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備中松山城
通称 高梁城
構造 連郭式山城
天守 複合式望楼型2重2階
築城 秋葉重信 1240年
城主 三村、水谷、板倉氏
遺構 現存天守、櫓、塀、石垣
私にとって現存天守12のお城のラス前になります。三大山城の1つですがこのお城しか現存していません。また現存天守のある12のお城で1番高い所にあります。(三大山城、大和高取城、美濃岩村城)
ただ、このお城は戦国時代のお城ではなく近世城郭です。城のある臥牛山は4つの峰からなり小松山に本丸、二の丸、三の丸が階段状に作られ大松山、天神の丸、前山にも遺構があるようです。現在は崩落により本丸から大松山方面へ行く事は出来ません。24年春の復旧予定。
この城を攻めるにはまず麓にあり江戸時代に作られた御根小屋と呼ばれる御殿から1時間歩いていきます。私達は8合目のふいご峠までタクシーで行きました。そこから山登りになります。20分から30分急な坂と石段になります。この為に半年間トレーニングをしてきたようなものです。
行きは楽なほうという事で登りましたら途中工事の為の通行止めになっていました。この城を攻める為にわざわざ前泊して朝一で来たのですから冗談じゃないと言う事でそのロープを越えて歩き始めました。
工事の土嚢が積み上がっていて歩きにくかったですが何とか途中からもう一方の道と合流、工事の人の話では前の台風の時に石段が崩れ砂が流れ出しているとのことでした。
白い部分が土嚢の上にまた砂が乗っています。これを修復するにも大変な労力と時間がかかりそうです。
この道でなければもっと楽だったかも。
前日の夜、雨が降ったので道はぬかるみ、霧が出て陽は射していないのですがシャツはぐっしょり、途中何度も野猿に注意との看板が出ています。凶暴との事で目を合わせないと書いてありますがいざ出たらどうなるんでしょうか。
思ったより簡単に、まぁ初日の元気でと言ったほうが430Mの山頂に到着、今だ天守は見えず。迎えてくれたのは天然の岩盤を組み込んだ高石垣、大手門跡の後方にそそり立っています。何時落ちてこないか心配になるような不安定さ、威圧感があります。
城主は多く変わっていますが天正2年(1574)三村元親は毛利氏から織田へ寝返り、曲者小早川隆景により落とされ毛利家の領有になります。
慶長4年(1600)関が原の戦いで西軍についた毛利家に変わり徳川は城番に小堀正次、政一(遠州)になりこの時代は不便な山に行く事もなく麓に作った御根小屋(御殿)に住んでいたようです。遠州作庭が頼久寺にあります。
写真の高石垣は木々の根っこが石垣の間に入り込んで木の成長での崩落、また地震でもあれば崩落をしてしまう危険があるようです。この高い石垣で枡形虎口になっていますので敵もびっくりしそうです。矢、鉄砲、石など飛んできそうです。
備中高梁は山陰と山陽の交通の要所ですから戦国時代は争奪戦が江戸期には商業の中心地として小堀遠州が地区割り、税の免除など地域発展に貢献したようです。水谷家に世継ぎがなく断絶の際この城は忠臣蔵の赤穂藩浅野長矩が城の受け取りにあたり大石良雄が城番となった。
戊辰戦争では朝敵とされ、無血開城をした。戦争をしていたらこの天守はなかったかもしれない。びしょびしょのシャツに2階建てですが天守からは遥か下に霧の切れ間から備中高梁の町が見え登った者へのご褒美の心地よい風が何とも良かった。
麓には御根小屋跡(現高梁高校)、武家屋敷、頼久寺、商家資料館、歴史美術館などがあります。また八ッ墓村、男はつらいよ、バッテリー、県庁の星など多くの映画ロケ地になっています。朝の散歩で偶然行った薬師院は山門、本堂までの階段など何となく個人的に好きなアプローチだなぁと思っていたら2回目の寅さんロケ地でした。
地元では吹矢べんがら、お城、ロケ地が自慢のようです。特に寅さん映画が2回もロケに来たの此処だけだそうです。そして日本一高いところの現存天守だそうです。そういいながらお城には昔に1度行った程度のようですが。
今まで行ったお城で当然一番不便で高い所にあります。伯備線には何度も乗っていますがいつも通過していました。四国は1週間で8つのお城を巡りましたが後半の宇和島城、大洲城の方が疲れたような気がします。後残すは福井の丸岡城のみになりました。さて何時攻めるか。
通称 高梁城
構造 連郭式山城
天守 複合式望楼型2重2階
築城 秋葉重信 1240年
城主 三村、水谷、板倉氏
遺構 現存天守、櫓、塀、石垣
私にとって現存天守12のお城のラス前になります。三大山城の1つですがこのお城しか現存していません。また現存天守のある12のお城で1番高い所にあります。(三大山城、大和高取城、美濃岩村城)
ただ、このお城は戦国時代のお城ではなく近世城郭です。城のある臥牛山は4つの峰からなり小松山に本丸、二の丸、三の丸が階段状に作られ大松山、天神の丸、前山にも遺構があるようです。現在は崩落により本丸から大松山方面へ行く事は出来ません。24年春の復旧予定。
この城を攻めるにはまず麓にあり江戸時代に作られた御根小屋と呼ばれる御殿から1時間歩いていきます。私達は8合目のふいご峠までタクシーで行きました。そこから山登りになります。20分から30分急な坂と石段になります。この為に半年間トレーニングをしてきたようなものです。
行きは楽なほうという事で登りましたら途中工事の為の通行止めになっていました。この城を攻める為にわざわざ前泊して朝一で来たのですから冗談じゃないと言う事でそのロープを越えて歩き始めました。
工事の土嚢が積み上がっていて歩きにくかったですが何とか途中からもう一方の道と合流、工事の人の話では前の台風の時に石段が崩れ砂が流れ出しているとのことでした。
白い部分が土嚢の上にまた砂が乗っています。これを修復するにも大変な労力と時間がかかりそうです。
この道でなければもっと楽だったかも。
前日の夜、雨が降ったので道はぬかるみ、霧が出て陽は射していないのですがシャツはぐっしょり、途中何度も野猿に注意との看板が出ています。凶暴との事で目を合わせないと書いてありますがいざ出たらどうなるんでしょうか。
思ったより簡単に、まぁ初日の元気でと言ったほうが430Mの山頂に到着、今だ天守は見えず。迎えてくれたのは天然の岩盤を組み込んだ高石垣、大手門跡の後方にそそり立っています。何時落ちてこないか心配になるような不安定さ、威圧感があります。
城主は多く変わっていますが天正2年(1574)三村元親は毛利氏から織田へ寝返り、曲者小早川隆景により落とされ毛利家の領有になります。
慶長4年(1600)関が原の戦いで西軍についた毛利家に変わり徳川は城番に小堀正次、政一(遠州)になりこの時代は不便な山に行く事もなく麓に作った御根小屋(御殿)に住んでいたようです。遠州作庭が頼久寺にあります。
写真の高石垣は木々の根っこが石垣の間に入り込んで木の成長での崩落、また地震でもあれば崩落をしてしまう危険があるようです。この高い石垣で枡形虎口になっていますので敵もびっくりしそうです。矢、鉄砲、石など飛んできそうです。
備中高梁は山陰と山陽の交通の要所ですから戦国時代は争奪戦が江戸期には商業の中心地として小堀遠州が地区割り、税の免除など地域発展に貢献したようです。水谷家に世継ぎがなく断絶の際この城は忠臣蔵の赤穂藩浅野長矩が城の受け取りにあたり大石良雄が城番となった。
戊辰戦争では朝敵とされ、無血開城をした。戦争をしていたらこの天守はなかったかもしれない。びしょびしょのシャツに2階建てですが天守からは遥か下に霧の切れ間から備中高梁の町が見え登った者へのご褒美の心地よい風が何とも良かった。
麓には御根小屋跡(現高梁高校)、武家屋敷、頼久寺、商家資料館、歴史美術館などがあります。また八ッ墓村、男はつらいよ、バッテリー、県庁の星など多くの映画ロケ地になっています。朝の散歩で偶然行った薬師院は山門、本堂までの階段など何となく個人的に好きなアプローチだなぁと思っていたら2回目の寅さんロケ地でした。
地元では吹矢べんがら、お城、ロケ地が自慢のようです。特に寅さん映画が2回もロケに来たの此処だけだそうです。そして日本一高いところの現存天守だそうです。そういいながらお城には昔に1度行った程度のようですが。
今まで行ったお城で当然一番不便で高い所にあります。伯備線には何度も乗っていますがいつも通過していました。四国は1週間で8つのお城を巡りましたが後半の宇和島城、大洲城の方が疲れたような気がします。後残すは福井の丸岡城のみになりました。さて何時攻めるか。
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