美術館・鉄道・お城・お相撲・お友達の話など趣味のブログです。
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有楽町駅前の東京交通会館内には和歌山、北海道、大阪、福岡、富山、秋田、滋賀、徳島・香川等が入居。道路向かい側には熊本、日比谷公園側には鹿児島、加賀・能登金沢、東銀座には岩手、群馬、新橋近くには鳥取、香川・愛媛の瀬戸内などと数えたらきりがない。
そして各デパートの地下には全国名品コーナーがあります。銀座周辺に来れば大体全国の名産品が手に入る。とても便利ですがあれもこれもとつい買い過ぎてしまうのがたまにキズです。
何の為に八重洲から銀座まで歩いたか解らなくなりました。結局は御菓子の買出しに。これじゃトレーニングする意味があるのかなぁ。
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こんな掟破りを銀座では三越を抜き一番売れている松屋がなぜやったのか解らない。こんな事をすればその内日本全国物産展になってしまう。どうも企画倒れのように見える。
全4回でしたが私は第二回から参加、1回目江戸期の工程、2回目役者絵の興奮、3回目美人画の憧憬、4回目が名所絵の流行と云うタイトルで講師は浮世絵研究家新藤茂氏。参加費入館料の100円。
元々浮世絵は、お城めぐりから版画としての城、戦い、武者絵。江戸の生活への興味で始まりました。元々旅が好きで始まった城めぐりでもあり是からは名所絵・風景画を中心にと思っています。
若い頃は恋文横丁、やきとり横丁などでコンパしましたが今やスペイン通り、公園通り、文化村、ヒカリエなど新しい名前。百軒店なんて言葉は聞かなくなりプラネタリュームもなくなり109,109メンズなど私には縁のない街になっています。
こんな事だか浮世絵を楽しんで浮世離れして行くんだろうか。
新藤茂氏とは
父の久米邦武は明治4年岩倉使節団の一員として欧米12ヶ国を歴訪、米欧回覧実記を編纂。日本古代史の歴史家として、また岩倉具視の能楽再興を支えた一人でもあるようです。
その長男桂一郎は明治19年横浜からパリへ自費留学、ラファエル・コランに黒田清輝と共に師事ブレア島を中心に制作、明治26年帰国し黒田清輝と共に白馬会を結成。
明治29年東京美術学校の開設時から教鞭をとる。当時は珍しく、まだ余り見た事がなかったフランスの印象派の手法で屋外制作の光を取り入れた作画。後に画家より教育者として活躍した人です。岡田三郎助などもコランに師事。
展示では何点か黒田清輝の絵、師匠のコラン、美術学校の教え子の作品も展示しています。美術館のパンフの表紙の林檎拾いより私は晩秋の方が好きです。今の私にはこの程度の展示点数がのんびりして良いです。
http://www.kume-museum.com/corner_kei.html
交通量の増大に伴い橋の架け替え工事が行われ現在の橋は平成9年に完成。車道は片側三車線に。
晴れた日には大森から川崎までの散歩も丁度いい運動にもなります。大田区側は川土が堆積して多くの野球場、テニスコートなどが整備されています。8月15日には大田区の平和のコンサートと花火大会が、またテレビの24時間マラソンではランナーがやっと此処から東京へ入った武道館まで頑張れとテレビで流れところです。
今回は残念ながら裏の庭園の桜も散った後です。また浮世絵コーナーのガイドツアーは、たばこと塩の博物館の浮世絵講座とぶつかり行けません。
時刻表をみれば品川始発の東海道線は川崎で4時45分に乗り熱海6時15分。20分に島田行きがあるが熱海30分後の6時49分発の浜松行きに乗っても同じ電車になるし始発ですのでゆっくり座れる。この30分でお宮の松や、足湯で時間調整が出来ます。
急ぐ旅ではないと言いながら東海道普通で熱海発に乗り、小田原で同じホームで待っている始発の新宿湘南ライン高崎行き快速に乗る。横浜まではあっという間に着いてしまう。トコトコ電車に乗っているので快速でなく新幹線のように感じてしまう。
今回の旅の前日に東海道線の茅ヶ崎駅近くで車が立ち往生で電車との衝突、長引いたら早朝の電車に乗れなかった。今回も線路で石を感知し電車が遅れた。今月最初の旅行でも1時間半遅れたり分単位での乗り換え行程が全部狂ってしまう。
武豊線は多分もう乗る事がない路線、小山城ももう行かないだろうと旅には一期一会がある。一人旅は車窓を楽しみながら停車駅ではこの駅の特徴は何だったかとか一人思い、ニャッとしたり見られていれば変な人に思われるかも。
構造 模擬3層5階建
城主 馬場信春
遺構 土塁、曲輪、堀、馬出し
この建物は、町のシンボルとして昭和62年に天守型の展望台として作られた。元々は天守閣はなかった。御殿のみで周りを三重の堀で囲った程度だったようです。
元亀3年(1575)5月武田信玄見方が原の戦いで家康軍を破る。翌年(天正元年)4月信玄死去。天正3年武田勝頼、徳川織田軍に長篠の戦いで敗れる。段々武田軍の勢力が弱まり、天正10年勝頼天目山にて亡くなり城に火を放ち甲州へ逃げる。
バスは一時間に3本ですが待っていましたが1本飛ばされていました。料金790円。
結局早朝よりトコトコ電車で武豊線に乗り、静岡で1泊して吉田城を攻め入る両方をやる事にして出かけました。
武豊線は、東海道線の名古屋の手前の大府駅から知多半島を南下する鉄道路線です。ローカルなんですが中々栄光のある本来は立派な路線ですが、今や並行する名鉄にコテンパンに負けている路線でもあります。
歴史特徴は、明治19年東海道線建設資材を武豊港から陸揚げする為に敷設された路線で愛知県では初めての鉄道路線です。現在は愛知県唯一の非電化路線。駅数は大府駅を入れて10駅。
郵便局で資料館を聞くが余り良く解っていなく、街の地図で探し探し訪ねる。無料の施設でした一階は昔の生活道具や産業の味噌醸造の説明、2階に武豊線のコーナーがありましたがこの愛知県最初の鉄道に関してはちょっとさびしい展示。
愛知のこの辺も陶器、セラミックなどの窯業、そして味噌・溜醸造、そして全国的にミツカン酢なのでしょう。工場なども点在し武豊線には列車だけでなく衣浦臨海鉄道という貨物も走っています。
此処から豊橋、浜松経由で静岡でお泊りになります。夜は一人で静岡おでんと海の幸で一杯です。
長々と書いてしまいました。写真も多く時間が掛かりました。
また東海道張交図会(はりまぜずかい)は1枚に4,5所の宿場が入り、各名所、名産、史跡、行事などが描かれた12枚の揃い物です。今回は展示が有りませんが同じ東海道もので広重、国芳、豊国の歌川3巨頭が描いた東海道五十三對などもあります。
此処は普段から少し照明を落とし過ぎ位にしていますので昼間の明るい中から入ると暫くは目が慣れるまで見にくい。今回の作品は見せて貰って失礼ですが画質が悪く、この程度の照明にせざるをえなかったんでしょうか。
東海道にはお城が沢山あります。今回も浜松、吉田、岡崎、宮、亀山などにお城が描かれています。また城を攻め入りたくなります。
狂歌は小さい字ですから読めません。戴く出展リストには狂歌、作者が丁寧に記入されています。東海道張交図会の解説もあるんですが、リストでなく会場の作品の下に張られていて見るには腰が痛い。作品の上にあれば良かった。
無料でカラーのリストまで戴き文句は言えません。此処の作品が6月に東京駅前の三菱1号館へ貸し出され展示されるそうです。たぶん1500円か2000円近く入場料を取るんでしょう。
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