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JR蒲田駅東口―①大田区民ホールアプリコー②蒲田切子見学―③安養寺―④宝幡院―⑤東陽院―⑥宝珠院―⑦六郷神社―⑧六郷の渡し(北野神社)―京急六郷土手駅
⑤東陽院 仲六郷4-6-2
真言宗智山派 山号 慈雲山 院号 安楽寺 高畑宝幡院の旧末寺。
文化年間焼失し中々復興が出来ずその跡地に大きな宝筺印塔を建てた。江戸末期になって伽藍が再建される。
弘法大師坐像と厨子(非公開)は寄木造り44㎝、玉眼、釈迦如来立像(非公開)寄木造り43㎝、共に妙連尼の寄贈、正保3年竹之内長右衛門寄贈の観世音菩薩立像がある。
⑥宝珠院 仲六郷4-34-8
真言宗智山派 山号 御幡山 寺号建長寺 高畑宝幡院の旧末寺
六郷神社の旧別当寺で江戸期には葵定紋使用と長柄神輿が許されている。境内には延宝8年の庚申塔がある。弁栄を開山としている古いお寺。
⑦六郷神社 東六郷3-10-18
この地域の八幡神社、祭神は誉田別命、旧別当は宝幡院
社伝では天喜5年(1057)源頼義、義家の奥州征伐の際、老杉に白旗を掲げ勝利を祈願、凱旋後その奉賛に当社を建立、頼朝伝説では石橋山の戦いで敗れ房総に落ちのび再び大軍を率いて鎌倉への途中この地を根城として向かった。梶原景時の普請奉行により八幡宮創建。境内には区内最古の狛犬、頼朝寄進の手水石、正面には景時寄進の太鼓橋などがある。
江戸期は葵の御紋が許され宮司先導による六郷橋のお見渡り神輿など徳川家からも庇護を受けていた。この神社風景は江戸名所絵図にも書かれています。
(写真はたまたまロケ撮影中でした。)
⑧六郷の渡し(北野神社)
旧東海道における八幡塚村と川崎宿の間を結ぶ重要な渡船場であった。永禄12年(1569)に武田信玄の軍勢が乱入した時は行方弾正が六郷橋を焼き落とし防戦したある。慶長5年(1600)家康が再び橋を架ける。その後何度も架けるが流され貞亨5年(1688)以後渡船、明治7年に鈴木佐内が有料の橋を架けるが何度も流され明治33年京浜電車が権利を買い取り無料で公開、大正14年コンクリートの橋になり渡船が消滅。
北野神社には六郷の渡しの碑がある。この神社は落馬止め天神とされる。この近くに住んでいた柳生家の留守居役馬別当があり、八代将軍吉宗の馬が暴走してあわやの時に止めたという。天神様は昔から天神乗りと言うように天神様は乗馬の師でもあり、東海道を行き来する大名、武士は落馬止め天神として崇められたそうです。近郷の村人はあえて落馬と云わず止め天神と呼び人の身にかかる悪い事を止めてくれる天神様として崇めているそうです。
この神社は、周りから全く見えず荒れ果ててちょっと寂しい感じです。境内には止め塚、平癒塚、日本橋へ4里の碑、力石などがあります。
六郷温泉此処の湯は良いです。河原は野球場、テニス、サッカーゴルフ、上流には昔巨人のグランドがあった。台風などで水量が多くなると河になってしまう。土手から富士山も見えた。季節を感じる散策に最適です。
このコースは今回で終了です。時間的に区民ホールアプリコの美術展の見る時間、江戸切子の展示の時間により変わりますが全体で約3時間半を想定しています。また江戸切子は工場のオープンディしか見学はできません。
またこのコースには温泉付き銭湯がありますのでタオル持参がお勧めです。
大分前に出来ていたのですが旅行へ行ったりしてその記事により遅くなりました。
次回は大森山王ウォーキングコースです。
⑤東陽院 仲六郷4-6-2
真言宗智山派 山号 慈雲山 院号 安楽寺 高畑宝幡院の旧末寺。
文化年間焼失し中々復興が出来ずその跡地に大きな宝筺印塔を建てた。江戸末期になって伽藍が再建される。
弘法大師坐像と厨子(非公開)は寄木造り44㎝、玉眼、釈迦如来立像(非公開)寄木造り43㎝、共に妙連尼の寄贈、正保3年竹之内長右衛門寄贈の観世音菩薩立像がある。
⑥宝珠院 仲六郷4-34-8
真言宗智山派 山号 御幡山 寺号建長寺 高畑宝幡院の旧末寺
六郷神社の旧別当寺で江戸期には葵定紋使用と長柄神輿が許されている。境内には延宝8年の庚申塔がある。弁栄を開山としている古いお寺。
⑦六郷神社 東六郷3-10-18
この地域の八幡神社、祭神は誉田別命、旧別当は宝幡院
社伝では天喜5年(1057)源頼義、義家の奥州征伐の際、老杉に白旗を掲げ勝利を祈願、凱旋後その奉賛に当社を建立、頼朝伝説では石橋山の戦いで敗れ房総に落ちのび再び大軍を率いて鎌倉への途中この地を根城として向かった。梶原景時の普請奉行により八幡宮創建。境内には区内最古の狛犬、頼朝寄進の手水石、正面には景時寄進の太鼓橋などがある。
江戸期は葵の御紋が許され宮司先導による六郷橋のお見渡り神輿など徳川家からも庇護を受けていた。この神社風景は江戸名所絵図にも書かれています。
(写真はたまたまロケ撮影中でした。)
⑧六郷の渡し(北野神社)
旧東海道における八幡塚村と川崎宿の間を結ぶ重要な渡船場であった。永禄12年(1569)に武田信玄の軍勢が乱入した時は行方弾正が六郷橋を焼き落とし防戦したある。慶長5年(1600)家康が再び橋を架ける。その後何度も架けるが流され貞亨5年(1688)以後渡船、明治7年に鈴木佐内が有料の橋を架けるが何度も流され明治33年京浜電車が権利を買い取り無料で公開、大正14年コンクリートの橋になり渡船が消滅。
北野神社には六郷の渡しの碑がある。この神社は落馬止め天神とされる。この近くに住んでいた柳生家の留守居役馬別当があり、八代将軍吉宗の馬が暴走してあわやの時に止めたという。天神様は昔から天神乗りと言うように天神様は乗馬の師でもあり、東海道を行き来する大名、武士は落馬止め天神として崇められたそうです。近郷の村人はあえて落馬と云わず止め天神と呼び人の身にかかる悪い事を止めてくれる天神様として崇めているそうです。
この神社は、周りから全く見えず荒れ果ててちょっと寂しい感じです。境内には止め塚、平癒塚、日本橋へ4里の碑、力石などがあります。
六郷温泉此処の湯は良いです。河原は野球場、テニス、サッカーゴルフ、上流には昔巨人のグランドがあった。台風などで水量が多くなると河になってしまう。土手から富士山も見えた。季節を感じる散策に最適です。
このコースは今回で終了です。時間的に区民ホールアプリコの美術展の見る時間、江戸切子の展示の時間により変わりますが全体で約3時間半を想定しています。また江戸切子は工場のオープンディしか見学はできません。
またこのコースには温泉付き銭湯がありますのでタオル持参がお勧めです。
大分前に出来ていたのですが旅行へ行ったりしてその記事により遅くなりました。
次回は大森山王ウォーキングコースです。
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