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美術館・鉄道・お城・お相撲・お友達の話など趣味のブログです。
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becd2934.jpeg3093a987.jpeg9a60b489.jpeg川崎砂子の里資料館へ毎月浮世絵を見学に行っています。美術館は旧東海道の川崎宿に面しています。東海道は道幅が6間(10.8m)今は昔の面影を残す所は少なくなっています。
 
2fad3944.jpeg929e33e5.jpeg7f696144.jpeg私は週に数回、大田区の美原通りにあるスポーツセンターでトレーニングの真似ごとをしていますが、その前の道は旧東海道で幾らか面影も有り、江戸時代からのお店も有ります。
 
67758e22.jpega199c62f.jpegそして今、商店街活性化策で各お店が江戸の風情を出す看板、浮世絵のシャッターなど雰囲気づくりに取り組んでいます。美原通りの途中内川から左に曲がると歌舞伎で出てくる幡随院長兵衛が泊っていた宿、駿河屋がありました。(現在は釜屋という左側のお店に)その先は羽田道になっています。
 
3a1c86e0.jpegまた美原通りに戻りその先は京浜第一国道と産業道路になり三角地には大森警察署があります。元々は大森区役所だった所で、裏には西南戦争、日清戦争の戦没者の慰霊の碑があります。(大久保利通の書)
 
32fd0207.jpegfa2c622f.jpegたまにトレーニング後川崎の美術館へ歩いて行く事も有りますが美原通りから第一京浜国道になりもう今では面影はなくなります。やっと六郷橋の手前に旧東海道の名残の道が残っています。しかし道幅だけで見るべきものは何もない。
 
0d93f4d4.jpeg今や交通量の多い六郷橋ですが、徳川家康が江戸へ入ってから橋を掛けましたが何度も流されました。その後は六郷の渡しとして広重の絵にも描かれています。明治以降も掛ければ流されるを繰り返しています。大正2年の橋も流されましたが旧東海道沿いの六郷神社にその親柱は保存されています。(長さ52間(95m)幅3間(5.4m))
 
0f32bf59.jpege62c99ff.jpegefe98849.jpeg大正14年に長さ446.3m、幅16.4mの片側一車線、両側に歩道のある橋が完成。当時の橋のアーチなどが北野神社脇に保存されています。
 
交通量の増大に伴い橋の架け替え工事が行われ現在の橋は平成9年に完成。車道は片側三車線に。
 
280d4579.jpeg063a886b.jpeg川崎側には六郷の渡しの船のモニュメントや明治元年9月に京都から天皇が東京行幸の為10月に川崎に到着し、多摩川を渡る為、川に23艘の船を並べ渡られたモニュメントが橋の脇に飾られています。
 
晴れた日には大森から川崎までの散歩も丁度いい運動にもなります。大田区側は川土が堆積して多くの野球場、テニスコートなどが整備されています。8月15日には大田区の平和のコンサートと花火大会が、またテレビの24時間マラソンではランナーがやっと此処から東京へ入った武道館まで頑張れとテレビで流れところです。

ff42eb8a.jpeg今回は夕方近くになり帰りは近くの京急川崎駅から赤い電車の京浜急行に乗って帰りました。


 
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