美術館・鉄道・お城・お相撲・お友達の話など趣味のブログです。
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タイトルをそのままイメージすると作品は全く違うものが目の前に出てきます。今回のポスターは河童が泳いでいるようです。
これは昭和31年のメルボルンオリンピックの時の物でタイトルは「オリンピック」龍子にとっては夏のオリンピックは古橋選手を代表とする水泳だったんでしょうか、そしてシリーズ化して描いている河童の泳ぎになったんでしょうか。「かわせみ」というタイトルの作品は確かに良く見るとかわせみはいますが絵全体的には女性が温泉に入っている作品です。
個人的には「龍巻」というタイトルの海の中のクラゲ、赤エイ、サメなどを描いた作品が幻想的で好きでした。絵葉書は残念ながら原画のイメージから撮影された絵葉書とはかなり違っています。それを下手な私の撮影では全く原画イメージと離れますのでやめました。上の「筏流し」も縦2.42M横7.29Mという大きさの原画でその絵ハガキから全体が映り込めなく原画のイメージが伝わらない。
12点ですがちょっと物足りない感じはしますがトレーニングの帰りで丁度良く、疲れも感じませんし平日の昼食時で観客もいなく自分だけの美術館と云った空間が心地よかったです。
大田区立龍子記念館 大田区中央4-2-1 入館料200円 月曜休館
此処は記念館の前の龍子の自宅アトリエを10時、11時、14時に案内解説をしてくれます。
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C58形蒸気機関車 昭和50年6月1日 北見から100Kの急行券200円。
解説書によれば
日華事変の進展により国内の客貨の動きが活発になり。特に地方の輸送量が増加したことと、線区で使用されていた9600形が大量に大陸に送られ、その補充として昭和13年から22年まで427両が制作。
客貨両用の万能中型機関車として丙線以外ならどこでも入線でき、どんな仕業にも適している。保安、防寒上密閉式運転室が採用され、車軸配置はプレーリー(1-C--1)だがテンダ機関車としてはわが国唯一のものなどがあげられる。昭和24年から50年まで北見区に配属、石北本線、池北線で活躍。写真は石北本線を575列車を牽引するC58418.
9600形蒸気機関車 昭和50年7月1日 名寄駅から100kの急行券200円。
フアンはキューロクの愛称で呼ぶ、大正時代784両も作られ四国以外全国で活躍した貨物用機関車。
動輪上に置かれた火室構造で重心が高くなる欠点があると言う事で採用されていなかったが初めて採用され、火床が大きくとれ出力増大に役立った。見た目は肥満児が小さい動輪を動かすユーモラスな姿であった。旭川管内では昭和4年から50年まで管内全区で活躍。写真は名寄本線を1691列車を牽引する49666。
D51形蒸気機関車 昭和50年7月1日 遠軽駅から100Kの急行券200円。
貨物の重要が増大に対応するために改善された大型貨物用機関車。昭和11年から20年までに1115両という最大の制作。
10%の勾配で1000トンの重量貨物を牽引し、最高速度も85k/hを出せる、幹線や勾配のある地で活躍。機関車と云うとD51と言われる代表選手である。宗谷本線、留萌本線、羽幌線、石北本線、函館本線で活躍。写真は石北本線を1591列車を牽引するD51444。
1差で6人がひしめく混戦、琴欧州が休場で栃煌山が不戦勝。これで取組前の4敗力士の優勝の可能性が消え、旭天鵬が本割で負ければ戦わずしての栃煌山の優勝になってしまうというつまらない現実が見え始めた。結果は旭天鵬が勝ち優勝決定戦になったが。
6人の大関と云うが公平的に見ても抜け出た強さを感じない、数だけ揃えただけでこのままいけば名古屋は不人気でガラガラになってしまうかも。
昨日は何処もTVは金環日蝕でもちきり、この後は見られないとか言っている割には次回は2030年北海道、今回は雨や曇りであった為裸眼でも見えるシースルー金環日蝕でした。何のためにもう使わないメガネを買ったのかと友人は怒っていたが。
それでも1日でショッピンセンターを含め来場者20万人を目論んでいるようです。
寄付金がいっぱい集まってきているようですが尖閣諸島買収はやはり国がやらなくては。
そしてもうすぐオリンピックも東京と一部東北で開催できると良いのだが。足元のいろいろ問題があった新銀行東京も2年連続黒字になり落ち着いてきた。後は垂れ流しの福島原発関連処理と口だけの政府の交代か。
今週も日、月が過ぎ今日は火曜日、1週間が早く過ぎていく。何か偉そうに言っているが何にも出来ないのに。自分を自分でお前は何様だ。
列車の中でSLが1番の人気のようです。白い蒸気を吐き、煙突から黒い煙を吐き、鉄の塊がゆっくり少しづつ走り、急な勾配も力強く、場合によっては連結をして頑張っていく姿。また廃止になって復活した懐かしさなどもあるのでしょうか。静態保存されていた蒸気機関車も復活させたりしています。
企画がなくなると困った時のSL頼みになっています。SLは一時は全国で走っていましたが電化に伴い徐々に無くなって行きました。SLと云うとなぜか北海道の鉄道、重い貨物を曳いているイメージがあります。
個人的にはSLは乗り心地も良くなく、特にトンネルでは窓から入る煤などあまり良いイメージはありません。写真には絵になるので復活したSLや土日に定期運行しているSLは大変な人気です。しかし整備や運行技術、重量もあり線路補修、部品の供給も無いなど色々維持するには大変なようです。
今年の夏の北海道でも幾つかSLが走ります。そんな人気に便乗して昔の切符ですが載せてみました。今回は北海道の旭川管内さよならSL記念シリーズです。
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さよならSL記念 シリーズ1
国鉄旭川鉄道管理局 昭和50年5月1日 旭川から100Kの急行券200円。
C55形蒸気機関車
大正時代のC51形に変わり昭和10年から12年にかけて62両が制作された。
きっぷの解説書によると
動輪が水かきのように縁とりのあるスポーク動輪は美しく高性能であった。これまでの機関車は蒸気ドームと砂箱が別々のいわゆる2コブ式のものだったがC55形から1コブ式になっている。旭川管内では昭和15年から49年まで配属、宗谷本線、函館本線で活躍。
写真は宗谷本線を321列車を牽引するC5550.
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さよならSL記念 シリーズ2
C57 形蒸気機関車 昭和50年5月1日 稚内から100Kの急行券200円
国鉄の中形機関車随一のスマートさを持った機関車。昭和12年から17年までに169両、その後22年までに32両と合計201両が製造。最後の12両はC58形同様の密閉式運転室が採用され、初期からの形とはかなり異なった感じをうける。
この機関車はC55形のボイラーの使用圧力を増し、光芒形スポークの動輪をボックス形へと近代化したもので、C51、C50時代の使用圧力は13気圧が普通であったがC57形は16気圧に上昇している。
C57形は改良されたD51形につぐ旅客用蒸気機関車の決定版といえる。旭川管内では昭和29年から49年まで配属、宗谷本線、函館本線で活躍した。
写真は宗谷本線を324列車を牽引するC57130.
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さよならSL記念 シリーズ3
D61形蒸気機関車 昭和50年6月1日 深川から100Kの急行券200円。
戦後国鉄の電化に伴い各線区で使用されていた貨物列車用機関車が余り始め、従台車を改良して2軸台車として機関車の動輪上重量を軽くして線路規格の低い地方の支線区でも使用できるようにした。
昭和35年から36年の間D51形を改良して6両を完成。豪雪地帯で使用するため密閉式運転室に改良し留萌区に配属。昭和35年から50年まで留萌本線、羽幌線、函館本線で活躍。写真は留萌本線を走るD614.
相変らず写真が私と同じボケで見にくいと思いますがお許しください。
企画がなくなると困った時のSL頼みになっています。SLは一時は全国で走っていましたが電化に伴い徐々に無くなって行きました。SLと云うとなぜか北海道の鉄道、重い貨物を曳いているイメージがあります。
個人的にはSLは乗り心地も良くなく、特にトンネルでは窓から入る煤などあまり良いイメージはありません。写真には絵になるので復活したSLや土日に定期運行しているSLは大変な人気です。しかし整備や運行技術、重量もあり線路補修、部品の供給も無いなど色々維持するには大変なようです。
今年の夏の北海道でも幾つかSLが走ります。そんな人気に便乗して昔の切符ですが載せてみました。今回は北海道の旭川管内さよならSL記念シリーズです。
国鉄旭川鉄道管理局 昭和50年5月1日 旭川から100Kの急行券200円。
C55形蒸気機関車
大正時代のC51形に変わり昭和10年から12年にかけて62両が制作された。
きっぷの解説書によると
動輪が水かきのように縁とりのあるスポーク動輪は美しく高性能であった。これまでの機関車は蒸気ドームと砂箱が別々のいわゆる2コブ式のものだったがC55形から1コブ式になっている。旭川管内では昭和15年から49年まで配属、宗谷本線、函館本線で活躍。
写真は宗谷本線を321列車を牽引するC5550.
C57 形蒸気機関車 昭和50年5月1日 稚内から100Kの急行券200円
国鉄の中形機関車随一のスマートさを持った機関車。昭和12年から17年までに169両、その後22年までに32両と合計201両が製造。最後の12両はC58形同様の密閉式運転室が採用され、初期からの形とはかなり異なった感じをうける。
この機関車はC55形のボイラーの使用圧力を増し、光芒形スポークの動輪をボックス形へと近代化したもので、C51、C50時代の使用圧力は13気圧が普通であったがC57形は16気圧に上昇している。
C57形は改良されたD51形につぐ旅客用蒸気機関車の決定版といえる。旭川管内では昭和29年から49年まで配属、宗谷本線、函館本線で活躍した。
写真は宗谷本線を324列車を牽引するC57130.
D61形蒸気機関車 昭和50年6月1日 深川から100Kの急行券200円。
戦後国鉄の電化に伴い各線区で使用されていた貨物列車用機関車が余り始め、従台車を改良して2軸台車として機関車の動輪上重量を軽くして線路規格の低い地方の支線区でも使用できるようにした。
昭和35年から36年の間D51形を改良して6両を完成。豪雪地帯で使用するため密閉式運転室に改良し留萌区に配属。昭和35年から50年まで留萌本線、羽幌線、函館本線で活躍。写真は留萌本線を走るD614.
相変らず写真が私と同じボケで見にくいと思いますがお許しください。
何でも集めるのが好きな私はお金が無いのに古札を蒐集しています。これは切符と違い余り持ってはいないのですが。昔のお札はお金でお金を買う、それも場合によって何十倍の金額だったりします。
日本のお札に初めて肖像が登場したのは明治14年だそうです。神功皇后で女性初のお札でもあります。しかしお札の肖像と云えば思い描くのは聖徳太子。若い人は福沢諭吉でしょうか。
肖像は17名が描かれているそうですが聖徳太子は1番多く7回登場しているようです。肖像は神功皇后、板垣退助、菅原道真、和気清麻呂、竹内宿禰(すくね)、藤原鎌足、聖徳太子、日本武尊、二宮尊徳、岩倉具視、高橋是清、伊藤博文、福沢諭吉、新渡戸稲造、夏目漱石、野口英世、樋口一葉。
聖徳太子のお札は
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上記の7種類だそうです。私は現在4~7までの4種類、その他に数に入っていませんが大日本帝国政府発行の軍用手票100円があります。(小さい写真はお札の裏側、クリックすればおおきくなります。)
聖徳太子は現在実在していたのか解っていない人物のようです。この肖像も死後100年以上経ってから描かれたものだそうです。教科書でも聖徳太子と伝えられている肖像として紹介される事が多くなってきたようです。
そんな事を考えながら見るとお札毎に顔が微妙に違う聖徳太子に見えます。
現在のお札は国立印刷局製造です。私のイメージは未だ大蔵省印刷局製造(昭和59年)が強いです。平成13年から財務省印刷局製造になり平成15年7月から国立印刷局製造になっています。
聖徳太子の一万円札を束で持っていれば良いのですが。無い人間ほど持っている振りをするものでしょう。お札は友人から戴いたり古物商から買ったり前から持っていたりしたものです。今は骨董市でも中々出てこなく専門店では高額な物になっています。
日本のお札に初めて肖像が登場したのは明治14年だそうです。神功皇后で女性初のお札でもあります。しかしお札の肖像と云えば思い描くのは聖徳太子。若い人は福沢諭吉でしょうか。
肖像は17名が描かれているそうですが聖徳太子は1番多く7回登場しているようです。肖像は神功皇后、板垣退助、菅原道真、和気清麻呂、竹内宿禰(すくね)、藤原鎌足、聖徳太子、日本武尊、二宮尊徳、岩倉具視、高橋是清、伊藤博文、福沢諭吉、新渡戸稲造、夏目漱石、野口英世、樋口一葉。
聖徳太子のお札は
1、乙百円券 (昭和5年発行)
2、い百円券 (昭和19年発行)
3、ろ百円券 (昭和20年発行)
上記の7種類だそうです。私は現在4~7までの4種類、その他に数に入っていませんが大日本帝国政府発行の軍用手票100円があります。(小さい写真はお札の裏側、クリックすればおおきくなります。)
聖徳太子は現在実在していたのか解っていない人物のようです。この肖像も死後100年以上経ってから描かれたものだそうです。教科書でも聖徳太子と伝えられている肖像として紹介される事が多くなってきたようです。
そんな事を考えながら見るとお札毎に顔が微妙に違う聖徳太子に見えます。
現在のお札は国立印刷局製造です。私のイメージは未だ大蔵省印刷局製造(昭和59年)が強いです。平成13年から財務省印刷局製造になり平成15年7月から国立印刷局製造になっています。
聖徳太子の一万円札を束で持っていれば良いのですが。無い人間ほど持っている振りをするものでしょう。お札は友人から戴いたり古物商から買ったり前から持っていたりしたものです。今は骨董市でも中々出てこなく専門店では高額な物になっています。
姿が乱れ始めたビオラもそろそろ終わりに向かっています。結構蕾を毎日付けているので何時処理をしようか迷っています。花殻摘も結構大変でした。
蕾はクジャクサボテン、百合、我が家の遅い石楠花が赤い花を少しづつ咲き始めています。みかんも白い小さな花を大分つけています。今年は沢山収穫が出来そうです。
咲いているうちは良いのですが、久留米つつじなどのお礼肥、山茶花、椿の剪定と薬剤散布、クレマチスの剪定、菊の挿し木、君子蘭などの植え替えなど梅雨に向かっての作業が続きます。肥料食いのバラは特に肥料やりを今月まで特別にあげ害虫チェックをよくしないと。
今年は菖蒲は咲かずアジサイ、ブルーベリも今年は駄目そう。可愛そうな事をして仕舞ったようです。天気予報を注意して雨の前日には肥料蒔き、雨の翌日晴れなら鉢の植え替えと結構な作業が続きます。
明治天皇は慶応31年1月9日14歳で天皇に践祚されました。すぐ五箇条御誓文、廃藩置県、学制発布、大日本憲法発布、帝国議会開設、教育勅語、鉄道・電信電話の開通行事、日清日露戦争など新しい時代の激動の中忙しく活動されたようです。明治45年7月30日崩御、其の神霊を未来永劫に祀るため明治神宮が創建された。
その他、今の学習院女子、お茶ノ水大学、津田梅子らの女子海外留学派遣にも貢献され、皇后として欧化政策の先頭に立ち衣服は全て洋服に切り替えたり、養蚕を奨励したりしたそうです。これは現在も引き継がれているようです。
昭憲皇后は洋服を先頭に立って着たと言う話では来年のNHK大河の新島穣の奥さんの八重を思い出しました。
また日赤の紋章が相談を受けた日に皇后がまとっていた冠が桐と竹の組み合わせで出来ていたから「それでよかろう」と決められたそうです。
また子供が居なかった為明治天皇の側室が生んだ子を養子として「大正天皇」となられたそうで初めて聞く事、見る事が多い展示会でした。
巷間伝えられる皇室の話はきれいごとばかりでなく色々昔の大奥ではないでしょうが色々あるんでしょうが全く縁のない所で実際は解りませんが。展示室にはありませんが中々大変そうです。
(小さい写真はクリックしてもらえば大きくなります。)
アートのソムリエブログhttp://ameblo.jp/0761226555/
あまりお会いする事もなくたまに三越の名品展、銀座のギャラリーでお会いする程度で彼のブログの後追いでギャラリーや美術館へ行く程度です。
午後から天候が崩れるとか言っていましたが帰りは陽が出て暑かったですが信濃町から明治神宮まで散策。途中外苑にちゃんぽん屋水明亭がありかみさんの影響か暑い中ちゃんぽんで昼食。途中、千駄ヶ谷に国立能楽堂を発見、余り縁がないですが建物アプローチはとても感じが良かった。
佐藤美術館http://homepage3.nifty.com/sato-museum/
信濃町から原宿までのんびり散策。初めて見る施設などもあり絵を見てちゃんぽん食べて明治神宮の静けさの中参拝して気分も爽快で帰宅となりました。(写真左は北参道からの明治神宮参道、右は原宿駅)
(写真左北海道鉄道100年記念急行券47・10・14、右下は昭和47年発行の義経・しづか号再開、札幌・手宮ターミナルD型往復乗車券)
「キュンと北海道フリーパス」の発売
北海道内全線乗り放題、勿論広い北海道ですから特急自由席も乗れます。3日間有効で17000円、発売は6月1日~9月28日、利用可能は7月1日~9月30日。
このフリーパスに合わせて
- SLオホーツク号の運行
- 急行まりも号運行
- 特急ヌプリ号運行
- 急行北海道一周号運行
7月2日狩勝号 札幌8:29発ー根室線滝川―釧路17:04着
7月3日大雪号 釧路7:46発―釧網線―札幌20:44着
7月4日エルム号札幌9:27発―室蘭―函館14:50着
- SL函館号運行
上り函館8:54発―森10:46着(渡島砂原、仁山経由)
下り森13:31発―函館15:24着(仁山・駒ケ岳経由)
- 室蘭線37年振りSL運行
北海道はとても広く、便も路線によっては少なくしっかりスケジュールを組まないと短期間では廻れません。何度も行っていますがその都度、札幌だったり函館、根室だったりして小さい地域だけになります。夏にはこのフリーパスと青春18きっぷを組み合わせゆっくり長く乗ってみたいですね。当然行き帰りは飛行機になりますが。
詳細は鉄道ドットコムニュースで
http://www.tetsudo.com/
豊洲のららぽーと内にあります平木浮世絵美術館では美しき日本の風景第二部として創作版画之部を5月27日まで開催しています。
浮世絵は元々芸術でもなく、テレビや新聞と同じマスメデイアとしての役割や、プロマイド、広告宣伝、観光ガイドブック的なものです。明治維新後近代化によって新聞、写真、交通の発達などで徐々に浮世絵は衰退し、庶民からも関心が無くなって行きました。
そんな中浮世絵は絵師、彫師、磨師の分業から自分の芸術は全部自分で行うという創作版画が起こっていきます。今回はそんな明治以降の創作版画の美しき日本の風景の第二部として創作版画之部として開催しています。
作品は大正から昭和までで、近代化する日本、山々、諸国、日光、古城と分かれています。私自身よく解っていませんが大正期の作品はまだ着物姿があったり江戸期の浮世絵の名残を感じる作品が多く見られますが昭和になると平塚運一、川瀬巴水などを代表する絵画的な要素がふんだんに入っています。わざわざ版画でなくてもと思ったりします。
やはり写真、印刷技術の発展、絵の具等により生きる道は風刺画など特殊な物になって芸術性を求め日本画への転向、仏画などが出来る人は移って行ったのでしょうか。
今回の展示はその時代を見るのには面白いですがたまたま風景画ですから生活感のある時代を感じる作品は少ない。城も明治の廃城令直後なら楽しく見られたのでしょうが昭和期の作品です。(1部名古屋城などは戦災に遭う前のお城のようです。)
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この木版画は今回の展示ではないですが川瀬巴水の左が東京二十景「矢口」右が同じ東京二十景「大森海岸」です。大正初期の作品。川瀬巴水は大田区に一時住んで多くの大田区内の作品があり、版画だけでなく水彩画も描いています。
平木浮世絵美術館Hp
http://www.ukiyoe-tokyo.or.jp/
浮世絵は元々芸術でもなく、テレビや新聞と同じマスメデイアとしての役割や、プロマイド、広告宣伝、観光ガイドブック的なものです。明治維新後近代化によって新聞、写真、交通の発達などで徐々に浮世絵は衰退し、庶民からも関心が無くなって行きました。
そんな中浮世絵は絵師、彫師、磨師の分業から自分の芸術は全部自分で行うという創作版画が起こっていきます。今回はそんな明治以降の創作版画の美しき日本の風景の第二部として創作版画之部として開催しています。
作品は大正から昭和までで、近代化する日本、山々、諸国、日光、古城と分かれています。私自身よく解っていませんが大正期の作品はまだ着物姿があったり江戸期の浮世絵の名残を感じる作品が多く見られますが昭和になると平塚運一、川瀬巴水などを代表する絵画的な要素がふんだんに入っています。わざわざ版画でなくてもと思ったりします。
やはり写真、印刷技術の発展、絵の具等により生きる道は風刺画など特殊な物になって芸術性を求め日本画への転向、仏画などが出来る人は移って行ったのでしょうか。
今回の展示はその時代を見るのには面白いですがたまたま風景画ですから生活感のある時代を感じる作品は少ない。城も明治の廃城令直後なら楽しく見られたのでしょうが昭和期の作品です。(1部名古屋城などは戦災に遭う前のお城のようです。)
平木浮世絵美術館Hp
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