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江戸時代は富士山登山を目的に民間で多くの講が出来ました。講では講元を中心にお金を積み立て集団で富士山に登ります。しかし、全員が行けるものでもなく誰でもが気軽に富士山を登れるように富士講ごとに富士塚が作られました。
この目黒区には2つの塚があったようです。今回はその内の文政2年(1819)に中目黒別所坂上の近藤重蔵の別邸に作られた「新富士塚」にスポットを当てています。この講は山正広講で平成三年に富士塚遺跡から胎内洞穴が発見されました。
この富士塚の近藤別邸ですが、近藤重蔵は長崎奉行手付出役、関東郡代附出役から寛政10年(1798)蝦夷地取締御用に命ぜられ10年の間に5回も蝦夷地を探検し択捉島では「大日本恵登呂府」の標柱を立てたり、魚場を開いたり遭難の多い海岸道から山道を開削したり札幌を首都にすべきと提言をしたり蝦夷地開拓に尽力をしたようです。また学者としても多くの本を著作しています。
しかし、息子の代でこの土地の借地部分での諍いで息子富蔵が地主を殺傷し重蔵は監督不行き届きで幽閉、59歳で病死。息子は八丈島へ遠投、その間「八丈実記」69巻を著し、彫刻や地図の作成などを著しています。明治13年に赦免になり父の墓参り後は八丈島へ戻り84歳で没してします。
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