美術館・鉄道・お城・お相撲・お友達の話など趣味のブログです。
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東都名所 歌川広重画(幽斉書)
大判、横型、錦絵、極印、板元 川口正蔵板、アダチ版画研究所復刻
芝浦は新橋から田町辺りまでの海辺をいい、雑魚場となづける漁猟の地であった。この海から産した魚は芝肴と称されて江戸ッ子の賞味する所であったと言います。

画の真ん中に大きく帆船の帆を二張り描き、遠くに小さく帆船が描かれ左側は海が遠くはるかまで描かれています。また潮干狩りをしている人々が点で表されています。遠くまで海が曳いています。
右真ん中は芝浦の漁村が描かれています。真ん中右の石垣は今の濱離宮の石垣なのでしょうか。あなご、アサリなどが多く取れ、此処からのアサリが深川へ運ばれ「深川めし」にあなごは今は無き「品川飯」になったんでしょうか。
ここでも空、海にベロ藍を使っていて画面の広がりの中でしまっています。この図からは朝なのか夕なのか解りませんが静かな江戸湾が描かれて今では想像できないひなびた海辺が描かれています。
芝浦は新橋から田町辺りまでの海辺をいい、雑魚場となづける漁猟の地であった。この海から産した魚は芝肴と称されて江戸ッ子の賞味する所であったと言います。
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昭和51年2月岩見沢駅から100K急行券300円。北海道総局。
国鉄100年を走り続けてきた蒸気機関車は、全国のフアンに惜しまれながら室蘭本線を最後に本線上から全て姿を消してしまいました。
9600形蒸気機関車は、追分機関区に所属、追分駅構内で入換機として最後の仕事になりました。写真は39679号機、重量94.85t、全長16.75m大正9年1月川崎造船で製造、津和野、横手、山形、青森、新津等の各機関区に所属して、昭和47年4月に名寄機関区に配属、昭和50年5月に追分機関区に配属。
黒煙を吐きだすC5757機 昭和50年10月20日、岩見沢駅から100K急行券200円。
北海道に昭和24年7月小樽築港機関区に配属、その後室蘭機関区に転属、最後は岩見沢第一機関区に所属。
昭和50年10月現在、岩見沢第一機関区 C57 4両、D51 19両、9600 8両。滝川機関区 D51、14両,9600 8両、追分機関区 D51 17両 9600 3両となっていました。
昭和50年11月札幌駅から100K急行券200円。
標準形機関車として1形式最大の総1115両が生産され全国に配属。昭和11年から20年にかけて製造され、形態は3つに分類されます。
第一はナメクジ形と称し煙突、給水加熱器、砂箱、蒸気溜が一体になった半流線形(95両)、第二は量産に適した普通型(859両)第三は資材、工数を極度に節約した戦時形の一群(161両)です。
写真はD51603号機、昭和16年2月23日山口県日立笠戸工場製作、宇都宮、高崎、岡山等の各機関区に所属し、昭和39年1月12日北海道滝川機関区配属。
このきっぷも国鉄時代のものです。北海道ではやはり急行券が主流になっています。勿論A型、D型の入場券も各駅で発売をしていますが私の収集は数が少ない。100円位になってからの物ばかりです。
最新の鉄道情報は下記を参照ください。
http://www.tetsudo.com/
川崎にはシネコンが3館ありますがもうすぐ終わる映画は1日に1回位しか放映がないようで昨日は夕方から雷雨の予報もあり朝一番で出かけました。
内容は東京から岩手の古民家に引越してきた一家が、不思議な座敷わらしと出会うことで、それぞれが自身を見つめなおし、家族のきずなを再生していく姿を描く。
家でも会社でも居場所がない父親を中心に、それぞれが悩みや不満を抱えている高橋家の5人は、父親の転勤で岩手県の築100年以上の古民家に引越す。ようやく田舎暮らしにも慣れてきたある日、着物を着た不思議な子どもに出会い……。
座敷わらしは東北特に岩手県で昔から伝えられている幸せを呼び、去っていくと破たんをするという昔からの話で、今回も家族が異様な座敷わらしに気が付き始め、仲良くなっていくといつの間にか皆の悩みも解決していくと言うハッピーエンドの話です。
父親は仕事も順調になる、妻も廻りと仲良くなり、長女は以前の学校のいじめから新しい学校では仲間が出来自分を必要とされていく。長男も喘息が治り好きなサッカーができる。しかし母親は突然ひどく痴呆が出てくる。しかし、嫁舅の中では痴呆になるのが幸せなのだろうか。
そして間引きの象徴、座敷わらしとしてシャボン玉が良く出てきます。途中鏡に映る小さな着物を着た子の顔が映るとビクッとしました。この位で驚いているのですからホラーは見られません。
配役も水谷豊、安田成美、草笛光子、宇津井健、梅沢登美男、石橋蓮司、ベンガル、段田安則、スザンヌ、長島一茂、飯島直子、高島礼子など豪華配役ですが家族以外はホンの1シーン。
私も以前座敷わらしで有名な金田一温泉に泊まった事があります。座敷わらしが出る宿ではなかったですが、残念ながらこの宿は火事になってしまいました。
以前の座敷わらし宿の火事ブログ
裏の解説ではC62はシロクニと呼ばれ日本最大、最後の1級幹線用蒸気機関車であり、1号機は昭和23年1月13日、2号機は同年5月29日に完成、かっては東海道本線を特急「つばめ」山陽本線で「かもめ」を栄光の道を走っていました。
電化の波により九州、みちのくへと配属、7両のC62が最終地北海道へ昭和31年9月から10月にかけて配属、ニセコの1000分の二十の急こう配を雄々しく活躍。昭和47年8月小樽・岩見沢間の臨時列車が最後となりました。
9600形蒸気機関車、名寄駅から100K急行券500円、昭和54年12月旭川鉄道管理局。
キュウーロクの愛称で親しまれ、大正2年から13年にかけて784両制作。国内ばかりでなく樺太、中国、台湾へも渡り線路の勇者として活躍。保存は名寄市名寄公園。
昭和47年、釧路駅入場券30円、釧路鉄道管理局発行。
何度も掲載している釧網本線北浜駅付近の鉄橋を行くSL。橋梁の先がオホーツク海、雪をかぶったしれとこ連山、右側には小清水原生花園と白鳥が飛来する濤沸湖がある。
1月から4月の流氷期間、白鳥は10月下旬から11月、3月上旬から4月下旬に多くの人が訪れる。
これらも全て国鉄時代のきっぷです。新しい全国の鉄道の情報は下記鉄道コムをクリックすると見られます。
お金が無いのに少しだけお札を集めています。期間は大分長いのですがお金ですので積極的に集められません。日本橋に行って時間があると年に数回貨幣博物館を見ることがある程度です。
日本銀行券には16人の肖像が描かれています。明治の初期の政府紙幣では神功皇后が描かれています。しかし、日本銀行券での女性の肖像は樋口一葉が最初になります。
(注)政府紙幣とは、1868年(明治元年)から1872年(同5年)にかけて政府が発行した紙幣で、太政官札、大蔵省兌換証券、開拓使兌換証券、明治通宝などがあり、1878年(同11年)に明治通宝に統一された。なお、1872年(同5年)には「国立銀行条例」が制定され、1873年(同6年)以降は「国立銀行券」も発行された。
日本銀行によるとお札に肖像を入れる理由は、偽造防止(私たちは人の顔を見分ける事に慣れている為だそうです。)第二が政治家、文化人、有名人を描きその人物の業績などを再認識して親しみを持って貰う為だそうです。
肖像人物の選定基準は明確な物は無いようです。極力実在人物で知名度もあり親しみやすく国民から尊敬され日本を代表する人物、偽装防止の観点から簡単に複製できずかつ人の目を引く特徴のある顔などだそうです。
明治5年発行は偽造防止の為ドイツで製造、明治6年にはアメリカで製造、明治10年に国産初の国立銀行紙幣(新券)が発行。また明治14年に新紙幣に変わる肖像入り改造紙幣が発行される。(神功皇后)
明治21年改造兌換銀券発行。明治32年金本位制により日本銀行兌換券、昭和17年兌換文字が消える。現在お札は20年位の間隔で新しいデザインに変更され、偽造防止の新しい技術も導入されます。
お札の肖像
日本武尊(生没年不詳)
景行天皇の皇子。古事記などで大和朝廷による地方平定の勇者として伝えられる。建部神社(滋賀県)に祀られている。残念ながら所蔵していません。
甲千円券 (昭和20年発行)
武内宿禰(すくね)(生没年不詳)
日本書紀などで大和朝廷初期の五天皇に仕え活躍したと伝えられる。宇部神社(鳥取県)に祀られている。
改造一円券(明治22年)甲五円券(明治32年)丙五円券(大正5年)、い一円券(昭和18年)、丙二百円券(昭和20年)
聖徳太子(574-622)
用明天皇の皇子。深く仏教を信じ、法隆寺などを建立。推古天皇の時摂政として政治を行い、憲法17条などを制定した。
乙百円券(昭和5年)い百円券(昭和19年)、ろ百円券(昭和20年)、A百円券(昭和21年)、B千円券(昭和25年)、C五千円券(昭和32年)、C一万円券(昭和33年)
藤原鎌足(614-669)
藤原氏の始祖。645年中大兄皇子と共に曾我氏を滅ぼし大化の改新、律令制度の整備を推進した。談山神社(奈良県)に祀られている。
改造百円券(明治24年)、甲百円券(明治33年)、乙二十円券(昭和6年)、丁二百円券(昭和20年)
和気清麻呂(733-799)残念ながら所蔵していません。
八世紀後半、長岡京、平安京の造営に努力した。護王神社(京都府)に祀られている。
改造十円券(明治23年)、甲十円券(明治32年)、乙十円券(大正4年)、い十円券(昭和18年)、ろ十円券(昭和20年)
菅原道真(845-903)残念ながら所蔵していません。
平安前期の学者、政治家。後醍醐天皇の時の右大臣。太宰府の長官に左遷され、その地で没。北野天満宮(京都府)などに祀られ学問の神様として信仰される。
改造五円券(明治21年)、乙五円券(明治43年)、甲二十円券(大正6年)丁五円券(昭和5年)い五円券(昭和17年)、ろ五円券(昭和18年)
二宮尊徳(1787-1856)
江戸後期の農村復興の指導者。通称金次郎。数多くの村の復興を成し遂げた。二宮神社(栃木県)などに祀られている。
A一円券(昭和21年)
岩倉具視(1825-1883)
政治家、討幕運動の中心として明治維新に貢献、明治政府成立後、全権大使として欧米視察(岩倉使節団)
B五百円券(昭和26年)、C五百円券(昭和44年)
板垣退助(1837-1919)
政治家。明治期の自由民権運動の代表者、明治14年自由党を結成。
B百円券(昭和28年)
伊藤博文(1841-1909)
明治期の政治家。総理大臣を4回務める。大日本帝国憲法の発布に貢献し明治の立憲制のもとで政党政治の道を開いた。
C千円券(昭和38年)
高橋是清(1854-1936)
明治から昭和初期の政治家、財政家。日本銀行総裁、大蔵大臣6回、総理大臣を歴任。
B五十円券(昭和26年)
福沢諭吉(1835-1901)
明治期の啓蒙思想家、教育者。慶応義塾を創設。人間の自由・平等や学問の大切さを説く「学問のすすめ」は当時のベストセラー。
D一万円券(昭和59年)、E一万円券(平成16年)
新渡戸稲造(1862-1933)
明治から昭和前期の教育者、思想家。国際連盟事務次長。太平洋の架け橋になるという希望を実践し生涯を国際平和の為に献げた。
D五千円券(昭和59年)
夏目漱石(1867-1916)
明治から大正期の小説家。「吾輩は猫である」「坊ちゃん」などを発表。わが国の近代文学に大きな影響を与えた。
D千円券(昭和59年)
樋口一葉(1872-1896)
明治の小説家、歌人。「たけくらべ」「大つごもり」「にごりえ」歌作数4000首を超える。24歳という若さで亡くなるまでに当時の女性の姿や気持ちを克明に表現した作品を多く残した。
E五千円券(平成16年)
野口英世(1876-1928)
明治末から昭和初期の細菌学者。苦学の末細菌学の道に入る。黄熱病、梅毒スピロヘータの研究。黄熱病研究の為に赴いたアフリカにおいて黄熱病にて死去。
E千円券(平成16年)
肖像は紙幣の表面になります。大体が右側に描かれていますが、聖徳太子の五千円は、同じ時期に一万円があり真ん中に描かれています。お札は肖像画に合わせ揃えて基本的に左手に持ち右手で数えますので意識はしませんが肖像を見ています。1度和気清麻呂の肖像が左にあり評判が非常に悪かったそうです。また二千円札の裏側には紫式部が描かれています。
現在の流通紙幣は国立印刷局製造、それ以前は大蔵省印刷局製造ですが私が持っている二千円札は大蔵省印刷局製造です。そういえば最近はお釣りでも見なくなった。当然新しいものは国立印刷局なんだろうか。お金がないのに長々と書いたものだ。諭吉の束が欲しいものだ。貨幣博物館では1億円を持つことが出来ます。重い重い。
貨幣博物館 日本銀行券の肖像、明治以降の紙幣などを参考としました。
日本銀行券には16人の肖像が描かれています。明治の初期の政府紙幣では神功皇后が描かれています。しかし、日本銀行券での女性の肖像は樋口一葉が最初になります。
(注)政府紙幣とは、1868年(明治元年)から1872年(同5年)にかけて政府が発行した紙幣で、太政官札、大蔵省兌換証券、開拓使兌換証券、明治通宝などがあり、1878年(同11年)に明治通宝に統一された。なお、1872年(同5年)には「国立銀行条例」が制定され、1873年(同6年)以降は「国立銀行券」も発行された。
日本銀行によるとお札に肖像を入れる理由は、偽造防止(私たちは人の顔を見分ける事に慣れている為だそうです。)第二が政治家、文化人、有名人を描きその人物の業績などを再認識して親しみを持って貰う為だそうです。
肖像人物の選定基準は明確な物は無いようです。極力実在人物で知名度もあり親しみやすく国民から尊敬され日本を代表する人物、偽装防止の観点から簡単に複製できずかつ人の目を引く特徴のある顔などだそうです。
明治5年発行は偽造防止の為ドイツで製造、明治6年にはアメリカで製造、明治10年に国産初の国立銀行紙幣(新券)が発行。また明治14年に新紙幣に変わる肖像入り改造紙幣が発行される。(神功皇后)
明治21年改造兌換銀券発行。明治32年金本位制により日本銀行兌換券、昭和17年兌換文字が消える。現在お札は20年位の間隔で新しいデザインに変更され、偽造防止の新しい技術も導入されます。
お札の肖像
日本武尊(生没年不詳)
景行天皇の皇子。古事記などで大和朝廷による地方平定の勇者として伝えられる。建部神社(滋賀県)に祀られている。残念ながら所蔵していません。
甲千円券 (昭和20年発行)
日本書紀などで大和朝廷初期の五天皇に仕え活躍したと伝えられる。宇部神社(鳥取県)に祀られている。
改造一円券(明治22年)甲五円券(明治32年)丙五円券(大正5年)、い一円券(昭和18年)、丙二百円券(昭和20年)
用明天皇の皇子。深く仏教を信じ、法隆寺などを建立。推古天皇の時摂政として政治を行い、憲法17条などを制定した。
乙百円券(昭和5年)い百円券(昭和19年)、ろ百円券(昭和20年)、A百円券(昭和21年)、B千円券(昭和25年)、C五千円券(昭和32年)、C一万円券(昭和33年)
藤原氏の始祖。645年中大兄皇子と共に曾我氏を滅ぼし大化の改新、律令制度の整備を推進した。談山神社(奈良県)に祀られている。
改造百円券(明治24年)、甲百円券(明治33年)、乙二十円券(昭和6年)、丁二百円券(昭和20年)
和気清麻呂(733-799)残念ながら所蔵していません。
八世紀後半、長岡京、平安京の造営に努力した。護王神社(京都府)に祀られている。
改造十円券(明治23年)、甲十円券(明治32年)、乙十円券(大正4年)、い十円券(昭和18年)、ろ十円券(昭和20年)
菅原道真(845-903)残念ながら所蔵していません。
平安前期の学者、政治家。後醍醐天皇の時の右大臣。太宰府の長官に左遷され、その地で没。北野天満宮(京都府)などに祀られ学問の神様として信仰される。
改造五円券(明治21年)、乙五円券(明治43年)、甲二十円券(大正6年)丁五円券(昭和5年)い五円券(昭和17年)、ろ五円券(昭和18年)
江戸後期の農村復興の指導者。通称金次郎。数多くの村の復興を成し遂げた。二宮神社(栃木県)などに祀られている。
A一円券(昭和21年)
政治家、討幕運動の中心として明治維新に貢献、明治政府成立後、全権大使として欧米視察(岩倉使節団)
B五百円券(昭和26年)、C五百円券(昭和44年)
政治家。明治期の自由民権運動の代表者、明治14年自由党を結成。
B百円券(昭和28年)
明治期の政治家。総理大臣を4回務める。大日本帝国憲法の発布に貢献し明治の立憲制のもとで政党政治の道を開いた。
C千円券(昭和38年)
明治から昭和初期の政治家、財政家。日本銀行総裁、大蔵大臣6回、総理大臣を歴任。
B五十円券(昭和26年)
明治期の啓蒙思想家、教育者。慶応義塾を創設。人間の自由・平等や学問の大切さを説く「学問のすすめ」は当時のベストセラー。
D一万円券(昭和59年)、E一万円券(平成16年)
明治から昭和前期の教育者、思想家。国際連盟事務次長。太平洋の架け橋になるという希望を実践し生涯を国際平和の為に献げた。
D五千円券(昭和59年)
明治から大正期の小説家。「吾輩は猫である」「坊ちゃん」などを発表。わが国の近代文学に大きな影響を与えた。
D千円券(昭和59年)
明治の小説家、歌人。「たけくらべ」「大つごもり」「にごりえ」歌作数4000首を超える。24歳という若さで亡くなるまでに当時の女性の姿や気持ちを克明に表現した作品を多く残した。
E五千円券(平成16年)
明治末から昭和初期の細菌学者。苦学の末細菌学の道に入る。黄熱病、梅毒スピロヘータの研究。黄熱病研究の為に赴いたアフリカにおいて黄熱病にて死去。
E千円券(平成16年)
肖像は紙幣の表面になります。大体が右側に描かれていますが、聖徳太子の五千円は、同じ時期に一万円があり真ん中に描かれています。お札は肖像画に合わせ揃えて基本的に左手に持ち右手で数えますので意識はしませんが肖像を見ています。1度和気清麻呂の肖像が左にあり評判が非常に悪かったそうです。また二千円札の裏側には紫式部が描かれています。
現在の流通紙幣は国立印刷局製造、それ以前は大蔵省印刷局製造ですが私が持っている二千円札は大蔵省印刷局製造です。そういえば最近はお釣りでも見なくなった。当然新しいものは国立印刷局なんだろうか。お金がないのに長々と書いたものだ。諭吉の束が欲しいものだ。貨幣博物館では1億円を持つことが出来ます。重い重い。
貨幣博物館 日本銀行券の肖像、明治以降の紙幣などを参考としました。
今回は前回の間違いを旨くこなせ、時間的にも余裕があり、世田谷駅からのボロ市通りの代官屋敷、隣の世田谷区立郷土資料館をゆっくり見学、これは友人も興味があったようで喜んでいました。個人的には終点の下高井戸駅前市場が区画整理なんでしょうか大分お店が少なくなってきました。昔のイメージが段々なくなっていきます。立ち食いメンチは残念ながら食べられず。
彼とは高校三年間以来の付き合いです。若い頃は羽田から札幌ラーメンを食べに出かけ日帰りをしたり、石川さゆりの津軽海峡冬景色が流行っている頃、連絡船に乗って潮風を浴びながら津軽海峡を歌いに行ったり北陸では宿屋から外のお店で飲んで支払いが足りなくなり私が人質になり彼が宿へお金を取り行くと言う付け馬をされたりと馬鹿な旅行を一杯した仲です。
約4時間話しながら散策、途中銭湯に入ったり、三軒茶屋では相撲仲間のちょんまげさんを呼んで一杯と楽しい一時を。この歳になると話は病気の話ですが私はお陰様で薬も何も飲んでなく今のところ健康で話の中には入れられず。でも近いうち薬のお世話になるんでしょう。久しぶりの会う人には太ったなぁと言われてしまいます。体重は落ちているが。今日は18000歩。
世田谷線は以前のブログhttp://papalin.blog.shinobi.jp/Entry/1538/
鉄道ドットコム東急
http://www.tetsudo.com/
土日にお時間があり、お城に興味がある方、またこのサイトは昔の短編映画で鉄道から医学、生活、旅行、自然観察などいたるものが載っています。
お城は30分です。日本の歴史的遺産の城、そのルーツ、役割、現存している城の特徴などを描いた作品。
http://www.kagakueizo.org/2011/05/post-346.html
お城は30分です。日本の歴史的遺産の城、そのルーツ、役割、現存している城の特徴などを描いた作品。
http://www.kagakueizo.org/2011/05/post-346.html
千代田区立九段生涯学習館(地下鉄九段下駅)で広重の名所江戸百景展が来月3日まで開催されています。情報は25日の読売朝刊の都内版小さく出ていました。
名所江戸百景は江戸百と呼ばれ広重の晩年の作品で安政3年から安政5年10月の製作販売、広重は前月の9月にコレラで亡くなっています。江戸百と云いながら実際は118枚描かれています。没後2代広重が1景、目録、三代豊国による広重の薙髪の死絵をいれて121枚となります。
此処へ来るまで区立の施設だから千代田区関連の場所の浮世絵程度だろうと思っていました。帰りに春日で降りて時間があれば「礫川浮世絵美術館」(こいしかわ)でも行こうと思っていました。
江戸百は今まで川崎砂子資料館、平木浮世絵美術館、川崎市民ミュージアムなどで見ています。これで4,5回目ですが是だけあると忘れているのが多く、会場もあまり広くなく2段飾りの為上を見てかがんで下を見ての繰り返しで結構疲れました。
会場には此処の係員でなく所蔵している望月義也氏がいました。私が他の人に比べ熱心に見ているのか寄って来て話しかけられました。
この人何処かで会っている?あれぇ大田区議の水井元議長に似ているが、何処かでお会いしていますかと聞いたが、「?」テレビで見たんではと、テレビ東京のお宝鑑定団に木曽街道69次の浮世絵で出演した人でした。
テレビでは銀座で酒を飲んでばかりだから浮世絵でも買おうとか言っていたが実は、この江戸百、東海道五十三次、木曽街道69次のセット物を持っていたんです。
本当の話は還暦を機に営業していた飲食店などを廃業、兼ねてから興味を持っていた江戸時代の人情ある生活ぶりを現代の子供達に伝えたいと浮世絵のコレクターになったそうです。
コレクターは恐るべし、お金持ちでもあるんでしょうが凄い。パリで落札した写楽1枚千五百万円と東海道五十三次を交換したそうです。テレビでは木曽街道六十九次の中で中津川が2枚あり、雨の中津川は大変珍しく世界でも数枚との事で1枚が鑑定では千五百万円の値が付いた。

今回は江戸百の作品の話でなく望月氏の話になってしまいました。今回が初めてでなくこの所春に区から頼まれ展示しているそうです。来年の話で鬼が笑うが楽しみが増えた。
望月氏は現在近隣小学校で「江戸末期の風俗と生活」などを授業をしていたり、コレクトした江戸百、木曾街道69次などを本にして刊行もしています。
左上が通常の中津川、右上が世界に数枚と言う雨の中津川。それにしても安い浮世絵は昔はそば一杯だったのに今じゃ1500万円、そば何杯食べられるんだ。
千代田区立生涯学習館 地下鉄九段下6番下車横、入場無料 03-3234-2841
名所江戸百景は江戸百と呼ばれ広重の晩年の作品で安政3年から安政5年10月の製作販売、広重は前月の9月にコレラで亡くなっています。江戸百と云いながら実際は118枚描かれています。没後2代広重が1景、目録、三代豊国による広重の薙髪の死絵をいれて121枚となります。
此処へ来るまで区立の施設だから千代田区関連の場所の浮世絵程度だろうと思っていました。帰りに春日で降りて時間があれば「礫川浮世絵美術館」(こいしかわ)でも行こうと思っていました。
江戸百は今まで川崎砂子資料館、平木浮世絵美術館、川崎市民ミュージアムなどで見ています。これで4,5回目ですが是だけあると忘れているのが多く、会場もあまり広くなく2段飾りの為上を見てかがんで下を見ての繰り返しで結構疲れました。
この人何処かで会っている?あれぇ大田区議の水井元議長に似ているが、何処かでお会いしていますかと聞いたが、「?」テレビで見たんではと、テレビ東京のお宝鑑定団に木曽街道69次の浮世絵で出演した人でした。
テレビでは銀座で酒を飲んでばかりだから浮世絵でも買おうとか言っていたが実は、この江戸百、東海道五十三次、木曽街道69次のセット物を持っていたんです。
本当の話は還暦を機に営業していた飲食店などを廃業、兼ねてから興味を持っていた江戸時代の人情ある生活ぶりを現代の子供達に伝えたいと浮世絵のコレクターになったそうです。
コレクターは恐るべし、お金持ちでもあるんでしょうが凄い。パリで落札した写楽1枚千五百万円と東海道五十三次を交換したそうです。テレビでは木曽街道六十九次の中で中津川が2枚あり、雨の中津川は大変珍しく世界でも数枚との事で1枚が鑑定では千五百万円の値が付いた。
望月氏は現在近隣小学校で「江戸末期の風俗と生活」などを授業をしていたり、コレクトした江戸百、木曾街道69次などを本にして刊行もしています。
左上が通常の中津川、右上が世界に数枚と言う雨の中津川。それにしても安い浮世絵は昔はそば一杯だったのに今じゃ1500万円、そば何杯食べられるんだ。
千代田区立生涯学習館 地下鉄九段下6番下車横、入場無料 03-3234-2841
昭和49年9月10日 塘路駅から100K急行券 100円
写真は釧網本線細川駅周辺、川は釧路川、釧網本線に関しては前回書いていますので省略。秋には湿原一面に生えるキタヨシが黄色く色づく、点在するかん木とキタヨシのかなたに沈む夕日が素晴らしい。
昭和50年9月10日 帯広駅から100K 急行券 200円
写真は広尾線幸福駅付近、この駅は愛国、幸福できっぷ収集以外にもブームになりました。広尾線に関しては前回書きましたので省略。沿線周辺は酪農、畑作で豆、じゃがいも、ビート、乳製品の生産地。
昭和52年9月 稚内駅から100K 急行券400円
C5549と稚泊(ちはく)ドーム、C55は当初青森機関区に配属され昭和15年に北海道に配属。北海道と樺太を結ぶ北海道縦貫急行専用機関車として活躍。
稚内・大泊(現ロシアコルサコフ)航路は大正12年5月1日開設、当時は連絡船が沖合に停泊して乗客の乗下船にははしけが利用されていた。
昭和11年7月424メートルのドーム型防波堤が完成、連絡船が着岸ができ2年後には桟橋駅も完成。ドーム内に急行列車が直通できるようになりました。
第二次大戦後昭和20年8月24日宗谷丸の入港を最後に22年間の幕を閉じました。
北海道の国鉄時代の記念きっぷですが乗車券でなく急行券というのがこの時代の特徴でもあるようです。
樺太まで連絡船で輸送されていたのは言葉だけで実際は知りませんが日露戦争後ポーツマス条約で北緯50度以南を南樺太を日本に割譲され石炭、石油を産出していたようです。北海道縦貫急行専用機関車、もうこの言葉も使う人は余りいなくなっているようです。
ドームは礼文・利尻などへの乗り場となっています。確か稚内駅から近いところにあります。
最新鉄道情報はhttp://www.tetsudo.com/のJR北海道で
昭和49年6月 釧路駅から100K急行券 100円。
絵は斜里岳を走るC58形、釧網本線は昭和6年全線開通、釧路・網走169.1K。
沿線には釧路湿原、阿寒国立公園、斜里岳と広々とした農村・小清水原生花園・トーフツ湖・オホーツク海、秋冬は丹頂鶴、白鳥、流氷など観光資源に恵まれた路線。
C58は動力の近代化により昭和49年にディーゼル機関車DE10型にゆずり姿を見る事がなくなりました。(ICI過熱テンダ機関車)
昭和50年5月20日 帯広駅から100K急行券 200円
絵は大樹・忠類間日方川鉄橋を走る9600形、広尾線は帯広・広尾間84Kで十勝南部の開拓と十勝で唯一の港、広尾町の十勝港を結ぶ目的で建設、昭和7年11月に全線開通。昭和31年士幌線と期を同じくして気動車が導入され貨物を曳き続けた9600形SLは最後になった。
昭和50年5月20日 帯広駅から100K急行券 200円
絵は清水谷・糠平間音更川橋梁を走る9600形、士幌線は帯広・十勝三股間78.3Kで昭和14年11月全線開通。帯広・清水谷間は坦々とした農村地帯を走り、十勝三股間は大雪山の山間を縫うように走り秋の紅葉は絶景、糠平ダム、温泉と観光地としても知られています。昭和31年に気動車が導入され9600形SLは最後となりました。
急行券は全て国鉄時代のものです。
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