[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
大森停車場階段鉄柱→鷲神社→萬霊地蔵→京浜電車敷石→蜜厳院(お七地蔵)→磐井神社(井戸、イチョウ等)→三原通り→馬頭観音→三原不動尊→海難供養塔→西南・日清の役碑→羽田道→厳正寺→貴船神社→ふるさとの浜辺
磐井神社について(大森北2-20-8)
西暦513年に大己貴命(おおなむちのみこと・大国主神)を祭神として開創されたと伝えられる。当社に残る文化9年(1812)5月の社伝略記(大田区史)をみると祭神は神座正面が応神天皇、左が大己貴命、仲哀天皇、右が神功皇后、姫大神とあります。
いつの時代にか大己貴命以外に4座の神々が増えています。式内社調査報告書(S51刊 皇学館出版部)によれば「元は大己貴命を祭っていたが天正年中に八幡という大神を迎えたに伴い大己貴命は主神の座を退き、八幡神にそれを譲ったものと思われる。
斜陽の古社磐井神社はその活性化のために、武家の信仰によって流行した神祗八幡大神を東海道の江戸の入り口という要路に面した利点を生かして神社の発展のためにどうしても祭祀する必要があった。
磐井の井戸
社名の由来でもある井戸は伝によれば祈る者の願いが妄願であれば水は変じて塩味になる。正直であれば清水になる。近国の人はこれを奇端として病者に飲ませる効験あらたかでたちまち病気が癒えたので薬水と呼ばれた。(実際は地下に大きな岩盤がありその岩盤を掘りぬいたもので海辺にありながら岩間から湧き出る水は真水である。大田区史より)
東海道筋で多くの人が往きかうので人々の喉を潤しながら名水になり神水、薬水となり伝説が生まれたようです。
鈴石伝説
社伝によると神功皇后が長門の国豊浦に船を止めた時真砂の上に1つの神石があった。その石は応神天皇誕生の時は産室に置かれた。その後筑前の国香椎宮へ納められた。聖武天皇の時代宇佐宮へ勅使として赴くにこの石を授けた。延暦元年(782)のその嫡孫が荏原郡多摩川の辺りに居住、当社にこの石を納めた。
石は鶏卵の形に似て色は青く、打つと鈴の音がしたので鈴石といわれた。この石を磐井神社へ鎮座したので社地を鈴石森というようになった。
鈴石が地名にとなっているがこれはちょっと無理があるような気がする。鈴ヶ森は品川区で一般には刑場で有名なところです。石の話と鈴ヶ森と云う地名の時代が違います。鈴ヶ森と云う地名は江戸後期からです。延暦年間は782~806です。
品川宿に東海七福神という正月の運動不足解消策かスタンプラリーかより多くの神仏のご加護を求めるものか磐井神社は地域は大田区ですが品川の東海七福神に入っています。
この他に松下烏石が納めた烏石と呼ばれるものもあります。共に非公開。この神社は万葉集に出てくる草陰のアライのさきの笠島を 見つつか君が山路こゆらむという歌の笠島が何処かアライがどこかというミステリーがあります。この神社の小さな池に祀られている小島(笠島)というがそれは違うようです。
文人の石碑群
社殿の北側の奥に4基の石碑があります。
① 烏石碑で元文6年(1741)3月に松下烏石が奉納した由来が記されている。
② 天明6年(1786)の狸筆塚
③ 寛政8年(1796)竹岡先生書学碑
④ 文化6年(1809)タイ筆塚
古社であるので徳川の各将軍も参拝をしている。天正18年徳川家康が江戸下向の際に参詣、5代将軍綱吉は元禄2年(1689)に参詣の折、当社を幕府の祈願所としている。八代将軍吉宗は享保10年(1725)に代官伊奈半左衛門に命じ社殿を改築している。
神社も名水とか八幡様とか時代に迎合したり色々大変のようです。社伝と大田区史、郷土史研究家の見解とはかなり違うものも多くあるようです。
参考文献 現地にも何度も行っていますが下記を参考にしています。
町場ガイド 西村敏康監修 月刊おとなりさん
大田区ウォーキングガイド 西村敏康 編著 月刊おとなりさん
大田の史話 1 大田区史編纂委員会
大田の史話 2 〃
大田区史蹟散歩 新倉善之 学生社
馬込文士村ガイドブック 大田区立郷土博物館
大田区の史跡めぐり 〃
大田区海苔物語 〃
大田区の歴史 新倉善之 名著出版
京急グループ110年史 京浜急行電鉄
昭和の風景 蒲田・羽田界隈と京浜電車 石川利夫 国際書院
大森の春秋 2000年版 大森消防署地誌編集委員会
羽田糀谷の年表 伊東奨学会
大森沢田 昔 蒲田4地区地名保存委員会
池上線 目蒲線 北川俊一 個人の出版
警視庁カメラマン石川光陽写真集
きれいな建物で地下に由緒ある神社のお宝を展示しているのでしょうか。平日でしたし梅も終わり、受験も終わっていますから境内にも誰もいません。当然宝物殿にも誰もいませんでした。
やはり天神様ですから天神様の絵が中心です。安田靱彦、橋本雅邦、谷文暃、伝になりますが徳川家康、狩野探幽など。相撲の原形なのでしょうか野見宿禰と当麻蹶速図(河鍋暁斉)梅城記野見宿禰と当麻蹶速図(歌川芳虎)、江戸名所百人美女(歌川豊国)湯島天神の浮世絵(広重)が数枚ありました。
誰もいないというのはどうも落ち着きません。意外にゆっくり見られません。勿論、監視カメラで見られている事は分かりますが何となく神様の絵と云う事もあるんでしょうが気持ちが落ち着かない。
http://www.yushimatenjin.or.jp/pc/houmotu/index.htm
金沢の寛永2年(1625)創業380年以上、森ハの夏用の葛とあずきの涼菓です。加賀藩御用葛の宝達葛に能登の大納言を贅沢に使った季節感あふれるお菓子です。お店の文言では加賀藩御用葛として400年の歴史を誇る名品「宝達葛」、能登の大納言をふんだんにとあります。
宝達葛、能登大納言、初めて聞きました。宝達葛は調べると今は大半が中国からの輸入と書いてあります。葛は奈良の吉野位しか知らない。大納言は十勝や丹波などは有名です。宣伝文言はたいそうに書いてありますが私には分かりません。
偉そうに言いましたが食べてみれば美味しい。葛饅頭の喉ごしも良く、もちもち感もありもう少し食べたいと思う位です。地方商品は中々買えないのがたまにきず新宿に直営店があるようです。新宿はあまり用がなく行かない。
このお店は長生殿という落雁が確か有名だったと思います。このお店と島根の山川、新潟の越乃雪。
供給電力に近くなったらクーラーでも電気でも切ってくれといえばどうなんだ。という言い分です。そして今年の夏を乗り切れば原発は要らないという証明にもなるという。
梅雨の時期にこんな暑いとか言っていてさて、梅雨明けしたらどうなるんだろう。海には地震、放射能で怖く行けないし山に行けば涼しいが土砂くずれや旨いものは無いので?。
家に居れば暑い。図書館は受験生とホームレスじぁ行けない。さぁどうしようか。とりあえず植木や鉢に水をやる。
これから告別式、チョット遠くへ、外で立たされそうなら申し訳ないが早めに退去しよう。



今日は全国で680人の方が熱中症になりお一人が死亡との事。今日は暑かった。熱い風呂に入り、窓から入る風を受けている。気持ちよい。ビールも旨い。
学校裏という駅は全国的にも珍しく、鉄ちゃんの間でも有名な駅の名です。普通駅名は〇〇大学前とか〇〇市役所前とその施設の名があり、大体駅の前と付きます。それが此処では何処の場所か解らず、前でなく裏です。この京浜電車の名前を付けた人はプライドが高く自分の駅の前でなく裏にしたんでしょうか。
結論から言いますと学校は寄来尋常小学校のちの旧大森第二小学校(現在の開桜小学校)です。駅の歴史は古く、明治34年(1901)に開業、誕生時は場所名の沢田という名前でした。まもなく学校裏になりました。
前に書いたブログの大森駅は大森ではなかったと言う事と関連しています。当時の大森は旧大森第二小学校があったあたりでここは当時大森の特産品だった海苔を扱う商店を中心とした繁華街だった。大森の区役所も現在の大森警察署でした。現在の三原通りはシャッター通りですがその当時は東京でも屈指の繁華街だったようです。
その市街地側から見た場合駅は丁度裏手にあったといいます。その後小学校は移転してしまいました。駅は昭和36年に平和島へ改称されました。
平和島は戦前から東京都が一部の埋め立てを開始したが戦争で一時中断していました。東京都の水道局の寮として利用されていました。戦争中は米軍、連合軍の捕虜収容所、敗戦後は日本の東条英機をはじめ戦犯の収容所になりそのような歴史を踏まえ平和への願いを込めて「平和島」と呼ばれるようになりました。
平和島はさらに埋め立てが進み各企業の流通センターやトラックターミナルなどの物流の拠点となっています。平和の森公園が出来て島ではなくなり陸続きになっています。その後、駅の名も平和島になりました。平和島温泉、大森競艇場(現平和島競艇)、レジャーランド平和島など遊園地や城南地区で一番大きいマンモスプールなどが出来行楽地になっていきます。現在はクアハウスなどの近代的な温浴施設やボートレース場です。島内に平和観音があり由来も書かれています。
参考
駅名から日本地図を旅する本 河出書房
仙台のお菓子と云えば「萩の月」とすぐ出る位有名なお菓子です。今は何処の百貨店でも販売しています。柔らかいカステラとカスタードの組み合わせがとても美味しいです。
今回はママリンが池袋の宮城アンテナショップで購入してきました。アンテナショップが池袋だったんだ。池袋は仕事で行くくらいで真っ直ぐ行って真っ直ぐ帰ってきますので殆ど知らない。
つまみとしては娘と食べに行った牛タンです。それ以外は昔ちょっと会社にいた青葉城恋唄のさとう宗幸位、それもそんなに付き合いがない。
萩の月は凍らせても美味しい(ユーミン)温めるとカスタードがもっと美味しくなる(サンドイッチマン伊達、熊田曜子)など食べ方も色々あるようです。
あのパッケージのほのぼのとした版画でしょうか林静一氏の小梅ちゃんに似ています。有名なお土産のお菓子ですからこの辺で。萩の月は宮城の三全というお店です。
牛タンは利久、喜助へ娘と行きました。また行きたいな。
ご存知のように三陸鉄道は旧国鉄路線を引き継ぎ1984年開業した第3セクターです。北リアス線(宮古ー久慈間71K)南リアス線(盛ー釜石間36.6K)でとても景色の良い北リアス線、チョット景色は良くないけど釜石、盛など大きい町の南リアス私も好きな路線です。
現在は殆ど普通になっています。駅舎が流されたりレールが津波でめちゃくちゃで三陸鉄道の場合復旧費用が約180億円だそうです。復旧の費用の4分の一は国の補助が出ますが、現実的にはそれでは資金を調達は出来そうもありません。
同じように宮崎の高千穂鉄道も台風で被害を受けその復旧費用を出せず廃線になっています。三陸鉄道の近くではJRの山田線、気仙沼線なども現在不通ですがこちらは何とか復旧は出来そうです。
今回、千葉の北総鉄道の企画で「スクラムきっぷ」が発売されました。三陸鉄道、阿武隈鉄道、ひたちなか海浜鉄道、鹿島臨海鉄道の被災4社に北総を入れて5社のD型硬券のセットです。北総は190円、他は大体300円位です。
販売金額によって各社に配分されるそうです。各社が単独でやるより北総の方がまだ多く販売できるでしょう。本当はもっと東京の大手の事業者がやってくれればたぶん各社の1年分くらい簡単に販売できるんでしょうが。でも北総の若い人の発想のようですがこれからも頑張ってやってもらいたいです。
このコースで2時間位になります。チョット無理をすればふるさとの浜辺を外し森が崎方面へもいけるかも。もう1つもふるさとの浜辺へ行かないでそのまま東海道を(京浜第一国道)大森町方面へ行き梅屋敷方面へ。幾つかのコースができそうです。
1つのコースは大体3時間くらいを目安に無理な距離でなくゆったり歩ける事を念頭に想定しなければと思っています。まだ、2回しかこのコースは歩いていません。もう少し歩くとまた何か見つかったりコース変更が出たりします。これから少し歩いてみます。何か発見があればと期待します。
区の史跡めぐりコースではもう少し短いコースで見学も少なくなって居たりします。現実に多くのコースを設定して参加者を募集しているのは「月刊おとなりさん」の西村さんです。もう大分前から大田塾、品川塾として史跡案内散策をしています。
月間おとなりさん大田塾
http://www.otonarisan.com/contents/juku.html
岡埜栄泉といっても色々な所にお店があります。支店でなくそこが本店みたいな感じで書かれています。やはりのれん分けなのでしょうか大福が名物のようです。
昨日は午前中だったので虎ノ門岡埜栄泉の大福を購入。というかその場で食べてしまいました。賞味期限がその日ですからできれば午前中に買ってすぐ食べる。
久しぶりですが手に持った重量感、ちょっと大きめの餅に餡がぎっしり、赤えんどう豆はそんなに塩けを感じなく大福全体の歯ごたえを感じます。甘さもそれほどでなくあっという間に2つ戴きました。
横浜高島屋でたまに見ますがまず売り切れのようです。和菓子の伊勢屋のように店によって味、大きさ、材料も微妙に違うという事を聞いた事があります。
たまに食べると旨い。
私はお城めぐりの体力づくりでやっています。そう言うとえぇと言われてしまいます。お城めぐりは本当に体力、特に足腰が重要です。最近のお城はエレベーターで行けるものもありますが大半の古いお城は敵が登りづらく階段の角度は鋭角で狭く一人が上り下りがやっとのところが多いです。城までの石段もバラバラの高さだったり鋭角の坂だったり天守までに一汗が大半です。
そして現存12の天守閣のある私がまだ行っていない備中松山城は山城です。ハイキング以上の装備が必要と言われています。また駅から城までもなるべき歩くようにしています。城下町の雰囲気が楽しめるからです。
そんな事でトレーニングをやっていますが日々落ちてくるのが現在大田区内を散策して感じています。馬込、池上、雪谷、久が原など谷あり坂ありの地形ですが少し前はそんなに感じませんでした。還暦とは良く言ったものでこの年齢から自覚し始めています。
何とか残りのお城2つは今年中に制覇したいと日々トレーニングの言い訳で頑張っています。もう今は美術館の梯子も疲れ始め、最後は極端に言うと足を引きずる感じです。

今日のバロン
リードをつけた猫なんて見たことないが早朝の散歩?
早朝、人が居ない時に行かないと変な目で見られる。
結構野性的で蚊を捕まえ食べてしまったようです。
撮影 ママリン
01 | 2025/02 | 03 |
S | M | T | W | T | F | S |
---|---|---|---|---|---|---|
1 | ||||||
2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 |
9 | 10 | 11 | 12 | 13 | 14 | 15 |
16 | 17 | 18 | 19 | 20 | 21 | 22 |
23 | 24 | 25 | 26 | 27 | 28 |