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散歩をするつもりでしたが、植木鉢が乾いていました。
液体肥料をあげ、枯れそうな花々の手入れをしていたらもう三時を過ぎていました。週間天気予報は、水、木が雨になっていますが気温も10度を切ることはなさそうなので、おくらの種まきをしました。(ほうれん草は後日にしました。)苗箱に土をいれ2~3粒種をいれましたがこれが全部苗になったら昨年のピーマンのようなことになりそうです。
花は、ボケが満開でクレマチスが蕾をつけもうすぐ咲きそうです。
君子蘭は、鉢を整理したので8つの鉢に大体3本づつ蕾が上がっています。早いのはもう咲いています。ゆりも大分伸びてきました。今年も沢山の花を咲かせるでしょう。
ブルーベリーも白い花が咲いています。また、名前が出ませんが黄色い沢山の花を咲かせているよく公園にある花も満開です。
そんなこんなで、散歩は中止。咥えたばこでちょっと汗ばみながら園芸です。
のんびりしながらだと時間の経つのも早いですね。
知らない間に鉢花は春から初夏へ向かっているんですね。
これから久しぶりに市場の塚原さんと一杯です。
風呂でも入って美味しいビール。今日は、一杯、明日は休肝日。
ガンマー、ガンマー、お酒はガンマーできない。
コラムによれば社団法人アルコール健康医学協会によると適量は、ビール中瓶なら1~1,5本、日本酒なら1~1,5合だそうです。これは、お酒が強い人が3~5年、毎晩晩酌して肝臓などに障害が起こりにくい量とされているそうです。
個人差もあり2~3日飲んで1日休肝日を設ければもう少し飲んでも大丈夫と勝手に解釈しています。1合や2合で終わりません。たぶん、3~4合は飲んでいます。それも、時期により毎日になることもありますので休日はなるべく飲まないようにしています。
肝臓が壊れたら美味しいお酒が飲めないですから。私の友人で飲めない人は殆どいません。飲めない人と中々話すことも仕事以外あんまりありません。また、女性の友人は残念ながらいません。(クマとタヌキは別格)最も今の女性は飲む人が多く、女性=飲まないというのは偏見かもしれませんね。
飲酒の法律と云えば飲酒運転ですが、全ての国民は飲酒について節度を保つように努めなければならない。という定めがあるようです。
周りに迷惑をかけない、自分の肝臓を守る、節度をもってほどほどの飲酒をしよう。そうだ、来週は、健康診断だ。
鉄道は、好きであるが、ずっと乗っているのも飽きが来るほうです。
東京駅から博多まで新幹線で行ったこともあるが特別なことがなければ乗りたくない。飛行機の方が速いし安い。鉄道好きと云うより旅が好きなのかもしれないし何処かで合理的に割り切ってしまうのかも知れない。
何でも日本一というものがある。鉄道の場合も数え切れないほどある。鉄道好きのなかではこれくらいは知っているというものある。
鉄道は鉄道事業法に準拠するものまた鉄道法に準拠する軌道に限るが
日本最東端駅 JR北海道根室本線 東根室駅
日本最西端駅 沖縄都市モノレール 那覇空港駅
日本最南端駅 沖縄都市モノレール 赤嶺駅
日本最北端駅 JR北海道宗谷本線 稚内駅
乗降客が多い駅 新宿駅 1日平均 322万人
列車の発着が多い駅 東京駅 1日約 3000本
乗り入れ鉄道事業者の多い駅 横浜駅 6社
ホームが多い駅 東京駅 15面 30線
営業日数の少ない駅 予讃線 津島ノ宮駅 8/4,8/5の年間2日
高い所にある駅 立山黒部貫光 立山トンネルトロリーバス室堂駅海抜2450M
高い所にある普通鉄道駅 小海線 野辺山駅 海抜1346M
低い所にある駅 海峡線 吉岡海底駅 海面下149M
低い所にある地上駅 近鉄名古屋線 近鉄弥富駅 海抜0,93M
長い駅名 リゾートゲートウェイ・ステーション駅、東京ディズニーランド・ステーション の17文字(ディズニーリゾートライン)
長い駅名ひらがな 南阿蘇水の生まれる里白水高原駅 22文字
短い駅名 津
長い鉄道路線 山陰本線 673K 支線を含むと東海道本線 713K
線路が多い区間 日暮里駅~上野駅 2事業者12路線(線路14本)
運賃が安い 鞍馬山鋼索鉄道 0円
長距離の旅客列車 トワイライトエクスプレス(大阪、札幌間約1500K)
長距離の貨物列車 札幌、福岡間 2127K
設定最高速度 JR西日本山陽新幹線 のぞみ 300K
JR以外では 北越急行ほくほく線特急はくたか 160K
その他にたくさんある。とても覚えきれない。もう右から左へ忘れてしまう。
くだらないので一番高い駅弁は、東武日光駅の日光埋蔵金弁当15万円だそうです。一度食べてみたい? 安いのは、いなり寿司300円(品川駅)これなら食べられる。
河西夫婦によるプロデュースによる沖縄異文化交流の旅反省会です。
場所は、大森いわし料理西鶴にて。
写真を全く撮らない上原、高城、私達にこまめに撮ってアルバムにして配布していただいた。(深謝)
新鮮いわし料理に舌鼓を、酒を飲みながら思い出話に3時間があっと云う間だった。また、マスターに無理を言いながらの料理注文。申しわけなかった。
米軍兵士との楽しいピンポン?ゲーム、バーベキュー、ちょっと変わったフリマやホエールウォッチングなど色々プロデュースしていただいた。
わざわざ、ホテル仕様のパジャマまで用意していただいた北谷の日々を思い出した。朝、散歩がてらの北谷温泉入浴や河西別荘前のアラハビーチのサンセット。沖縄国際映画祭会場、ハンビー郵便局、那覇平和通り公設市場食堂、昔行ったホエールウォッチングからのチャン岬(なんでか解らないが)ゆいレール、明豊野球部応援ボール等飲みながら、話しながら何となくあっという間の旅を思い出した。お疲れ様でした。
お花見をするところは沢山あります。
わざわざ花見に行くんではなく電車の車窓からもきれいな桜が見られます。
人によっては、出社前、帰りに桜をみてほっとする時間が得られます。わざわざ行かないで見られるんですから何か得をした感じです。
京浜急行電鉄の日ノ出町駅の前後の大岡川沿いには沢山の桜が植えられ大変きれいです。勿論、屋台もでていますので車窓夜桜見物ができます。
JR京浜東北線蒲田から大森に向かう間の弁当の玉子屋本社の前後も桜並木です。
同じJR京浜東北線で大井町から大森の間水神公園も桜がきれいです。川崎駅を出てすぐ鶴見方面もライトアップされています。
都電荒川線は、面影橋の神田川沿い、学習院下、雑司ヶ谷、なんと言っても飛鳥山ここは、江戸の時代からの名所です。
JR中央本線では、笹子峠を越えたあたりの勝沼付近はパノラマのような絶景です。
桜、桃、菜の花が一斉に咲いています。桃源郷とは良く言ったものです。
最後に近鉄吉野線ここは、わざわざ行かなくてはなりませんが私が今まで見た一番のお勧めです。(この時期たいして乗ってはいませんが)
大阪阿倍野橋駅が始発駅ですが終点の吉野駅の手前から見渡す限りの桜の山になります。ここは、秀吉で有名な1目千本、千本桜で有名です。4月一杯桜が楽しめるはずです。下が千本 中千本(ロープウェーで行く) 上千本 そして奥千本となります。世界遺産を見ながらのお花見です。
このほかにも沢山車窓から見られると思います。
中央本線、近鉄は遠いですが、何かの用で電車に乗ったらこの時期は、ドア側に立って車窓を楽しみませんか。
山門の寶屋で後輩O君に頼まれた堅焼きせんべいを買い、本阿弥光悦の書の総門をくぐり88段加藤清正寄進の此経難持坂を登る。
周りは、さくら、サクラ、桜の山
手洗い(トイレではありません。)の近くに野点がありきれいな和服のお姉さんがお運びをしてくれる。行きたかったがとりあえず、大堂で参拝、あまちゃを昔きれいだっただろう和服のおねえさんにいただき、野点へきれいなお姉さんにお運びいただき一幅結構なお手前でした。
反対側の霊寶堂へ。日曜日は見学ができ日蓮上人の自筆の書や狩野派の屏風、絵を見学。この地には、狩野家37の御墓がある。また、大堂の天井には川端龍子の龍の絵があるのでも有名。本日は、花まつりで特別に五重塔の開放もあった。
上原君から横浜大岡川のきれいな桜のメールがあったが、我が家から本門寺までの呑み川沿いも大変きれいだ。そして途中の養願寺の境内の桜も見事だ。
曇り空でちょっと着れば寒くないので大勢の人が出ていた。
車椅子を押す老々介護の人もいてこの時期私も親父やお袋を連れ車椅子を押したなぁと思いだした。
なんでこうさくらに拘るんだろう。
難しいことはさておきやっぱりきれいだ。和服のお姉さんもさくらも。
温泉場では、仕事上か着物姿の女性をよく見る。
私の周りではほとんど見ない。たまに、ホテルで見かけるだけだ。
昨日、二子玉川から上野毛の五島美術館へ歩いていった。
この美術館には、いくつか茶室があり着物姿の女性が出入りしている。
きっとお茶会ですから良いこの季節の着物なんでしょうが私には解らない。
でも、着物姿、良いですね。歩き方だけ見ていても色っぽい。
中庭脇の喫煙所でタバコを吸いながら眺める、展示品より良いかなぁ。
行き帰りの和服の女性をしばらく観察?
近くを通る女性のエリなんか色っぽい。
若い人もいるが圧倒的に年代物の方が多い。
顔は見ないように。 バックシャンだね。
桜に和服、ちょっと絵になる。
成人式の日よりしっとりして素晴らしい。
男性も何人かいたが貫禄ある体型の人がかっこよく見える。
女性は、細面の小股が切れあがった和服女性か。
温泉場は,そうゆう女性をよく見た。
着方もよそ行きと仕事で着る違いだろうか。
普段使いの着物の方がさっそうとしている。いいねぇ。
遠目からは薄いピンクの花びらも杯の中では白っぽく浮かびます。
一雨降れば、ちょっと強い風が吹けばもう終わりですか。
あんなに待ち焦がれたのに。
かの君と同じですか。いつの間にか、、、、、、
昨夜は、寒かった。地べたは特にジーパンを通しても震えが来た。
寒い性と言い訳をしながらピッチを上げて腹にしみる。
つまみも冷たい、ちょっと小雨が。
やせ我慢も限度に。
適当に片づけて近くのお店に。
あぁ、あったかい。この時期に鍋を注文。
私たちには、風流は合わない。
熱燗やりながら店からの桜をめでる。
最初からここでよかっった。準備もなく。
残ったつまみ、酒をどうしようか。
G20、世界不況、昨日の花見も寒かった。
暖かいお店はいつ来るか。
老いとか還暦と云う日記は人によってネガティブに感じられてしまう。
大和書房刊「脳のちから 禅のこころ」玄侑宋久、有田秀穂共著のなかでポジティブな分があるので掲載させていただく。
禅宗の坊さんと脳神経のお医者さんの対談です。
脳と気、睡眠、心、呼吸法等禅僧と医者というミスマッチの対談です。
[脳は変わる]というなかで歌手の小椋佳さんのお子さんが脳梗塞になった。言語が自発的にだせなくなってしまったが暗記をしていたものは脳に入っているので暗記をしていた父親の歌がありお父さんが枕元でギターを弾きながら歌をうたう。それが突破口になり一緒に歌う、だんだんしゃべれるようになった。(親父は脳梗塞になったから私も歌か般若心経を暗記するか)
また「結晶性知能」とは、一般的知識や判断力、理解力など過去に習得した知識や経験をもとにして日常生活の状況に対処する能力。この能力は、60歳まで徐々に上昇してその後も維持が可能であるとされる。
人間の脳には年をとるほど向上する結晶性知能があり、若い時は、ある情報にとらわれると他が見えなくなる。全体視が出来ないまま部分にこだわって、あれこれいうわけです。だけど歳をとっても上昇していく知能はあらゆるデーターを結晶させるように一瞬に俯瞰する能力。総合的な判断力といえるものがあり、これは、歳をとっても維持できるし、やりようでは上昇し続けるというのです。それには、必要なことは、歩行と読書だって言っているんです。
音楽セラピーもそうですし玄侑さんの父親も脳梗塞になったがお経は暗記していたので毎日のお経で少しづつ回復しているとのこと。
歌を暗記しますか、お経をしますか。将来の為に。
アラカンの脳も大丈夫です。日々向上です。
玄侑先生(1956年生 慶応大学中国文学卒、現在臨済宗福鄹寺副住職)
有田秀穂(1948年生 東大医学部卒 現在東邦大学医学部生理学教授)
玄侑宋久先生http://www.genyusokyu.com/index2.htm
http://www.genyu-sokyu.com/index2.html
有田秀穂先生
http://physi1-05.med.toho-u.ac.jp/arita/arita.html
返還前の沖縄の八重山群島にある竹富島に2年の春休み遊びがてら同級生と行った。二人とも結構1年の成績は優の数が多く、ちょっと天狗になっていた。(吉永さゆりさんが卒業までに優を20いくつか取ったということが話題になり私たちは一年でその半分位取っていた。実際卒業までには同じくらいだったが)
竹富島は、30分も歩けば一周できる小さな島だ。
星の砂があると言えば解る人が多いと思う。その当時は、まだ、星の砂はそんなに有名でもなかったが。宿泊施設は、大山旅館、後は民宿が数件。
島には、ダットサンのピックアップが2台、10時になれば電気が消える。ランプでの生活になる。宿泊料金は1泊2食2ドル50セント。(私たちのように長期滞在は2ドル)数日間は、大山旅館に宿泊したがその後いずみ屋という民宿に変更した。以後学生時代4年まで毎年春はここにお世話になった。
なぜ竹富島に行ったかは定かではない。たぶん同級生才田君からの話で行ったような気がする。
晴海から1泊の東京丸6000Tの船で那覇港に着き歩いて泊港に行きまた船で宮古経由で石垣島で下船。ポンポン船で竹富島へ着く。その当時、晴海那覇間は一番船底で6000円位?うまく接続がない時は那覇で1泊。
竹富島では、関西・九州の大学生が多く経済学部というとこの本は、この学説はと聞いたことはあるが中身は全然解らず。え~解らないの。本を読んでないの。彼らの会話は当然知っていることが前提の話で全く解らず、学校ではちょっと良い成績だったが鼻っ柱を見事に折られた。そして、学問だけでなく歌舞伎、クラシック、星座、染色、織物、歴史等いたるものに詳しくそれがみんなの常識だった。また、考え方も私の周りの人、高校の友人、大学の同期と全く次元が違った。
そんな中でも、泡盛を飲みながら議論をしていた。ほとんど聞いているのが多かったんだろうが。うまく言えないし忘れた部分が多いがこれが私にとってのカルチャーショックだった。話は飛ぶが、夏休みにはサブザックを背負い神保町へ古本の買い出しに行った。あの時期が私の人生の考え方を変えたと思う。
面白い話は、たった二台の車が道路は石垣で囲まれているためぶっかった話や10時近くにもうすぐ電気が切れるという合図でパッパと消えるので慌てて皆布団を敷いて広間に集まりランプの泡盛宴会になる。1ヶ月くらいいると持っているお金が無くなるので船着き場でいずみ屋の番頭宜しくお客を取ってきたり失対事業でのアルバイトで穴掘りをやったり、返還が5月に決定しているので帰らず友人に履修届を何科目か代わりに出してもらったりした。また、石垣島から10ドルで台湾のキールンへ行ったりと初めての海外旅行も経験した。
きれいな竹富島をこのまま守ろうと小浜島みたいに大企業のリゾート開発から守ろうと守る会に入ったりした。今も何人かは生存証明の年賀を交換している。
同級生の才田君もその時の人たちも大学教授や芸術家、評論家になっている。
私にとっての八重山は素晴らしい人生の先生になった。只、生徒は落第生だが。
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