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大森寺 大森南5-1-2
元々は大林寺のお寺で墓地は無い。
境内に明治32年に発見された森が崎鉱泉の源泉の碑があります。また鯉の句碑、鉱泉由来の碑などがあります。
明治維新当時、官軍に敗れた烈士彰義隊の一部が船橋から船で逃れたが暴風に遭って難破しその死骸が森が崎に漂着した。土地の者が発見し葬り塚を築いた。その無縁堂が今の大森寺だそうです。
根拠のない話ですがこの無縁塚に埋葬された武士の若衆が夢枕に立ち霊泉の湧く事を暗示し掘ったら鉱泉が出たという話もある。
法浄院 大森南5-1-18
大森寺の裏側にあり森ヶ崎観音と呼ばれています。三縁山 法浄院は無宗派のお寺で別院として浦賀日月院、伊東日徳庵、木曽御嶽山観音堂などがあるようです。ここは墓地分譲中。
狭い敷地に本堂、浄心堂、観音堂、地蔵堂などがあります。
航空機事故慰霊地蔵尊(水かけ地蔵、森が崎観音)
昭和13年8月24日、森が崎で航空機の墜落事故があり85名が亡くなった。日本航空輸送のフォッカー機と日本飛行機学校のアンリオ機が空中衝突。両機の乗務員は数名だったそうですが救出しようと駆けつけた工場の50名と近隣の住民数十名が機体に近づいた瞬間ガソリンタンクが爆発、付近一帯が火の海となり多くの焼死体が続出した。死者85名、負傷者76名に及んだようです。
多くの人が水がほしいと叫びつつ亡くなったそうでその方々の慰霊を供養するため水かけ地蔵が祀られた。
元々住職がいませんでしたが開祖になる空光和尚の枕もとに慰霊の諸霊が現れて自分たちを供養する人々には「いかなる事故災厄をも除くであろう」とのお告げがありここの住職になったそうです。
地蔵堂には安楽、開運、身代わり、子育て、延命、先入りの各地蔵さまが安置され、中には多くの千躰地蔵がおり、腕輪念珠をかけて供養してくださいとの書きつけがあり地蔵さんの腕には念珠がかけられています。
その他に小さなお願い地蔵、身代地蔵があり願い事を御地蔵さまの御衣に書いて背中に自分の名前を書いて地蔵堂へ納める。という絵馬の代りなんでしょうか沢山奉納されています。
法浄院
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