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美術館・鉄道・お城・お相撲・お友達の話など趣味のブログです。
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靖国神社HPより

靖国神社のみたままつりは今日が最終日。実は昨日行こうとして駅まで行ったんですが京浜東北線での人身事故が発生したばかりのようで駅は大混雑、これじゃ駄目だと諦めました。

サラリーマン時代からこのお祭りは一度見とくべきと言われていましたが中々チャンスがなく過ごしていました。誘ってくれる人は別に元軍人でも自衛隊員でもありません。

靖国神社は何度か行っています。8月の15日には行っていませんが。我が家は戦死した人も居ないし軍国主義でもないしと足が遠のいていました。

ニの鳥居の手前から拝殿まで献納された沢山の提灯、一体いくつあるんだろうか。そして各界の方が書かれた懸雪洞(かけぼんぼり)が沢山有ります。書家や画家だけでなく俳優、噺家、歌手、政治家など有名な方が書かれています。桂歌丸さんがあんなに絵が上手だとは。才能がある人は何でも上手なんですね。

拝殿左側は生け花の各流派の代表が活けています。生け花ってこんなに流派があるんですね。そして右側の能楽堂では毎日日本の芸能が朝から晩まで演じられています。プログラムをみてびっくり。此処に座って4日間いれば無料で日本の芸能が見られます。

靖国会館近くには日本の御祭広場みたいです。青森ねぶたから名前は解りませんが湯沢の絵とうろう、広島の舟形燈篭まで飾ってあります。第二鳥居の下には仙台七夕が飾ってあります。今日はみこしを片付けていましたが昨夜まで盛大に行なっていたんでしょう。そして吹奏楽パレード、相撲大会なども開催されたようです。大村益次郎の銅像は盆踊り会場になっています。

第一鳥居からは両サイドに夜店が出店、その夜店の裏にはヨーヨーなどの遊びがありなんとお化け屋敷までありました。今朝はまだやっていませんでした。日本のお祭りが全てあります。凄い、そして軍国主義の臭いは全くなく若い人が多く浴衣で楽しんでいます。

ここは日本の祭りのチャンピオンです。ただ、このみたままつりは夜がメインのようです。私は暑くなる前にと思い9時には到着してしまいました。昭和23年から毎年7月13日~16日までのようですから鬼が笑うかもしれませんが来年時間があれば夜にお邪魔したいと思いました。

靖国神社みたままつりHp
http://www.yasukuni.or.jp/schedule/mitama.html

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東京大学の有名な赤門の前の和菓子屋扇屋の氷室は夏限定のオリジナルお菓子です。「氷室」という商品名です。最初は加賀のお菓子、夏限定商品というクレジットが目に入りました。

東京大学は昔は加賀前田藩の屋敷でした。赤門は将軍家の姫を迎える為に作った屋敷の門で現在は此処にしかないようです。11代将軍家斉の21女溶姫の為の施設で門しか残ってはいません。国の重要文化財に指定されています。赤門=東大という有名な門です。

加賀の涼菓「氷室」のパッケージには雪国の加賀に因み前田家では十万坪の本郷加賀藩邸内に冬のうちに降った雪を桐の箱に納め、深い穴倉(氷室)で大切に貯えた物を、夏を迎えて徳川家に献上していたそうです。それにかけたこの店のオリジナル菓子だそうです。

甘酸っぱく杏が入っていて吉野葛とゼリーの食感がとてもさわやかです。このままでも美味しいのですが冷凍してシャーベットにしてもより美味しいそうです。長崎の茂木のビワゼリーになるんでしょうか。私は少し冷やしてそのまま戴きました。

小さな箱に6つ入っていますが区分けがないので大きめのスプーンで2つづついっぺんに戴きました。暑い日はこの御菓子最高。

扇屋
http://www.ntv.co.jp/burari/030802/info05.html
今日はお盆なのにこんなつまらない事を書いてはご先祖様に怒られるだろうか。先日JR大森駅近くを歩いていたらオヤジクラブ募集と言うポスターを見ました。そこには入会条件が書いてありました。その条件に当てはまる方は入会を認めますと言う事でした。その条件は。

1、おしぼりで顔を拭く人。
2、頼んだ事は覚えているが頼まれた事はすぐ忘れてしまう人。
3、寝ている時に身体をぴくっとなる人。
4、休日の前日に急に元気になる人。
5、朝歯を磨くとーおぇー」とか「か!!」とか言う人。
6、気がつくと自分の経験を延々と話している人。
7、まゆ毛のロング化が始まった人。
8、色々なところが白髪になってきた人。
9、健康食品に興味を示し始めた人。
10、筋肉痛が3日以降に来る人。
11、新聞の字が見ずらくなってきた人。
12、まだ自分はオヤジじゃないと思っている人。


お~い、殆ど全部だ。もっとも最初からオヤジ、じじいと思っているのですがこれだけ見事に当てはまるとは。そういいながら、オヤジが何だ、文句があるかと居直る自分が可笑しい。

今度は、ばばぁの条件をかみさんを見ながら考えようか。こんな事書いてると怒られるのが目に見えるのだが。その内書こう。まずは観察だ。

今日のバロン
マイLady's バロン

この暑さにぐたッとしています。  フォト ままりん

大森停車場階段鉄柱鷲神社萬霊地蔵京浜電車敷石蜜厳院(お七地蔵)磐井神社(井戸、イチョウ等)三原通り馬頭観音三原不動尊海難供養塔西南・日清の役碑羽田道厳正寺貴船神社ふるさとの浜辺

 

厳正寺 大森東3-7-27

浄土真宗本願寺派 山号 柳紅山 旧海岸寺 京都西本願寺旧末寺

文久9年(1272)北条重時の六男法円が開創、海岸寺として天台宗に属していた。2世法密の時浄土宗に転じ応永の頃(13941428)浄土真宗に改宗現在に至る。

 

10世祐智は天正元年(1573)石山寺に参り信長と交戦、11世祐恵の代に厳正寺と寺号を改めた。

 

梵鐘は山門の上にある。17世祐尊の代安永元年(1772)に品川住の鋳物師渡部亦市によって鋳造。寺の総門戸徒、大森村の講中の協力により寄進。この地に浄土真宗の念仏講があったようです。この寺は本日714日に行われる「水止舞」が有名です。

 

巌正寺 水止め舞
水止舞

毎年714日に行われる都の無形民俗文化財、一種の獅子舞で水とめの舞と言われる。当寺伝では2世法密は元亨元年(1321)の干ばつに七日間の雨乞いをして結願の夜、竜神を作り、海に浮かべ読経を始めたところたちまちの降雨。

 

3年(1323)は逆に50日に及ぶ長雨に悩まされた。そこで竜頭3つを作り止雨の祈願をし里人に水止めの獅子舞をさせたところ、たちどころに晴天になった。以来、毎年盂蘭盆会の714日に村人をあげて今日まで伝存された。

 

異風を持つ特殊な郷土芸能としてマスコミにも取り上げられている。雨乞いでなく水止という風俗は民俗学的にも珍しいようです。

 

荒縄で縛られた二頭の竜を少しづつ境内へと行く道行き、ホラ貝を吹く竜、水を掛ける民衆、ホラ貝は竜の泣き声で、そして境内へ入り獅子舞へとなっていく。

水止舞Uチューブ
http://www.youtube.com/watch?v=mvwYRlgNako

 http://www.casttv.com/video/zmnxmc1/-video

追伸
先ほど墓参に行ってきました。
多くのマスコミの方が撮影しています。

それにしても昨日の花がもう駄目になりそうでした。
今日も暑い。

 

 

今日は本当は竹久夢二美術館辺りをうろつこうと思っていました。午後から行こうと思っていましたが明日は盂蘭盆会で菩提寺では奇祭「水止舞」が行なわれます。

墓は今月1日にきれいに洗ってあり掃除もしてあります。日曜にお花を入れ替えましたがもう駄目かもと、とりあえずお寺に行きました。案の定、お花はもう腐っています。昨日行かなかっただけですがこの天候では3日は持たないようです。

とりあえずお花を入れ代えて参拝して帰りました。もう境内では明日の舞台が出来ています。そしてこの暑い中大勢の方がお花を入れ替えています。お花も先週の木曜までは500円台でしたが需要と供給でしょうか金曜日からは700円、800円と毎回の事ですが上がっています。

オヤジが亡くなって来年13回忌、お袋は今年で丸三年です。それまでは墓参は殆どしていませんでしたが通勤のコースをちょっと代えれば行けますので朝の墓参をしていました。

私が早く行くと部下も早く来なくてはならず時間調整にも丁度良かったです。7月からは常勤から非常勤になりましたので散歩コースや大田区の町歩きのついでに参詣しています。

墓の花は私と弟で一年中活けています。昨年もそうでしたがこの夏も短く切っても数日しか持ちません。部屋では10日位は持つんですがこの天気では無理なようです。

そして今年は不景気なのかお墓の湯飲みの汚れが少ないです。排気ガスや工場からの排煙なんでしょうか、スモッグも少ないようで3日経つと黒いものが浮いていますが1日、2日では目立たなくなりました。

それにしても厳しい日が続きます。帰りにかみさんの実家でビールをご馳走になりひゃっこくて旨かった。

会社帰りはまず銭湯へ行ってひとっぷろ浴びて、一杯となっていたがやっぱりまた銭湯へ行こう。その後のビールは格別だ。


東京都交通局は8月1日に創業100年になります。それを記念して東京江戸博物館で「東京の交通100年博」~都電・バス・地下鉄の”いま・むかし”
を開催します。

会期は7月14日~9月10日 観覧料金1300円だそうです。今回の目玉は現在も函館市電で活躍している「ササラ電車」,円太郎バス、6000形車両ではないかと思います。この当時は東京市電も京浜電車と同じ余った電力を販売もしていたんですね。

現在東京ではチンチン電車は荒川線しかありません。市電、都電の黄金期を知っている人も少なくなってきました。知らない人も映画やポスターで見て何となく懐かしくなってくるんでしょうか。

第一章東京の市内電車~明治の交通と都電の始まり~
第二章震災の街を走る円太郎バス~都バスの誕生~
第三章都電黄金期
第四章さよなら都電
第五章都営地下鉄の発展
第六章都営交通のいまとこれから
以上の6タイトルで企画されているようです。ササラと6000形は当然外の展示になります。

都営交通は現在、地下鉄、バス,荒川線,新交通舎人ライナー,上野動物園モノレールがあります。

さてササラ電車ですが明治30年代に製造された四輪単車、旧東京市電が函館大火後に函館市電に譲渡され、その後、現在の除雪車両に改造された。かって都営交通に在籍し現存するものとしては最古。76年ぶりの里帰りになります。

円太郎バスですがこれは関東大震災で壊滅的になった交通をその当時一番大量生産できるフォードをエンジン付シャーシーを1000台発注しボディは国産で賄った。

11人乗りの小型で乗り心地は悪かったが瓦礫の中、小回りが利きこれがバスの導入のきっかけになった。円太郎は落語家の名前です。明治時代の乗合馬車は御者がラッパを吹いていたが、円太郎も出囃子を使わずラッパを吹いて入場していて大層受けたそうです。

小さめなT型フォードは乗合馬車に似ていて乗り合いバスですので円太郎バスと呼ばれるようになったそうです。また、6000形は都電全盛期の代表選手290両が生産された。

やぶにらみ的に見ると普通各鉄道会社の記念事業は自分の車庫や持っていれば鉄道博物館でやります。そして殆どお祝いですから料金はそんなに高くありません。JRの鉄道博物館でも1000円です。それが都営で同じだからか江戸東京博物館でなぜやらなければならないのか私には解らない。

此処まで書いてそんなことを言ってもしょうがないともう一人の自分が居ます。そして何だかんだ言いながら結局お前行くんだろうと言われています。鉄道は好きですが地下鉄は余り好きではない。
今浮世絵はブームになっているようです。そして私がすぐ行ける東京の浮世絵専門美術館では国芳の関連展示になっています。

近くの浮世絵専門美術館として原宿の太田記念美術館、豊洲の平木浮世絵美術館、小石川の礫川浮世絵美術館です。どちらも個人が収集した浮世絵を公開展示している浮世絵専門館です。専門ではありませんが東京国立博物館でも少ないですが浮世絵の常設があります。

太田記念美術館は28日まで「破天荒の国芳」後期が開催中です。平木浮世絵美術館は「武者絵国芳~芳年」が31日まで、礫川浮世絵美術館は月岡芳年「月百姿」となっています。芳年は国芳の弟子で武者絵もありますが目を覆うような浮世絵もあります。

このくそ暑いのに武者絵は余計暑くなりそうですが今年の秋にも大々的な国芳没後150年展が森ビルあたりで開催とも聞いています。これだけ暑いと夕涼みの美人画を見ていた方がと思ってしまいますが勝手な言い分だと解っています。

秋は旅や芝居見物という事できっとオーソドックスに東海道五十三次や冨嶽三十六景、名所江戸百景など旅もの、風景ものを期待したいです。何だかんだ言ってもいそいそとこの暑い中行くんだなぁ。
ロスインディオスの8代目の女性ボーカルアリシアが6日に亡くなり9日に事務所から発表があったようです。38歳、心筋梗塞だったようです。

ロスインディオスのリーダー棚橋さんとは年に何回かご一緒する事がありそこへ良くアリシア(宮岡恵子)さんが見えます。大体が飲む席が多かったようです。

アリシアは明るく、気さくなお嬢さんです。ビールがもの凄く強く、高砂部屋の力士と飲み比べで勝つくらいです。昨年は「浮き輪」というビールを飲もうと言う個人シングルを出しチョットだけ協力したり、品川のホテルでのアリシアのディナーショーやロスインディオス&アリシアのショーなど夫婦、友人などで何度か応援に行きました。

スナックで「別れても好きな人」をデュエットを無理やりさせられたこともあります。私はカラオケが苦手なんです。何で此方が無理して聞いてあげて偽りの拍手をするんだということで。

2,3度メールを貰った程度ですが彼女のイメージはケヶヶと明るく笑いながらビールジョッキをもっているイメージです。一人住まいで見つかるのも遅れたんでしょうが38歳は若い。平和島、大森、蒲田、品川と何度も飲んだ。

無くなる前の日のブログは普段と違う「形」という詩になっています。
ご冥福をお祈りいたします。(合掌)

アリシアのHP
http://www.alicia-station.jp/

 アリシア最後のブログ
形                                                        7月5日(火曜日)
心にもタコが
同じ場所に当たると
できてしまうんだ
足のように
心だって歩いてる
固くなった場所が
痛みには慣れたような
錯覚と醜さが
僕の感覚を鈍く

だけど
そんな場所が
もしも君にぶつかってしまったなら
傷つけてしまうだろうと
傷つかまいと
何とか削ろうとする

でも
ヤスリで削る訳にはいかないんだ
結局
泣いてふやかして
笑って削るしかないんだ

そんな事を
何度も繰り返して
僕はいい加減 もう大人なのだと
言い聞かせては
形を変えて
心の形を変えて
こうして 生きている

僕が泣く時 君が笑っていたり
君が泣く時 僕が笑っていたり

いつだって
模様をを変えて
僕はいい加減 もう不条理なのだと
言い聞かせては
形を変えて
心の形を変えて
こうして生きるているのだと

などってみる
膨れ上がった心を
  

Posted by miyaoka_keiko at 22:32Comments(20)TrackBack(0)clip!
20110704
 

四万六千日/ほおずき市 浅草寺7月9,10日は四万六千日の日、浅草の浅草寺境内では多くのほうずき屋さんが威勢の良い掛け声で販売しています。昨日午後からかみさんと繰り出しました。

今年は入谷のあさがお市は中止になっています。ですから沢山の方が浅草寺へと思いましたが仲見世の参道は震災前の平日並みの混みようです。

まず外国人が居ない、欧米も亜細亜もいない。これがほうずき市かと思うくらいの人の出です。たまに参道のせんべい屋に行きます。平日ですと真っ直ぐ歩けます。日本の経済は全て仕事も遊びも外国人で賄っていたんだと実感。

ほうずき市は元々は愛宕権現境内で行なわれていたようです。6月24日の功徳日に青ほうずきの実を愛宕の神前で水で鵜呑にすれば、大人は癪の種を切り、子供は虫の気を封じるというお告げがあり24日の功徳日に試みると不思議と効果があった為、いつしか境内に御夢想の虫薬と称して青ほうずきの市が立つようになったようです。

6月24日は愛宕権現の本地仏「地蔵様」のご縁日で四万六千日にあたるとされていました。元来四万六千日は観音様の功徳日であったところから浅草でも市が立つようになったそうです。青ほうずきは漢方では解熱剤などに江戸時代に薬用として用いられていたそうです。

さて功徳日ですが観音様は18日、地蔵様は24日とか言われています。その日にお参りすると100日、1000日功徳が授かると言う。そして一番多い日が7月10日でこの日にお参りすると四万六千日に相当するそうです。そして多くの人が訪れるので前の日の9日も同じ効用があるというスペシャルサービスの功徳日?です。中々お寺さんもお茶目です。

四万六千日は白米一升分は四万六千粒にあたりこの日観音様を御参りすると一生を通じて無事息災に過ごす事ができるとか、四六時(1日)の千日分が四万六千でこれが根拠とか、石橋山で敗れた源頼朝が後に浅草寺境内に陣した時7月10日で四万六千騎だったとか色々言われています。

仏縁を結ばせる1つの方便だったんでしょうか。まぁ箱根の黒玉子みたいに1つ食べれば7年長生きとか我々もそれを肴にお祭りを楽しめればと思います。

と言う事で
ご本堂を参拝して雷除けのお札を戴き、きれいなお姉さんでほうずきを買い、かみさんとチョット早い夕食を兼ねてんぷらで一杯と相成りました。

大森東口ウォーキングコース
大森停車場階段鉄柱→鷲神社→萬霊地蔵→京浜電車敷石→蜜厳院(お七地蔵)→磐井神社(井戸、イチョウ等)→三原通り→馬頭観音→三原不動尊→海難供養塔→西南・日清の役碑→羽田道→厳正寺→貴船神社→ふるさとの浜辺




海難供養塔
(大田区大森東1-27付近)

大森東小学校の前の一角に大きな供養塔が建っています。安政2年(1855)江戸市中全域と神奈川に及ぶ魚貝業者をはじめ江戸町人などによって再建されたものです。

 

東京湾でも屈指の規模を誇る。高さ2.3Mもある五輪塔です。供養塔の墓域も広くまわりにはいくつかの碑もあり、講の事務所もあります。

 

美原通り馬頭観音(川島海苔店)

馬頭観世音は馬が農耕や交通用具だった昔、亡くなった馬を供養するために建てられたものです。

 

大正時代に大森神社の近くの馬力屋さんが火事になり8頭の馬が死にその供養のために建てられていました。馬力屋は今の大森海岸交差点前の街道にあった。空襲により倒れてしまったのを川島海苔店のご主人が今のところに祀ったようです。

 

西南・日清の戦没碑 (大田区大森中1-1)大森警察署の裏にあります。大森村から両役に従軍した兵士の名を刻した大きな2つの碑です。
明治
10年の西南の役碑 高さ163M

明治2728年の日清の役碑 高さ36M

西南の役の碑は全国でも数が少ない。書は山形有朋

 

大森警察の建物の前身は大森区の区役所になっていてその時に建てられたようです。大森区役所はこの地域が一番発達していた事、区内で新しい建物だったのでとりあえず入居したようです。後に蒲田区と大森区が合併して大田区なって区の中心として新井宿に移る。

 

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