美術館・鉄道・お城・お相撲・お友達の話など趣味のブログです。
×
[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
今日は、ガレの後藤さんと1年振りに佐野の田村耕一陶芸館に行った。
昨年4月25日の日記にも書いたが田村耕一さんは後藤さんの兄で人間国宝に認定されていた人です。今回は、陶芸館の展示入れ替えのお知らせがあり行きました。
今回は、陶匣と陶板展(9月6日まで)34点の作品が展示されています。この先生の特徴である鉄柚、鉄絵が中心になっています。素人が思うに作陶より絵付けではないかと思います。(間違っているかも)
今回も後藤さんの兄弟の長男の子供の子供のかわいい女性が佐野駅に迎えに来てくれてまず美味しい佐野ラーメンを食べてから陶芸館に行きました。彼女は、短大のピアノの先生だそうで上品なお嬢さんです。今回は、彼女のお父さんも一緒で彼は、学生時代から田村先生の陶芸の手伝いをしていたそうです。そして、学生の頃、やはり陶芸をしていたそうで出てくる名前が書籍や展覧会などでしか聞いたことが無い濱田庄司、河井寛次郎、柳宗悦など。げぇ、この人は何者だ。
田村家は、雛人形を製作、販売していたそうです。後藤さんはそこの8人兄弟の末っ子のようです。途中、後藤さんの生家、現在は、きれいなお嬢さんたちが継いでいるようですが、築80年から経っている素晴らしい屋敷で人間国宝が作った陶芸がゴロゴロしているお屋敷でお茶をごちそうになりました。敷地にお家が何軒かありお嬢さんのおうちは外見は近代的ですが中は、柱、梁を残し大きなピアノが2台もありました。ピアノの先生は2台も使うんだと感心したらここでピアノ教室も開催との事、納得。佐野は、人形の町とは全く知らなかった。車で通ると確かに沢山の人形のお店、工場があった。私は勝手に人形は岩槻、浅草橋というイメージだった。
また、帰りは葡萄農家が沢山あり石和と同じ風景また蔵の町があり佐原のような川を中心とした街づくりも見学。
今日は、とんでもない叔父さんを知り、佐野は、機織とラーメン,厄除け大師だけでないことを知った。
しかし、あのお家の幅のある縁側と家のつくりは良いなぁ。
お土産の甘い葡萄を食べながらつくづく思う。
昨年4月25日の日記にも書いたが田村耕一さんは後藤さんの兄で人間国宝に認定されていた人です。今回は、陶芸館の展示入れ替えのお知らせがあり行きました。
今回は、陶匣と陶板展(9月6日まで)34点の作品が展示されています。この先生の特徴である鉄柚、鉄絵が中心になっています。素人が思うに作陶より絵付けではないかと思います。(間違っているかも)
今回も後藤さんの兄弟の長男の子供の子供のかわいい女性が佐野駅に迎えに来てくれてまず美味しい佐野ラーメンを食べてから陶芸館に行きました。彼女は、短大のピアノの先生だそうで上品なお嬢さんです。今回は、彼女のお父さんも一緒で彼は、学生時代から田村先生の陶芸の手伝いをしていたそうです。そして、学生の頃、やはり陶芸をしていたそうで出てくる名前が書籍や展覧会などでしか聞いたことが無い濱田庄司、河井寛次郎、柳宗悦など。げぇ、この人は何者だ。
田村家は、雛人形を製作、販売していたそうです。後藤さんはそこの8人兄弟の末っ子のようです。途中、後藤さんの生家、現在は、きれいなお嬢さんたちが継いでいるようですが、築80年から経っている素晴らしい屋敷で人間国宝が作った陶芸がゴロゴロしているお屋敷でお茶をごちそうになりました。敷地にお家が何軒かありお嬢さんのおうちは外見は近代的ですが中は、柱、梁を残し大きなピアノが2台もありました。ピアノの先生は2台も使うんだと感心したらここでピアノ教室も開催との事、納得。佐野は、人形の町とは全く知らなかった。車で通ると確かに沢山の人形のお店、工場があった。私は勝手に人形は岩槻、浅草橋というイメージだった。
また、帰りは葡萄農家が沢山あり石和と同じ風景また蔵の町があり佐原のような川を中心とした街づくりも見学。
今日は、とんでもない叔父さんを知り、佐野は、機織とラーメン,厄除け大師だけでないことを知った。
しかし、あのお家の幅のある縁側と家のつくりは良いなぁ。
お土産の甘い葡萄を食べながらつくづく思う。
PR
この記事にコメントする
佐野
上野から佐野まで1時間ちょっとでしたか。もう20年以上前に一度行ったのですが、何せ結婚式用の礼装で初めてのところですから心理的に遠く感じました。佐野には当時ホテルはサンルートしかなく、そこでの結婚式に出席しました。ワシントンホテルもそうですが、地方に行くと単なるビジネスホテルではなく、いわばコミュニティホテルなんですね。当時の部下は現在は佐野の実家に住んでいますが、旧家なのでやはり立派な御屋敷でした。。
彼は最初は長男なので地元の信用金庫に入社して、コンサルになりたくて私の部署にきたのですが、当初は佐野から通っていて大変そうでした。結婚してから久喜に住まいを借りていたようです。彼からも佐野が人形の街というのは聞かなかったですね。厄除け大師の正月の初もうでの間は、銀行マン一年目の頃は毎日お賽銭を数えて入金するのが大変だったという話は聞きましたが。
かつての部下の妻が二人若くして亡くなりましたが、佐野の彼もその一人で子供が三人いて暫く会社を辞めて主夫をやっていて、デイトレーダーで生活していたようです。現在は上の子が大きくなったので、トヨタ系のリース会社の総務部長と経理部長を兼務しています。佐野の話を聞くと彼を思い出しますね。
彼は最初は長男なので地元の信用金庫に入社して、コンサルになりたくて私の部署にきたのですが、当初は佐野から通っていて大変そうでした。結婚してから久喜に住まいを借りていたようです。彼からも佐野が人形の街というのは聞かなかったですね。厄除け大師の正月の初もうでの間は、銀行マン一年目の頃は毎日お賽銭を数えて入金するのが大変だったという話は聞きましたが。
かつての部下の妻が二人若くして亡くなりましたが、佐野の彼もその一人で子供が三人いて暫く会社を辞めて主夫をやっていて、デイトレーダーで生活していたようです。現在は上の子が大きくなったので、トヨタ系のリース会社の総務部長と経理部長を兼務しています。佐野の話を聞くと彼を思い出しますね。
Re:佐野
>asktaka様
東武鉄道浅草から特急で館林まで1時間です。また、浅草から鬼怒川方面の特急で栃木まで1時間です。館林から佐野線で15分位で佐野ですから1時間半見てください。栃木からは車になります。今も、泊まったことは無いですがサンルートはあります。ビジネスは沢山有るようです。
今は、名前が出ませんがチェンで地方に特化したビジネスホテルがあります。蒲田の東横インもそうですが。
旧家は凄いですね。昔から先輩の家やお客様の実家に行くと感動をする家ですね。絵本に出てくる家ですね。
銀行の話では、誰々が足利銀行でとりつけ騒ぎで大変だった。もう、やっと終わったという話は出ていましたが私には解らない話です。
結構昔の城下町の匂いのする町です。
東武鉄道浅草から特急で館林まで1時間です。また、浅草から鬼怒川方面の特急で栃木まで1時間です。館林から佐野線で15分位で佐野ですから1時間半見てください。栃木からは車になります。今も、泊まったことは無いですがサンルートはあります。ビジネスは沢山有るようです。
今は、名前が出ませんがチェンで地方に特化したビジネスホテルがあります。蒲田の東横インもそうですが。
旧家は凄いですね。昔から先輩の家やお客様の実家に行くと感動をする家ですね。絵本に出てくる家ですね。
銀行の話では、誰々が足利銀行でとりつけ騒ぎで大変だった。もう、やっと終わったという話は出ていましたが私には解らない話です。
結構昔の城下町の匂いのする町です。
カレンダー
10 | 2024/11 | 12 |
S | M | T | W | T | F | S |
---|---|---|---|---|---|---|
1 | 2 | |||||
3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 |
10 | 11 | 12 | 13 | 14 | 15 | 16 |
17 | 18 | 19 | 20 | 21 | 22 | 23 |
24 | 25 | 26 | 27 | 28 | 29 | 30 |
カウンター
カテゴリー
最新コメント
最新記事
(04/17)
(04/17)
(04/16)
(04/15)
(04/14)
(04/13)
(04/12)
(04/11)
(04/10)
(04/09)
(04/09)
(04/08)
(04/07)
(04/06)
(04/05)
(04/05)
(04/04)
(04/04)
(04/03)
(04/03)
(04/02)
(04/01)
(03/31)
(03/30)
(03/30)
プロフィール
HN:
パパリン
性別:
男性
趣味:
なんでも収集
ブログ内検索
アーカイブ
アクセス解析