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現在ブリヂストン美術館は開館60周年記念として「あなたに見せたい絵があります。」というタイトルで所蔵作品109点を自画像、肖像画、レジャー、海など11のテーマに分けて題材別、ジャンル別に展示しています。
この美術館を建てた創業者石橋正二郎氏が喜びの寄稿を書いていますの展覧会内容でなく少し長いですが記録として此処に転載します。この後に建てた青木繁の為の美術館として日本画を中心の故郷久留米に石橋美術館もあります。此方には国宝、重文なども所蔵。
功なり財を成した人の私立美術館が多くありますがその設立理由は色々あります。理由は様々ですが後世に残してくれた事に感謝しながら個人蔵で見られないよりは素晴らしい作品を公開、保存修復などをされて展示されていく事に関係者にもう一度感謝し心して見学。
文藝春秋の昭和27年6月号に「美術館と私」というブリヂストン創業者石橋正二郎氏の寄稿が載っています。
私は40数年前からゴム工業で終始している者で、地下足袋とゴム靴を毎日15万足宛生産して、世界中に輸出をしたので、20年前にはルーズベルトやマクドナルド首相から、ダンピングと云って外交問題として攻撃された事は、石井伯爵から聞かされました。
その頃自動車タイヤも作り始めましたが、これの国産化に当たりまして、英語の名前でなければ売れない時代でありましたので、石橋をブリヂストンともじりまして、ブリヂストンタイヤとしました。最近はビルヂングを建てましてブリヂストンビルと称し、此処の美術館も亦ブリヂストン・ギャラリーと名を付けたので、益々ブリヂストンの方が有名になり、外人からミスター・ブリヂストンと呼ばれる事もあり、ある高官からミスタ・ーブリヂストンとして手紙の来た事がある位で、さも私がアメリカ人か何かの様に誤解されることがありますが、私は決して左様な者ではありません。田舎の商業学校をを出たばかりで、碌々英語も話せませんから滑稽な話です。
私が美術館を設けた経緯を良く聞かれますから少し書いて見ますが、私が久留米の小学校生徒の時、今美術界で有名な坂本繁二郎さんが私たちの図画の先生でした。(坂本さんは当時17,8歳)その後30年も経って坂本さんが東京から久留米に再び帰って来られ、今尚、親密にして居りますが、坂本さんは同郷の先輩である青木繁の名画、田舎に散乱しており、将来が心配だから買い集めて、小さくとも美術館を建てて保存したいと話が進みましたので、探して手に入る丈け手に入りましたのが私のコレクションの始まりであります。
また私は、藤島武二さんの絵も好きで、度々アトリエを訪問して、多年の間に数十枚となりました。藤島さんは好きな自分の絵を、命よりも大切にして、晩年まで手放されず、病気になられてからは、絵の将来を憂慮されて、私にまとめて保存を頼まれました。1度は常に座右において愛蔵された滞欧作品の残り全部を私に渡されたが、それ等の絵と別れた事が淋しくて、一晩も二晩も眠られず、遂に又買い戻された事もある程で、その後1年ばかりして、またそれ等を私に譲られたのでありましたが、その時も美術館を建てて貰いたいと言う様なお話があったことを記憶して居ります。
フランスの絵は、青木、藤島等の絵を集める傍ら、永い間に集めたものですが、松方コレクション、福島コレクションその他で、日本へ将来された、主として印象派のものが多く、私は絵の理論は詳しくないのですから、只自分の好きで選んだのですが、今回常設美術館を設けるに就て、委員諸君に頼んで絵の素質を調べて貰いましたが、余り誤りは無かったので、殆ど全部を陳列しました。
私は一昨年の春、渡米しました際、商用の傍ら美術館の視察を熱心にやりました。
ワシントンでは坂井米夫さんに美術館巡りのプログラムを作って貰い、ボストン博物館では富田さんを訪ねましたが不在でしたので館長自ら案内をされたり、またハーバード大学の美術館でも館長のウォーナー博士自ら案内して東洋美術の価値の高いことを賞讃されたので、鎌倉、奈良、京都が空襲されなかったのは、博士の助言によるとのことで、日本国民に代わって感謝しますと述べたところ、自分の微力で感謝される程のことは出来なかったと謙遜されました。またニューヨークのモダンアート・ミュージアムを見て、美術館を建てる事に大いに役立ちました。昨年ロックフェラー三世夫人が私のコレクションを見に来られた際、その話をしました処、非常に喜ばれて今後は兄弟としての交際をしましょうとのことで、その後色々参考品を送って戴いております。
私は不器用で、遊び事が出来ず、酒煙草も嗜まず、只美術と建築と庭造りに凝って居りますが、アメリカの美術館を見て、益々念願を達し度いと決心し、ビルを建ててから一番良い場所を選んで、二階を使用する事にしました。照明、換気設備に苦心しましたが暖冷房も整い、美術品の保存の上にも、又観覧者の為にも万全を期したのであります。
私一個人の微力で、顧る不充分のものと恥じて居りますが、開館以来皇太子様にも御覧戴き、又芸術家、学者、実業家のみならず凡ゆる方々から予想外の賛辞や感謝の言葉を戴いて、嬉しい事ばかりで、不愉快に思った事は一度もありません。私の生涯中で一番良い事をしたとうれしく感謝してい居ります。(ブリヂストン・タイヤ社長)
この美術館を建てた創業者石橋正二郎氏が喜びの寄稿を書いていますの展覧会内容でなく少し長いですが記録として此処に転載します。この後に建てた青木繁の為の美術館として日本画を中心の故郷久留米に石橋美術館もあります。此方には国宝、重文なども所蔵。
功なり財を成した人の私立美術館が多くありますがその設立理由は色々あります。理由は様々ですが後世に残してくれた事に感謝しながら個人蔵で見られないよりは素晴らしい作品を公開、保存修復などをされて展示されていく事に関係者にもう一度感謝し心して見学。
私は40数年前からゴム工業で終始している者で、地下足袋とゴム靴を毎日15万足宛生産して、世界中に輸出をしたので、20年前にはルーズベルトやマクドナルド首相から、ダンピングと云って外交問題として攻撃された事は、石井伯爵から聞かされました。
その頃自動車タイヤも作り始めましたが、これの国産化に当たりまして、英語の名前でなければ売れない時代でありましたので、石橋をブリヂストンともじりまして、ブリヂストンタイヤとしました。最近はビルヂングを建てましてブリヂストンビルと称し、此処の美術館も亦ブリヂストン・ギャラリーと名を付けたので、益々ブリヂストンの方が有名になり、外人からミスター・ブリヂストンと呼ばれる事もあり、ある高官からミスタ・ーブリヂストンとして手紙の来た事がある位で、さも私がアメリカ人か何かの様に誤解されることがありますが、私は決して左様な者ではありません。田舎の商業学校をを出たばかりで、碌々英語も話せませんから滑稽な話です。
私が美術館を設けた経緯を良く聞かれますから少し書いて見ますが、私が久留米の小学校生徒の時、今美術界で有名な坂本繁二郎さんが私たちの図画の先生でした。(坂本さんは当時17,8歳)その後30年も経って坂本さんが東京から久留米に再び帰って来られ、今尚、親密にして居りますが、坂本さんは同郷の先輩である青木繁の名画、田舎に散乱しており、将来が心配だから買い集めて、小さくとも美術館を建てて保存したいと話が進みましたので、探して手に入る丈け手に入りましたのが私のコレクションの始まりであります。
また私は、藤島武二さんの絵も好きで、度々アトリエを訪問して、多年の間に数十枚となりました。藤島さんは好きな自分の絵を、命よりも大切にして、晩年まで手放されず、病気になられてからは、絵の将来を憂慮されて、私にまとめて保存を頼まれました。1度は常に座右において愛蔵された滞欧作品の残り全部を私に渡されたが、それ等の絵と別れた事が淋しくて、一晩も二晩も眠られず、遂に又買い戻された事もある程で、その後1年ばかりして、またそれ等を私に譲られたのでありましたが、その時も美術館を建てて貰いたいと言う様なお話があったことを記憶して居ります。
フランスの絵は、青木、藤島等の絵を集める傍ら、永い間に集めたものですが、松方コレクション、福島コレクションその他で、日本へ将来された、主として印象派のものが多く、私は絵の理論は詳しくないのですから、只自分の好きで選んだのですが、今回常設美術館を設けるに就て、委員諸君に頼んで絵の素質を調べて貰いましたが、余り誤りは無かったので、殆ど全部を陳列しました。
私は一昨年の春、渡米しました際、商用の傍ら美術館の視察を熱心にやりました。
ワシントンでは坂井米夫さんに美術館巡りのプログラムを作って貰い、ボストン博物館では富田さんを訪ねましたが不在でしたので館長自ら案内をされたり、またハーバード大学の美術館でも館長のウォーナー博士自ら案内して東洋美術の価値の高いことを賞讃されたので、鎌倉、奈良、京都が空襲されなかったのは、博士の助言によるとのことで、日本国民に代わって感謝しますと述べたところ、自分の微力で感謝される程のことは出来なかったと謙遜されました。またニューヨークのモダンアート・ミュージアムを見て、美術館を建てる事に大いに役立ちました。昨年ロックフェラー三世夫人が私のコレクションを見に来られた際、その話をしました処、非常に喜ばれて今後は兄弟としての交際をしましょうとのことで、その後色々参考品を送って戴いております。
私は不器用で、遊び事が出来ず、酒煙草も嗜まず、只美術と建築と庭造りに凝って居りますが、アメリカの美術館を見て、益々念願を達し度いと決心し、ビルを建ててから一番良い場所を選んで、二階を使用する事にしました。照明、換気設備に苦心しましたが暖冷房も整い、美術品の保存の上にも、又観覧者の為にも万全を期したのであります。
私一個人の微力で、顧る不充分のものと恥じて居りますが、開館以来皇太子様にも御覧戴き、又芸術家、学者、実業家のみならず凡ゆる方々から予想外の賛辞や感謝の言葉を戴いて、嬉しい事ばかりで、不愉快に思った事は一度もありません。私の生涯中で一番良い事をしたとうれしく感謝してい居ります。(ブリヂストン・タイヤ社長)
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