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今、若い人、中学生から20代までの男女に「コミケ」が人気になっているらしい。
私の娘は、夏、冬に東京ビッグサイトに徹夜までして並んで同人誌を買っている。実は、良く解っていないのですが一日何十万という若い人が交流や本を買い求めに来るらしい。
私は、同人誌よりこの多くの若者が集まることの方に興味がある。
話も内容も今と違うが高校を出たばっかりの時、同級生と「同人誌」を作っていた。仲間は、故佐藤幾久雄、故小瀬茂、小宮正実、町田光路、私の5人だった。羽田工業、工業化学科卒業の3年間一緒の仲間だった。
同人誌をなぜ始めたか今は定かではないが、高校時代から夏に観音崎のバンガローを借りクラスの三分の一位が入れ替わりやってきた。ほとんどが、就職をしていて川崎のコンビナートにある大手の会社にいたので京急で来られるので観音崎は交通にも便利であまり人が来なく海はきれいだった。そんな酒盛りの中話がまとまった様な気がする。
私が、学生だったこともあり編集人になり町田の親父さんのガリ版セットを借り硬筆で一字一字書いた。今の若い人には、解らないだろうが結構時間のかかる、手の汚れる作業をして発行をしていた。
詩吟を愛し正論に入っていた小瀬、共産党下部組織?にいた佐藤など夏は、激論?の酒盛りだった。学校もロックアウトがとけても全共闘、全学連などのヘルメットをかぶった生徒がジグザグデモの練習をしていた時代だった。
名前は、フェナントレンにした。3つのベンゼン環が折れ曲がって結合している無色無臭の固体がフェナントレン。水には溶けない、融点で引火取扱注意である。
これを、自分たちに掛け将来は、同じベンゼン環が三つまっすぐくっついたアントラセンになろうと。アントラセンは、沸点も高く昇華性もある。
最初は、意気込んでみんなが原稿を書いたが一年もすると段々仕事も忙しくなったか人間的に大人になったか原稿が集まらず3年もたず廃刊?となった。
あのころは、訳解らず色々な右、左の人と話をした。小瀬が亡くなって今年で15年。佐藤が亡くなって10年が過ぎる。
18,19の頃、みんな若かった。アントラセンになったかなぁ。
今の若い世代、学生たちをみると、以前に比べてグループや仲間と行動することが少なくなっているように思います。大学のサークル(大学間サークルを含む)やゼミを除いての話ですが。
どうもこの背景には、ゲーム、携帯、パソコンなど一人遊びができる環境が整い過ぎたきらいがあります。学生に友達に教えてもらえ、というと結構親しい友人がいない、という学生がいるのです。一人遊びが行き過ぎると、人とのコミュニケーションができなくなる恐れがあります。どうもおかしな方向に行っていますね。
ところで、娘さんがビッグサイトで並ぶのは一人で行動しているのですか、それともお友達と一緒なのでしょうか。
私が一番学生時代影響を受けたのは、今思えば沖縄、竹富島でしょうね。色々な大学の生徒が何ヶ月もぶらぶらして議論をしたりおのおのの趣味?をやったりして過ごしていました。毎年春には2~3ヶ月いました。結構、裕福な学生だったかもしれません。
>結構竹富島は、学生時代の友人や弟にも影響を与えたようです。勿論、精神的に私の人生での一番の影響でしたが。
>子供は、友人と行っているようです。夜中の何時までマックでなんて言っていましたか。就職活動をしているのか心配ですが何とかなるでしょう。自分の人生ですから。
というわけですから、友人たちが遠くの島で過ごすのを都会で眺めていました。大学の一、二年のころ夏に仲間と別荘を借りて葉山で一カ月ほど過したりしましたが、パパリンさんの竹富島での経験はとてもうらやましい気がします。
>子供は、友人と行っているようです。
そうですか、このような場合はお友達と行動するわけですね。
>
中学高校は通学時間があるので、電車の中が結構楽しみでした。本を読んだり一緒になる女子学生とお話してデートの約束をしたり、それなりにエンジョイしていました。それとお茶大付属中学、女学館、恵泉、共立などの女の子のグループと一緒にスキーとかボーリング、遊園地などに行きました。
スキーは3月の春休みに毎年蔵王などにお茶大付属の女の子のグループと一緒に行きました。でも、父兄でもあるスキー指導員数名が同伴して目を光らせていました。確か最初に行ったのは私たちが高一で彼女たちが中三でしたが、10数人で雪明かりの夜に、「ペチカ」とか「雪の降る街よ」とか「母さんは夜なべをして」などを合唱した日々がとても懐かしく感じます。彼女たちの何人かとは、私がステディなガールフレンドができても、清く正しくお付き合いしていて食事や映画に行きましたが、いまだに何人かは年賀状やメールのやり取りをしています。
何だか回想録のようになりましたが、ぼちぼち夕食の支度が出来たようなので、これにて失礼!
父がいたのは今の住所で山王一丁目31?かなぁ。母は、今で言う南馬込6丁目なんですが山王の沼、池なんとなく記憶にあります。
>中高でスキー、私は、会社員になってからですし電車バスの高校、大学も女性に縁がなかったですね。
>私は、会社がスキー場をやっていたのでやっただけで水上スキーの方が先でした。逗子マリーナでたまに芦ノ湖ですが、やっぱり海の方が好きですね。湖は、冷たい。でもいつのまにかウイスキーになりました。
>今、チームで常夜鍋を食べてきました。口直しに女性バーテンダーのテンダリーで一杯飲んでの帰りです。
>推理作家の内田康夫(浅見シリーズ)のグルメの本Escape消えた美食家って題名ですがお読みでしょうか?たぶん先生なら行ったことのあるお店が沢山出ます。推理小説ではなかったんですが、だまされて買いました。もしお読みでなければ、次回お会いするときに。(外国用ポチ袋、金沢の干菓子、切手)だんだん多くなりますが皆小さいものです。
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