を共生しながら黙々としよう。
トコトコ列車の旅から帰り9日から始まっている川崎・砂子の里資料館へ後半の50枚を見に行く。
前にも書きましたが月岡芳年はこの時期は大蘇芳年と改名しています。幕末から明治にかけての浮世絵師で歌川国芳に入門し月岡芳年、一魁斉芳年、魁斉、玉桜楼、咀華亭、子英、大蘇と改名しています。
精神障害を起こしたりしていますが明治25年54歳で亡くなりますが多くの日本画家を育てています。
照明による色褪せなど保存の問題で此処はかなり照明も薄暗くメガネを忘れた私には今回見づらかったが出品リストは相変わらず無料なのに上質のカラーを使っています。
百点の揃い物は沢山出ています。しかし一遍に見たほうが良いのか半分づつ見たほうが良いのか解らなくなっています。前は一遍に見たいと思って勇んでいましたがこの所体力的なのか1度は見たからなのか半分くらいが丁度良くなっています。
現在ブリヂストン美術館は開館60周年記念として「あなたに見せたい絵があります。」というタイトルで所蔵作品109点を自画像、肖像画、レジャー、海など11のテーマに分けて題材別、ジャンル別に展示しています。
この美術館を建てた創業者石橋正二郎氏が喜びの寄稿を書いていますの展覧会内容でなく少し長いですが記録として此処に転載します。この後に建てた青木繁の為の美術館として日本画を中心の故郷久留米に石橋美術館もあります。此方には国宝、重文なども所蔵。
功なり財を成した人の私立美術館が多くありますがその設立理由は色々あります。理由は様々ですが後世に残してくれた事に感謝しながら個人蔵で見られないよりは素晴らしい作品を公開、保存修復などをされて展示されていく事に関係者にもう一度感謝し心して見学。
文藝春秋の昭和27年6月号に「美術館と私」というブリヂストン創業者石橋正二郎氏の寄稿が載っています。
私は40数年前からゴム工業で終始している者で、地下足袋とゴム靴を毎日15万足宛生産して、世界中に輸出をしたので、20年前にはルーズベルトやマクドナルド首相から、ダンピングと云って外交問題として攻撃された事は、石井伯爵から聞かされました。
その頃自動車タイヤも作り始めましたが、これの国産化に当たりまして、英語の名前でなければ売れない時代でありましたので、石橋をブリヂストンともじりまして、ブリヂストンタイヤとしました。最近はビルヂングを建てましてブリヂストンビルと称し、此処の美術館も亦ブリヂストン・ギャラリーと名を付けたので、益々ブリヂストンの方が有名になり、外人からミスター・ブリヂストンと呼ばれる事もあり、ある高官からミスタ・ーブリヂストンとして手紙の来た事がある位で、さも私がアメリカ人か何かの様に誤解されることがありますが、私は決して左様な者ではありません。田舎の商業学校をを出たばかりで、碌々英語も話せませんから滑稽な話です。
私が美術館を設けた経緯を良く聞かれますから少し書いて見ますが、私が久留米の小学校生徒の時、今美術界で有名な坂本繁二郎さんが私たちの図画の先生でした。(坂本さんは当時17,8歳)その後30年も経って坂本さんが東京から久留米に再び帰って来られ、今尚、親密にして居りますが、坂本さんは同郷の先輩である青木繁の名画、田舎に散乱しており、将来が心配だから買い集めて、小さくとも美術館を建てて保存したいと話が進みましたので、探して手に入る丈け手に入りましたのが私のコレクションの始まりであります。
また私は、藤島武二さんの絵も好きで、度々アトリエを訪問して、多年の間に数十枚となりました。藤島さんは好きな自分の絵を、命よりも大切にして、晩年まで手放されず、病気になられてからは、絵の将来を憂慮されて、私にまとめて保存を頼まれました。1度は常に座右において愛蔵された滞欧作品の残り全部を私に渡されたが、それ等の絵と別れた事が淋しくて、一晩も二晩も眠られず、遂に又買い戻された事もある程で、その後1年ばかりして、またそれ等を私に譲られたのでありましたが、その時も美術館を建てて貰いたいと言う様なお話があったことを記憶して居ります。
フランスの絵は、青木、藤島等の絵を集める傍ら、永い間に集めたものですが、松方コレクション、福島コレクションその他で、日本へ将来された、主として印象派のものが多く、私は絵の理論は詳しくないのですから、只自分の好きで選んだのですが、今回常設美術館を設けるに就て、委員諸君に頼んで絵の素質を調べて貰いましたが、余り誤りは無かったので、殆ど全部を陳列しました。
私は一昨年の春、渡米しました際、商用の傍ら美術館の視察を熱心にやりました。
ワシントンでは坂井米夫さんに美術館巡りのプログラムを作って貰い、ボストン博物館では富田さんを訪ねましたが不在でしたので館長自ら案内をされたり、またハーバード大学の美術館でも館長のウォーナー博士自ら案内して東洋美術の価値の高いことを賞讃されたので、鎌倉、奈良、京都が空襲されなかったのは、博士の助言によるとのことで、日本国民に代わって感謝しますと述べたところ、自分の微力で感謝される程のことは出来なかったと謙遜されました。またニューヨークのモダンアート・ミュージアムを見て、美術館を建てる事に大いに役立ちました。昨年ロックフェラー三世夫人が私のコレクションを見に来られた際、その話をしました処、非常に喜ばれて今後は兄弟としての交際をしましょうとのことで、その後色々参考品を送って戴いております。
私は不器用で、遊び事が出来ず、酒煙草も嗜まず、只美術と建築と庭造りに凝って居りますが、アメリカの美術館を見て、益々念願を達し度いと決心し、ビルを建ててから一番良い場所を選んで、二階を使用する事にしました。照明、換気設備に苦心しましたが暖冷房も整い、美術品の保存の上にも、又観覧者の為にも万全を期したのであります。
私一個人の微力で、顧る不充分のものと恥じて居りますが、開館以来皇太子様にも御覧戴き、又芸術家、学者、実業家のみならず凡ゆる方々から予想外の賛辞や感謝の言葉を戴いて、嬉しい事ばかりで、不愉快に思った事は一度もありません。私の生涯中で一番良い事をしたとうれしく感謝してい居ります。(ブリヂストン・タイヤ社長)
この美術館を建てた創業者石橋正二郎氏が喜びの寄稿を書いていますの展覧会内容でなく少し長いですが記録として此処に転載します。この後に建てた青木繁の為の美術館として日本画を中心の故郷久留米に石橋美術館もあります。此方には国宝、重文なども所蔵。
功なり財を成した人の私立美術館が多くありますがその設立理由は色々あります。理由は様々ですが後世に残してくれた事に感謝しながら個人蔵で見られないよりは素晴らしい作品を公開、保存修復などをされて展示されていく事に関係者にもう一度感謝し心して見学。
私は40数年前からゴム工業で終始している者で、地下足袋とゴム靴を毎日15万足宛生産して、世界中に輸出をしたので、20年前にはルーズベルトやマクドナルド首相から、ダンピングと云って外交問題として攻撃された事は、石井伯爵から聞かされました。
その頃自動車タイヤも作り始めましたが、これの国産化に当たりまして、英語の名前でなければ売れない時代でありましたので、石橋をブリヂストンともじりまして、ブリヂストンタイヤとしました。最近はビルヂングを建てましてブリヂストンビルと称し、此処の美術館も亦ブリヂストン・ギャラリーと名を付けたので、益々ブリヂストンの方が有名になり、外人からミスター・ブリヂストンと呼ばれる事もあり、ある高官からミスタ・ーブリヂストンとして手紙の来た事がある位で、さも私がアメリカ人か何かの様に誤解されることがありますが、私は決して左様な者ではありません。田舎の商業学校をを出たばかりで、碌々英語も話せませんから滑稽な話です。
私が美術館を設けた経緯を良く聞かれますから少し書いて見ますが、私が久留米の小学校生徒の時、今美術界で有名な坂本繁二郎さんが私たちの図画の先生でした。(坂本さんは当時17,8歳)その後30年も経って坂本さんが東京から久留米に再び帰って来られ、今尚、親密にして居りますが、坂本さんは同郷の先輩である青木繁の名画、田舎に散乱しており、将来が心配だから買い集めて、小さくとも美術館を建てて保存したいと話が進みましたので、探して手に入る丈け手に入りましたのが私のコレクションの始まりであります。
また私は、藤島武二さんの絵も好きで、度々アトリエを訪問して、多年の間に数十枚となりました。藤島さんは好きな自分の絵を、命よりも大切にして、晩年まで手放されず、病気になられてからは、絵の将来を憂慮されて、私にまとめて保存を頼まれました。1度は常に座右において愛蔵された滞欧作品の残り全部を私に渡されたが、それ等の絵と別れた事が淋しくて、一晩も二晩も眠られず、遂に又買い戻された事もある程で、その後1年ばかりして、またそれ等を私に譲られたのでありましたが、その時も美術館を建てて貰いたいと言う様なお話があったことを記憶して居ります。
フランスの絵は、青木、藤島等の絵を集める傍ら、永い間に集めたものですが、松方コレクション、福島コレクションその他で、日本へ将来された、主として印象派のものが多く、私は絵の理論は詳しくないのですから、只自分の好きで選んだのですが、今回常設美術館を設けるに就て、委員諸君に頼んで絵の素質を調べて貰いましたが、余り誤りは無かったので、殆ど全部を陳列しました。
私は一昨年の春、渡米しました際、商用の傍ら美術館の視察を熱心にやりました。
ワシントンでは坂井米夫さんに美術館巡りのプログラムを作って貰い、ボストン博物館では富田さんを訪ねましたが不在でしたので館長自ら案内をされたり、またハーバード大学の美術館でも館長のウォーナー博士自ら案内して東洋美術の価値の高いことを賞讃されたので、鎌倉、奈良、京都が空襲されなかったのは、博士の助言によるとのことで、日本国民に代わって感謝しますと述べたところ、自分の微力で感謝される程のことは出来なかったと謙遜されました。またニューヨークのモダンアート・ミュージアムを見て、美術館を建てる事に大いに役立ちました。昨年ロックフェラー三世夫人が私のコレクションを見に来られた際、その話をしました処、非常に喜ばれて今後は兄弟としての交際をしましょうとのことで、その後色々参考品を送って戴いております。
私は不器用で、遊び事が出来ず、酒煙草も嗜まず、只美術と建築と庭造りに凝って居りますが、アメリカの美術館を見て、益々念願を達し度いと決心し、ビルを建ててから一番良い場所を選んで、二階を使用する事にしました。照明、換気設備に苦心しましたが暖冷房も整い、美術品の保存の上にも、又観覧者の為にも万全を期したのであります。
私一個人の微力で、顧る不充分のものと恥じて居りますが、開館以来皇太子様にも御覧戴き、又芸術家、学者、実業家のみならず凡ゆる方々から予想外の賛辞や感謝の言葉を戴いて、嬉しい事ばかりで、不愉快に思った事は一度もありません。私の生涯中で一番良い事をしたとうれしく感謝してい居ります。(ブリヂストン・タイヤ社長)
入館無料だが中には入れないとの事、入り口近くを見る程度になった。今回の旅は入れない所が多い。9代斉昭によって作られた日本最大級の藩校。最後の将軍15代慶喜も教育を受けた。入口には斉昭の夫人登美宮様が嫁ぐ時に仁考天皇より下賜された左近の桜が。横には斉昭手植えの黒松が立派な姿で迎えてくれます。
もう少し時間があれば何度か行った徳川ミュージアムも良いのですがミュージアムはもう少し時間を掛けたいので次回に回しました。どうせ梅の季節にまた来るでしょう。
今回利用した青春18きっぷは、名古屋のJR東海リニア鉄道館の1泊、名古屋日帰り、今回の会津、白河、茨城の1泊と使わせていただきました。
次回の青春18きっぷは夏休み時期に発売予定です。http://www.tetsudo.com/
そこから海に向かいお魚市場へ、駐車場は自家用車、バスが一杯です。大きな魚、海鮮お土産売り場が何軒も並んでいます。とりあえず大きなお店を見学、茨城と言えばアンコウです。さて放射能の関係でここでは青森産になっています。これで少し安心しました。地元産と言って売っていたらご飯は違う所やマグロだけにしようと思っていました。千葉では地元木更津のあさりで美味しいと売っていました。とても貝は申し訳ないけど食べられません。
此処はとても美味しそうなマグロが流れています。パクパク戴きましたが気が付くと1枚1000円のお皿でした。それでも久しぶりの美味しいマグロでした。駅で戴いた地元商店の割引券を出してもお値段はニューオータニのランチと同じ。それでもこのネタなら納得。
ひたちなか海浜鉄道HPhttp://www.hitachinaka-rail.co.jp/
鉄道ドットコムhttp://www.tetsudo.com/
近くに大きな国営ひたち海浜公園があり1年中花が咲き、家族でもアベックでも楽しめる大きな公園。米軍の射撃訓練所後で阿字ヶ浦駅から此処まで延伸されると営業的にもかなり変わるような気がします。一昨年二月にかみさんとお邪魔したので今回は一人ですからパス。
キハ222昭和37年製造、羽幌炭鉱鉄道からの移籍、キハ205昭和40年製造、元国鉄キハ20でJR西日本から水島臨海鉄道を経て移籍、ミキ300平成10年製造、三木鉄道から移籍、キハ2004,2005は昭和41年製造、留萌鉄道から移籍、キハ3710は平成10年の新製造車、この他に平成14年製造車を所有。
もうひとつの特徴は第三セクターですと社長が名目だけの市長などが多いのですが社長は公募です。富山の三セク万葉線の総務に居た吉田氏が運営、民間ならではの経営力と企画力で多くのイベントを手掛ける。
経営ロケーションとしては余り良くない所ですが頑張って軌道に乗り始めて来た時に昨年の3月の東日本大震災で線路が至る所で崩壊、全線不通になりました。部分部分開通させ7月23日全面復旧に。大変な努力があったと思いますし地元の人を大事にしてきた鉄道会社だから早い復旧が出来たと思います。
途中の歴史遺跡、那珂湊のおさかな市場、終点からの大きな国営ひたち公園などチャリンコや徒歩、バスで観光も出来ます。勿論旧国鉄などのバラエティな車両も魅力です。これからは観光の季節です。東京から1時間でゆったりのんびり美味しい旅が出来ます。
25日にはBSフジ17時から「甦れ東北の鉄路」が放映予定のようです。
カレンダー
01 | 2025/02 | 03 |
S | M | T | W | T | F | S |
---|---|---|---|---|---|---|
1 | ||||||
2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 |
9 | 10 | 11 | 12 | 13 | 14 | 15 |
16 | 17 | 18 | 19 | 20 | 21 | 22 |
23 | 24 | 25 | 26 | 27 | 28 |
カウンター
カテゴリー
最新コメント
最新記事
(04/17)
(04/17)
(04/16)
(04/15)
(04/14)
(04/13)
(04/12)
(04/11)
(04/10)
(04/09)
(04/09)
(04/08)
(04/07)
(04/06)
(04/05)
(04/05)
(04/04)
(04/04)
(04/03)
(04/03)
(04/02)
(04/01)
(03/31)
(03/30)
(03/30)
プロフィール
HN:
パパリン
性別:
男性
趣味:
なんでも収集
ブログ内検索
アーカイブ
アクセス解析