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美術館・鉄道・お城・お相撲・お友達の話など趣味のブログです。
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0a58b8bd.jpg 岡山城
通称  烏城
構造  平山城
天守  複合式望楼型5層6階
1966年鉄筋コンクリート復元
築城主 宇喜多那直家
城主  宇喜多、小早川、池田氏
遺構  櫓、石垣、堀
重文  月見櫓、西の丸西手櫓
 
天正9年宇喜多直家が亡くなり10歳の秀家が継ぐ。豊臣秀吉にとてもかわいがられ天下人秀吉より父の遺領の備前、美作の他に備中の一部も貰い57万石の大大名になりその当時の城から(現在地より300m西の高台にあった石山)秀吉の勧めで現在の場所へ(岡山のいわれ)旭川の流れを変え3重の濠を作り5層6階の城を築く。
 
城は安土城を模したと言われている。不等辺5角形をしている。かっては3層櫓が10基、2層櫓が26基もあり壮観なお城だったようです。
関ヶ原の戦いでは西軍についたため秀家は八丈島へ、代わりに小早川秀秋が入封、しかし1年余りで急死、池田輝政の二男忠継が28万石で入封、その後池田家本家が入封、忠継の家系は鳥取城へ移封となる。
 
c2f23f79.jpg天守石垣はここも野面積みで月見櫓は石を平らに加工した割り石で石の隙間は詰め石をした打込萩といわれる工法です。月見櫓は本丸内で唯一戦災から免れた建物で池田忠雄によって建てられた。名称は月見櫓ですが中は武器の貯蔵庫で北西の防御をする為のものだったようです。
 
岡山城の旭川の前には日本三大名園と言われる後楽園があります。名園と城が隣合わせは彦根城もそうです。
 
場所は離れていますが池田光政の創立した閑谷学校があり講堂は国宝になっています。江戸初期から一般にも開放した学校。藩主が移っても学校は独立して運営されるよう仕組みになっていたようです。藩校は何処でもありますが岡山の運営は時代の先を行った運営だったようです。池田光政の名君と言われる所以だそうです。
 
aa43761e.jpg岡山城は駅から歩いても20分位ですが今回は岡電に乗って行きました。時間的に今回はお城だけで後楽園は散策ができませんでした。まぁ何回か来ていますが庭園は季節によって変わりますのでまた次回時間があれば来たいと思っています。


黒の豊臣、白の徳川と言われますがその典型のお城です。
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昔の天守の礎石群 この上に大きな天守閣を建てています。
同じようなものは安土城跡にもあります。何となくロマンを感じます。
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b5c36bb4.jpg 松江城
通称  千鳥城
構造  平山城
天守  複合式望楼型4重5階地下1階
築城主 堀尾吉晴
城主  堀尾、京極、松平氏
遺構  現存木造天守、石垣、堀
 
松江市北部の宍道湖北側の亀田山に築かれて堀の周りを囲む堀川は宍道湖と繋がっています。天守から宍道湖を望む事が出来ます。
 
関ヶ原の戦功により堀尾氏が亀田山に築城、その後小浜藩の京極忠高が26万石で入城、城の全容が完成。京極氏も世継ぎがいなく、1638年信濃松本藩から松平直政が18万6千石で入封。以来出雲そばが名物に。
 
天守に地下1階の平屋の付櫓を付けてあります。この櫓は入口に鉄板張りの戸があり中は枡形になっています。2重目には石落としを張り出し、1重目と2重目の間には77ヶ所の鉄砲狭間があり、黒く厚い雨覆板の下見板張りとなっています。
地下の井戸は現存する唯一のものだそうで、最上階は内部廻縁高欄で遠方を見張れるようになって実践本位のお城です。屋根には木彫銅張りの2.2Mの鯱が乗っています。
 
f4653922.jpg石垣は昔の野面積みです。天守への階段は防火と防腐の為厚い桐の板を使用しています。
 
現存の外堀を現在遊覧船が出て、水辺からのお城や松並木、武家屋敷、旧小泉邸などを見ながらめぐる事も出来、今年春にオープンした松江歴史館も堀沿いにあります。短時間で松江の歴史が解りますのでお勧めです。
 
今年は開府400年で1年間イベントが色々開催しています。最近お城に多いおもてなし隊も此処では若武者隊、舞姫隊とあるようですが私たちの入った時間は居ませんでした。ゆるキャラの「あっぱれ君」はこの暑い中可哀そうですが頑張っていました。
 
水の都松江は城下町も整備されています。また松平不昧公が茶道具収集、相撲の雷電為衛門をかかえたりした風流な大名の影響でお茶、お菓子など美味しいも9255d0d5.jpgのが今でも残っています。

松江では自転車で回りました。水の都、整備された城下町、食べるものも美味しく駅から離れていてもスイスイと町並みを楽しみました。もう少し自転車道にやさしいと良いのだが。

島根は竹島問題を抱えています。「帰れ、島と海」という看板が目に入ります。国の問題なんでしょうが東京にいると忘れてしまう問題です。
竹島資料室
http://www.pref.shimane.lg.jp/soumu/web-takeshima/takeshima03/


壱岐対馬へ行った時はもう此処は韓国ではないかと思うくらい韓国人が多く、店のメニューもハングルで書かれています。ある意味国境の町です。

 

 東都名所 安藤広重画 (幽斎書)
大判 横型 錦絵 極印 板元 川口正蔵板アダチ版画研究所復刻
タイトル 両国之宵月

解説 小林忠 氏
近景に大きく両国橋の橋げたを捉え、その間から対岸の景観を望む。
近大遠小の視覚を誇張した本図の構図法には、北斎の強い影響を認める事が出来る。

しかし、中空に浮かぶ望月とたなびき渡る紅の雲とに、月光と日没の残光とが映じ合って暮れなずむ夏の夕空を描きだすなど「光の画家」広重らしい鋭敏な感覚を早くものぞかせている事にとりわけ注目すべきだろう。

また、網打つ音や櫓の音が流れ、涼風が吹き渡ってさわやかさを添える大川の川画を遠ざかるにつれて白くうすれる「ベロ藍」で刷いているが、その諧調はことのほかに美しく、印象的である。わずかな色数に限りながら一色一色に多くを語らせるカラリストとしての資質をも豊かに持ち合わせている事を知る。
 
黙ってみると確かに広重というより北斎の感覚に見えます。夕焼けと霞んだ大きな月、これから繰り出すのか屋形船の客に,漁をしまい帰宅を急ぐ漁師の舟、まだ漁をしている舟と夕方の一瞬をとらえているようです。でも解説の涼風が吹き渡る風には感じないのは絵心がない、感性が鈍いのか。

夏の絵として大川は花火か夕涼み団扇を持った芸者絵の方が感じますが。宵といってもまだまだこれからと云った時でしょうか。


今回自分のお土産の鉄道グッズです。上が近江鉄道の鉄道型警報ブザーです。隣が近江鉄道の新設駅のスクリーン駅キーホルダー。近江鉄道は米原からJrの彦根、近江八幡、貴生川を接続する1896年創立の歴史の古い鉄道会社で西武グループの事業会社です。

今はガチャコン電車と言われていますが昔は近鉄でした。近鉄と言えば近畿日本鉄道ですが近鉄は1944年創立ですので前は近鉄が近日と略称をしていました。西武グループですから西武鉄道の中古の車両を改造して使用しています。走行中ガチャンガチャンとなるためガチャンコ電車の愛称が、そして近江鉄道も居直ったかガチャンコと自称しています。

彦根駅に鉄道資料館を持っています。また、数少ないサイクルトレインで自転車を無料でそのまま車内に持ち込むことが出来ます。スクリーン駅ホルダーは近江鉄道では何十年ぶりかの新駅、彦根駅ホルダーと悩みましたが。IT関連の大日本スクリーン製造の敷地内駅だそうです。グループだからしょうがないですがブザーも遠目からは西武鉄道に見えます。

左下は一畑電車です。1912年一畑軽便鉄道を前身とする島根県東部の鉄道事業者。略称バタデン。昨年、中井貴一主演の「レールウエーズ49歳で電車の運転手になった男の物語」で一般にも有名になっています。一畑薬師、出雲大社への接続の為の路線ですが当初は国鉄と並行するため出雲大社への許可が出ず、1964年出雲市駅への接続をあきらめ隣に電鉄出雲市駅を設け、現在は北松江線(松江しんじ湖温泉~電鉄出雲市)大社線(川跡~出雲大社前)の2路線で運行。

044e8bea.jpg京王電鉄、南海電鉄からの中古車両を改造して使用しています。運転手教習も映画のように京王電鉄で行なっているようです。ここには最古級のデハニ50形があり出雲大社前に展示されています。

デ(電車)ハ(三等車、普通車)ニ(荷物室)のデハニ50形は平成21年に引退しています。木造ボディ、木製日除け、手動扉、荷物室付車両です。この車両の有効利用を検討していますが現在の運行する為の安全装置など基準を満たす為には資金的なものもあり現行は難しいようです。最古級の同じ時代の車両は高松琴平電鉄1000形、上毛電鉄デハ100形)

7bf3231e.jpgここも自転車を持ち込むことが出来ます。1回300円です。出雲大社参拝の若い女性達は一瞬目を丸くしていました。地方線では結構レールサイクルサービスがあります。

元京王の5000形電車


3da60fa4.jpg右下はJR境線鬼太郎列車、テレビで有名になったげげの女房、水木しげる氏のげげげの鬼太郎のペインティング列車で米子駅0番線(霊番線)から出ています。ホームにも妖怪が沢山います。乗る前から子供達はワクワクで終点に水木ロードも出来、多くの観光客を運んでいます。

この他にねずみ男列車、猫女、鬼太郎、目玉オヤジなどのペインテイング列車があります。


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岡山電気軌道、通称岡電、創立100年を超える古い会社です。路線は短く、岡山駅で探しても分からず、地下から行って乗りました。両備グループの会社ですが圧倒的にバスに押されています。このチンチン電車に乗りたく岡山城へはこのチンチン電車にわざわざ乗りました。日本に現在20の路面電車があるようですがまだまだ全部は乗っていません。時間的にNゲージを求める事は出来ませんでした。

この他に大垣で養老鉄道100周年記念切符、一畑大社前駅の入場券を購入。帰って気がついたのですが一畑の切符は自分ではかなり持っているつもりが全くなくきちんと買えばよかったと反省。
 
今日は二百十日です。
昔からこの日、時期には嵐が来るとされ米の収穫期ですから刈り取りや農家の注意日にあたります。また漁業も風、雲を見ての出漁をする時期です。

風を鎮める行事で有名なのが「おわら風の盆」です。一昨日から丸岡城へ攻め入ろうと計画し行きました。当初は31日から2日で金沢も入れて富山から帰ろうと思っていました。

しかし、ホテルが取れない。そこで1泊にして日程も前倒しをしました。しかし、福井も駅近くのビジネスが取れない。風の盆の前夜祭の影響と各地で風の盆の模擬イベントをやっているかと思っていました。

現実は福井では29日から電気学会と言う大きな会議があったようです。駅から土産屋、居酒屋など歓迎の幕、ポスターが掲示されていました。何とかネット予約で駅から10分も歩くホテルに潜り込めました。

あまり一人旅では事前予約をしない私ですがネットは便利です。ホテルの値段、予約状況が一目で分かります。それを見て当日うろつき建物を見て直接ホテルへ行きます。

今回は殆どが満室、こりゃ当日夜8時到着ですから泊まれなければと焦り予約を入れました。ネットを使うとまた多くの宣伝メールが入ってくるのが面倒なのですが。友人の大学の先生は毎日100通を超えるメールが入るそうです。削除するのに時間が結構かかるようです。私は3日留守にして20もきませんが。

二百十日は昔はコンピュータもなく、統計、風、雲などからの判断だったんでしょうが経験則はやっぱり重要です。またその意味で歴史・過去に戻る、見ると言った事も重要です。

今は人工衛星で雲の流れなど立体的に判断しています。そして丁度台風が日本に向かっています。何処にいても情報を共有できます。それでも自然の力は人間の知恵を上回ります。

昨日東海道線で帰宅しましたが夕方由比の近くでは波がテトラポットを越えていました。凄いうねりでした。それでも高速で車は走っていましたがもっとあの波が超えたらとギョッとしました。

情報が溢れ、慣れてくるとその情報も無視してしまうんでしょう。そして何時大きい波が来るか分からないが被害にあってから馬鹿だなぁとなります。自分だけは大丈夫と思ってしまうのでしょう。地震予知警報もありますがまだ当たらない事もあり狼少年になるととんでもないことになるかも。

たまには過去の事象や過去の法則を見るのも良いのではないでしょうか。それが学習能力になるように。
岡山、島根から帰って来たばかりですが現存天守の最後丸岡城を残さないでこの勢いで攻めたいと言う気持ちが強く、思い立ったが吉日、というか子供みたいなものでどうしてもこの12の城を終わらせたいと言う気持ちが強く明日、福井へ向かいます。

序でに越美北線にあります越前大野城も攻めてこようと思っています。此方の方が山城で体力がいるようです。どちらも鉄道連絡が悪く、丸岡は駅から城までバスで行かなければならないようです。それも接続が良くない。

1週間トレーニングをしていなかったので今日はちょっと無理して行きました。やれば気持ちが良いのですがたった1週間やらないだけで備中松山城も終わったということもありぐずぐずしていました。

これで行かないとずっと行かなくなりますので習慣ずけの意味でも行きましたが結構体調は良いようです。いつものメニューは簡単にこなせました。この勢いで明日からまた出陣と相成りました。

先週行ったお城の話、鉄道の話がまだ書いていませんがとりあえず明日、出陣です。越前は蕎麦以外に蟹もないし何かめぐり合えばと楽しみにしています。

 島根、岡山のお土産の一部です。家へのお土産ですが個人的に好きなもの、変わったものを購入します。お菓子はかみさん曰く保存の添加物が多いといいますがそれだから帰ってからゆっくり旅の想い出にしたれます。

真ん中の「出雲」は島根の福田屋のお菓子。同じ島根の桂月堂の「薄小倉」、京菓子工房都の「花かずら」などと同じ小倉と寒天に周りが砂糖の塊になっている口当たりが良いお菓子です。今までは薄小倉ばかり食べていました。出雲も同じに感じます。この他に「朝汐」も美味しいお菓子です。親方をちょっと思い出します。

出雲の隣の「出雲三味」は桂月堂のお菓子で三段になっていて上に落雁、羊羹、ギュウシのやはり口当たりの良く上品なお菓子です。桂月堂は島根を代表する老舗のお菓子屋さんです。初めて食べましたが3つのサンドされた食感が良いです。

手前の紫色は「いちばたSARABANDO」宿泊したホテル一畑のお勧めのホワイトクリームがサンドされたホテルオリジナルお菓子。でも何処にもあるが旅のお土産には誰にあげても喜ばれるお菓子です。サクッとした感触、ホワイトクリームの上品な味は好きです。

左の赤いパッケージ「海老煎餅」は伊豆で良く食べた海老せんべいと全く同じでパッケージが岡山になっているだけのお菓子です。でもこの触感と海老の殻の焦げた味が好きなんです。これでビールも戴きます。

左上の小倉、広島、岡山、イエロードクターなど新幹線駅のパッケージのあられです。「鉄道ですよ マヨおかき」という名前につられ購入。何と販売者東京都中央区、ギャハー岡山で東京ものを買ってしまった。

最後も遊びで買った「明治マーブルチョコレート瀬戸内限定版」、「串団子」帰りの酒のつまみにでもと購入。帰りは疲れてお茶で過ごした為おみやに。

松江は不昧公の影響か美味しいお菓子が沢山ありますが季節的に生菓子は駄目で干菓子になってしまうのは残念。岡山はやはり桃が良い匂いを出して誘っています。そしてぶどうも出ています。でもこれもお土産には?

お土産は東京では多くの県がアンテナショップを出しています。重いもの、生ものはそこで購入する事にしています。ですから途中酒のつまみにした「あご野やき」などのかまぼこは食べましたがお土産にはしませんでした。


ちょっとあんた、何見てんのよシリーズ(笑)
今日のバロン
久々に帰って来たら「おー餌やり人帰ったか」と偉そうな顔で迎えてくれます。  フォト ままりん
 
 

d5a06828.jpg外出すると郵便局へ行き1000円貯金をします。旅行先で郵便局を探す話を書きますが良く分かっていないようでメールを戴いたりします。簡単に言えば窓口へ行き1000円の入金をすれば左側から日付、金額、郵便局名のゴム印を押してくれます。昔は上下にその郵便局長印も朱で押してありました。

昔旅先で行った記念にテレカを買っていました。今もストックブック2冊あります。1000枚を超えてからつまらなくなり先輩から郵便局のスタンプの話を教えてもらいました。土日は出来ませんが必ず日付が入り後からも何時行ったと直ぐ分かります。

今は小泉改革で郵便局がかなり減ってきました。昔は26000局、1000円貯金を全部すれば2千600万円になります。そしてもしもの時旅先でおろす事も出来ます。まぁ日本中津々浦々あり島にも唯一の金融機関としてありますから全部は到底無理ですがこの日付印は旅の想い出になります。

テレカと違って値下がりもしませんし僅かですが利息も付きます。昔は10万になったら10年定期にしていました。今は利率もないようなものですが。(但し郵便貯金は1000万円が限度です。)

場所によっては一行にその地の名称が入ったり花やお城の絵が入ったりします。下の印は富士山五合目の大きなゴム印でした。今は休止しています。また、コンピューターの関係で行を跨ぐのはできなくなったようです。


b726d130.jpg多くの方にお勧めしています。亡くなった親父は都内の郵便局制覇をしていました。70を超えると都営パスが出てそれで早朝から地図を片手に周っていました。そんな懐かしい想い出もあります。通帳を作るには1円入金から出来ます。また印鑑、個人証明の物が必要です。

私は収集癖があり典型的なアナログ人間です。
決して面倒でも自動支払機は使ってはいけません。
23日から同い年で学校、会社の全く違う昔からの友人と3泊4日の家出をしました。岡山の備中松山城は当初から行くつもりでした。当初は備中松山城のついでに山陽道のお城めぐりを考えていました。明石、赤穂、岡山、広島、福山、岩国などがあります。または倉敷で美術館もと。

二人は山陰に行った事がないということで岡山から備中高梁、米子へ出て松江しんじ湖温泉泊まりで松江城、小泉八雲邸など翌日は一畑電車で出雲大社へ帰りは出雲市からやくもで一気に岡山へ岡山城、路面電車というコースです。何処へ行ってもお城、列車、郵便局は入れるんです。

行き帰りは青春18きっぷでまるまる一日とことこ各駅電車の旅です。23日早朝5時台の「ムーンライトながら」の戻りの電車で静岡には8時45分、その後浜松、豊橋、大垣、米原、姫路、相生、岡山、備中高梁に7時前に着きという乗りっぱなしの行程です。

この旅行の前夜祭で同行のちょんまげさんが沖縄から持ってきたシークァーサーを焼酎に入れ紙コップでグイグイ、我々の傍は酒臭く余り人が寄ってこない。どうせ今晩は寝るだけです。ペティナイフは酔って危ないので直ぐしまいました。

つまみはしろうおの佃煮から豆源の塩豆、八戸のさきいか、松崎のせんべいなど途中に豊橋でお稲荷さんをつまみにしたりとトイレ付の電車ですから安心しての宴会で12時間はあっと言うまでした。

備中高梁ではビジネスですのであの狭いバスタブではと銭湯に行くつもりでしたが残念ながら1軒もないそうでした。ホテル紹介のお店は魚屋がやっている割烹で安く美味しく大当たりでした。魚に詳しい塚ちゃんも満足、ボトル1本取りましたが流石に呑みきれませんでした。

64f454b0.jpg翌日は6時起きで周辺散歩、薬師院という寅さんのロケ地になっていた個人的に好きな雰囲気のお寺さんで参拝、お城は9時開門ですので駅前でゆっくり朝食を戴きいざ今回の目的備中松山城へ攻め入りました。山登り、急な坂など事前の情報で覚悟をして足腰をトレーニングしてきましたが何かあっという間の登頂でした。

出雲空港に昼に着くちょんまげさんに合わせべく特急やくもに乗り松江へ向かいます。時間があり米子で境線の鬼太郎電車を見てタバコタイム。松江でちょんまげさんと合流。
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レンタサイクルでまずは郵便局、そして松江城、松江歴史館そして松江城外堀を船で巡る「堀川めぐり」約一時間位の水辺散歩、この舟は初めて乗りました。低い橋をくぐったり堀からのお城、武家屋敷など見る角度によってこんなに違うのかと思いました。
堀川めぐり
http://www.matsue-horikawameguri.jp/p01.html


しんじ湖温泉に入りゆっくり夕日でもと思っていましたが昼あれだけ陽がでて暑かったんですが普段の行いか雲だらけで夕日は見えませんでした。その代わりに24日は温泉場のお祭りだそうで花火が上がりました。宍道湖の花火はきれいでした。食事付でしたので宍道湖の珍味を戴き、また部屋でルームサービスを取りながらの宴会でした。

翌日は修理中ですが出雲大社へ、ホテル近くの一畑電車松江しんじ湖駅から何となくレトロな京王の電車に呑みすぎで体調不良3人組で向かいました。何度か来ていますが囲いがあるとあの荘厳な雰囲気はありません。夏休みという事か女子の多い事、後は我々のような老人グループ。縁結びは男子もそうですが女性は特に人生の一番重要な事です。皆さん真剣に参拝しています。
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大木にいっぱいおみくじ

一畑電車で出雲市へ、此処でちょんまげさんとお別れ、社長業は大変だ。何度も携帯に電話が入っていた。これで一畑電車全駅走破。

塚ちゃんと二日酔いで割り子そばと生ビールの昼食。特急やくもで一気に岡山へ。路面電車で岡山城へ、もう郵便局も後楽園も行けずビジネスホテルへ。岡山では銭湯がありました。やっぱり手足が伸ばせるお風呂が最高。
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汗を流したので近くの魚料理のお店で二人でお疲れさん会、此処も大当たり、旨く鮮度も良かった。流石魚に強い塚ちゃんの勘でした。

翌日も早朝6時過ぎからとことこ電車の旅で何度か乗り換え予定通り7時には帰宅。いつも思うのですが関西、東海はJRと私鉄が競合しているので電車は快速が多く車両のクッションも良く、JR東日本の電車とは比べ物にならない。

今回の成果
お城   備中松山城、松江城、岡山城
郵便局  高梁、松江、出雲大社前の3局
電車   Jr以外、一畑電車全線走破、岡山路面電車






 
58c721a1.jpg備中松山城
通称   高梁城
構造  連郭式山城
天守  複合式望楼型2重2階
築城  秋葉重信 1240年
城主  三村、水谷、板倉氏
遺構  現存天守、櫓、塀、石垣


私にとって現存天守12のお城のラス前になります。三大山城の1つですがこのお城しか現存していません。また現存天守のある12のお城で1番高い所にあります。(三大山城、大和高取城、美濃岩村城

ただ、このお城は戦国時代のお城ではなく近世城郭です。城のある臥牛山は4つの峰からなり小松山に本丸、二の丸、三の丸が階段状に作られ大松山、天神の丸、前山にも遺構があるようです。現在は崩落により本丸から大松山方面へ行く事は出来ません。24年春の復旧予定。

この城を攻めるにはまず麓にあり江戸時代に作られた御根小屋と呼ばれる御殿から1時間歩いていきます。私達は8合目のふいご峠までタクシーで行きました。そこから山登りになります。20分から30分急な坂と石段になります。この為に半年間トレーニングをしてきたようなものです。

行きは楽なほうという事で登りましたら途中工事の為の通行止めになっていました。この城を攻める為にわざわざ前泊して朝一で来たのですから冗談じゃないと言う事でそのロープを越えて歩き始めました。

工事の土嚢が積み上がっていて歩きにくかったですが何とか途中からもう一方の道と合流、工事の人の話では前の台風の時に石段が崩れ砂が流れ出しているとのことでした。
a301f379.jpg

白い部分が土嚢の上にまた砂が乗っています。これを修復するにも大変な労力と時間がかかりそうです。
この道でなければもっと楽だったかも。

前日の夜、雨が降ったので道はぬかるみ、霧が出て陽は射していないのですがシャツはぐっしょり、途中何度も野猿に注意との看板が出ています。凶暴との事で目を合わせないと書いてありますがいざ出たらどうなるんでしょうか。

思ったより簡単に、まぁ初日の元気でと言ったほうが430Mの山頂に到着、今だ天守は見えず。迎えてくれたのは天然の岩盤を組み込んだ高石垣、大手門跡の後方にそそり立っています。何時落ちてこないか心配になるような不安定さ、威圧感があります。
16f55a38.jpg

城主は多く変わっていますが天正2年(1574)三村元親は毛利氏から織田へ寝返り、曲者小早川隆景により落とされ毛利家の領有になります。

慶長4年(1600)関が原の戦いで西軍についた毛利家に変わり徳川は城番に小堀正次、政一(遠州)になりこの時代は不便な山に行く事もなく麓に作った御根小屋(御殿)に住んでいたようです。遠州作庭が頼久寺にあります。

写真の高石垣は木々の根っこが石垣の間に入り込んで木の成長での崩落、また地震でもあれば崩落をしてしまう危険があるようです。この高い石垣で枡形虎口になっていますので敵もびっくりしそうです。矢、鉄砲、石など飛んできそうです。

備中高梁は山陰と山陽の交通の要所ですから戦国時代は争奪戦が江戸期には商業の中心地として小堀遠州が地区割り、税の免除など地域発展に貢献したようです。水谷家に世継ぎがなく断絶の際この城は忠臣蔵の赤穂藩浅野長矩が城の受け取りにあたり大石良雄が城番となった。

戊辰戦争では朝敵とされ、無血開城をした。戦争をしていたらこの天守はなかったかもしれない。びしょびしょのシャツに2階建てですが天守からは遥か下に霧の切れ間から備中高梁の町が見え登った者へのご褒美の心地よい風が何とも良かった。

麓には御根小屋跡(現高梁高校)、武家屋敷、頼久寺、商家資料館、歴史美術館などがあります。また八ッ墓村、男はつらいよ、バッテリー、県庁の星など多くの映画ロケ地になっています。朝の散歩で偶然行った薬師院は山門、本堂までの階段など何となく個人的に好きなアプローチだなぁと思っていたら2回目の寅さんロケ地でした。

地元では吹矢べんがら、お城、ロケ地が自慢のようです。特に寅さん映画が2回もロケに来たの此処だけだそうです。そして日本一高いところの現存天守だそうです。そういいながらお城には昔に1度行った程度のようですが。

今まで行ったお城で当然一番不便で高い所にあります。伯備線には何度も乗っていますがいつも通過していました。四国は1週間で8つのお城を巡りましたが後半の宇和島城、大洲城の方が疲れたような気がします。後残すは福井の丸岡城のみになりました。さて何時攻めるか。
 
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